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Date: Wed, 29 Sep 1999 02:28:05 +0900
To: keystone@jca.ax.apc.org
From: higa akiko <higa@jca.apc.org>
Subject: [keystone 1923] Re: 一坪・連続討論会(9/24、10/8)
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 1923
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org

比嘉です。

報告をありがとうございます。

難しい問題です。長くなってしまった。

あまり建設的でもないし迷いもなくはないですが、これは個人的なわたしの感想と
意見です。

At 6:10 PM +0900 99.9.28, MARUYAMA K. wrote:

> 会I:「近くに持ってくれば痛みがわかる」というのは、被害を広げることにしかな
> らない。反軍事基地・反安保であり、移設であり拡張であり基地建設には反対だ。

 「県外移設」の話を出すと本土の運動関係の人は必ずそういいます。

 被害を広げるだけ、というのですが、しかし、わたしは、では、今被害を受けている
 沖縄の人々のことはいいのかな、と思う。反安保の運動のために、沖縄はがまんしろ
 というふうに受け取れる。

 ヤマトは右も左もいっしょにみえると、運Uさんはおっしゃっていますが、わたしも
 そう思う。言い方を変えれば、沖縄は右勢力のだけではなく、いわゆる「平和運動」
 の犠牲にもされてきたような感じがします。

 運動として「県外移設」をいうことはできない、という言い方も議論の中にありま
した。
 とにかく原則は曲げられないということでしょうか。

 それはそうでしょう。でもわたしは素朴に次のように問いたい。
 その原則のもと、ずっとそう言い続けて何年たちましたか、沖縄は変わりましたか、
 日本は変わりましたでしょうか。

 これに対して、

 日本も沖縄も変わらないのは、運動の詰めが甘かったからだ、がんばりが足りないか
 らだ、目の前の状況が悪くなったとしても、あせってはいけない、これからも原則に
 従って、訴え続けるべきだ。

 と、きっと運動をする人はいうでしょう。

 でも、現実として、今、基地はますますみえにくくなり、運動をする人も「沖縄ネ
タ」
 でないと集会も開けない。いつまでも身近な運動になっていかない。
 これって運動として成り立っているのかな。
 もう形骸化してて、残っているのは血の通っていない「運動論」だけ、じゃないの
かな。

 右が基地を沖縄の押しつけるのも、左が「県内移設」の声を批判するのも、沖縄問
題を
 特殊化して日本から遠ざけるという意味では、結果としてやってることが同じのよ
うに
 見える。

 (これはわたしの個人的な考えです。「なにもしらんくせに」というご批判も
  あろうかと思います。)
 

> 運M:『一坪反戦通信』で昨年出したのは、色々な人の意見を出し合って、それを叩
> き台にして今後どういうふうにやろうかということであった。状況の進展や意見の相
> 違があって必ずしも一坪としての運動には煮詰められなかった。しかし、サミットが
> らみで、普天間の県内移設を今年中に決めるという政府の圧力が高まる状況で、Uさ
> んが先ほど紹介したように、県外移設を言わざるをえない状況に沖縄の人々を追いつ
> めていることを本土としてどうするのか。沖縄から、あるいは沖縄出身の本土の人か
> ら「本土移設」の意見を出さざるを得ない状況に追い込むのは、本土の運動としてま
> ずいだろう。ヤマトの人間が、県内移設ではなく、本土に持ってくるべきだという選
> 択肢を出すべきだと思う。その状況は今しかない。
 

 もう、地元では、県外移設をもとめる声は出ています。報道されないだけです。

 そのうち、「県外移設」を求める声は表面化してくるでしょう。

 (だいぶ前ですが、基地所在地の首長の県外移設を求める声明、のようなものが
  出ていたと思います。96年の春くらい)

 地元で県外移設の声がでたとしても、それは、確かに追いつめられてのことだと
 思いますが、その一方で、それによって本土の人々が基地問題を自らのこととし
 て考え、いっしょに運動してくれるはずだという信頼の気持ちがあるからだと
 思います。

 「基地はだれだっていやだ」という声が、各地から出てそれが日本中の声にならな
 ければ、沖縄の基地問題は解決しないのですから。

 「原則からはずれている」という批判や「協力しない」みたいな反応もでてくるで
 しょう。それはそれで原則通り頑張ってもらえばいいのですが、だからといって、
 沖縄現地の声を潰すようなことはしないでほしいと願うばかりです。
 
 安保を否定しない以上、基地建設の可能性は日本中にあるのは当然です。
 大田知事の「安保を認めるなら負担も平等に」という言葉は、平和運動の原則とは
 関係なく、日本の安保体制に打撃を与えるものです。県外移設も同様です。
 なぜなら、矛盾だらけの安保が今まで生き延びているのは、沖縄に75%背負わせて
 おいて、日本人に安保が見えないようにしていたからでしょう。
 また、「知らぬが仏」で、知っていても見て見ぬふりをしていた人もいるでしょう。
 そんな状況で、原則通りに頑張っていても前進は期待できないと思う。

 安保に打撃を加えることができるのは、「日本中で負担を追うべきだ」ということを
 日本人に認識してもらい、将来の基地建設の可能性に対して、日本中で「いやだ!」
 という声がまとまった時です。

 いずれ出てくるであろう、県外移設の声に対し、本土がその意味を受けとめ、
 『沖縄はもちろん日本中「いやだ!」運動』へとまとめることができるかどうかが
 カギになると思う。運動の真価が問われるのはその時じゃないでしょうか。
 運動をする人には、その時の架け橋になってほしい。そのための下地作りも。
 「県内移設に反対すると同時に、本土移設の可能性に積極的に言及することによって
  安保体制の矛盾を市民に訴える」とかなんとか。

 とにかく、「県外移設」の声があったとすれば、それはいっしょに運動しようという
 呼び掛けだとわたしは思います。

> 運M:それはわかります。一坪もそれで必ずしも一体にはなっていない。それはしょ
> うがないと思う。状況が明るければ、そこまで踏み込む必要はないのかもしれないが
> 、今の状況はそれを許さないほど暗いのではないか。

 いま、名護市議会が「北部地域への新空港早期建設に関する決議案」を否決したり、
 辺野古地区が埋め立て案と陸上案に反対する決議をだしていますから、すこし明るい
 兆しがでてきたように も見えます。でもなぜか海上案がここから外されているから
 注意は必要だと思いますが。しかし、これは市民投票で否定されたはずですから、
 名護にはもう建設できないと思うんですが。

注--------------------------------------------
<沖縄タイムス1999年9月25日 朝刊 1・25面>

辺野古陸上、埋め立て案に反対
「普天間」移設で決議、岸本市長「地域の意見尊重」

 米軍普天間飛行場の移設先として最有力視されている名護市辺野古区は二十四
日、行政委員会(宮城利正委員長、十四人)を開き、陸上案、埋め立て案につい
ての反対決議を賛成多数で決めた。同区は一九九六年にヘリポート移設の反対決
議を行っており、嘉陽宗健区長は「工法にかかわらずすでに反対の決議をしてい
る。今日はその再確認として、あえて陸上と埋め立てを明記した」と話した。地
元の反対決議で、県の移設先選定作業に大きな影響が出ることは必至だ。
--------------------------------------------
 

> 会H:日本の国民の安全保障観というものを変える発想をしなくてはならない。
>
> 司会:もう少し具体的に。軍事力による平和と言うことですか?
 

 軍事力によらない安全保障観の確立というのが一番の目標だと思うんですけどね。



 
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