Date: Tue, 11 May 1999 23:16:19 +0900
From: 加賀谷いそみ  <QZF01055@nifty.ne.jp>
Subject: [keystone 1434] 自衛隊の暴挙について
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    〔3・24〕自衛隊の暴挙についての私の意見
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        発信者=井上澄夫(つくろう平和!練馬ネットワーク)
        発信時=1999年5月11日

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  以下の稿は、月刊誌『技術と人間』の99年5月号に寄せたものです。すでに掲載
されましたので、みなさんに資料として提供します。ご活用いただければ幸いです。

私が「日本海事変」と呼ぶこの事態は、まだよくわからないところがあると思います
。政府の公表した事実のみが一人歩きしていますが、誰(誰)がどう動いてこういう
ことを引き起こしたのか、という肝心の点は、隠されたままというべきではないでし
ょうか。かつての「満州事変」のように、ずっとあとになって真相が明らかになると
いう性質の事態であったと思います。いや、あの「事変」は、これから起こされる、
もっと大きな謀略の一環かもしれず、ことを過去形で語るのは間違いかもしれません
。計画はなお、どこかで(水面下で)続けられているかもしれず、次の「事変」はも
う準備されているかもしれない。少なくとも、そのような警戒心を持って、内閣、防
衛庁、海上保安庁などの動きを子細に観察すべきでしょう。
  私は、謀略史観に傾斜することを自戒する者の一人ですが、自衛隊が軍隊である以
上、いかなる謀略も戦術として駆使するということを強く意識しています。また、み
んながそう思って警戒しないなら、危ないことになると思っています。

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    3・24「日本海事変」を糾弾する
                                井上 澄夫
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 3月24日未明、小渕首相は、海上自衛隊に対し、初の「海上警備行動」を発令。
これによって自衛隊は、創設後初めて武力を行使した。この暴挙に対し私は、3月2
6日、仲間たちとともに、小渕首相に抗議文を提出し、同月31日、衆議院議員会館
前で開かれた、新ガイドライン関連法案の廃案を求める集会において、こう話した。
《自衛隊のあの武力行使は、「日本海事変」というべき事態である。戦前においては
、事変が繰り返され、ついに大戦争に突入した。「戦後は終わった」と何度も言われ
てきたが、この「日本海事変」によって、戦後は最終的に終わらされ、私たちは、つ
いに、新たな戦前に生きることになった。》

  ここではまず、起こされた事態の経過をたどってみる。(不審船に付すべきカッコ
は略。海自は海上自衛隊、海保は海上保安庁、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国、野
呂田長官は野呂田防衛庁長官の略。出典新聞紙名も略す。)

●21日
 海自が不審船を発見し、監視が始まる。「ひそかにレーダーで追尾、哨戒機を飛ば
し、探索活動を続ける」(防衛庁関係者の証言)。「情報は防衛庁長官に報告されて
いたはず」(同庁幹部、のち野呂田長官がその事実を認める)。〔海保への通報は、
23日午前11時〕。
 

●22日
 米軍が「日本海周辺に国籍不明の船舶が航行している」と日本政府に通報。

 ◎午後3時頃までに、海上自衛隊舞鶴基地から、イージス艦「みょうこう」、第3
護衛隊群旗艦「はるな」及び「あぶくま」の3護衛艦が急きょ出港。
 

●23日
 『沖縄タイムス』朝刊などが「防衛庁は22日までに、韓国沖合で昨年12月に起
きた北朝鮮の潜水艇侵入事件を踏まえ、潜水艇や武装スパイ船を想定した海上自衛隊
と海上保安庁の共同対処マニュアルを作成する方針を固めた」という記事を掲載。

    【政府発表では、ことの始まりは次の時点からである。】

 ◎午前9時25分頃、能登半島の東約45`の領海で1隻の不審船を海自の哨戒機
P3Cが発見。午前11時頃、同情報は海自から海保へ。

 ◎午後1時頃、護衛艦が約18`先の海上で別の不審船を確認。

 ◎午後1時半すぎから、海保が両船に停船を命じるが、両船は北方の公海に向かう

 ◎午後6時、政府は首相官邸に外務、防衛、運輸、警察庁などの関係省庁トップを
集め、内閣危機管理センターに対策室を設置。

 ◎午後7時すぎ、不審船は時速約50`に速度を上げる。

 ◎午後8時と同8時半頃から巡視船「ちくぜん」と巡視艇2隻が、公海上で、20
_機関砲と機銃、自動小銃で計約1300発を、両船の船尾方向の海面や上空に発射
(警察官職務執行法第7条「武器の使用」によると説明)。護衛艦は照明弾を上げ支
援。現場海域で不審船を追跡したのは、海保巡視船艇15隻と海自護衛艦3隻。

 ◎午後9時以降、巡視艇は相次いで「燃料不足」により、追跡を断念。
 

●24日
 午前零時半頃、川崎運輸相が野呂田長官に「海上警備行動」発令を要請。

 ◎午前零時45分頃、「海上警備行動」発令を、持ち回りの安全保障会議と閣議で
承認。

 ◎同50分頃、野呂田長官が艦隊司令官らに命令。発令について、野呂田長官は「
不審船が速度を上げたため海上保安庁の追尾が困難と判断した」とし、自衛隊法第8
2条によると説明。

 ◎午前1時すぎから、護衛艦「はるな」「みょうこう」が、不審船に無線と発光信
号により停船命令。「第2大和丸」なる不審船に「みょうこう」が13回の警告射撃
、P3Cが150`爆弾4発を不審船の前方に投下。「第1大西丸」なる不審船には
、「はるな」が12回の警告射撃、P3Cが同型爆弾8発を不審船周辺に投下。

 ◎午前3時20分頃、「第2大和丸」なる不審船が、また午前6時6分頃、「第1
大西丸」なる不審船が、日本の防空識別圏を越えたため、護衛艦は追跡を断念。

◆(同日未明)衆院ガイドライン特別委の山崎拓委員長は、防衛庁から「海上警備行
動」発動の報告を受けて「ガイドライン関連法案の審議が加速するだろう」とのべる

◆午前の関係閣僚会議で小渕首相は、海自の「海上警備行動」について「日本の安全
確保に対する意思を明示するものとして重要だった」とのべる。

 ◎午後3時半、政府が「海上警備行動」を解除。官邸対策室も閉鎖。
 

●26日
 朝の閣議後の記者会見で、川崎運輸相が海保に対し、保有する航空機への武器搭載
について検討するよう指示したことを明らかにする。
 

●27日
 野呂田長官が、海自による「領域警備」について「検討に値する」とのべる。
 

 改めてこう見てくると、今回の「海上警備行動」なる武力行使が、マスメディアへ
の事前の根回しを含め、実に周到に準備されたことが明白である。小渕政権は、新ガ
イドライン関連法案を早期に成立させるため、追い風を吹かせたかったのだ。それゆ
え、見え透いた「危機の演出」を行なったのである。

  だがその手法は、この国の今後を暗示する、余りに危険なものだ。今回の「海上警
備行動」発令の根拠は、自衛隊法第82条であるというが、それは「海上における人
命、財産の保護や治安の維持のため、特別の必要がある場合」に発令しうるにすぎな
い。具体的には、「有事が近くなり」、不審船舶によって「海上交通が著しく阻害さ
れるような場合」、あるいは「海賊的な行為」の頻発で「国民の生命、財産を守る必
要がある場合」で、「海上保安庁の手に負えなくなるような事態」が生じたときとさ
れている(81年4月17日、参院安全保障特別委員会での防衛庁答弁)。

  今回の武力行使について、野呂田防衛庁長官は、不審船の行為は「悪質で秩序維持
のために許しがたい」ものだったというのだが(3月24日、衆院安全保障委員会の
協議会での答弁)、迅速に公海上に退去した2隻の船が、いったい何をしたというの
か。確たる証拠も提示せず、「かんぐればスパイ行為」(野呂田)という程度の憶測
を振りかざしているにすぎない。2隻の船が武装していた証拠もないし、ましてそれ
らがなにか攻撃を仕掛けたわけでもない。

  海上自衛隊は、同隊に配備されている最大の艦砲である5インチ砲で威嚇砲撃を行
ない、12発もの爆弾を投下した。八戸基地所属のP3C乗員は、「海面に立ちのぼ
る水柱は、30メートルもの高さにまで達した。船からは水の壁ができたように見え
たのではないか。不審船は、船体に水しぶきを浴びながら死にもの狂いで逃げていく
」と証言しているが、そのような〈戦況〉をあえてつくりだす必要が、一体どこにあ
ったのか。

  『海上保安白書』によれば、日本領海内で確認されている「不審船」は、この5年
間の平均で、1年間に454隻であり、それらへの対応は、これまではせいぜい海上
保安庁艦艇の追尾で終わっていた。今回も、海上自衛隊が出動し武力を行使せねばな
らぬ理由は、まったくなかった。「なぜ今回に限って大掛かりな捕物になったのか、
理解に苦しむ」と話す海自関係者がいるのは当然である。

  今回起こされた事態は「事変」であり、いわば、戦後憲法体制に対する〈クーデタ
ー〉であった。この暴挙を放置すれば、この国は戦争への道を驀進する。

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〔付記  本稿執筆後、4月8日付の『沖縄タイムス』など各紙が、共同通信社配信
の重要な暴露記事を掲載した。「核疑惑」をめぐる緊張が高まった94年前半、日本
政府が「朝鮮半島有事」を想定した5段階の危機対策計画案を作ったというのである
。同案において「海上警備行動」は、国連決議に基づく海上封鎖が行なわれる第3段
階で、米軍と自衛隊の調整機構発足、自衛隊の治安出動、破防法による朝鮮総連の活
動制限などとともに検討されている。これは、「日本海事変」が第二次朝鮮戦争の呼
び水たりうることを実証している。〕

    〔月刊『技術と人間』99年5月号への寄稿〕

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