Mime-Version: 1.0
Date: Mon, 20 Sep 1999 19:30:44 +0900
To: keystone@jca.ax.apc.org, rml@jca.ax.apc.org
From: "M.Shimakawa" <mshmkw@tama.or.jp>
Subject: [keystone 1895] [aml]東ティモール年表(1974-1993)<オンライン20世紀年表データベース>
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 1895
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org

                            [TO: keystone, rml]

   (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更)
 --------------------------------------------------------------------------

 Date: Mon, 13 Sep 1999 22:01:30 +0900
 From: Nakayama Hitoshi <nakayama@jca.apc.org>
 Subject: [aml 13937] 東ティモール年表(-残念ながら1993年まで)
 

中山@市民新党にいがた です。

 「オンライン20世紀年表データベース」というのがありまして(これを知ったのは
、過日、NonukeMLの方で紹介されていたのですが、そのMLの主題とはあまり関係が
なく紹介されていたのでいささか見過ごされていた感がありました)、これは、東大
の東洋文化研究所が作成した年表データベースで、任意の国名・事項・人名等でand/
orなどを複数かけた重複検索が可能で、結構便利です。ゆくゆくは20世紀全般をカバ
ーする計画なのですが、残念ながらまだ1930年から1993年までのデータです。

 他人が苦労して入力・作成したデータと検索システムの結果を紹介するのも気が引
けますが、一応、そのオンライン年表データベースで「東チモール」で検索した結果
を紹介しておきます。
 なお、見ていただくとわかる通り、文体は簡潔に新聞見出しのようになっていて、
「主語、述語」となっていていわゆる「てにおは」が省略されているものが多く、そ
のため主語の団体名がいくつも出てきてかえってわかりにくくなっているところがあ
って、そういうところには「【が】」などを挿入してあります。

 ちなみにこの年表データベース  http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/tanaka/front.shtml
 は、93年までとはいえ、結構使えます。もちろん出ているべきものが収録されてい
なかったり、いろいろですが、基礎データを押さえておくにはいいかと思います。
 下記検索結果も含めて、よけいな情報でしたらごめんなさい。

 それからついでに、東ティモール問題では
 オーストラリアのAction in Solidarity with Indonesia and East Timor (ASIET)
    http://www.peg.apc.org/~asiet/
 に豊富な情報があります。英文ですが。

以下、「20世紀オンライン年表データベース」(by東京大学東洋文化研究所 田中明
彦研究室)より検索結果
=========================================================

1974/10/06
サントス・ポルトガル領土相、マカオ・インドネシア・東チモール歴訪。

1975/06/13
東チモール帰属をめぐる当事者会議開催(−15 マカオ)。サントス・ポルトガル領
土相・トルコ相、UDT(チモール民主同盟)・APODETI(チモール大衆民主協会)出席
。FRETILIN(チモール独立革命戦線)欠席。

1975/06/26
ポルトガル・東チモール会議開催(−28)。

1975/08/08
東チモールでクーデター。UDT(チモール民主同盟)が権力掌握。スハルト・インド
ネシア大統領、統合歓迎と演説。

1975/08/21
ポルトガル、東チモールで全面戦争状態・管理不能と発表。

1975/08/25
インドネシア、東チモールで全面戦争状態・管理不能と発表(8.21)したポルトガル
に遺憾の意を表明。

1975/08/27
レモン・ピレス・ポルトガル東チモール総督、内戦激化のため政庁をアタウロ島に移
動。

1975/09/01
ホイットラム・オーストラリア首相、東チモールに軍事介入せずと言明。

1975/09/08
FRETILIN(チモール独立革命戦線)、東チモール全土を掌握。
UDT(チモール民主同盟)【が】、APODETI(チモール大衆民主協会)に同調・インド
ネシア併合を支持。

1975/09/11
サントス・ポルトガル前海外領土相、インドネシアを再訪。モフタル・インドネシア
外相代理に東チモール3党会談を9.20に開催との方針を説明。

1975/09/13
クルスUDT(チモール民主同盟)議長、スハルト・インドネシア大統領に東チモール
との合併を呼びかけ。

1975/09/29
ホルスーFRETILIN(チモール独立革命戦線)書記長、マティアス駐オーストラリア・
ポルトガル大使と会談(キャンベラ)。ポルトガルの東チモール復帰を要請。

1975/10/30
ウィルシー・オーストラリア外相、議会でインドネシアの東チモール武力介入非難の
見解を発表。

1975/11/03
アンツネス・ポルトガル外相、マリク・インドネシア外相と会談(11.1− ローマ)
の結果、東チモールに関しインドネシアの利益を守り非植民地化と共同声明。

1975/11/17
インドネシア訪問中のラザク・マレーシア首相、東チモール問題でインドネシア支持
と共同声明。

1975/11/26
ピーコック・オーストラリア外相、インドネシアの東チモール介入を非難。

1975/11/28
FRETILIN(チモール独立革命戦線)、東チモール人民民主共和国の独立を宣言。

1975/11/29
UDT(チモール民主同盟)・APODETI(チモール大衆民主協会)【が】、FRETILIN(チ
モール独立革命戦線)の東チモール人民民主共和国の独立宣言(11.28)に対し、イ
ンドネシアとの統合を宣言。ポルトガル・オーストラリア、両宣言を不承認と声明。

1975/12/12
東チモール・首都ディリをUDT(チモール民主同盟)・APODETI(チモール大衆民主協
会)・インドネシア連合軍が占領し(12.7)、ポルトガルの統治権の消滅を言明(
12.8)した件で、国連総会、インドネシア非難を決議。

1975/12/29
ロバート・東チモール人民民主共和国(FRETILIN)国防相訪中(−1976.1.2)。

1976/01/01
『人民日報』、東チモールに武力介入のインドネシア非難の論文掲載。

1976/01/01
東チモール人民民主共和国政府代表団、中国訪問終了、平壌(ピョンヤン)入り。

1976/01/10
マリク・インドネシア外相、東チモールは自国領土の一部と言明。

1976/01/10
東チモール人民民主共和国代表団、北ベトナム訪問(−17)。(FRETILIN)

1976/01/15
イタリアのグイチアルジ国連特使、東チモール問題調停のためインドネシア・東チモ
ール・オーストラリア歴訪

1976/01/15
東チモール問題調査のグイチアルジ国連特使、ジャカルタ入り。

1976/01/19
ピーコック・オーストラリア外相、東チモール問題協議のためインドネシア訪問(−
20)。

1976/02/04
東チモールの臨時政府、政党禁止令。

1976/04/06
ロバト東チモール民主共和国首相、依然戦闘継続とオーストラリアへ打電。

1976/04/12
国連安保理、東チモール問題を討議。

1976/04/14
サニ・インドネシア国連大使、インドネシアはあくまで東チモールを合併と語る。

1976/04/14
ピーコック・オーストラリア外相、インドネシア訪問(−16)。東チモール問題で一
致せず。

1976/04/22
東チモール問題を討議の国連安保理、インドネシア軍撤退要求を決議。

1976/05/31
東チモール第1回住民協議会開催(ディリ)。インドネシアとの合併を決議。

1976/06/07
親インドネシア派東チモール臨時政府のアラウジョ主席、スハルト・インドネシア大
統領に東チモールのインドネシア合併を正式要請。

1976/06/29
インドネシア政府、東チモールの併合を公式に受け入れ。

1976/07/15
インドネシア国会、東チモール併合を可決、初代州知事にアラウジョ氏を任命。

1976/07/17
スハルト・インドネシア大統領、東チモールのインドネシア併合を正式に宣言。

1976/07/25
ポルトガル政府、東チモールのインドネシア併合を正式承認。

1976/09/19
アンタラ通信、インドネシア政府は東チモールを閉鎖地区とすると宣言したと報道。

1976/12/25
オーストラリア国営放送、東チモールで革命戦線軍が反攻と報道。

1977/05/07
新華社電、FRETILIN(東チモール独立革命戦線)が先月、インドネシア兵66人を戦死
させたと報道。

1977/11/28
国連総会、東チモール調査団・事務総長特使派遣を決議

1977/11/29
インドネシア、拒否 (国連総会、東チモール調査団・事務総長特使派遣を決議)。

1978/01/20
ピーコック・オーストラリア外相、インドネシアの東チモール併合を承認と声明。

1978/12/15
オーストラリア、インドネシアの東チモール併合を正式に承認。

1979/01/02
インドネシア政府、政府軍、東チモール独立革命戦線(FRETILIN)のロバト議長を射
殺(12月31日)と発表。

1985/08/20
ホーク・オーストラリア首相、東チモール問題でインドネシアの主権を認める発言。

1989/10/12
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世、インドネシアが1976年に併合したのち、紛争が続く
東チモールを訪問。

1991/11/12
旧ポルトガル領東チモールの首都ディリでインドネシア軍が市民に発砲。

1991/11/23
ジャカルタ警察本部、東チモールのインドネシア軍発砲事件への抗議デモを行なった
学生70人を逮捕したと発表。

1991/11/30
東チモールのインドネシア軍発砲事件の国家調査委員会が現場検証。

1991/12/26
東チモールでインドネシア国軍が集会中の群衆に発砲した事件を調査した同国委員会
は軍に行き過ぎがあったと認め、死者は約50人との報告書を大統領に提出。

1991/12/28
スハルト・インドネシア大統領、東チモールの軍発砲事件に関する関係閣僚会議を聞
き第9軍管区司令官ら2人を更迭。

1992/02/27
インドネシア陸軍のスドラジャット参謀長東チモールの軍発砲事件で将校6人が「軍
の倫理と規律に違反した」と認定、3人を免職、3人を配置転換する処分を発表。

1992/07/21
東チモール独立革命戦線、インドネシア国軍と戦闘。

1992/11/20
インドネシア軍当局、ディリ事件の首謀者として東チモール独立革命戦線「フレティ
リン」最高指導者シャナナ・グスマン司令官を逮捕。

1993/02/20
東チモール独立派、インドネシア国軍と衝突。

1993/05/21
インドネシアが併合した東チモールのディリ地方裁判所は東チモール独立革命戦線の
シャナナ・グスマン前司令官に求刑どおり終身刑の判決。

1993/08/16
インドネシア紙、軍高官の話として同国政府が東チモールに駐留する戦闘部隊を10月
1日までに撤収させ、代わりに「地域部隊」を派遣すると報道。

=======以上



 
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