1997年3月3日(月)から7日(金)まで、気候変動枠 組条約の事務局が置かれているドイツ・ボン市で、第6回
ベルリン・マンデート・アドホックグループ (AGBM6)が開かれました。 会場となった市の施設が手狭であったこともあり、ロビ−は政
府関係者や環境、産業NGOでごった返し。確実にCOP3が 近づいていることを思わせる緊迫した場面もありました。ま
た、会議2日目に京都の自治体によるプレゼンテ−ションで、 会議場や宿泊案内を配付しましたので、ロジの面からも京都会
議が近づいていることを実感させました。気候フォ−ラムは第 一回全体会議で、条約事務局にNGO登録されたとの報告がなされました。
議定書案のとりまとめをほぼ終える
今回は、条約上、*議定書案の提出期限(COPの6ケ月前) である6月1日まででは最後のAGBMとなるため、少なくとも@多くの国からの提案の重複を避け、A今後の交の土台となる提案テキスト整理の必要性があったものです。そのため、
AGBM議長は、各国からの主張を整理したテキストづくりに 焦点を当てた会議運営を行い、反面、公式には交渉にわたる議
論には殆ど踏込みませんでした。結局、最終日前日に事務局か ら4分冊で提案された議定書案の確認を最終日の午前中に終えて公式日程を終了しました。
今後、3月中に追加的な提案があれば事務局に提出し、6月 1日までにこれらを含め、条約事務局で国連公用語による交渉テキストを作成し、以後、これをもとに議定書交渉が進められることになります。
しかし、そこに盛られた各提案の内容はあまりに幅広く、COP3までに残された公式日程は、AGBM7(8月)とAGBM7(10月)の2回だけです。一つの方向に収斂していくことが急がれます。
残された公式日程はわずか
3月3日夕刻になって、EU環境相理事会で、EU全体とし て2010年までに1990年レベルから温室効果ガスを15%削減すること(加盟国は実情に応じてその負担を分けあう。EU
bubbleと呼ばれる)に合意し、さらに2005年の目 標についても今後協議することを発表しました。EU内では増
加を容認する国もあるなど、加盟国内でのバラツキが大きいも のの、初めてある程度の具体的数値目標を示した議定書案が提
案されたことから、全体としては今後の交渉にはずみをつける ものとして受け止められていました。3月4日の「差異化」に
関する非公式ラウンドテ−ブルでの議論の様子が、*3月9日朝 日新聞「時々刻々」に紹介されています。先進工業国内での目標数値について、公平の名のもとに差異化の議論を持込むこと
によって京都会議を流産させることにさせないように、監視を していく必要があります。
アメリカからは、AGBM6の前に、排出バジェト、貯蓄と 借入、排出量取引、共同実施概念の拡大と違約制裁条項を盛り
込んだ複雑な提案がなされています。詳細は気候フォ−ラム ニュ−ス第3号を参照ください。アメリカ政府によるワ−ク
ショップでは、参加したNGOや政府関係者からも借入や排出 量取引に批判が相次ぎました。
日本のリ−ダ−シップは?
その一方で、日本からは依然具体的な提案はなく、アメリカ案やEU案の問題点をあげるにとどまったため、議定書採択への熱意も疑問視されかねない状況でした。
こうした事態が生まれた背景には、日本の政府内での意見の不統一があります。通産省・産業界は依然として、長期的削減
はともかく、短・中期的には日本の排出量削減の方針が明確で ありません。しかしながら、議長国としてCOP3の成功に向
けてリ−ダ−シップをとるには、日本の基本政策の中身が見え ず、それが先進工業国全体としての排出削減を前進させるもの
かどうかについても疑念がある状態の解消が第1というべきで しょう。
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