2003年6月18日 
福冨弘美 

『噂の真相』編集部さんへ

  発行後、随分日が経ってしまいましたが、たまたま今日ページをめくっていて〔音楽〕のコラム(p104)を見てびっくり仰天、あまりにも腹が立つので、あえて強度の抗議の意思を込めて一報します。
 木下ヒロなる人物がいかなる人であるものか、全く知りませんが、すくなくとも司法制度に詳しいとは考え難いし、その立場は別に、この国の司法制度の「いびつさ」やどうしようもなさについて論ずるに足る知識・情報・経験を備えた人材とは、到底考えられません。もちろん、無知な者は発言するなというつもりはありませんが、司法制度や原発について主張があるなら、最低限の具体性をもった情報なり考えを提示しなければ、ものかきとして恥ずかしいし、卑怯も過ぎるというものでしょう。
 反原発・脱原発の思想と行動に敵対するのも、日本国の原子力政策や電力業界を支持する発言をするのも勝手ですが、〔音楽〕と銘打ったコラムで、一切の具体性に触れることなく、「その筋の多数の専門家」と、万一事故が起これば直接甚大な被害を被る地元住民による、長年の最新の科学的知見に基づく精密な主張を認めた裁判所の判断に対し、「裁判官の科学技術に対する姿勢や考え方があまりに特異、かついびつ」などと根拠もなしに非難することは許されない。当然、こんな原稿をそのまま採用した編集部の責任も重大です。
 コラムが取り上げているのは、2003年1月27日の名古屋高裁金沢支部による「もんじゅ設置許可無効確認訴訟」控訴審判決と考えられます。したがって上告とは、原告団を構成し、91万名のもんじゅ廃炉要求の署名を国に提出した「原子力発電に反対する福井県民会議」や「原子力資料情報室」をはじめとする広範な市民運動、日弁連(会長声明)等による上告中止を求める声を無視して行われた、国(経済産業省)による上告申立てを意味することになります。
 同じ号の「東京ペログリ日記」にも指摘されているとおり、4月の福井県知事選挙で脱原発を正面から掲げた候補が惜敗した事実にも示されるように、もんじゅ設置無効判決は広く地元の支持を集めたのであって、「相変わらず一般国民はもとより、その筋の専門家にすら到底理解が難しい判断」の例証とするとは、なんたることか。私には、木下なる人物が、この訴訟の経緯はもとより、判決骨子、経済産業省作成の申立書要約すら読んでいないことが断言できます。判決文は大変長文で、科学技術に詳しくないと読み通せないかも知れませんが、骨子ぐらいは読んだらどうかね、と言いたいところです。
 司法改革という名の司法制度の劣化と腐敗の構造化は、無知に基づく、こういう半端な「意見(世論)」を背景に目下着々と進行中です。

以上


2003年7月13日
    福冨弘美 

(高速増殖炉もんじゅ設置許可無効判決に対する誹謗中傷記事を撤回しない)
『噂の真相』編集部・とくに編集長岡留安則さんへ

 2003年6月18日付で、貴誌2003年7月号所収「メディア(裏)最前線・音楽」のコラムの記述に対し抗議の一文(「『噂の真相』編集部さんへ」)をお送りしたところ、貴誌からの見解表明はおろか、受け取ったとのはがき・ファクス・メールの1行、電話による連絡もさっぱりないので、随分と無礼で傲慢な雑誌編集部であることよ、と感じ始めていました。しかし、7月10日になれば次号が発売されるのだから、誌面上でなんらかの反応を示すのであろうと考えていたところ、完璧な無視が貴誌の返答であることを思い知らされる結果となったわけです。
 そうなると、いろいろと話は違ってきます。
 私は貴誌を長年にわたって講読し、あるいは少なからぬ数の知人が執筆し、またしたことのある雑誌の読者として知りうる貴誌の性格・存在理由などからして、問題のコラムはおかしいと具体的理由をあげて指摘しました。貴誌が、この国の原子力行政や核燃料サイクル構想を推進するスタンスを取り、また、現在、法務省・最高裁事務総局の官僚どもが小泉純一郎に丸投げされて推進している「司法改革」なるものを支持する立場を取るのであれば、別に問題はないのです。そうであれば、私は貴誌にまつわるすべてを思いっきり軽蔑し、それを読むためにびた一文払わないことにするだけで済むのですから。
 けれど、実態はそうではねえだろうが、と私は言っている。この国の司法システムの問題性について、一知半解の知識・情報しか持ち合わせていない専門外のライターが、どこかで聞きかじった二次・三次情報を基に、原子力行政にブレーキをかけた、住民・広範な市民にとってきわめて重要な(国際的な意義も大きい)勇気ある司法判断について、具体的根拠も示さずに科学技術に対する無知を暴露したと非難する原稿を書いてしまった。編集部は、それを見過ごすという初歩的にして救い難いミスを犯した。それに対する指摘を無視し、知らんぷりをするということは、それがミスなどではなかったことを意味することになってしまうでしょう。そうでないなら、木下ヒロをして、または第三者をして、もんじゅ二審判決がいかに科学技術に対するいびつな考え、あるいは無知を示しているかを具体的に論ずる必要がある。それが、雑誌ジャーナリズムの仕事であり、スキャンダラスな情報誌の使命といえる。そうではありませんか、岡留さん。
 面倒いうやからは無視し、ないものとすること。とりわけ反論できない批判には、沈黙で答える。忙しいのだから、気づかなかったふりをして、時間をかせぐ。これは支配の論理、支配を維持するための要諦です。だから人民・市民の側が、真似してはいけない、と私は考えます。
 いずれ修正・訂正されるのだから、と勝手に解釈して、反原発運動関係者等に貴誌のトンデモコラムの記述を紹介することを怠ってきましたが、貴誌8月号を確認したうえで、まずは私自身の関係する市民運動の通信『国賠ネットワーク』に小文を掲載しました。進行中の司法改革は、私どもにとって死活問題の一つなのです。

◆追記◆もんじゅ二審判決に対しては、原発「推進側」から経済産業大臣談話、日本経団連会長談話、原子力委員長によるFNCA(アジア原子力協力フォーラム)への緊急メッセージなどが出されていますが、判決が科学技術に対する無知やいびつな考えから書かれたとの趣旨の主張や、そうしたことをほのめかすような言辞は全くありません。当事者たる平沼が不満を述べているほか、経団連の奥田は、この国のエネルギー政策を見直す契機とするべきかもしれないと語っており、原子力委員長藤家は核燃料サイクルと高速増殖炉について将来の世界に貢献するものとして開発を進める決意を表明しているだけです。
 ただし、捜してみるとあるもので、「四電ペンギンス」という四国電力陸上競技部のホームページ中の「幹事長の独り言」という<時評>的なバカ・偏見丸出しのコラムに「信じられない不当判決−もう裁判所なんて信用できない」という駄文がありました。私のカンでは、これが木下ヒロのソースです。四国電力といえば、伊方原発訴訟を思い起こしますが、この筆者はこれでは核燃サイクルどころか原発まで止まってしまうことになりかねないと危機感を募らせてセンスのない悪態を吐いています。要は、原子力施設の安全にかかわる技術的なことが裁判官にわかるわけはないのだから、その筋の専門家による安全審査にまかせておけばよいのだ、という主張です。
 そこで念のため言えば、もんじゅ判決を出した名古屋高裁金沢支部は、画期的な審理方法を採用していた事実があります。法廷外で、月1回ペースで当事者双方と裁判官が協議する場を設け(進行協議)、それぞれの提出した書面や資料について説明させ、疑問点を出し合うことにより、問題の所在を明らかにしていくというものです。この協議は合計17回開かれ、争点の背景にある科学技術上の問題等について、しろうとである裁判官は理解を深めることができたようです。この方式がどれほど画期的であり、民事裁判の透明化につながるものであるか、訴訟沙汰を経験している貴誌にはよくおわかりかと思います。

以上


(2003年7月15日・噂の真相発信のファクス) 

(噂の真相 正岡さんからの回答)

 福冨弘美様

 この度は抗議文をいただいておりながら、木下氏に抗議文を転送したまま、多忙のため処理を怠っていたために、お返事が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
 今回の本誌7月号「メディア(裏)最前線」の木下ヒロ氏による音楽欄中の「もんじゅ」の記述について、木下氏とも打ち合わせた結果、以下の通り編集部の見解を述べさせていただきます。
 要点としては、次の2点がポイントかと思います。すなわち、
(1)科学技術や司法についての専門知識もないのに、もんじゅや司法制度について言及したこと。
(2)もんじゅにかかる判決について具体的な検証もなく批判的な意見のみを取り上げ、もう一方の意見を取り上げなかったこと。
 この2点について強い不快感を示されたものと理解いたしました。 そして、今回の記事を改めて上記2点から鑑みるに、お申し越しの件に関しては確かにうなづかされると共に、木下としても編集部としても反論はありません。今回のご指摘を謙虚に受け止め反省するとともに、今後の記事づくりに生かしていきたいと考えております。
 つきましては遅蒔きながら、次号本誌の当欄にて前述のような趣旨の文面を記事中で掲載する予定です。
 よろしくお願いいたします。
                             噂の真相 担当・正岡


2003年7月22日 
福冨弘美 

『噂の真相』編集部 とくに岡留安則さんへ                               (その3)

  2003年6月18日付および同7月13日付、噂の真相編集部宛の書面に対する「噂の真相 担当・正岡」名、同7月15日発の返信を受け取りました(書面には日付けを入れること、初めての相手に対してはフルネームを名乗ることをお勧めします)。
 今さら、意見交換や主張のぶつけあいをするつもりはありませんが、当方の言い分に対する下記の理解があまりにも的外れであることを看過するわけにはいきません。
 「(1)科学技術や司法についての専門知識もないのに、もんじゅや司法制度について言及したこと。(2)もんじゅにかかる判決について具体的な検証もなく批判的な意見のみを取り上げ、もう一方の意見を取り上げなかったこと。この2点について強い不快感を示されたものと理解いたしました。」と。
 とんでもありません。私は「もちろん、無知な者は発言するなというつもりはありませんが、司法制度や原発について主張があるなら、最低限の具体性をもった情報なり考えを提示しなければ、ものかきとして恥ずかしいし、卑怯も過ぎるというものでしょう」と明記しているのですから。こと司法制度や原発については、あらゆる人々の生命や人権にかかわる問題を内包する以上、専門知識がない者も大いに発言すべきなのです。ただし、他人の主張や裁判所の判決を批判するには、素人なら素人なりの根拠や情報を示すべきであって、「その筋の専門家」の定説があるかのようなほのめかしをもとに、内閣総理大臣によるもんじゅの設置許可処分を無効とした判決について、「(思考の)いびつさ」「(科学技術に対する)無知」を指摘してみせるのは卑怯だというだけの話です。
 第2点も同様。冗談もほどほどにして下され。『噂の真相』編集部が、もう一方の意見を取り上げなかったことを反省して、どうするのですか。早い話が、それでは貴誌の記事の多くは成り立たなくなってしまうでしょう。私は、間違ってもその類の答えが返ってくることはあるまいと思いつつ、「反原発・脱原発の思想と行動に敵対するのも、日本国の原子力政策や電力業界を支持する発言をするのも勝手ですが」とことわりを入れておきました。木下氏の考え自体をとやかくいうつもりは全くないのであって、同氏が(1)のような反省をするのは勝手ですが、私には興味がありません。原発や司法制度について専門外であることが明らかな書き手がこのような原稿を出したときに、それを素通りさせる編集部の責任が重大なのです。だから、私の抗議文の宛先は「『噂の真相』編集部さん」としてあります。
 貴誌がこの国の原子力政策を支持しているとも考えにくいのに、具体的根拠もなしに、また結果として、判決とそこに反映された原発の安全性にかかわる科学的知見や、現実にナトリウム事故を起こすに至った安全審査に対する批判を誹謗する意味しか持たない記事を掲載するのはおかしいと言っているのです。その後、木下氏のいう「その筋の専門家」とされる人々とおぼしき発言がほかにもあることがわかりました。「エネルギー問題に発言する会」(エネルギー会)のウェブサイトには、問題の判決を批判する発言が多数寄せられています。なかには専門的知見に基づく技術者の意見もあります。技術的なことは私にはわかりませんが、批判する主張の論理的な粗雑さはよくわかります。肩書なしで書いている人のほとんどは、日立・東芝・三菱などなど、原発関係装置等の開発・設計等に携わった原子力業界のOB技術者なのでした。
 産業界の要請をベースに進んでいる司法改革では、現に「国策」として推進され、巨大な規模で動いている原子力政策や核燃サイクルのかなめの位置にあるもんじゅについて、内閣総理大臣の設置許可を無効と宣告するような「特異かついびつ」な考えを持った裁判官が求められているわけではありません。その限りでは、もんじゅ判決を現在の司法改革の流れの中で、是正され排除されるべきものと位置づける立場に拠る木下説はむしろ妥当と言うべきです。しかし、いうまでもなく判決は、当事者の主張と離れて裁判官の思いつきで書いてよいものではないので(実際には、身勝手思いつき主義の裁判官が少からず存在することが大問題なのですが)、中身も知らずに「科学技術に対する姿勢や考え方があまりにも特異、かついびつだから上告された」なんて書いてはまずいし、上告人たる国・経済産業省もそれが上告理由だとは認めるはずもない(この判決は『判例時報』1818号=平成15年7月1日号に掲載されているので、550 行に及ぶ目次だけでも一瞥することをお勧めしたい)。そして、そんな視点は貴誌の拠って立つスタンスとも違うでしょうと言っているのです。
 「あの『噂の真相』ですら、もんじゅ設置無効判決については、こんな厳しい見方をしている」といった評判はそれなりの説得力を持つ、多くの誤解の誘因ともなる。そこが問題だということです。
 以上のとおり、正岡氏が要点としたところの、歪曲・捏造された当方の指摘なるものを前提とする無謀な反省などされぬよう、くれぐれもお願いしたいと思います。 (以上)