仲田です。
青木さん
> (*註) 日本語では「駐在弁務官」などと訳されている。プエルトリコから
> 1名だけ選出される「下院議員」。議論には加わって委員会裁決には参加できる
> が本議会での投票権を持たない。非常に変則的な制度で私もよく解ってないので、
> ご存じの方は訂正してください。
日立デジタル平凡社・世界大百科事典(CD−ROM)より抜粋です。
自由連合州とはどういう性格のものか誰か教えてください。
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19世紀以後の経済発展は,まずサトウキビ農園の拡大によって始まったが,そ
の後生産の近代化が進まなかったため,19世紀後半には,山間部の小規模農園に
よるコーヒー生産がこの島の主産業となった。この間,スペイン本国は植民地支
配を強化したため,1868年には独立蜂起もあったが,すぐに鎮圧された。その後
は自治権を求める運動が高まり,97年にスペインから自治権が与えられ,翌年,
自治政府が成立した。しかしわずか20ヵ月後に米西戦争が勃発し,アメリカ軍の
占領をうけ,自治政府は崩壊した。
98年のパリ講和条約によってアメリカ領となった後は,1900年に民政に移行,17
年には住民はアメリカ市民となったが,自治あるいは独立を求める声が高まった
ため,アメリカ政府は46年に初めてプエルト・リコ人知事を任命し,48年には初
の民選知事が誕生した。
注*
初代民選知事ムニョス・マリン Luis Mu4oz Marin(1898‐1980)の下で経済発展
が急速に進められ,さらに52年には住民投票により現行の自由連合州憲法が制
定され,プエルト・リコの現在の地位が定められた。
自由連合州は,知事,上下両院議員を民選し,内政問題に自治権をもつが,主権
はアメリカ合衆国にあり,アメリカ合衆国の領土である。アメリカ連邦議会には
オブザーバーとして民選の駐在代表1名を送っている。住民には大統領選挙権は
なく連邦税は免除される。
プエルト・リコの政治はこの体制をめぐって,現体制を維持しつつ自治権を拡大
しようとする勢力と,完全な州制へ移行しようとする勢力とを主軸に展開して
きた。67年の住民投票では現体制維持派が優勢だったが,近年,両者の勢力は
拮抗している。独立派勢力は少数派にとどまっている。1998年にはアメリカ合
衆国の主権下に移って100年を経過することになり,アメリカ連邦議会でプエル
ト・リコの政治的地位の問題に決着をつけるための住民投票実施法案の審議が行
われているが,最終的な解決には今しばらく時間がかかるものと見られる。
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注* n の上にチョンチョン
かつて、沖縄にも全能の神「高等弁務官」がいた。彼の沖縄に対する権能は任命
権者の大統領をも凌ぐものであった。大統領はアメリカ合州国の法律に則って権
限を行使するが、弁務官には、その規制はなかった。極論すれば、彼のその日の
気分で沖縄の一日が左右されるほどであった。
仲田博康
nakada_h@jca.apc.org