本の紹介・書評

 2001年の夏合宿で、国賠ネットワークにおけるインターネットの活用策が話し合われました。その議論の中からホームページの強化策として、国賠裁判や支援運動などに関係する本の感想を載せたらどうだろうという話になりました。
 毎日、たくさんの新本が書店に並び、裁判や冤罪に関わるものも珍しくありません。おもしろかったもの、ひどいものなど、何かありましたら、事務局へメール又はFAXでご連絡下さい。様々な生の情報がホームページやニュースを興味深いものにすると思います。(T)


■■■ 本の紹介 ■■■

番号 書名 著者 概  要 発行所 発行日 定価
26 修復的司法とは何か ハワード・ゼア 被害者-加害者-コミュニティ関係の再生
従来の応報的司法のもとでは、犯罪加害者に刑罰が科せられる一方で、被害者は置き去りにされてきた。「修復的司法」は参加当事者の自発性を大切にしながら、各人の切実な声を聞くことから始め、被害者の救済、加害者の真の更正、コミュニティの関係修復をめざしていく。世界的な広がりをみせる新しい”正義Justiceの実践”を紹介し、その理念を追求する。
新泉社 2003
.6.30
2800
25 検証・袴田事件 袴田事件弁護団 編     
現代人文社 ブックレット37
はけないズボンで 死刑判決
現代人文社 2003
.3.15
800
24 告発!検察「裏ガネ作り」 三井環 口封じで逮捕された元大阪高検考案部長の獄中手記
憤怒の独居房325日間!これが検察の組織的な公金横領の手口だ!
光文社 2003
..5.10
1500
23 ジャパニーズ・オンリー 有道出人 「アジア人お断り」。もし海外でこの看板を目にしたらどう思いますか?「外国人お断り」という看板を掲げた小樽市内の入浴施設が一律に外国人のような外見の人の入場を拒絶した。これは人種差別ではないのか? ある外国人らは抗議を始め、この問題が世界に知れ渡った。そして、永年、市をはじめとする行政がこうした状態を放置したため、入浴施設と小樽市を提訴し、現在も裁判は継続中。この問題の発端から現在までを原告の一人、有道出人が書いた本書は日本に鋭く問いかける。日本の真の国際化とはなにか。 日本における人権とはなにか。 明石書店 2003
.4.
1800
22 司法の病巣 産経新聞司法問題取材班 ・捜査情報漏洩事件、・悩める裁判官、・弁護士は正義の味方か、・司法修習、・制度疲労 角川書店 2002
.5.20
1300
21 検察秘録 村串栄一 −誰にも書けなかった事件の深層 光文社 2002
.3.1
1500
20 暴走する「検察」 別冊宝島 捜査能力の低下、強引な起訴、裁判官との癒着、調活費流用・・・。
日本の刑事司法が直面している唖然とする現実。
(裏表紙から)
宝島社 2003
.1.2
1200
19 裁判官はなぜ誤るか 秋山賢三 -略- 要するに本書は、私のようなごく平凡な裁判官であったものが退官後、弁護人活動を十年やってみて痛感したことを、率直にそのままに綴ったものということになる。刑事裁判の最大の使命は、冤罪を生まないことである。そのためには私は、法律家としての私自身のあり方や、私の過ごした期間の裁判所を振り返って、誤判・冤罪の原因を探り、その対策を真摯に考えたいと思う。それが私にとって最も自然にできる作業方法であり、また、現代司法の行く末に対し私なりの立場でなにがしかの貢献ができるように考えられるからである。
  -略-  本書「はじめに」から
岩波書店 2002
.10.18
700
18 裁判官Who's Who 池添徳明 −東京地裁・高裁編
あの裁判官はこんな人、全115名のエリート裁判官の履歴、「裁判傍聴」に必携。
本書は、司法に対する監視と裁判官に関する情報の公開という観点から、東京地裁・高裁に所属する全ての総括判事について、その経歴、担当事件、当事者に対する態度、訴訟指揮などをまとめたものです。
現代人文社 2002
5.1
2800
17 裁判官のかたち 毛利甚八 迷宮(裁判所)の重い扉が開いた。<裁判官のかたち>を求めて迷い込んだ毛利甚八(「家裁の人」原作者)がそこの住人たちに聞いた。<裁判官のかたち>を発見できたのか。(帯) 現代人文社 2002
2.20
1700
16 特捜検察の闇 魚住昭 小谷光浩、伊藤寿永光、宅見勝、許永中・・・・・。バブルの「闇の紳士」たちが「守護神」とたよった元特捜エースの田中森一。オウム真理教の麻原の主任弁護人をつとめ死刑廃止運動のリーダーでもある安田好弘。田中は古巣の東京地検特捜部に許永中との詐欺の共犯として逮捕され、中坊公平率いる「住管機構」と対峙していた安田は、債権回収を妨害するために不動産会社に「資産隠し」を指示したとして警視庁に逮捕される。はたして、特捜部や住管の描いた事件の構図は、真実を写したものなのだろうか。綿密な取材によって浮かび上がってきたのは、90年代に起こった司法の世界の信じられない変容であった。(裏表紙から) 文芸春秋 2001
5.30
1429
15 司法修習生が見た裁判のウラ側 ・・・53期修習生の会編 私たちはみな司法修習生として実務修習を経験しました。ところが実務修習で先輩の仕事を直に見せて貰う中で、ある疑問を抱くようになりました。それは、先輩たちの仕事のやり方が、憲法や法律の建前に反し、国民の基本的人権を侵害しているケースがあるのではないかという疑問があります。本書は私たちが実務修習で感じた、そのような疑問を集めたものです。(編集委員の前書きより) 現代人文社 2001
11.30
1700
14 監視社会とプライバシー 小倉利丸編 本書は、2001年5月6日に開催された「IT社会の深き闇−狙われるのは誰だ? 監視社会とプライバシーを考える集い」での発言をもとに、この集会ではフォローしきれなかったサイバー犯罪条約とエシュロンについての文章を追加して、現在の日本社会が抱えている深刻な監視社会化に対する批判的な見取り図を描くことを意図して編集されました。(編者の「まえがき」から) インパクト出版 2001
10.15
1500
13 神様わたしやってない 無実のゴビンタさんを支える会 マスコミのよって「東電OL殺人事件」と名付けられた事件には、もう一人の犠牲者がいた。被告人ゴビンタさんは、ネパールに妻子と両親を残したまま、5年もの長きにわたり勾留され続けている。「神様、わたし、やっていない」。彼のこの叫びに今、耳を傾けてほしい。 現代人文社 2001
12.30
650
12 なぜ痴漢えん罪は起こるのか 長崎事件弁護団 検証・長崎事件
混雑した電車の中で痴漢と間違えられ有罪とされる事件が、最近、増えている。このため、満員電車では両手を上げているという人もいる。痴漢えん罪があとを断たないのはなぜか。原因には共通したものがある。
混雑した電車内での「犯人識別」の困難さ。被害者女性の言い分を鵜呑みにする捜査官。被告人・被害者の供述を吟味しない裁判官。痴漢冤罪事件・長崎事件をみながら、一緒に考えて見よう(表紙から)
現在人文社 2001
12.20
900
11 人権読本 鎌田 慧 岩波ジュニア新書386
日本の現在の人権の状況と課題を、15項目に分類して紹介した。これらの項目にはいりきれなかったものもあるが、それは編者の責任である。筆者のみなさんは、それぞれの現場で、権利の拡大のために日夜たちむかっているひとたちである。(まえがきから)
岩波書店 2001
11.20
740
10 裁かれる家族 佐木隆三 (副題)断たれた絆を法廷でみつめて
わたしは断るまでもなく、少年犯罪を専門にしているわけではない。しかし、凶悪事件を手がけているうちに、犯行者の低年齢化に気づかされ、考え込むことが多くなった。あるいは成人の犯行であっても、その出発点となる出来事が、幼少期にあることなどから、いやおうなしに「家族」に目を向けざるをえない。<中略>こんどの「裁かれる家族」はそういう思いでいくつかの事件にあぷろーちしたものである。(あとがきから)
東京書籍 2001
7.15
1600
9 裁判官と歴史家 カルロ・ギンズブルグ著
上村忠男・堤康徳訳
わたしはアドリアーノ・ソフリを30年以上も前から知っている。かれはわたしの最も親しい友人のひとりなのだ。1988年の夏、そのかれが、ある男をそそのかして別の男を殺させた罪で告発された。この告発にはなんらの根拠もないことをわたしは断固として確信している。ところがミラーノの重罪裁判所は別の結論に到達した。1990年5月2日、ソフリに22年、レオナルド・マりーノに11年の禁固刑を宣告したのである。1972年5月17日にミラーノで起きた警視殺害事件の最初の二人は委託主犯、あとの二人はそれぞれ実行犯と幇助犯としてである。・・・・・・序文より 平凡社 1992
9.18
2427
8 M/世界の、憂鬱な先端 吉岡 忍 彼の名は宮崎勤。ベルリンの壁崩壊、昭和天皇死去、幼女連続誘拐殺人事件・・・・・・、酒鬼薔薇聖斗。この人類史の憂鬱な先端に向かって、世界はやがて殺到してくるだろう---。十年をかけ人間精神の恐るべき荒野を綿密に描き出した稀生の大作、ついに刊行(帯から) 文芸春秋 2000
12.31
2000
裁判官だってしゃべりたい! 日本裁判官ネットワーク 副題:司法改革から子育てまで
(司法審の最終)意見書の発表には感慨深いものがあります。また、この間、前著「裁判官は訴える!」の「はじめに」で述べた裁判所の「ソ連的体質」には変化の兆しが見えたように思えます。今後、私たちは意見書の内容が具体化するよう引き続き応援して行くつもりですが、この本でも、司法改革にかける熱い思いを前者同様、いや、それ以上に感じてもらえることと思います。
日本評論社 2001
10.10
1700
痴漢犯人生産システム 鈴木健夫 副題:サラリーマン鈴木はいかに奮闘したか
逮捕から逆転無罪判決まで・・・痴漢に間違えられた本人による渾身の手記! 警察の一方的な取り調べ、留置所での生活、会社の理不尽な対応・・・あなたならどうする?
「やってないって言ってんのに、なんで警察に行くんですか?」負け試合のときに感じる”向こうのペース”だ。この感じで時間が経つと取り返しがつかなくなる。どうする? そこを見透かすように警察はこう返してきた。「やってないなら尚更、署でハッキリさせたほうがいい」 トラップの匂いががする。他に選択の余地はないのか?
太田出版 2001
7.26
1500
被告人は警察官 三上孝孜 副題:警察官職権濫用事件 講談社 2001
3.20
800
日本の黒い夏 熊井啓 1994年夏、長野県松本市、助けを求める1本の電話は思わぬ闇へと繋がっていった・・・・・松本サリン事件の記録をもとに、警察とマスコミによる犯人捏造の構造を暴き、真実を求めて闘う人々の勇気を描いた熊井啓監督の最新作。シナリオと監督日誌に加え、河野義行、佐高信、佐藤忠男氏らのエッセイから、事件と現代日本の裏面に迫る 岩波書店 2001
3.5
1500
でっちあげ 夏木栄司 副題:痴漢冤罪の発生メカニズム 角川書店 2000
11.30
860
サイバーアクション 井口秀介・井上はるお・小西誠・津村洋  副題:市民運動・社会運動のためのインターネット活用術
 市民・住民・社会運動関係の先行的なホームページを多数紹介、その長所・短所を指摘し、今後の運動のためのネット活用の方向を探ります。また、検索エンジン・リンク・リソース・メーリングリストの活用や、電子出版・データベース構築などのあり方、そして落選運動・告発サイトをはじめ今後のネットを駆使したサイバーアクションを提起します
社会批評社 2001
7.20
1800
犬になれなかった裁判官 安倍晴彦  著者は1962年より裁判官を勤め、東京家裁八王子支部を最後に、98年に退官。現在は弁護士。「司法官僚統制に抗して36年」と副題のように、著者の裁判官経験を振り返っている。表紙うらのキャッチコピーには・・・
 「初めて明かされる裁判所の内側 著者は1962年4月に裁判官に任官した。在任中は優れた「庶民派」裁判官として知られていたが裁判官人生のほとんどを家裁、地裁で過ごし、いわば「日の当たらない道」を歩んできた。それはなぜだったのか。最高裁の判例を覆した無罪判決のこと、青法協活動のこと等、36年間の裁判官人生を振り返りつつ、裁判官・裁判所の知られざる実態を描く。裁判官のあるべき姿とは何か。司法の「独立」を問いつづけた苦渋の経験から導き出される、改革への提言!」
日本放送出版協会 2001
5.25
1500



■■■ 書評・感想 ■■■  
  検証・袴田事件
 はけないズボンで 死刑判決

                                   
 この本はえん罪事件で死刑が確定し、現在、再審請求をおこなっている袴田事件の無実を訴える60頁ほどの小冊子である。( 80年死刑確定。81年静岡地裁に再審請求。94年請求棄却。現在、東京高裁で即時抗告審中。)袴田事件は典型的なえん罪事件だと言われる。典型といわれる所以は、そのでっち上げがあまりに酷いからだ。警察や検察、さらには裁判所といった刑事司法が犯す誤りを網羅的に含んでいる。捜査側の見込みと予断、新聞発表・報道の異常さ、ウソの自白に至る取り調べ、数々の証拠のねつ造、証拠の評価を誤った判決、そしてその被害の甚大さ・・・・など、「えん罪の総合商社」と言ってもいい事件だからである。                         ■ 
本書は袴田巌さんの「自白」の疑問点から始まって、幾つかの証拠について死刑判決を批判する。袴田さんへの取り調べは想像を絶する過酷で長時間なものであり、その中で45通もの「自白調書」が作られていった。えん罪事件では、犯行を認めながら数多くの供述調書が作られるのが特徴である。真犯人でないから、動機はコロコロ変わる。犯行の態様も取調官との共作だからコロコロと変わる・・・・・。心理学の浜田寿美男さんは、こうしたえん罪特有の供述を「無実の暴露」(真犯人しか知り得ない真実の暴露に対応して)と名付た。袴田さんの場合、静岡地裁は1通の検察官調書だけを採用し、残りすべて証拠から排除した。ところが同じ日に取られた警察官調書には「自白の任意性がない」としながら、死刑判決のために姑息にも1通だけ調書を採用するという、許し難い欺瞞がおこなわれたのである。
 凶器とされた「くり小刀」と刺し傷の大きさとの不一致、逃走経路ということで自白した「裏木戸」には止め金があって通行不能であったことなど、どれを見ても無実・無罪の証明でしかない。逆に、そこには信じられないような、警察による証拠そのものを作り上げていった事実が浮かび上がってくる。
                       ■
 証拠のねつ造、その代表が5点の「犯行着衣」だろう。自白ではパジャマとされた犯行着衣だが、血の付いた衣類が1年2ヶ月も経過した後、工場の味噌タンクの中から発見された。ズボン、ステテコ、ブリーフと、上から血痕が浸み込んで付着したはずだが、下着と上着との血液量の逆転、血痕の付着部位が違う、しかも血液型が異なる。極めつけは本のタイトルのように、新たに発見されたズボンは小さすぎて、袴田さんには穿くことが出来ないものであった(写真)。
                       ■
「真昼にも真の闇に覆い隠されてしまうところ、足もとどかぬ底なし沼、何一つ行方もしれぬところ、一切隠し消そうとするところ・・・・」(死刑確定後の手紙から)えん罪の悲惨は、希望や誇りといった基本的にその人を支えている精神をズタズタに破壊してしまうところにある。袴田さんは36年(死刑囚として23年)もの間拘留されており、いま、自己や現実を認識できないほどの重度の拘禁症にある。
                       ■
こんなに明白なでっち上げ事件なのに何故・・・・、こうして書いていながら怒りを抑えるのに苦労する。それは司法・裁判所の問題でありながら、同時に“自分の傷み”に鈍感になってしまったこの国の民衆の問題でもあるのだろう。 袴田事件は数ある冤罪=再審事件の中で、狭山事件などと並んで一番近くその扉の前にある。この事件を先陣として再審の扉をこじ開け、無罪を勝ち取ることが、この国の司法や人権にとって急務なのである。「中学生にも読んでもらえるように」というこの小冊子が多くの人に読まれることを期待する。      【U】

裁判官はなぜ誤るか 秋山賢三
□■□□ 秋山賢三さんのこと
 のめり込むように一気に読んでしまった。著者の秋山賢三さんと同世代(私が一歳下)を生きて来て、労働争議や住民運動の裁判には少なからず関与したことがあったので、具体的な年代の記述では、思いを同じくする場面が度々あった。
 死刑囚・袴田巌さんの再審請求を市民の立場から支援してきた私は、1994年に静岡地裁から再審請求が棄却された後、秋山弁護士が袴田事件弁護団に加わって、親しく付き合う機会を得た。秋山弁護士と交わす会話の端々から、誰よりも袴田事件の裁判記録を丹念に読み込み、袴田さんの無実を確信していると知り、とてもうれしく思った。後に、裁判官時代に徳島ラジオ商殺し事件の再審開始を決定し、無罪判決を出した方だと分かったり、多忙にも拘わらずこの著作を精力的に執筆されて、尊敬の念が深まるばかりである。
本書の紹介
 本書は6章からできている。最初の第1〜2章は、なぜ裁判官になりたかったのか。裁判官としての活動、とりわけ1966年の最高裁全逓中郵判決をきっかけに青法協への攻撃が始まり、司法反動が顕著になる時代。そして弁護士に転身して袴田事件と出会い、冤罪の救済という人権擁護活動に力点をおいたことが述べられている。
 第3章は、裁判官時代に関わった、徳島ラジオ商殺し事件の再審を開始させ無罪判決を出す中で、警察と検察が一体となって目撃証言を捏造し、被告人の無実に結び付く証拠を隠し続けて冤罪を作り出したことを、裁判官の立場で知ったと生々しく述べている。
 第4章は、弁護士として再審請求に関わっている袴田事件である。裁判官時代に再審・無罪決定を出した徳島ラジオ商殺し事件の、捜査機関の手口、誤判に至る裁判所の姿勢と類似した経過と構造を示している袴田事件。袴田巌さんの冤罪を確信し、死刑という確定判決の誤りを明らかにして、一日も早く獄舎から解き放ちたいと活動を続けている。
 第5章は、著者が弁護団長の痴漢冤罪・長崎事件に割いている。最近多発している公共交通機関の通勤通学時間帯に起こる、新しい形の冤罪事件・痴漢冤罪の典型として紹介。自白しなければ保釈も認めない「人質司法」。不当な濡れ衣でも長期間勾留されるよりも、罰金5万円を支払って早期の釈放を選択する人が多いであろうと、司法の危機を警告。
 第6章は、本書の表題「裁判官はなぜ誤るのか」を多角的に論じている。
思い起こされる「最高裁物語」
 読み進んでいくうちに、最高裁全逓中郵判決(1966年/公務員の争議行為に対して、刑事免責に前向きの答えを出した)の項になって、その後、この判決が契機となって司法反動が顕著になる時代の裁判所の動きを、ドキュメントタッチで描いた「最高裁物語/山本祐司著、1995年、講談社」を、戦慄を覚えながらも徹夜して一気呵成に読んでしまったことを、思い出させてくれた。
 裁判所の判断が、行政寄り、権力寄りであることを認識してはいたが、この「最高裁物語」は、時の行政責任者である歴代の首相が、いかに全政治力を尽くして権力寄りの最高 裁長官を選任してきたのかを「物語」とは言え、真に迫る姿で描いている。例外は、自・社・さ連立政権の村山富市首相が3権分立と言って、1995年、司法(法務官僚)に任せて決めた第13代・三好達長官(→14代・山口繁→現15代・町田顕)だけだと言う。これは私の自覚が全く欠落していた分野であった。戦後民主主義の教科書で誰もが習った「司法・行政・立法の3権分立」など糞喰らえ!、と言わんばかりの迫力であった。
裁判官はなぜ誤るのか
 著者は、誤判の原因をこのように述べている。松川事件では、検察側が被告人の重要なアリバイ証拠(諏訪メモ)を隠し続け、一審で5人もの死刑判決が言い渡されたのと同じ裁判構造が、基本的に今でも刑事裁判では進んでいる。これは誠に恐ろしいことである。閉鎖的な組織構造・裁判構造の中で裁判が行われているわけであるから、どんなに優れた裁判官でも、不可避的に誤判を犯す可能性は確実にあるように思う。
 「疑わしきは被告人の利益に」というイギリスの格言を、本当に日本の裁判所で実践できるかどうかということが裁判官としてのぎりぎりの試金石となるが、我が国では「疑わしきは罰せず」が実践できるとはとうてい考えられない。このことが我が国における最大の誤判原因になっていると思われる。
 誤判の続発する刑事裁判の現状は、それ自体決して偶然のものではなく、捜査・起訴・公判・判決・上訴を含めた全体としての司法構造から必然的に生まれた「構造的冤罪」であると言わねばならない。そして、この2002年3月に再審開始決定が出た(検察側が即時抗告中)大崎事件の教訓から、「冤罪の責任は、単に検察官や裁判官だけにあるのではない。(中略)痛烈にかつ厳しく弁護士たる者に迫っている」と、弁護士の責任にも言及している。
誤判の防止は全証拠の開示
 著者は、日弁連の案を次のように紹介している。冤罪防止のために(中略)第一に、被疑者・被告人に対する弁護人の権利の拡張と捜査の可視化(具体的には、公費による被疑者弁護人制度、弁護人の取調べ立会権、取調べ状況・過程の可視化のための録音・録画・書面による記録の義務付けなど)、第二に、全面的証拠開示を検察官に義務づけること、の二点が挙げられる。これを補強するかのように、著者も呼びかけ人の一人になったシンポジウム『冤罪・誤判はどうしたらなくせるか〜司法改革と証拠開示のルール化を考える』(主催:冤罪・誤判をなくすための証拠開示の公正・公平なルール化を求める会・準備会/2002年12月6日夜、東京で開催)では、@検察・警察に全証拠の開示を義務づけるのは当然。妨害して開示しない場合、不開示が発覚したら直ちに公訴棄却するなどの厳罰を設ける。証拠の不開示が権力犯罪であるとの認識が必要。被疑者の逮捕・勾留の段階から、勾留請求理由をも開示させる。A裁判官に対して、証拠開示範囲の裁量権を与えないか、大きく制限する。B司法界の3者(裁判官・検察官・弁護人)がそれぞれ対等の立場で、裁判が行われていると思わせるのが旧来の建前。しかし、刑事裁判を現実に闘っている者としては、到底受け入れられない。「裁判官・検察官」連合対、弁護人(と被疑者・被告人)の闘いである。などの意見が述べられた。(2002年12月7日、平野)


特捜検察の闇 魚住昭
□■□□ 1997年9月に岩波新書で「特捜検察」をまとめ、おもにロッキード事件、リクルート事件の摘発における東京地検特捜部の活躍、苦闘を描いた著者は、そのあとがきで「戦後の高度経済成長下で肥大化し腐敗してきた日本の官僚機構の中で、特捜部は利権の手垢にまみれなかった希有な組織だと思う」と評価していた。その著者にとって、98年12月の安田好弘弁護士の逮捕、8回の保釈請求を退けて99年秋まで続けられた勾留は衝撃であったに違いない。全共闘運動のなか同じ大学でともに歩んだ間柄だというのだから尚更と思う。だが、記者として司法界を取材し一定の信頼を持った事もあった、その裏返しとして裏切られた怒りをぶつけたというタチの本ではない。「今までそれに気付かなかった自分の鈍感さを呪いたくなった」と著者自身がいうように、検察そして司法界全体の変質を改めて捉え直したのが本書である。
 まず、丹念な取材をもとに検証されているのは、許永中の共犯とされている元特捜検事の田中森一弁護士の巨額の詐欺事件への軌跡だ。雑誌「文芸春秋」98年4月号の「許永中失踪、カギを握る男」をベースにしている。71年に東京地検の検察官となった田中は関西各地の地検で選挙違反、自治体汚職を暴く実績をあげ、86年より東京地検特捜部に赴任したが、87年夏に担当した横領事件の移送を機に辞表を出し、一旦大阪に戻され、87年12月に辞職した。弁護士になってから特捜部当時に知り合った金融業者を発端に地下経済人脈をつくり、冒頭の許永中にたどりつく。元特捜の検事が名うてのワルのために働くことについて質問する著者に「正義って何だ、検察だけが正義で、あとは悪だというような理屈があるか」と言ったと書かれている。
 中坊公平弁護士が住宅金融債権管理機構の社長になったのは96年7月。「国策」、「正義」を押したてて強行した犯罪的な取り立て、人権感覚の欠如などが活写される。民間金融機関が住専につぎ込んだ資金の回収を代行する住管が国策会社として「正義の御旗」を押したて、元検事や弁護士が刑事訴追をちらつかせて詐欺的な回収にまで踏み込んでいるという。しかし、住管が事件化した案件で検察立証の破綻が次々と明らかにされる。中坊弁護士の「正義」についての追求が鋭い。
 そして本題というべき、安田弁護士の冤罪事件である。雑誌「現代」2000年2月号の「麻原彰晃主任弁護人逮捕は冤罪である」をもとにまとめられている。92年に相談された不動産会社スーンズエンタープライズの再建策として、賃貸物件のサブリースを助言したことが強制執行妨害罪に問われ、98年の逮捕となった。嫌疑のキッカケの約2億円は同社従業員の着服であること、また、証拠隠滅が疑われたフロッピーディスク内のデータ消去も調べると検察主張の虚偽が判明する。特捜検察の誇りはすでにない。国策に向けて検察、警察そして一部の弁護士が協力している。
 検察のみならず、司法界の変質が急速に進んでいるとの論述に説得力がある。「作家の辺見庸さんは『今の日本は鵺のような全体主義に覆われ始めている』と喝破したが、法曹界の現状を取材してみて、私は辺見さんの指摘に深く頷かざるを得なかった」とあとがきに書かれている。うーん、そんな実感が沸々とわいてくる。安田さんにかけられた冤罪を暴き、反撃しなくてはと強く思う。(2002.10.25 T.I)


司法修習生が見た裁判のウラ側 司法の現実に驚いた53期修習生の会・編
□■□□ 53期修習生というのは1999年4月から2000年10月までの1年半で司法修習した人たちのことです。埼玉県和光市にある司法研修所に集まる3ヶ月の前期修習の後に、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護の4つの実務を各3ヶ月間、全国各地で研修し、最後の3ヶ月は研修所に集まって後期修習、そして法曹資格取得の二回試験(筆記試験と口述試験の意味か)に合格して裁判官、検察官、弁護士になるのだそうです。98年11月に司法試験の合格が決まった人たちが、99年夏から1年間フレッシュパーソンとして司法の現場で感じたこと、主に疑問をまとめたのがこの本です。帯には次のように紹介しています。「司法修習にとって、裁判所・検察庁での実務修習は驚きの連続だった。そこで、司法修習生が見たものは何か。検察調書の作られ方、裁判官と検察官の言えない仲聞、裁判官のセクハラ、裁判長の一言で決まる結論、被疑者・弁護士の見下す裁判官・・・」
「修習生は見た!裁判/検察/弁護のウラで何がおこっている?」という課題で、裁判、検察、弁護について、分担執筆されたようです。それに加えて、53期修習生が取り組んだ検察官採用の「女性枠」の問題と、最後に同期7人ほどで座談会という5部構成です。弁護については5頁ほどで、他に比べて極めて少なくなっています。
 第一部は裁判官。裁判官室に検察官が頻繁に出入りし、そこには検察官の「マイコップ」が置いてあって、裁判官とともに弁護士の悪口を言い合っているというようなこと。令状審査、保釈などでは上で蹴られるのを恐れる裁判官。その結果、証拠隠滅も逃亡の恐れもないのに留置場に拘束される人質司法が常態化してしまっていること。予断排除の原則からすると理解できない一回結審、即決(起訴状しか見ていないはずの裁判官が初公判までに判決を用意しておいて)が、かなり多いこと。さらに加えて、女性である著者に対する指導にあったった裁判官のセクハラがあって抗議したことなどが述べられています。
 第二部の検察と第四部の検察官任官「女性枠」問題は、同じ筆者の体験をもとにした記述と思われます。興味深いものでした。
 「あるとき、電車内で痴漢をした中年サラリーマンが逮捕されてきた。『徹底的に叱ってやれ』。検事はその被疑者を担当する修習生に告げた。・・・被疑者を叱る修習生の声が部屋中に響き、私たちは顔を見合わせた。・・・被疑者を叱った修習生は他の修習生から無言の賞賛を受けていた。これ以後、修習生は競って被疑者に説教を垂れるようになった」、「司法試験を受験する際、学説の中のいわゆる通説という立場に則って論文を書く。ところが実務は刑事訴訟法の学説とは全く異なる独自の立場で運用されており、修習生も否応なしにこの現実に順応していくのである。刑事訴訟法ほど、学説と実務が乖離している法律も少ないのではないだろうか」
 約800人の修習生から裁判官80名、検察官70名、弁護士650名になります。この中で25%ほどの女性は検察官については10名と少ない割合だそうです。これは49期(95年)頃から「女性枠」が設けられ、53期では12クラスから各1名のように教官から言われたとの話です。抗議行動が様々に組まれ、約20人の「考える会」が研修所や法務省人事課へ撤廃を申し入れました。
 難関の司法試験をパスして前途を期待した若者が特権的とはいえ司法の現場で驚いたことを率直に書いたものと、好感が持てました。弁護に関する点が薄いのは、編集委員が全て弁護士になったことの正直な反映とも思えます。(2002.3.9 T.I)


監視社会とプライバシー 小倉 利丸編

□□■■ 2002年2月16日に、エシュロン国際集会が銀座1丁目の京橋区民会館で開かれた。欧州議会の議員で、そのエシュロン特別委員会のメンバーであるイルカ・シュレイダーさんの講演とパネラーとして佐藤文明さん、海渡雄一さんを加え小倉さんが司会するパネル討論が行われた。これまで公的にはその存在さえ秘匿されてきたエシュロンについて欧州各国でも様々な取り組みによりベールが剥がされ、世界規模の盗聴計画であることは疑いようがない。
 他方、日本の日常でも、Nシステムによる移動中の監視記録、自治体による個人情報の蓄積など監視の網は2重3重にはりめぐされている。オーウェルの「1984年」、ハックスリの「すばらしい新世界」に描かれた監視社会が、技術的な可能生が高まると同時に官僚統制の機能維持として進められようとしている。本書は監視社会へと突き進む日本、そこに暮らす私たちへの警鐘と言えよう。(2002,2,19 T.I)


犬になれなかった裁判官 安倍 晴彦 著

□□■□ 犬になれなかったとは、「司法官僚統制に抗して36年」と副題にあり最高裁に抗することが人になることであり、抗しないことが犬になることを意味している。
今はむかし、70年前後、職場で、街頭で一緒に闘っていた仲間が、警官に「犬といってはいけないのではないか」と問題提起していた。その仲間は、後日、会社が後押しし組合の支部長になった(小生は対抗として立候補したが、大敗)。その男は何時もやさしさを説いていた。そのやさしさを持つ人は病気経験者に多いというのが、小生の実感である。
この本の著者は長期間結核療養のため裁判官になるのに5年ほどおくれている。「病気をしないものは、人生の半分がわからない」という通り、著者のやさしさ(強者に膝を屈し、弱者に味方する)は結核による後遺症かもしれない!?
「平和と民主主義」「日本国憲法」この愚直な指針を生き方の信条にし、筋を貫く仕事をすると、パーフェクトに干される話が仰山でてくる。「賃金差別」「任地差別」「合議制の長にしない差別」の三大差別の他に「司法修習生と接触させない」などなど。具体的に仕事では、例えば、令状審査でしばしば却下したので、令状審査を避けられるようになり、更にすすんで、存在自体が「裁判所」にとって「困り者」とされ、そういうポストをはずされ、刑事部から、民事部や家裁に配置換えなどである。
小生も、S会社36年、まったく同質の差別を、受けて来、受けているから具体的にわかり、面白い。著者は退職の日に1号俸あがったというから(このやりたい放題はゆるせないが)この12月定年の小生も楽しみではある!?
べつの筋から、「干されている裁判官でも年収は2000万円をこえている」と聞かされ(小生がその3分の1位ということでおどろかれる)たが、金額が多くても賃金差別は許されないのは当然である。「乏しきは憂えず、等しからざるを憂う」という毛沢東だかの言葉は直には当てはまらないが差別は粉砕されなければならない。
司法審の改悪案が提示されているなかで、この種のナイーブな本が沢山読まれ、司法改革への健全な世論が湧き上がってくる事を期待したいと思っています。
この本の中に「日独裁判官物語」、田川和幸(元奈良県弁護士会会長、裁判官経験)さんが頻出する。前者は映画であるが見ていない人は是非見てください。ビデオ貸します。後者はこの2月国賠ネットワークで講演をして頂き、その講演録がHPにあります。ぜひクリックを。また「裁判官ネットワーク」も頻出します。彼らが書いた「裁判官は訴える!私たちの大疑問」(講談社)も是非読んで、エールを送ってください。出きる事はなんでもやるということが肝要とおもっています。
小生は後2ケ月、会社に最後まで、まつろわず、最後までウザッタク思われ、定年首切りを粛々と待とうと思う、今日このごろです。(2001.11.5 T.T)

□□□■ 犬になることを拒否して、人間的な信頼をめざした裁判官が、「合議不適」というレッテルを貼られて差別される。最高裁という顔のない仕掛けが、いわば裁判官社会のビッグブラザーとして君臨し、多くの裁判官に服従をせまる。一旦付けられた合議不適の烙印のもとでは不利益処分が陰湿にしかも確実に続く。裁判官の良心とは「弱者に対する思いやりの心である」という信念を貫いて家裁に勤める姿が目に浮かぶ。
 同時期に司法修習を終えて弁護士であり、その後、裁判官に任官した田川和幸さんより二階級も低い給料という差別的処遇を受け、国を相手に差額請求と慰謝料請求の訴訟を、本気で考えた時期があったというエピソードは印象的だ。事実を事実として論証された記述には説得力があり、サラリーマン社会の悲哀や、会社人間にならなかったものの自負と相通じるものがあり、共感がわく。
 弁護士になってからは、「憲法と民主主義」という意味で同じ方向をめざす「民主法律家協会」に入会し、また、寺西裁判官を支持する「自由で独立した裁判官を求める市民の会」の代表としても活躍されている。
日独裁判官物語に元裁判官として出演、発言されているとのこと、機会を捉えてあの映画をもう一度見ようと思う。(2001.9.8, T.I)


サイバーアクション 井口 秀介 ・井上 はるお ・小西 誠 ・津村 洋

□□□■ 2001年の夏合宿では国賠ネットワークにおけるインターネットの活用策が討議テーマの一つだった。ホームページの具体的な強化策として、国賠ネットトップページのリニューアル、資料として国家賠償法、関連法規、最高裁判例など、頻繁な更新のある事務局日録、書評などを追加することが決められた。東京に戻ってメールを開くと、社会批評社の小西さんから新刊案内が冤罪甲山事件のメーリングリストに届いていた。
「市民・住民・社会運動関係の先行的なホームページを多数紹介、その長所・短所を指摘し、今後の運動のためのネット活用の方向を探ります。また、検索エンジン・リンク・リソース・メーリングリストの活用や、電子出版・データベース構築などのあり方、そして落選運動・告発サイトをはじめ今後のネットを駆使したサイバーアクションを提起します」
 第1章 活発な市民運動・住民運動ネットの中で「国賠ネットワーク」や「冤罪甲山事件」が数行で紹介されている。運動を飛躍させる特別の秘薬があるわけはない。様々な運動での実例が興味深く、暖簾に腕押しのような作業の意義が明らかにされ勇気付けられる。
なお、shakai@mail3.alpha-net.ne.jpにメールで注文すれば、送料無料で届く。 (2001.9.8, T.I)



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