Mime-Version: 1.0
Date: Tue, 17 Nov 1998 10:30:35 +0900
To: aml@jca.ax.apc.org, keystone@jca.ax.apc.org
From: "M.Shimakawa" <mshmkw@tama.or.jp>
Subject: [keystone 815] 米国防総省『東アジア戦略報告(1995)』の論理構造(2)
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 815
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org
 

 ----------------(つづき)
 アジアにおける「二国間同盟のネットワーク」について、マッケ太平洋軍司令官
は1995年6月の議会証言で、今日のアジアでは「NATOのような公式な多国間機構」
は必要ではないとして、次のように述べている。

  地域の環境が許すならば、我われは関与の論理を進展させ、協力的関与の戦略
 と我が二国間安全保障関係とをうまく結びつける必要がある。次なる漸進的なス
 テップは、多国間の新しいタイプの軍事的活動に関与することである。それは、
 公式な条約協定類に定められるものではなく、透明性を増し未知という恐怖を除
 去するための軍事的諸活動によってのみ達成される。
  我われは、すでにアジアの安全保障分野で行われている、注目すべき多国間の
 軍事的活動が、漸進的に進展するという予想を持っている。例えば太平洋軍は、
 36国家が出席した18回の多国間会議をすでに主宰している。我われは、我が二国
  間関係を注意深く保つ一方で、友人たちが満足するようなペースで前進を図る。
  (中略)我が今日の二国間関係は、長期間にわたる多国間の諸活動を前進させる
 ために必要な、信頼性と安定性にとって死活的に重要である。(28)

 マッケ司令官のこの部分の表現はややわかりにくい抽象的な言い回しになってい
るが、要するに、公式=制度的な枠組みにはない、事実上の「多国間」軍事同盟=
集団安保体制が成立していることを述べているわけである。マッケは、平時の軍事
的共同行動が、地域諸国の軍に「軍事的協力、政治的進歩、経済的成長についての
合州国の見解」を理解させることになると言う。つまり、多国間の軍部同士の会合
や軍事演習などを実施することによって、戦略思想や戦術行動規範の統一がはから
れているというわけである。規範はもちろん「合州国の見解」にある。「我が二国
間関係を注意深く保つ」とか「友人たちが満足するようなペース」というような表
現は、主に日本の憲法九条と政治状況を念頭に置いているものであろう。マッケは、
『報告』が公表された直後に、統合参謀本部の機関誌で、東アジアには「NATOのよ
うな機構」がないが「多国間の安全保障対話」は必要であり、「多国間安全保障機
構の欠如は、太平洋軍司令官を多くの課題の外交的=軍事的共有領域と為さしめて
いる」と述べている。(29)
 つまり、「機構」はないが、それと同じことが実現されており、「二国間同盟の
束」を米軍司令官が束ねている、というわけである。
 

  5.「前方展開戦力」の意味  --「東アジア戦略」の論理(3)

 「前方展開戦略」は、戦後アメリカの軍事戦略のひとつの柱となっている概念で
ある。先述のように、ブッシュ政権の『合州国国家安全保障戦略』でも、前方展開
は戦略の四本柱のひとつを構成している。「前方展開」とは、言うまでもなく、本
国である合州国を基準として敵方向の前方へ軍事力を配備するという意味であるが、
その呼称自体にアメリカ中心主義が表明されている。(Forwardは「敵の前」とい
う意味も当然含意しているわけであるが、軍事的には「縦深を取る」ということ、
政治的には封じ込めの意味も込められているので、訳語としては本国起点を表す意
味で「前進」のほうが適当であると思われるが、本稿では慣用に従う。)
 「前方展開」の意味について、『報告』は、「合州国がアジアで前方でのプレゼ
ンスを維持することの合理性」という項目で、次のように述べている。

  アジア太平洋地域における合州国の軍事的前方プレゼンスは、地域の安全保障
 とアメリカの地球規模の軍事体勢において主要な要素となっている。太平洋地域
 に前方配備された軍事力は、世界大の危機に対応する迅速かつ柔軟な能力を保証
 している。また、地域覇権主義の台頭を抑制し、地域における広範囲な重要課題
 に影響を及ぼす我われの能力を高め、国家安全保障上の諸目的に適合する合州国
 軍事力の量的削減をはかることによって軍事力の顕著な節約を可能とし、広大な
 太平洋によって制約される時間と距離のハンディキャップを克服し、我が友好者、
 同盟国、そして潜在的敵対者にも同様に、合衆国が地域全体の安全保障に利益を
 有しているということの明白な指標を表明するものである。(30)

 ここでは前方展開の利点が列挙されている。『報告』では前方展開の重要性を述
べた記述が頻出するが、前章冒頭の引用文なども併せその意義を大別すると、@軍
事的には即応性と増援の橋頭堡という意味と、戦場と本国との「縦深を取る」意味
があり、A政治的には具体的意思表示という意味がある、ということになろう。軍
事的な意味としては、先のマッケ太平洋軍司令官の証言に現れているように、事実
上の集団安保同盟を作るための軍部同士の交流・共同作戦に便宜であるということ
も加えられるであろう。
 軍事的意味では、冷戦期にはまさに対ソ戦のための橋頭堡的第一線という意味が
重要であったわけであるが、ポスト冷戦の地域紛争対応型の戦略では、全体として
の量的削減という事情もあって、「世界大の危機に対応する迅速かつ柔軟な能力」
の比重が高まっている。『報告』は、アジアでの前方展開の成功例として、アジア
の戦いではない湾岸戦争の場合を持ち出している。そして、「アジアにおける我が
プレゼンス」がアジア地域だけのものではなく、「中東その他、地球規模での安全
保障上の偶発事件」にも対応するものであると明言している。(31)
 この部分だけでも、日本政府の言う「極東の範囲」とか「周辺事態の周辺の定義」
の空疎さは明らかになるが、それはさておき、『報告』はこれに続けて、湾岸戦争
の場合にアジアの「我が軍事機構」が地域内の脅威をよく抑止していたために、ハ
ワイやカリフォルニアの駐留部隊を中東に派遣することができたと記述しているが、
これはマッケ司令官流の注意深い言及ということであろうか。この書き方では、在
日米軍は地域内に留まったかのような印象が生まれる。事実は、当時の空母ミッド
ウエー機動部隊が横須賀から出撃したのを始めとして、海兵隊、揚陸戦部隊など、
在日米軍も域外の湾岸戦争に大挙して「投入」されていたのである。『報告』は「
我が軍事機構」と書いていて、「部隊」が留まったとは確かに書いてはいないわけ
であるが、これは言葉の詐術というものである。

 太平洋方面の前方展開戦略については、マッケ司令官の前任者であるラーソン提
督が、1993年の4月に、同じく議会証言で詳細な説明を行っている。95年6月のマッ
ケ証言は軍事報告の内容としては『ボトム・アップ・レビュー』と『報告』を要約
している程度であり優れた作文であるとは言えないが、このふたつがあえて触れて
いない部分の「注意深く」記述などに報告者の愚直とも言える性格が現れていて、
かえってその真意を明るみに出したものになっていた。これに対して、ラーソン証
言は『ボトム・アップ・レビュー』が公表される半年前のものであるが、内容的に
は『ボトム・アップ・レビュー』と『報告』の骨子を先取りしていると言ってもよ
い体系的なものであり、ラーソン太平洋軍司令官がパウエル統合参謀本部議長など
と共に「ボトム・アップ」戦略の作成に参画していたことを伺わせる。太平洋方面
の主役は海軍であり、太平洋軍司令官は海軍将官のポストである。ナイも軍部と意
見をすりあわせたということを述べているが、太平洋戦略には現場担当者としての
海軍の意向が相当に反映していると思われる。ナイは退官後に太平洋軍の機関誌に
寄稿しておりその関係は良好なものと思われる。
 ラーソンは太平洋の広さについて、海軍の機動部隊や海兵隊の両用戦部隊が渡る
のに三週間を要し、戦闘機なら12回の給油が必要であると述べている。北朝鮮が南
朝鮮を侵すのは数時間の問題であるが、本土の米軍が重装備を持って太平洋を越す
のに21日かかる、日本・アラスカ・ハワイの前方展開部隊ならより早く到着する、
という彼の説明の仕方は議員にもわかりやすいであろう。ラーソンは太平洋軍が採っ
ている戦略として「協同的関与」という方針を打ち出していて、事実上94年のクリ
ントン大統領の「関与と拡大」政策へつながる路線を引いているが、その「協同的
関与」の中でも「鍵」をにぎるのは前方展開戦力であった。ラーソンは平時におけ
る「同盟国との日々の営為」が、戦時の「集団的行動」での国際的共同作戦に直結
するとして最も重視している。海外からの撤収は「国益」に合致するものではない
がしかし軍縮はやむをえないので、重要地点を選んでの「選択的な前方展開」路線
を取るべきだと言う。ラーソンは、アジアとの貿易・経済関係という『第二次報告』
で確定する東アジア戦略論の定型を挙げて国益論を述べた後に、「より小規模だが
しかし適切な軍事力」を太平洋地域に前方展開することは「将来への賢明な投資」
であると述べている。マッケは、これを、コミットのコストは経済的なリターンで
正当化される、と直截な表現で繰り返している。(32)
 ラーソンはまた、93年12月に「長く待ち望まれていたボトム・アップ・レビュー」
が発表されたことについて語っているが、そこで前方展開兵力量がヨーロッパ方面
もアジア方面も同数の約10万人とされたことは、クリントン政権のアジア重視の現
れであると説明している。冷戦期には、在欧米軍はアジア方面の四倍であったから
である。これは地域の状況や、ヨーロッパは陸軍が主体、太平洋は海軍が主体とい
う戦略的相違を無視した単純な比較であるが、アジア地域の戦略的価値という点は
さておき、中東やインド洋などをにらみながらの、前方展開部隊駐留基地としての
東アジアの重要性(半ばは日本である)が増しているという評価は可能であろう。
                                   (33)

 (表1:「アメリカ軍兵員数--国内基地・海外・欧州・東アジア別折れ線グラフ
    [略]    1953-94」   出典・David S. Yost, "The Future of U.S.Overseas
             Presence", Joint Force Quarterly, Summer 1995, p.73.
             <http://www.dtic.mil/doctrine/jel/jfq_pubs/1508.pdf>)

 政治的な意思表示という意味については、『報告』は「我が友好者、同盟国、そ
して潜在的敵対者」をその対象として挙げていた。パウエル、ジェレマイア、マッ
ケ、ラーソンなど軍人がこれに言及する場合には、必ずと言っていいほど「目に見
える形での」という形容句が付けられている。「敵対者」に対しては威嚇あるいは
「砲艦外交」の意味でわかりやすいが、「我が友好者、同盟国」の場合も、防衛誓
約実行の証という意味であるというほど単純なものではないことは、「関与」政策
の意味が示す通りである。簡明直截な表現をするマッケ太平洋軍司令官は、先に引
用した統合参謀本部の機関誌で前方プレゼンスの意味について、次のように解説し
ている。

  もし我われが太平洋で前進していなければ、我われは関与することも関係を持
 つこともできない。もし我われが関係を持つことができなければ、我われは影響
 力を持てない。前方プレゼンスは、太平洋戦略の基軸である。アメリカ人男女を
 この地域に駐留・展開させること以上に、合衆国のコミットをよく実証する手段
 はない。(34)

 つまり、同盟国に対しても、内政に「関与」するための「影響力」を担保する上
で軍事力が価値があるというわけである。統合参謀本部機関誌『Joint Force
Quarterly』の1995年夏号は前方展開関係論文を二本掲載しているが、編集長は巻
頭で前方展開の意味について、さらに簡明に「我われは、第一に合衆国の国益を、
そして第二に同盟諸国の国益を進展させるために、海外に展開させられている」と、
述べている。この第一と第二が並列の条件でないことは明らかである。(35)
 政治的な意思表示という点については次章でさらに扱いたい。
 

  6.ポスト冷戦軍事戦略と日本の役割

 冷戦期に、日本は太平洋正面の焦点であった。ブッシュ政権の『第二次東アジア
戦略報告』は、その位置づけを明快に総括している。

  合州国=日本間の関係は、アジア安全保障戦略の鍵であり続けている。過去に
 おいては、日本の戦略的位置はソヴィエトの侵略に対するバリアーとして役立っ
 た。今日においても、合州国の軍隊と日本の自衛隊は、ロシアと北東アジアにお
 ける政治改革がどのような経過をたどるかという点についての警戒を持続してい
 る。(36)

 世界規模でのソ連封じ込め戦略の中で、太平洋正面では日本列島は対ソ戦争の出
撃基地として第一線の役割を担っていた。またウラジオストックなどを根拠地とす
るソ連軍の太平洋進出を抑える阻止線でもあり、この「バリアー」という意味は、
極東ソ連軍の主力である原潜艦隊の通航を阻止するという中曽根政権の「三海峡封
鎖」宣言に集約されている。この対米公約は、日本軍の最大の任務であった。日本
の軍事編成は、アメリカの「関与」によって第一にソ連海空軍を仮想敵とするもの
となり、例えば海上自衛隊などは対潜水艦作戦一本槍という海軍としては跛行的な
編成・装備内容となっていた。冷戦期には、敵地攻撃は米軍、対潜戦・機雷封鎖戦・
防空戦は日本軍、という役割分担が明確であり、海上自衛隊は日米合同軍の一部を
なす対潜作戦部隊、という位置づけにあったわけである。(37)
 ポスト冷戦の時期に、軍事戦略を最も根本的に考え直さなければならなかったの
はむしろ日本のはずである。編成・装備の面だけをとっても、東西全面戦争を想定
しなくてよいということになれば、例えば高価なP3C対潜哨戒機を100機も保有し
て航空対潜哨戒では世界一の密度を誇る海上自衛隊航空集団などは、過大・無用の
長物化するわけである。
 ここにおいても、日本の軍事戦略を決定づけたのはアメリカの「関与」であった。
ナイは、「一年半の長期にわたる合衆国ー日本の安全保障対話」を経て「日米安保
再定義」が達成されたと述べている。アメリカの東アジア戦略の見直しとその結果
としての「日米安保再定義」・「新ガイドライン安保」に到達する一連の動きは、
ナイ次官補の主導下に行なわれたということから、「ナイ・イニシアティブ」とも
呼ばれている。ナイは1994年の11月から日本政府との「緊密な協議」が開始され
たと述べている。それ以降、ナイをはじめとしてアメリカ政府の政策担当者が頻繁
に訪日して意見調整をしているが、この呼称に見られる通り、内容的にはアメリカ
の関与政策の実演そのものであった。日本はナイ・イニシアティブに歩調を合わせ
て「防衛計画の大綱」を改定し、安保再定義を行い、新ガイドラインに準拠した周
辺事態法案を準備している。議会証言において、ナイは「防衛計画の大綱」を、そ
の一年前に発表された『報告』の路線と一致していると述べ、さらに、「国家安全
保障の目的」を「日米安全保障関係の持続する重要性」に基礎を置きつつ「国際的
安全保障における変化」に照応させようとするものである、と高く評価しているが、
要するに新大綱自体が「ナイ・イニシアティブ」の具体化であるのに他ならなかっ
た。(38)

   『報告』は、日本の重要性についてはくり返し力説して飽むところがない。後の
『日米安保共同宣言』でも踏襲される、「日本と有している関係ほど重要な二国間
関係はない」という規定は、アメリカとしても相当に思い切ったものであろう。(39)
   軍事的な意味としては、まず第一に挙げられるのが、北東アジアという戦略的要
点に位置する在日米軍基地の存在である。在日基地について、『報告』は次のよう
に述べている。

  アジアと太平洋における合州国の安全保障政策は、日本の基地にアクセスする
 ことと、合州国の作戦に対する日本の支援とに依存している。日本の合州国軍は、
   日本を守りまたその近隣の合衆国の利益を守るというだけではなく、極東地域全
   体の平和と安全を維持するという責務を有し、そのために準備をしている。日本
   にある合州国の基地は、地域内のほぼすべての紛争地点に迅速に展開できる好位
   置を占めている。太平洋方面ではその遠隔性に条件づけられるので、日本の基地
   へ確実にアクセスできるということは、侵略を阻止し打ち破る我われの能力にとっ
   て非常に重要である。(40)

 ここで『報告』は「極東地域全体」という言葉を使っているが、これも日米安保
条約の極東条項を念頭においた詐術的な表現である。実際には、湾岸戦争に見られ
る通り在日米軍の戦闘行動地域は世界中に限定はない。「極東」は、冷戦の時代に、
特にこの条項ができた1960年の段階ではアメリカの軍事的関心が集中する地域で
あったが、ポスト冷戦の現在では「アジア太平洋地域」概念でさえも既成事実に追
いついていないわけである。
 それはともあれ、在日基地の重要度は今日においても高いというのは事実である。
財政難によって世界各地の駐留部隊を撤収し本国の基地でさえ多くを閉鎖している
状況で、在日米軍基地のみはほとんど変化がなく、岩国基地などは滑走路の沖合展
開でむしろ拡大強化されてさえいる。フィリピンからも撤退した現在、太平洋方面
の米軍の前方展開は日本と韓国にほぼ集約されつつある。在韓の陸軍部隊は守備範
囲のはっきりしているいわば在地の軍事力であり、アメリカが戦略の柱とする遊撃・
「投入」的前方展開戦力は空母部隊や海兵遠征軍など主に在日の部隊である。日本
が太平洋方面で最も重要な戦略的拠点となっているのは配備の事実から明らかであ
る。まさに、アメリカの太平洋安保戦略は日本列島に「依存」してはじめて成立し
うるものである。
 『報告』は、日本は同盟諸国の中で「最も気前の良い受け入れ国支援」を与えて
きたと絶賛している。ラーソン司令官も、議会報告で日本が空母部隊の母港を提供
していることを特筆して、部隊を本国に維持するより「ずっと安い」と述べている。
稼働率や運用面での都合から空母15隻体制を維持したい米海軍が12隻という限定
に甘んじなければならなくなっている時に、冷戦時にも他に例がなかった大型攻撃
空母の母港を引き受け、巨額の「思いやり予算」を提供してくれる日本は「安保た
だのり」どころではないわけで、議会に対してその蒙をひらき日本の貢献を讃え前
方展開の財政的有利を説得に努めるのも当然であろう。パウエル議長をはじめ、軍
人たちも太平洋戦略に言及する場合口を揃えて日本の「受け入れ国支援」を讃えて
いる。ナイは、「受け入れ国支援」は米軍の前方展開を共通の利益とする、日米関
係の「象徴」であると述べている。再三例示される湾岸戦争の場合も、日本は米国
や世界の世論の中では「金で済ませた」と不評であったということになっているが、
ナイも日本の資金提供が「大助かり」であったと述べているように、政府や軍部は
まさにその「資金提供」をこそ高く評価している。(41)

 (表2・「在日米軍駐留経費負担 1994〜1996年度の内訳」 
  [略] 出典・「在日米軍駐留経費『思いやり予算』返還訴訟訴状 別表1:在日
     米軍駐留経費負担 1994〜1996年度の内訳」[異議アリ!「思いやり予算」
          違憲訴訟(関西)] <http://www3.justnet.ne.jp/~hal9000/no-omoi.htm>)

 つまり、アメリカのアジア=世界戦略の中で、日本は先ず基地と資金の提供者と
して重要であるということである。次に、量的規模を減じる米軍の補完戦力として
の期待は、「防衛大綱」の改定や「ガイドライン安保」によって現れるということ
になる。そのどちらも冷戦期と本質的に異なるものではないが、アメリカと日本の
相対的な経済的能力が接近しつつあるため、特にアメリカが軍事超大国の座を維持
するのに困難を生じている状態で、アメリカの戦略の中で日本の持つ意味が増大し
ているわけである。マッケ司令官も、日本は「冷戦期よりも、戦略的により重要で
ある」と言う。日本の行為は、アメリカの戦略=アメリカの「国益」に合致するも
のであるから、政府も軍部も日本が「軍事同盟構成国の特徴を生かした分担」の責
を果たしている限りにおいて評価の言葉を惜しまない。しかし、その賞賛の外交辞
令の背後には、『報告』を始め各種文書や発言で最優先の価値とされている、アメ
リカの「国益」の冷徹な追及が含まれている。(42)
 1995年6月のナイの「アジアにおける合州国の安全保障利益」という議会報告に
は、『報告』ではあまり表面化していない、アメリカの「国益」の論理がはっきり
と述べられている。ここでナイは、日米関係が最も重要な二国間関係であると確認
し、日本との同盟はアジア戦略のコーナーストーンであるとした上で、次のように
述べている。

  それは先ず第一に合州国の国益に基づき、戦略の中での同盟の重要性は合州国
 のリーダーシップに基礎を置いている。
  我が北東アジアにおける前方プレゼンスは日本に錨をおろし、我われが地域の
 偶発事件に応答するのを可能とし、交通の海上路を防護し、影響力を維持し、ペ
 ルシャ湾にまで達する作戦を支えている。日本の基地へのアクセスはこの前方態
 勢にとって極めて重要である。(43)
  合州国はアジア太平洋地域においてリーダーシップに関わり続ける。我が国益
 は地域の全体を通しての全面的関与を要求している。我われは、予見しうる限り
 の未来にわたってこの地域に我が前方展開軍事プレゼンスを維持するという、公
 約への関与を助ける。地域のほとんどの国にとって、合州国は東アジアの安全保
 障問題において重要な変数である。合州国のプレゼンスは、軍備を構築する必要
 を減らし、覇権的勢力の勃興を抑止する、安定のための勢力である。(44)

 つまり、アメリカの「国益」を貫徹・実現するために、前方プレゼンスを維持し
てリーダーシップを担保し、域内全国家に「全面的関与」をすると宣言しているわ
けである。ナイの微笑の背後には、経済を国益とする武装警官がいる。後段の「軍
備を構築する必要を減らし」は、日本の戦後史を寸言していると言える。また、軽
武装でしかも米軍補完的な兵備構成であれば、直後の「覇権的勢力の勃興を抑止す
る」ことにもつながる。
 ナイは政権入りをする一年前のハーバード大教授時代に、外交雑誌に「日本への
対処」という論文を書いている。ナイはそこで、経済的・政治的・軍事的な日本脅
威論に反駁して、日本を拒絶して軍拡など「ハード・パワー」の側に追いやるので
はなく、国際政治的にも民政分野で責任を与え、「ソフト・パワー」で取り込むべ
きであると主張している。ナイの結論は、「合州国はいま唯一の超大国であり、依
存的な日本は合州国の利益に挑戦しようとはしない」というものである。ナイは石
原慎太郎の著作も例示して、日本が成長するに従って日本は「依存的関係」に満足
しなくなるだろうが、文民分野で国際構造に組み込んで日本のナショナリズムを相
互依存の方向へ取り込むほうが得策だと主張している。このナイの論文は、「アメ
リカの軍事的役割」は中国・ロシア・北朝鮮の核脅威を抑止することだけではなく、
「東京の隣人」に「穏和なパワー」に留まり、地域の軍拡競争に参加する必要がな
いことを保証することにある、とも述べている。(45)

 「ナイ・イニシアティブ」を動機づけたのは、細川内閣が設置した「防衛問題懇
談会」の報告書が多角的安全保障という概念を打ち出し、アメリカ政府がそこに日
米安保の軽視・自主防衛論への傾斜を読みとって反発したからである、という解説
がある。この「懇談会」は、細川首相の私的諮問機関として設置されたものである
にも関わらず、最終報告書は次期の村山首相に提出されたという奇妙な経過をたど
るものであるが、またそれゆえに連立政権時代の日本の新動向としてアメリカ政府
が注目したものであろう。この懇談会のメンバーであった渡邊昭夫青山学院大教授
も、自身が国防総省高官から報告書の趣旨を「Systematic of Disengagement from
the U.S.と読んだ」と聞いている。事実、懇談会の設置者であった細川元首相は、
1998年に外交雑誌『フォーリン・アフェイアーズ』に寄稿した「日本の合州国軍隊
は必要とされるか?--同盟の改革」という一文で、いわゆる「駐留なき安保論」を
述べている。細川元首相は、日本国民は在日米軍の存在に疑問を持っていると言い、
「受け入れ国支援」はドイツが6,000万ドル、韓国が2億9,000万ドルの負担であるの
に比べ日本は各種合計実質50億ドルも負担しており危機にある財政が耐えられない、
と述べて「今世紀末」には米軍駐留は「溶暗」すべきだと主張している。(46)
 アメリカ政府は、細川首相がこの懇談会を設置した意味を正確に理解したと言え
よう。各種戦略報告が口を揃えている、アメリカ軍事戦略の根幹としての前方展開
を否定する議論が太平洋方面の最大根拠地である日本政府の内部から出てくること
に対しては、断固とした「関与」で臨み自立への傾向を若芽のうちに潰した、とい
うことであろう。

 ハードな議論には「日米安保瓶の蓋論」、つまり在日米軍は日本の軍国化を監視
するものである、というものもある。この意味では、対日軍事占領が続いていると
いうことになろう。ジョゼフ・ナイは外務省や防衛庁の広報誌の寵児となった観が
あるが、誌面の写真ではいつも微笑をたたえている。ポスト冷戦の時代に、ブッシュ
政権や「ジャパン・バッシャー」のハードな色彩と、ナイ流のソフトなタッチとで
はその印象は異なるが、通貫する原理は、日本はアメリカという家父長に軍事的・
政治的に依存する限りにおいて「最も重要な同盟国」たりえる存在であり、またそ
の限りにおいてアメリカの国益にかなう、ということである。すべての原理は「ア
メリカの国益」に帰着するわけであった。
 

 [付記]
    本稿の作成後に、アメリカ政府が1998年11月後半に新しい第四次の東アジア戦
 略報告を発表するという報道がなされている。本稿では触れなかった点を含め、
 第三次報告までの時期にひき続きこの新しい報告へ至るまでの検討を筆者の次の
 課題としたい。
 

注記

 (1) 拙稿「21世紀の日米『ガイドライン』安保--外務省の『安保再定義・新ガイ
  ドライン』インターネット広報をめぐって」『立教女学院短期大学紀要』29号
   (1998)参照。叙述の必要から、本稿では内容が一部重複する部分がある。
 (2)「ポスト冷戦」をめぐるアメリカの軍事戦略については、浅井基文・藤井治夫
  編『最新安保情報--日米安保再定義と沖縄』社会批評社(1996)、財団法人日本学
  術協力財団編『冷戦後のアジアの安全保障』大蔵省印刷局(1997)、上田耕一郎『
  新ガイドラインと米世界戦略』新日本出版社(1998)、マイケル・クレア著 南雲・
  中村訳『冷戦後の米軍事戦略--新たな敵を求めて』[原題・Rogue States and
  Nuclear Outlaws, 1995] かや書房(1998)などで述べられている。簡便なものとし
   ては、江畑謙介『アメリカの軍事戦略』講談社新書(1996)がある。
 (3) National Security Strategy of the United States (1990), p.9. [PDQ:132
   707]アメリカ政府文書の多くはインターネット上に公開されている。各種報告書
   から各行政組織でのブリーフィングなどを含めその量には膨大なものがある。本
   稿ではインターネット上の資料を多用するが、Public Diplomacy Query (PDQ)
   <http://www.usia.gov/products/pdq/pdq.htm>所在の文書については注記の末尾
   にPDQの文書番号[Tracking Number]を付す。PDQ文書には内容を示す独自のタイト
   ルが付されている場合が多い。多くの場合はPDQタイトルを使用しているが、資料
   の原題を記した場合もある。また、PDF形式で収録された刊行物以外は、ページの
   付されていないものが多い。
 (4) Ibid, p.12, 14.
 (5) National Security Strategy of the United States, August 1991 (1991)
   [PDQ:193808]
 (6) Report on the BOTTOM-UP REVIEW, Les Aspin, Secretary of Defense
   (1993). <http://www.usmma.edu/DMT/bur.htm>
 (7) Ibid., Section .
 (8) Ibid.
 (9) Ibid., Section 。.
(10) "World Peace, Myth or Reality?" Remarks of Joint Chiefs of Staff
  Chairman General Colin Powell before the Grandes Conferences
   Catholiquesat the Palais du Congres in Brussels, Belgium.(1992).
   [PDQ:223229]
(11)  "US Global Strategy Now Focused on Regional Crisis." Address by
   Admiral David Jeremiah at the Australian National Maritime Museum.
   (1993). [PDQ:282880]
(12) A National Security Strategy of Engagement and Enlargement. <http:
   // www.whitehouse.gov/WH/EOP/NSC/html/1996strategy.html> ここに
   収録されているのは96年の改訂版である。
(13) 「第一次東アジア戦略報告」は、"DoD Report Outlines Future of US Forces
  in Asia." DoD report entitled 'A Strategic Framework for the Asian
   Pacific Rim: Looking Forward to the 21st Century'.(1990) [PDQ:136478]、
   「第二次東アジア戦略報告」は、A Strategic Framework for the Asian
   Pacific Rim: Report to the Congress 1992. <http://russia.shaps.hawaii.
   edu/security/report-92.html> 。三次にわたる東アジア戦略報告について概観
   しているものとして、海上自衛隊二等海佐による論文がある。加古龍三「米国の
   東アジア戦略の変遷 --第1次から3次にわたる東アジア戦略構想の比較検討」
   『防衛学研究』14号 防衛大学校(1995)。
(14) DoD News Briefing: Dr Joseph Nye, Jr., ASD for International Security  
  Affairs. Monday, February 27, 1995 - 1:00 p.m.(1995) <http://www.dtic.
   dla.mil/defenselink/>
(15) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region,
  February 1995, Department of Defense, Office of International Security
  Affairs.(1995) <http://www.gwjapan.org/ftp/pub/policy/miscpol/dod-
   ap95.txt>。邦訳は『世界週報』1995年3月21日号、28日号、4月4日号、11日号
   の連載、ならびに前掲『最新安保情報--日米安保再定義と沖縄』に収録されてい
   る。
(16) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. p.3.
(17) Ibid., p.11; DoD News Briefing: Dr Joseph Nye, Jr.; Statement of Dr.
  Joseph S. Nye, Jr.: "U.S. Security Interests in Asia" June 27, 1995.
  International Relations Committee, Subcommittee on Asian and Pacific
  Affairs U.S. House of Representatives, p.8. <http://www.gwjapan.com/>
(18) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. pp.
  8-9.
(19) Ibid., pp.9-10; "Nye: US Military Forces in Japan: an 'Investment for
  the Future'." In testimony to the House International Relations
   Committee's Asia and Pacific subcommittee, Assistant Secretary of
   Defense Joseph Nye said that the US security commitment to Japan
   today provides the foundation for US military presence in Asia for
   continued security and stability in the region. (1995) [PDQ:412224]
(20) Statement of Dr. Joseph S. Nye, Jr.: "U.S. Security Interests in Asia".
   p.16.
(21) A Strategic Framework for the Asian Pacific Rim: Looking Forward to
   the 21st Century(1990); A Strategic Framework for the Asian Pacific
   Rim. (1992)
(22) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. p.7.
(23) Ibid., p.11.
(24) Ibid., p.25.
(25) Ibid., p.7.
(26) Ibid., p.13; DoD News Briefing: Dr Joseph Nye, Jr., ASD for International
   Security Affairs. Monday, February 27, 1995.
(27) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. p.31.
(28) Statement of Admiral Richard C. Macke: "U.S. Security Interests in
   Asia" June 27, 1995. Committee on International Relations, Asia and the
   Pacific Subcommittee U.S. House of Representatives. p.15. <http://www.
   gwjapan.com/>
(29) Ibid., p.3; Richard C. Macke, "A Commander in Chief Looks at East
   Asia", Joint Force Quarterly, Spring 1995. p.9. <http://www.dtic.mil/
   doctrine/jel/jfq_pubs/jfq0507.pdf>
(30) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. p.23.
(31) Ibid.
(32) "US Forces Protect Economic Interests in the Pacific." Statement by
   Admiral Charles Larson in testimony before the Senate Armed Services
   Committee.(1993). [PDQ:279250]; Statement of Admiral Richard C. Macke:
   "U.S. Security Interests in Asia". p.17.
(33)  "CINCPAC: 'Cooperative Engagement' Is US Strategy in Pacific." US
   Pacific Commander Admiral Charles Larson's press conference at the US
   Embassy in Tokyo. (1993). [PDQ:315080]
(34) Richard C. Macke, op. cit., p.10.
(35) Hans Binnendijk, "The Case for Forward Deployment", Joint Force
   Quarterly, Summer 1995, p.7. <http://www.dtic.mil/doctrine/jel/jfq_pubs/
   case8.pdf>
(36) A Strategic Framework for the Asian Pacific Rim: Report to the
   Congress 1992.
(37) 前掲拙稿参照。
(38) Joseph S. Nye, Jr., "Steady as They Go: The U.S.-Japan Security
   Relationship". Asia-Pacific Defense Forum, Fall 97. U.S. Pacific Command
   (1997) <http://www.pacom.mil/forum/us_japan.htm>; "Nye: Today's US-
   Japan Alliance Based on More than Stability." Remarks by Assistant
   Secretary of Defense Joseph Nye on how the US-Japan alliance is based
   on a common respect for human rights and democracy as well as mutual
   security. (1995) [PDQ:395717]; "Nye: US Military Forces in Japan an
   'Investment for the Future'.".
(39) United States Security Strategy for the East Asia-Pacific Region. p.10.
(40) Ibid., p.25.
(41) Ibid; "US Forces Protect Economic Interests in the Pacific."; "Nye:
   Today's US-Japan Alliance Based on More than Stability." ;「思いやり予算」
  については、派兵チェック編集委員会編『「日米安保」読本--これが米軍への「思
  いやり予算だ!』 社会評論社(1997)参照。
(42) Richard C. Macke, op. cit., p.9.
(43) Statement of Dr. Joseph S. Nye, Jr.: "U.S. Security Interests in Asia",
   p.4.
(44) Ibid., p.16.
(45) Joseph S. Nye, Jr., "Coping with Japan." Foreign Policy, Winter 1992/
   1993.(1993) [PDQ:305558]
(46) 小西誠「日米安保再定義と新防衛計画の大綱」浅井基文・藤井治夫編『前掲書』
   pp.158-159; 渡邊昭夫「今後の日本の安全保障政策と防衛力--防衛懇談会の報告を
   めぐって」『防衛学研究』13号(1995) p.15; Morihiro Hosokawa ,"Are U.S.
   Troops in Japan Needed?; Reforming the Alliance" Foreign Affairs, Vol.77,
   No.4.(1998) p.5. [邦訳は『論座』1998年8月号]

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                                    島川雅史  mshmkw@tama.or.jp
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