島川さん・桜井さん
ありがとうございます。
とりあえず、手元の資料で「銃剣道」について分かっていること。
資料は「第53回国民体育大会秋季大会 銃剣道競技」パンフレット
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「誕生」
銃剣道は、わが国の伝統的古武道の一つであり、槍術を源流とした武道です。明
治初年(今から120年前)わが国の剣術・槍術が集大成されるにおよんで、槍
と銃を組み合わせた銃剣術が研究され、明治20年の頃からわが国に普及されま
した。その後、大正時代には日本武徳会の一種目に加えられ、明治神宮体育大会
(今の国体の前進)・昭和時代の天覧試合や、その他全国大会等の武道種目に加
えられ、広く国民に普及されました。
監督・選手構成(成人の部)
全 体 188
自衛隊員 133 70.7%
その他 49
空 白 6
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百分率は仲田
その他は会社員・公務員等
その他と空白中に元自衛隊員や現職自衛隊員が含まれるかどうかは不明
平凡社大百科事典(85年版)によると
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銃の先に小さい剣を装着して闘う戦闘技法の訓練から発達した武道の一種。西洋の
戦場において銃砲が歩兵の使用武器となってから、接近戦のために鉄砲の先に小さ
な剣を着けるようになった。それによる刺突の闘技が発達して、訓練が盛んに行わ
れた。日本でも幕末洋式訓練が行われるようになり、銃の扱いとともに銃剣術も西
欧の指導者から学んだ。日本独自の銃剣の術が考案されるのは、1873年、陸軍
戸山学校が創設され、その翌年フランス式銃剣術が採用されてからである。日本伝
来の槍術の技法も加えて研究され、陸軍の戦技として発展していった。1937年、
大日本武徳会は武道の一つとして範士・教士の制度を整え、以後は陸軍のみならず
学校や在郷軍人の間でも広く行われ隆盛したが、第2次大戦後軍隊がなくなるとと
もにすたれた。しかし、その後他武道同様再び行われるようになり、56年には全
日本銃剣道連名が結成され、武道の一つとして行われている。
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文献によって随分違うものですね。
毎日新聞の昭和初期とあるのは明治初期でしょうね。毎日の誤植か、引用するとき
のミスか。
監督・選手の70%が現職自衛官で占められている状況。しかも、北海道・東北の
代表は監督も含め24人いますが、21人は自衛隊員です。これをどう判断するか。
仲田博康
nakada_h@jca.ax.apc.org
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