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発信者=井上澄夫(つくろう平和!練馬ネットワーク)
発信時=1999年6月10日
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以下の稿は、「うちなんちゅの怒りと共に!三多摩市民の会」発行の『沖縄の怒りと
共に』第18号(99.6.7)に寄せたものです。
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《提言》
状況全体を正確にとらえ、敗北をきちんと総括して、〈戦争を阻止できる新たな運
動〉を創り出そう!
井上 澄夫
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5月24日、参議院で新ガイドライン関連3法案(戦争法案)が可決されました。
自民・自由・公明の3党は、憲法9条を踏みにじり、日米共同戦争を「合法化」した
のです。この事態の意味を明らかにするため、戦後の反戦平和運動との関連において
、私の歴史認識をまず記そうと思います。
91年4月下旬、海上自衛隊の掃海艇群がペルシャ湾に出動しました。それを許し
てしまったときに、戦後の反戦平和運動は決定的に敗北したと、私は考えています。
掃海挺派遣は、いうまでもなく、海外派兵のはじまりでした。その後自衛隊は、カン
ボジア、モザンビーク、ザイール、シリアのゴラン高原へと次々に送り出され、ゴラ
ン高原には今も駐留しています。それだけではなく、「邦人救出」を名目として、軍
用機がタイ、シンガポールに送られ、ホンジュラスの「災害救助」にも、自衛隊は派
遣されました。しかし私たちは、敗勢を挽回し、海外派兵を止めさせることができま
せんでした。
3月24日未明、日本海公海上で行なわれた自衛隊による初の武力行使には、よく
わからないことがたくさんあります。真相が明らかになるのは、ずっとあとのことで
しょう(その頃この国はどうなっているでしょうか)。だから私は、自衛隊という名
の日本軍が行なった、あの武力行使を「日本海事変」と呼んでいます。戦前のこの国
の歴史は、「出兵」「事変」の連鎖が大戦争に発展していったことを示しており、単
発的な軍事行動であっても、実は〈プロセスとしての戦争〉の始まりである蓋然性(
がいぜんせい)が高いからです。
「日本海事変」は、戦後憲法体制に対する一種の〈クーデター〉でありました。「
日本海事変」によって、この国の戦後は最終的に終わらされ、私たちは新たな戦前に
生きることになったと思うのです。
そして自衛隊の危険きわまりない暴挙に呼応し、戦争を政治・外交の手段にするた
めに結託した軍事ゴロ3政党が、「国権の最高機関」たる国会において強引に戦争法
案を成立させることによって、ついに「平和憲法」を死に至らしめました。5月24
日に起きたことの意味は、そういうことであると私は思います。「平和憲法」はこれ
まで、解釈改憲によって骨抜きにされてきましたが、もはやムクロです。
ことここに至ったことを、私たちは空(から)元気で取り繕うべきではないと思い
ます。国会審議が進むにつれ、問題の法案、とりわけ「周辺事態法案」への疑問が噴
出し、反対の声が高まったことは事実です。5・21集会の盛り上がりは、今後の抵
抗を準備したという見解も、あながち間違いではないでしょう。しかし「新ガイドラ
イン関連法案を廃案に!」という、私たちの共通の目標は実現しませんでした。私た
ちは負けました。
その冷厳な事実を率直に凝視するところから「次」をともに考えることを、私は提
言したいと思います。敗北の原因は、徹底的に究明されねばならないでしょう。謙虚
かつ冷静に行なわれる精緻な分析と反省を踏まえて「次」が構想されるのでないなら
、私たちの敗勢はつづくばかりではないでしょうか。(私は、掃海艇のペルシャ湾出
動を許したことの運動上の総括が必要だと思い、努力してきました。しかし米国の戦
争政策の劇的な転換についてはそれなりに理解したものの、反戦運動のありようの検
証はまったく不十分です。これまでの諸先達の労作も、巻き返しを保証する説得力の
ある総括になっていないように思うのです。)
3月末に国会に上程された「地方分権一括法案」と、その後上程された「中央省庁
改革法案」は一体のものであり、しかも新ガイドライン関連法(戦争法)と無関係で
はありません。2法案は、「普通に戦争ができる国家づくり」のための、中央―地方
を貫く国家改造計画であり、戦争法を実施するための土台づくりです。「地方分権一
括法案」475件の中には、首相の緊急裁決によって米軍への新規土地提供を容易に
する「駐留軍用地特別措置法」の改悪案が忍び込ませられていますが、それは有事立
法の部分的な先取りです。次に登場する純軍事的な有事法案も、もう準備されている
と見るべきでしょう。
これも国会で審議中の、盗聴法案など組織的犯罪対策3法案は、まぎれもなく、戦
争に反対し世直しを求める民衆運動への治安弾圧立法です。それらも「普通に戦争が
できる国家づくり」をめざす国家改造・社会再編の一環なのです。すでに政府は、オ
ウム真理教対策を口実とする破防法改悪の動きまで見せています。「日の丸・君が代
」法制化の動きが意味するものについて、ここで詳述する必要はないでしょう。
この国の経済活動は、80年代後半以降、一気に世界化しました。しかしながら日
本は、世界に拡大した権益を守る政治的・軍事的な力を持っていませんでした。だか
ら政府と財界は、経済力と政治・軍事力とのギャップを埋めようと考えたのです。そ
れが今、政府が全面的・根底的な国家改造・社会再編を強力に推進している理由です
。
とするなら、私たちの今後の反戦運動は、そのような状況全体に正面から向き合い
、準戦時(および戦時)体制にも耐え抗しうる力量と展望を持つものにならなければ
ならないと思うのです。
「周辺事態」への対応は、日米共同戦争であり、日本国家自体が「まさに戦争に参
加する話」(小沢一郎)であることを、肝に銘じようではありませんか。もはや戦争
は、どこかのよその国の出来事ではないのです。
戦争への非協力の思い、戦争政策への不服従を、一人ひとりが心に深く根づかせる
こと。そこを出発点に自治体を監視し、どのような戦争協力もさせないこと。政府の
戦争政策に異議申し立てをつづけること。それをなしうるか否かが問われています。
その際、それぞれがかかわる個別課題の、状況全体における位置と意味を見きわめ、
共同の力を発揮すべき課題を設定して、全国的な連携を強化することが、どうしても
必要でしょう。
戦後は終わらされ、私たちはいやおうなく、暗雲がのしかかる、不安な新しい時代
に生きています。3月24日、日本が戦後初めて武力を行使したこと、その翌日ドイ
ツが、これも戦後初めて、かつて侵略した同じヨーロッパの国に対して軍事行動を開
始したこと(NATO〔北大西洋条約機構〕のユーゴ空爆)。日独同時のこの軍事的
突出は、この地球上の無数の人びとを戦慄させています。
私たちの反戦運動は、今こそ自らを根本的に変革しなければならないでしょう。も
のの見方、発想、作風、手だてなど、すべてが問われています。
「日本海事変」を阻止できず、戦争法案の成立を許した私は、今の子どもたちとそ
の先の世代に対して、すでに戦争責任を負っています。その痛苦な思いを片時も忘れ
ることなく、戦争阻止のために努力する人びとと、どこまでもともに歩きつづけたい
と思っています。
(戦争法案が成立した翌日、東京都練馬区にて)