7月23日に行われた「思いやり予算」違憲訴訟・東京 第7回口頭弁論で原告側
が提出した準備書面(10)です。私たちが憲法上のどのような権利に基づいてこの
訴訟を行っているかを詳しく説明しています。長文ですが、是非一読ください。2分
割して投稿いたします。
なお、ホームページに掲載しているものには条文等にリンクが付けてありますので
、こちらもご利用いただけましたら幸いです。
http://www.jca.apc.org/~kaymaru/Omoiyari/990723/jyunbi990723.html
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平成10年(ワ)第5388号、同10919号損害賠償請求事件
準備書面(10)
原告 124名
被告 国
1999年7月23日
右原告ら訴訟代理人
弁護士 内田 雅敏
同 根本 孔衛
同 床井 茂
同 中野比登志
同 矢花 公平
東京地方裁判所 民事第38部 御中
記
一、本件訴訟の構成
「思いやり予算」の作成、議決ならびにその執行によって、原告が、その憲法上有し
ている主権者たる地位、平和的生存権及び租税負担者の基本的権利から生ずる法益が侵
害されていることから生じた損害に対して、国家賠償法第1条にもとづいてその賠償を
求めているのが本件訴訟である。
二、行為者及び行為
次の行為は、国家賠償法第1条にいう、国の公権力の行使に当たる公務員の職務行為
に該当する。
1. 内閣は毎会計年度の予算を作成し、国会に提出する(憲法第86条)
が、内閣の構成員である内閣総理大臣をはじめとする各国務大臣が国家
公務員であること及びその予算に関する行為が職務に属することは自明
というべきである。各内閣員はその行為について連帯して責任を負う(
憲法第66条)が、この責任について同条は国会に対する責任をいってい
る。ここにいう責任は、いわゆる政治的責任であるが、これは憲法が国
政の運営について、国民によって正当に選挙された国会における代表者
を通じてなされる代表民主制を原則としていることからくるものであっ
て、ここにいう責任のほかに内閣員が公務員としてなす行為について生
ずる他の責任を免れているいうことまでを規定しているものではない。
かえってこのような政治的責任を明示されているが故に、その行為が他
の責任に及ぶことがあることを間接的に示しているとも考えられるので
ある。
2. 国会を構成する衆議院及び参議院の議員は、内閣による提出された
予算案を審議し、議決する(同第86条)。この議決がなければ、国費の
支出はなしえないのであり、また、国の機関の公権力の行使の大部分は
国費の支出をともなうものであるから、その前提となる予算の審議及び
議決は国会議員の職務行為であるとともに、それ自体公権力行使行為で
ある。
3. 防衛施設庁長官ほか他官庁の長が、在日米軍基地の維持のための予
算の執行は、そのこと自体がいわゆる行政行為にあたると否かにかかわ
らず、それは日本政府の米国政府との間に締結された安保条約、同米軍
地位協定などの履行であり、そのことによって在日米軍基地が存続し、
そこを拠点として米軍の活動がなされるのであるから、それは行政上の
行為であり、その影響が国民の法益に及ぶかぎりにおいて国家賠償法上
の公権力行使にあたる。
三、「思いやり予算」の違憲性と違法性
この問題については、原告準備書面(9)おいて、これまで訴状請求原因及びその後
の原告準備書面中で述べてきた主張を要約しておいたが、これに関与してきた国家公務
員の行為に対する国家賠償法の適用に関連して若干の付設をする。
1. 国務大臣、国会議員、その他の公務員は憲法の尊重し、擁護する義
務を負う(同99条)。憲法は国の最高法規であって、ここに定められて
いる条項に反する法律、命令、国務に関するその他の行為は全て効力を
有しない(同98条)。従って、右の公務員は憲法に反する行為をなして
はならないのであって、それをおこなった場合は憲法違反行為との評価
をうけなければならない。このような評価をうける行為をおこなった者
は、この行為についてその責任が問われなければならない。
2. 内閣が国会に対して責任を負うとの憲法第66条の規定については、
右の二、1においてそれが政治的責任であることを明らかにしたが、その
ような責任については主として内閣不信任決議のかたちで問われる(同
69条)。国会議員も自らを選出し、国政を信託した国民に対しその権力
の行使について国民に責任を負うことは憲法前文に明らかである。国民
に対する国会議員の責任は一般的には政治的責任であり、その責任はひ
ろく選挙において問われるところであると認められているが、それは、
政治責任に限定されるものではない。
憲法第15条は、国民がその他の公務員に対しても選定権及び罷免権を
有することを規定していることから明らかなように、その他の公務員も
この権限の行使について国民に対して責任を有する。この責任の追及
は、直接的には国の行政権を行使する内閣の職務として行われ(同第73
条4号)、そのための法規として国の一般職に対しては国家公務員法等が
ある。
特別職以外のその他の公務員については、国または地方自治体に対す
る公務員法上の責任ばかりではなく、一般国民に対する国家賠償法上の
責任があり、その違背から生ずる国民の損害については、その公務員を
使用、監督すべき国または地方自治体が被害者に賠償することになって
いるのは公知のとおりである。
3. 国務大臣及び国会議員の有する権限の行使から生じた損害の賠償に
ついては特段の規定はないが、憲法第17条が公務員の不法行為による国
民の損害について、国及び公共団体に対し損害賠償責任の発生を認めて
おり、またこの規定を受けて制定された国家賠償法が公務員の公権力行
使について、内閣員または国会議員のそれを特に排除していないことか
らして、それらの右のような行為についても、政治的責任のほかに同法
上の責任が生ずるとしなければならない。
国会議員の立法権の行使が国家賠償法第1条にいう公権力の行使にあた
るというのは学説上の通説である(宇賀克也、国家補償法、1997年有斐
閣29頁以下)。
判例については、事例はその行使が不作為による違法行為にあたるか
否かの問題についてであるが、、最高裁判所第二小法廷は昭和58年(
オ)第1337号事件に対する昭和62年6月26日の判決(判例時報1262号100
頁)をなし、その結論は原告の請求を棄却したものであるが、結論にい
たる前提の判断として、立法権の行使が公権力の行使にあたるとしてい
る。その判旨部分はつぎのとおりである。
「国会議員は、立法に関し、原則として、国民全体に対する関係で政
的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義
務を負うものではなく、国会ないし国会議員の立法行為(立法不作為を
含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかか
わらず国会があえて当該立法を行うというがごとき、容易に想定し難い
ような例外的な場合にない限り、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評
価を受けるものではないと解するものであることは、当裁判所の判例と
するところである(昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷
判決・民集39巻7号1512頁参照)。」
本件においては問題は予算の審議、議決にあるが、この権限は立法権
とならぶ国会の主要な権限である(憲法第86条、第60条)から、この権
限行使について国家賠償法が適用される。
また国務大臣においても、毎年の予算は内閣において作成し国会に提
出されなければ国会における審議が始まらない(同86条)のであるか
ら、その作成には国家賠償法がまた適用される。
立法については、右の判例によってもその内容が憲法の一義的文言に
違反している場含、国会があえてこのような立法を行うことによって国
家賠償法上の責任が生じるとされていることからして、立法とならんで
国政の重要事項である予算の作成についての内閣の責任及びその審議議
決についての国会の責任についても同様である。
一般にこのような問題が生じてこなかったのは、予算の内容が内閣あ
るいは国会の裁量的権限の中にあったので、その権限行使の妥当性につ
いての政治的責任の問題は生じたが、それが国家賠償法上の責任の有無
にまでは至らなかったのである。
4. 国政は、主権者である国民の信託にかかるものであるから、国会、
国務大臣、その他の公務員は信託された範囲のほかのことをおこなう権
限を有しない。あえてそれを行うならば、それは違憲、違法の行為とな
る。
行政府及び国会にどのような権限が与えられているかに付いては、日
本という国家の本質にかかることであり、それは憲法の前文及び本文に
示されている。これを構造的に認識し、そのような認識にもとづいて行
政府及び国会の権限行使内容を批判することにより、具体的な事案につ
いての違憲性、違法性が明らかになるのである。
5. 憲法条項の中には、国の財政支出を明白に禁じているものがある。
第89条がそれである。そこでは、公金その他の公の財産を宗教上の組織
もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、また公の支配に属しな
い慈善、教育もしくは博愛の事業に対し支出し、またはその利用に供し
てはならない、とされてる。
原告準備書面(九)、第一、二をおいて指摘したとおり、思いやり予
算の中には米軍人の宗教活動に対する項目があり、そのような予算の支
出はこの条項に違反する。これによって設備され、維持される施設によ
る宗教活動がどのようなものであるかは必ずしもあきらかではないが、
それが特定の宗派のものであれば、その支出は同時に憲法第20条1項後段
に該当する違反行為となる。それが特定の宗派に限定されていないとし
ても、それらはいずれもキリスト教またはユダヤ教といったものであろ
うし、仏教、イスラム教等の他の宗教と区別される広義の宗教団体の活
動に対する特別の援助、支援となり、特権の付与となるのである。この
ような「思いやり予算」の支出は、日本政府の直接的な宗教活動とはい
えないかもしれないが、その支出によって米軍関係者の宗教活動を可能
ならしめると意味においては間接的な宗教活動となるのであって、同条3
項にも違反するのである。このような宗教施設あるいは活動が、米軍管
理にかかわるものであるか否かは、これらの条項の適用の成否には関係
がない。
原告準備書面(五)、(六)において指摘したとおり「思いやり予
算」によって維持されている各施設の中には、同第89条によって禁止さ
れている、日本政府あるいはその公共団体の支配に属しない、慈善教育
もしくは博愛の事業に該当するものがある。これらに対する予算の支出
は違憲、違法行為である。
6. 日本国憲法は、その第9条において戦争と武力による威嚇又は武力の
行使を、国際紛争を紛争を解決する手段としては永久に放棄している。
またその前文において、日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼してその安全と生存を保持することを決意している。
これらを総合的に解釈するならば、第9条による戦争及び武力による威
嚇、またはその行使は、我が国自らがこのような行為をしないことに止
まるものではなく、我が国が戦争及び武力威嚇、行使を行う国に対する
支持、協力を一切行わないことを憲法上の原則としてしていることを示
しているのである。
このようにしてみると、日米安保条約がその第5条において日本の領域
あるいは在日米軍基地に対して武力攻撃があった場合の日米軍事共同行
為を約し、また第6条において日本及び極東における国際平和および安全
の維持のために米国に対して、日本国が基地を提供し、そこを拠点とし
ての、米軍の活動を許容していることは、憲法第9条に背反するものとい
える。これらの米軍は、戦争及び国際紛争についての武力の行使また武
力による威嚇を予定し、現にそれを行っており、日本国は同条約の存在
を理由にこれらの行動を許容し、支持しているからである。
日米安保条約と憲法第9条については、砂川刑特法事件についての最高
裁の大法廷判決があり、また日本政府はこれを専ら個別的自衛権の発動
として説明してきた。しかし、この度国会で成立された周辺事態法等が
発動される場合は、米軍の戦争または武力行使があった場合の日本の自
衛隊の積極的な軍事加担行為を意味するものであるから、その合憲性は
個別的自衛権による説明では困難である。
本件訴訟が、安保条約、自衛隊の問題をさしおいて、特に「思いやり
予算」の支出を問題にするのは、これによって維持される米軍の最近の
実状は、日本政府が主張してきた日米安保条約解釈の外に出ており、こ
れに対する「思いやり予算」支出による日本政府の加担はその義務の履
行の範囲を超え、あるいは砂川事件についての最高裁判所の判旨をはな
れ、またこれまでいわれてきた自衛権の行使ということでは到底説明で
きない状態にあるからである。
1999年5月17日付原告準備書面であきらかにしているとおり、最近の米
国政府の戦略は地球規模に広がったその国益に対するあらゆる脅威や危
険に対応するための章事力を整備し、その発動を準備し、実行すること
である。そのために基地の統廃合がなされ、兵器の破壊力の増強、精度
の向上がはかられ、待機する兵士の志気を高めるためにその生活の質的
向上がおこなわれている。
米国政府高官が揚言するように「在日米軍の目的は米国の権益を擁護
するため」と言うことが公然化している。このような戦略とその実施
は、日米安保条約が掲げるその目的をはるかに逸脱している。
そのうちの基地の統廃合についてはその整理が進んでいる米本国ある
いは西欧地域等と異なり、東アジアにおいては10万人体制が維持されて
おり、在日基地は沖縄に端的に示されているように、ある基地の縮小が
いわれているとすればそれに変わっての代替基地の設置がリンクされて
いる。設備の更新化の費用とともに、基地の移転整備については「思い
やり予算」の支出がこれに充てられている。
在日駐留米軍人の「生活の質的向上」の措置は、日米安保条約の目的
遂行の必要の程度を超えて、最近の米国の軍事戦略の転換を人員の面か
ら充足するためのものであることは右のとおりである。これが日本政府
の思いやり予算の支出によって着々と実行されている状況は原告準備書
面(5)、(6)(7)で具体的に明らかにしているとおりである。
7. 「思いやり予算」の支出は、日米安保条約及び米軍地位協定におけ
る日本側の本来的義務としてそれまで履行されてきた日本の負担範囲を
超える米軍の駐留費用の支出する措置であったことは被告も認めるとこ
ろである。それが特別協定でなされるか否かは、本質的な問題ではな
い。このような協定をなし、予算を組むこと自体について内閣及び国会
に違憲違法行為の責任が生ずるのである。
米国は、これらの新戦略の実施を、自らの財政的支出を減縮させなが
らおこなってきている。そしてその減少による軍事力の低下を防止する
措置分及び新戦略実施にともなう増加分については、「同盟国に対する
負担増の要求」によって処理してきた。この要求に最もよく応じてきた
のが日本である。それらの状況については原告1999年5月17日付準備書面
において具体的に述べている。
その結果は、1999年度の米国「国防年報」は「米国にとって日本との
安全保障同盟関係は、米国のアジアにおける安全保障政策の要であり、
米国の世界戦略の目的を達するための鍵である。」とまでいわしめてい
るのである。即ち、日本の「思いやり予算」の支出が、アジアをはじめ
とする全世界的規模での米国の戦争、武力による威嚇、武力行使を可能
ならしめているのである。そのことは、このたびコソボ問題に関して
NAT○軍のユーゴに対する攻撃の中心に米軍があり、在日米軍とその基
地が少なからぬ「貢献」をなしてきたことに実証されているのである。
これらの米軍の態勢の整備及び行動は、直接的には日本の戦争行為、武
力行使による威嚇ではないけれども、日本政府が「思いやり予算」の支
出することによってはじめて米軍をしてこれらを行動を可能ならしめた
ことにおいて、日本政府の行為は、右の憲法第9条及び前文の平和主義に
違反するものとして評価されなければならない。
8. 右のような違憲、違法の性質を有する「思いやり予算」は、防衛施
設庁長官等の実施行為により、実現され完成されるのであるから、その
実施についても違憲の責任が生ずる。これらの公務員は、自分達は予算
が組まれ、上司である首相、国務大臣などの命令、指示にしたがって実
施したにすぎないから、それが違法であったとしてもその責任を負うわ
けがないと弁解するかも知れない。
この責任を考えるについて、第二次世界戦争の戦争犯罪人を裁いた極
東軍事裁判所条例の第6条が参考になる。それには次のように記されて。
第六条 被告人の責任
何時たるとを問わず被告人が保有せる公務上の地位、若
しくは被告人は自己の政府又は上司の命令に従ひ行動せる
事実は、何れも夫れ自体当該被告人をして其の間擬せられ
たる犯罪に対する責任を免れしむるにたらざるものとす。
但、斯かる事情は、本裁判所に於いて正義の要求上必要あ
りと認むる場合に於いては、刑の軽減のため考慮すること
を得。
そして同趣旨の規定は、このたび日本政府も参加して締結された国際
刑事裁判所条約の条項の中にも取り入れられているのである。
組まれた予算は必ず支出しなければならないものでないことは自明で
ある。ある工事について予算額より少額の支出で工事を完成させ、その
残金を使用しないことはむしろ公務員の義務に属する。客観的事情の変
更により工事が施工できなくなった場合も同様であろう。原告準備書面
(5)、(6)、(7)で明らかにしているように、「思いやり予算」の多
くは、日本国民の生活感覚からいえばあきらかに「ゼイタク」な生活の
ために使用されているのである。「思いやり予算」が依然として安保条
約、同地位協定の目的のそうものであるか否かなどの認識及びそれにも
とづく支出の合法性、適正性の問題を別にしても、その目前に行われて
いる個々の具体的施設工事、運営費用が適正妥当か否かは彼らでも容易
に判断できるものであるから、それが妥当性を欠くと思えば、その支出
を削減し、あるいは停止すべきである。これを怠り、漫然としてその支
出を続けることは違法責任を免れないのである。
============================== つづく =================================
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MARUYAMA K. kaymaru@jca.apc.org
2GO GREEN (JCA-NET)
http://www.jca.apc.org/~kaymaru/2GG_JCANET.html