X-Sender: mshmkw@tama.or.jp (Unverified)
Mime-Version: 1.0
Date: Sat, 8 May 1999 21:01:50 +0900
To: keystone@jca.ax.apc.org
From: "M.Shimakawa" <mshmkw@tama.or.jp>
Subject: [keystone 1427] [aml]第22回沖縄平和行進について
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 1427
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org
 

   (from 『オルタナティブ運動情報メーリングリスト』 改行位置等若干変更)
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 From: "Ken-ichi I." <ken1-i@ta2.so-net.ne.jp>
 Subject: [aml 12117] from“EBI”:第22回沖縄平和行進について(紹介)
 Date: Sat, 8 May 1999 14:27:39 +0900
 

こんにちは!
かんばす/全水道東水労所属の五十嵐です。

所属労組からの反戦・反基地の取り組みを紹介させていただきます。

  周知のかたもいらっしゃるとおもいますが、沖縄平和運動センター主催の「第22
回沖縄平和行進」が、今年も5月13日から5月15日にかけて取り組まれます。
  基地=戦争のない平和な島を取り戻そう
本土復帰二十七年の内実を問う沖縄平和行進。沖縄県内外、多くの市民団体、政党、
労働者団体、個人といったみなさんの協力により、沖縄の基地問題を通して…歩い
て、視て、感じたことを通して…傷つけ合うのではなく、対話〜コミュニケーション
からはじまる平和を、“文字通り”歩んでいこうというムーヴメントです。
全国の水道事業者の職員で組織する団体のひとつ、全国水道労働組合(全水道)で
は、青年女性部、沖縄地区本部のメンバーを中心に、全力でこの行動に取り組みま
す。
例年どおり、いくつかのコースに分かれて行進は行われますが、今回、全水道は全員
「西コース」。浦添市役所より嘉数、キャンプ瑞慶覧、嘉手納飛行場、キャンプ・ハ
ンザ、砂辺区、伊佐浜を経由して、15日の「平和と暮らしを守る県民総決起大会」
に合流します。

「基地がなくなる日」行動や、全国で展開している  さまざまな反戦・反軍事政策の
催しと連帯、結合して、武器なき平和への道を皆さんとともに歩んでいこうとおもい
ます。

参考までに、5月7日に行われました関東地本派遣団 結団式の基調提起を下に転載
します。(一部、文章を補っています。)
 

…おいらは東京での取り組みに参加して、運動を盛り上げようとおもいます。
ともにがんばりましょう。
EBIこと五十嵐でした。
 

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  99年  第22回沖縄平和行進
            関東地本青年女性部派遣団 結団式
                       1999年5月7日   全水道関東地区本部 青年女性部
 

  基調

●はじめに
「本土」に生きる私たちの中には、5月15日が何の日であるかわからない人が多く
いると思います。27年前の5月15日は、沖縄が米国の支配の下から「本土復帰」
した日です。しかしその現実は、「核も基地もない平和な島・沖縄」という沖縄民衆
の思いを裏切ったものでしか  ありませんでした。米国と日本政府は、在日米軍基地
の75%を占める米軍基地をそのままにし、軍事演習も日常的・恒常的に行われると
いう状況が、今なお続いているのです。その中で沖縄民衆は、基地におびえ、米兵に
おびえ、生活と生命が脅かされるという基地被害に悩まされています。…沖縄の「本
土復帰」は、かえって日米安保(軍事協力体制)を強化したとも言えます。
  したがって、沖縄の労働組合や民主団体は、5月15日を「本土復帰」した祝福す
べき日としてでなく、「屈辱の日」として基地撤去・反安保を掲げて県民大会を開催
しています。また、5・15平和行進は、「復帰」後の沖縄現地における反戦・平和
の取り組みの低迷・悲惨な戦争体験の風化が進む中にあって1978年、「沖縄の反
戦運動が停滞することは全国の運動が停滞することにつながり、憲法の空洞化が一層
進み、軍国主義への道を再び歩むことになる」という危機感から護憲反安保県民会議
のもとでスタートされました。
  沖縄平和行進は、一歩一歩踏み締めながら歩くことによって、「本土復帰」27年
の沖縄の現状を直に自らの肌に感じることができます。「沖縄を歩けば安保が見え
る」「百聞は一見にしかず」と言われています。沖縄平和行進は今後の沖縄一「本
土」を貫く反戦闘争の構築と労働者意識の形成をはじめとした人的形成にとっても有
効な取り組みでもあります。

●沖縄のおかれている現状
95年9月に沖縄で発生した米兵による「少女レイプ」事件は、在日米軍基地の75
%が集中しているなかで、「法を踏みにじって人を傷つけ、また法をまとって罪を免
れようとする軍隊の犯罪行為」を象徴する事件であるとともに、「本土」に生きる人
間が、それまで、いかに沖縄の現状をしらされていなかったのかー(日常的・恒常的
に発生する基地被害の中で、この事件は氷山の一角です)ー知らないまま、知らされ
ないまま推し進められる沖縄問題の元凶が日米安保であることを露呈したのです。
  翌10月18日には、10万人にも及ぶ沖縄県民が結集した県民集会が開催され、
まさに島ぐるみでの反安保・反基地の闘いは、日米両政府を揺るがすものとなりまし
た。しかし、こうした沖縄県民の思いも、基地問題から人権問題へと、さらに沖縄の
経済振興策問題へと日本政府によって次第にすり替えられたことによって、根本的な
問題の解決はいまだされていません。
  そして、昨年10月7日、北中城村比嘉の国道330号線で米海兵隊員に蝶き逃げ
された女子高校生が14日に亡くなった事件でも「日米安保」の壁に阻まれる形で、
“通常”の蝶き逃げ事件として決着しました。(日米両政府が「凶悪な犯罪」と認定
しなければ、在日米兵は「日米地位協定」により“起訴前に拘禁されることはな
い”)これらは日米安保が日米の共通の利害として見出たしながら国策として堅持さ
れ、その矛盾だけを沖縄に押しつけ続けてきた現状があるからです。
  96年12月、在沖米軍基地の「整理・縮小」に関する日米特別行動委員会(SA
C0)の最終報告がありました。これによって、突如として決定された普天間飛行場
の「返還」に伴う代替ヘリポートについては、キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)
沖海上ヘリポート建設案が持ち上がりましたが、名護市民による住民投票によって多
数の市民がヘリ基地建設に「ノー」の声を上げました。
  昨年11月15日の沖縄県知事選に於て現職の太田知事に代わり、稲嶺知事が誕生
しました。これによって、SACO返還合意(普天間飛行場、那覇軍港、米軍楚辺通
信所一通称“象のオリ”など)の早期実現が加速されています。そうした中、1月2
9日、稲嶺知事は那覇軍港の浦添移設を表明。これを受けて3月8日、浦添市議会は
軍港移設を可決しました。しかし、宮城市長は、「那覇軍港そのものの移設には反
対」との立場を明確にした上、米軍が受け入れにくい軍民共用の「多目的埠頭」を示
しています。しかし浦添市民は「軍民共用などいかなる形態の移設も詐さない」とし
て、移設の是非を間う住民投票の実現を目指し、運動を取り組んでいます。
  賛否双方の署名運動が展開されるなど、金氏町民を二分した読谷村にある米軍楚辺
通信所の移設問題については、4月1日には吉田町長が受入れに合意しました。さら
に、棚上げされている普天間基地の代替問題についても、稲嶺知事が公約していた
「北部軍民共用空港」問題が進展していない中、名護市辺野古沖海上ヘリポート案も
三度検討されています。
  SAC0返還合意ー返還とうたってはいますが、実際には県内に移設することを前
提としています。同じ目的で使用できる基地を新たに建設しない限り、基地として占
有している土地は返さない、ということです。「基地ころがし・たらい回し」にほか
なりません。地域振興策(=金)をちらつかせて基地を押しつける、基地の受入れを
しないと地域振興の補助はないとする日本政府の態度を、私たちは断じて許してはな
りません。
  沖縄県民の願いは基地の県内移設でも、県外移設でもありません。軍事基地がある
がゆえの恐怖・抑圧を十分認識しているからです。
  沖縄における土地強奪(米軍用地強制使用)は、戦時中の日本軍による土地収用、
多くの住民が収容所に入れられている間には白地図に線を引くようにして行われた軍
用地囲い込み、米軍の銃剣とブルドーザーによる土地強奪、「公用地暫定使用法(契
約を拒否した地主の軍用地を強制使用するための法律)」によるその正当化、「地籍
明確化法(新たな土地強奪法)」付則による「公用地暫定使用法」の延長3回にわ
たって繰り返された特措法そのものによる強制使用の歴史があります。
  1965年、ベトナム戦争が拡大し、嘉手納基地からB52が離陸するようになる
と、米軍用地として使用するための賃貸借契約を「自分の土地が戦争に利用されるの
は耐えられない」という気持ちから拒否する反戦地主が現れました。1997年5月
で使用期限切れを迎える米軍用地の反戦地主は契約の延長を拒否。太田昌秀前知事も
代理署名、公告縦覧代行を拒否、裁判に持ち込まれたほか、県収用委員会が公開審理
で実質審理を尽くし、裁決までに時間がかかったため、国は「不法占拠」しなければ
ならなかった(1996年3月31日で使用期限が切れた楚辺通信所(=「象のオ
リ」)では、1年以上に渡って不法占拠が続いた)など、厳しい事態に追い込まれま
した。
  そのため、政府は4月に「軍用地特別措置法(特措法)」を改定し、強制使用手続
中の土地は、期限切れを心配する事なく〜期限を切れたものについては遡って〜
「(半永久的に)暫定使用できる」としました。
  さらに1999年3月26日、政府は「特措法」の再改定案を閣議決定しました。
その内容は、代理署名や公告縦覧を国の事務として首相による「代行裁決」などが盛
り込まれ、地主や市長村長、知事の意見が反映される手続きを奪うものです。まるで
「お上」のやることに逆らうな、といっているようなものです。憲法で保障された国
民の権利は、たとえ国益、公益のためであっても尊重されなければなりません。米軍
基地に土地を提供することに反対し、国との賃貸契約を拒否する地主の土地を強制使
用する「特措法」は、真に憲法を無視した非人道的な法律です。それ故、「特措法」
の再改定は決して許してはいけません。

●沖縄一「本土」を貫く反戦・平和の運動を再構築しよう!
  沖縄平和行進の取り組みの意義は、安保や基地の矛盾、反戦平和の心を肌で感じな
がら職場に捉え返し、現実としてある「本土」の反戦・反基地闘争に結合させるもの
です。4月27日、「新ガイドライン関連三法案」(「周辺事態法案」=有事立法、
「日米物品役務相互提供協定改定案」=有事版ACSA、「自衛隊法改定案」)衆議
院で可決されました。今後、参議院で審議され、5月末には可決・成立するのではと
されています。この法案が成立すれば、米国の「戦闘」に対し、米国政府からの協力
の要請があり、日本政府がそれを認めれば、自衛隊だけでなく、私たち労働者・民衆
も後方支援として動員させられます。その際、民間の空港・港湾・病院などの施設は
すべて米軍優先となります。しかも、「有事(戦時)」だけではなく「平時」からの
協力体制も併記されています。まさに、日本国憲法をないがしろにした戦争国家体制
作りを目指した法案であると言えます。沖縄では、戦後から現在に至るまで、この
「新ガイドライン関連法案」を先取りした状態が続いています。
  沖縄には「人に痛めつけられても寝ることはできるが、人を痛めつけては眠られ
ぬ」という意味の諺があるそうです。「本土」の人間は沖縄を痛めつけていることさ
え忘れて眠り込んでいるようですね。沖縄では基地の「本土」への移転にも反対して
います。人の痛みが自分のことのようにわかるからでしょう。神奈川県は沖縄県に次
ぐ第二の基地圏です。それ故、基地があるがための人権侵害、基地被害は沖縄と同
様、日常的に起こっています。関東地本青年女性部としてもこの間、反戦サマーキャ
ンプや昨年11月の朝霞自衛隊観閲式反対闘争を取り組み、関東の地における反戦闘
争として取り組んできました。こうした取り組みを「本土」一沖縄を貫き、沖縄民衆
と連帯して「本土」での反戦闘争の中から軍隊のない、基地のない世の中にしていこ
うではありませんか。

〜転載ここまで〜

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“EBI” こと 五十嵐健一(ken1-i@ta2.so-net.n
e.jp)
ウェブページ “か ん ば す”(更新休止中)
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