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【報告と意見】 国会内の準戦時体制を告発する
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発信者 井上澄夫(つくろう平和!練馬ネットワーク)
発信時 1999年4月30日
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全国の仲間たちへ。東京でも、このところ、新ガイドライン法案を廃案にするため
の集会・デモが次々に開かれ、それぞれの地域に根ざす反戦市民グループ間の交流も
盛んになっています。私はあちこちの集会で発言していますが、いくつかの行動が同
時におこなわれることも少なくなく、せっかく発言の要請をいただきながら失礼する
ことがあります。本稿は、残念ながら参加できなかったある集会に、連帯のメッセー
ジに替えて寄せたものです。国会の雰囲気を伝える面もありますので、資料として、
全国の仲間に提供します。みなさんの運動に役立つようでしたら、ご自由にご利用下
さい。私の許可は要りませんが、お使いいただく場合、次のFAXにその旨ご通知い
ただければ幸いです。
井上澄夫 FAX(専用)=03・3978・0403
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自由も、平和も、自らつかみとるものである
井上澄夫(つくろう平和!練馬ネットワーク)
新ガイドライン法案を廃案に追い込むために、このところくりかえし、衆議院議員
面会所(仲間たちは略して議面〔ギメン〕というのだが、私はそういう運動内符丁を
好まないから、略さない)の内外で行なわれる集会に通っている。議員面会所内での
集会は、主として、新ガイドライン法案に反対している国会議員たちの議会報告を聴
くもので、面会所前の道路での集会は、主に、法案を廃案に追い込むために努力して
いる市民たちが、活動を互いに報告しあい、強引な法案採択の動きに抗議するもので
ある。
議員面会所内外の集会で、私もときどき発言しているが、このところ特に強調した
のは、3月24日未明に起こされた自衛隊による武力行使は、「日本海事変」という
べき事態であり、それによって、この国の戦後は終わらされ、私たちは新たな戦前に
生きることになったということで、そのような認識を基礎に、新ガイドライン法案を
批判している。「日本海事変」は、戦後憲法体制に対する、一種の〈クーデター〉で
あったと、私は思う。
さて、ここに記したいことは、そのような危うい状況を象徴する事態である。4月
1日の夕方、僧衣をまとった日本山妙法寺の数名の僧侶が、集会に参加するため、議
員面会所を訪れた。僧侶たちは、国会議事堂裏の道路をへだてた側にある第二議員会
館の前で、新ガイドライン法案に反対し、平和を祈念して、連日、太鼓を叩いている
。その一行の代表が、議員面会所にやってきたのである。その僧侶たちに、衆議院の
衛視が近寄り、集会での発言の際、「南無妙法蓮華経」を三回唱えたら、それは示威
行為(デモ)だから、面会所から排除すると脅した。日本山妙法寺の僧侶たちが、集
会で発言する際、冒頭「お題目」を三度唱えることは、広く知られている。それがデ
モである、というのである。
この件で、私は数名の仲間とともに、僧侶たちを脅した衆議院の警務部長に強く抗
議した。その趣旨は、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えることは、仏教
者であることの名乗りであり、証である、仏教者であることを明らかにして発言する
のは、宗教者としてごく自然な行為であり、それは憲法20条が保障する「信教の自
由」に基づいている、「国権の最高機関」である国会の衛視の長が憲法の規定を理解
していないことは許されないことであるから、即刻辞任せよ、というものだった。僧
侶たちは、その後も面会所内の集会で、堂々と「お題目」を三回唱えたり、キリスト
者たちとともに衆議院議長に抗議したり、弁護士の助力を依頼したりと、力強い抵抗
をつづけている。
私は宗教者ではないが、新たな戦時(有事)下において行われるにちがいない抑圧
の先取りとして、問題をきわめて深刻に受け止めている。「信教の自由」は、特定の
信仰をもつ自由だけを意味するのではない。それは、信仰から離れる自由、宗旨を変
える自由、特定の信仰をもたない自由をも意味する。したがって、思想・信条の自由
と深くかかわっている。私は特定の信仰を選択しない立場で、宗教者の信仰の自由を
尊重する。だから前述の事態を、思想・信条の自由と信教の自由に対する弾圧として
見逃すことができないのである。
戦争は、ある日、突然起こされる。だが、戦争の準備は、私たちの日常に忍び込み
、私たちの人権を侵食・蚕食しつつ、着実になされていく。だから私たちは、どのよ
うな自由の侵害にも敏感でなければならず、人権の侵害を着実にはねかえさなければ
ならない。そこをあいまいにして日々を送ることは、戦争を自ら引き寄せることなの
だ。
自由は、天から与えられるものではなく、自分の手でつかみとるものである。憲法
の規定は、私たちの「自らつかみとる努力」によって、意味をもつのであって、憲法
の規定が無数の人びとによって実践されないなら、それは文字の羅列にすぎない。反
戦も、平和を「自らつかみとる努力」を基礎にしないと、コトバだけのものになる。
発言し行動することによってのみ、つまり、それぞれの場において、自ら「反戦を生
きる」ことによってしか、反戦は反戦たりえない。だから、私は、今日も、国会に向
かう。 (1999.4.24)