Date: Fri, 17 Sep 1999 16:10:59 +0900
From: 加賀谷いそみ <QZF01055@nifty.ne.jp>
Subject: [keystone 1879] 国旗国歌法と草の根
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 国旗国歌法が施行(8月13日)されたからといって、まわりの風景にはさほど変化
は見られませんが、少なからぬ市民の胸のうちに、なんらかのしこりとなっているので
はないでしょうか。
 政府のいわくところの「強制するものではない」「君が代の歌詞の解釈は主権在民の
精神に則っている」と憲法に反する「忠君愛国」の理念を否定した見解ではあるけれど
、今後近いところでは天皇在位10年に向けての取り組みや式典の取り扱いを拝見させ
ていただけば、ある程度見えてくるんではないかと、政府の姿勢も興味深く見守りたい
と思います。

 見える形での波紋としては、記者クラブでの「日の丸」の扱いがありますが、「毎日
」14日付によると20省庁のうち、記者会見場に設置しているのは8省庁。大臣が変
わればまた変わるでしょうが減ることはないでしょう。

 14日には自民党本部の記者会見室にも設置。
森幹事長はマスコミの一部から反発が出ていることに対し
「場所をしつらえたりしているのは政府や役所、党だ。どうしてそれがいかんとか、そ
んなところでやりたくないという意見になるのか、わからない」「記者も日本人だ。(
国会の)本会議で天皇がお見えになる開会式がある。全員が立って式をやるが、記者(
席)にいる方々だけはすわったまま、ひどいのはひじついたり、どうも私はあの光景が
ふに落ちない。儀式だから、本来陛下が立ったら記者も立つのが本当は正しいと思う。
問題提起しておく」(毎日15日)
        
 数いる記者の中には、失敬な人もいるかもしれないとはいえ、なんでここに天皇を持
ちださにゃならんのか、見識を疑いたいところですが、この機会に「記者クラブ」なる
そのものの存否を確かめてみるのも一案です。
 各紙とも投稿欄あたりに「法制化論議」を任せているところもいただけませんですね
。 
「国旗国歌法」に反対する立場の一部からも「新しい国歌を」という話も出ているよう
ですが、これでは与野党挙げて「国民意識」の高揚に貢献してようなものではないかと
思わないでもない。
 またこの動きに呼応してかどうかはさだかではありませんが、
 産経14日の「正論」の欄で、松本健一という方が「民族の戦争における死者を忘れ
ないないために」国歌として「海ゆかば」がいいのではないか、とのこと。

 この歌は戦時中、儀式や集会で多く歌われ、「海にカバ」の替え歌でも親しまれたよ
うです。
 万葉集のなかのうたで、大伴家持が国家公務員になりたくてその就職活動に使ったら
しく、元のうたの意味は「天皇のためならどんなことでもしますから、どうか私をめし
使ってください」というもの。
 これに1942年(1937年という記録もあります)、信時潔・東京音楽学校教授
(当時)が国民歌として曲をつけました。アジア・太平洋戦争当時、「愛国行進曲」と
ともに第二国歌の一つとして兵士を戦場に送り出すときに歌われました。そして戦争末
期には、NHKの大本営発表で、玉砕(全員戦死)のテ−マ曲(鎮魂歌)に使われまし
た。
 英霊を賛美する人々の間には熱心な愛好者も多いようですが、この歌でやりきれない
思いにかられる遺族も少なくないはずです。
 

 
 広島県府中市の9月定例市議会で、橘高泰司市長が「君が代には歌詞に問題があると
私も認識している」と発言したところ、保守系議員が反発。議会が2時間空転。

 戸成義則議員(保守系一人会派「改革クラブ」)が国旗国歌法について質問。
菅波次郎助役の「日の丸・君が代については、国民や市民の思想および良心の自由にか
かわる問題であると思う。これはいわゆる心の自由の問題であり、通称、内心の自由の
問題といわれている」との答弁に続いて、橘高市長が「私も(国旗国歌法には)適宜、
適切に取り組みたい。君が代には歌詞に問題がある、と認識している」と答弁。
 これに対して同議員が「国旗・国歌は一つしかなく、心の問題ではない。問題のすり
替えだ」「市民に対して大きな誤解を招く」などとして反発、休憩。約2時間後再会。
                           (産経9月10日)

 記事では市長が「発言内容に訂正もありうる」と話したとなっていますが、地元に伺
ったところ特にその後訂正もなく、また市民の話題にのぼることもなく、同紙の問題提
起は今回は不発に終わりそうです。
 これは「日の丸・君が代」問題で「国旗国歌法」を盾に「ことば狩り」が各地の隅々
で始まっているというエピソ−ドの一つ。
 侵略戦争「論議」の折りもそうでしたが、この手法でこられると、うんざりして話題
を控えてしまう傾向になりがちです(こちらではそういう話題を「やばっちい話」とい
いますが)。そうしているうち「もの言わぬ民」となり、感情を抑制することに慣らさ
れた時、恣意的な世論とともに「忠君愛国の民」が作り上げられます。
 
 
 天皇に「日の丸」の小旗はつきもののようですが、「お出迎え」を「学校行事」と位
置付けたことに違和感を持った児童・教師・保護者がいかほどいたか、知りたいところ

同じく「産経」14日付けで、
「学校行事が自主参加に」という見出しで

 昨夏の豪雨災害復興状況視察に天皇らが福島県西郷村を訪問した際、村立小田倉小の
鈴木信正校長が職員会議で四年生以上の児童約二六〇人による出迎えを決め、「日の丸
」の小旗を視察当日に出迎え先で自治体が配ることを申し合わせ。
 同校では学校通信に「参加を見合わせたい場合は学校まで連絡するよう」明記し配布
。日教組西白河支部では「児童の思想信条を侵すうえ、通行時間は交通渋滞が予想され
危険」として出迎えをとりやめるよう鈴木校長に申し入れ。
 同校では同村教育委員会に相談。佐々木四郎・同村教育長は「日教組・父母・地域に
さまざまな考えがあり、村教委ではどちらともいえない。学校で判断してほしい」と対
応を学校側に一任。
 同校では児童に出迎えの「意思」を確認。大半の児童が「両陛下にお会いしたい」(
「見たい」程度だとは思いますが)と答えたため、下校時間を早めて希望者が出迎えら
れるよう配慮。
 当日は午後三時前に天皇らの乗った車が学校前を通過。4〜6年生のほぼ全員と、低
学年児童が帰宅後出なおし、保護者らもあわせて約五〇〇人が出迎え。

 
 この種の話題は、拾えば浜の真砂程にあります。
 それこそ、その真砂が「巌」となってこけむしてしまうと雑草も生えなくなります。
 そんな小さな事件が繰り返されて、民衆の力が及ばなくなったとき「戦争国家」が出
来上がります。わたしたちは毒草の芽は見つけしだい摘み取って丈夫な雑草を育ててい
かなければ。

 文部省では、教育委員会などへの「マニュアル」の配布は、しばらく様子を見てから
としていましたが、そろそろ文書がまわるのではないでしょうか。

 文部省では、各国立大、大学入試センタ−、関係団体に「国旗及び国歌に関する法律
について」という文書を流し、この中で、国の機関での開庁日、祝日の国旗掲揚を指示
した官房長官談話(8月10日)などを紹介、掲揚・斉唱を求めた。(毎日14日)
 

 今、小学校では低学年生に天皇制をどう説明しているかわかりませんが、
個人的な経験では、私のこどもの一人は教師に「天皇・皇后はみんなのお父さんとお母
さんのようなもの」と教えられ、しばらく混乱したことがあります。幼子にとって保護
者がどれほど大事な存在か、しかもその保護者から離れて、大きな学校という集団に飛
び込んで右も左もわからない心細い時期に、なんと無神経なことを言う教師かと呆れた
ことがあります。
こどもはその後、教師を絶対視することもなく、観察の対象の一人として付き合うよう
になったようで、その教育効果の程の判断はいまだつきかねていますが。また同じ話も
受けとめ方に個人差がありますので、なんとも言えないところで、上の子は、「みんな
」の中に自分も入っていると自覚するのが遅かったせいか、同じ話も他人事に聞いて済
ませたようです。



 
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