北海道の矢臼別演習場で実弾砲撃演習を終えた米海兵隊は、10月3日釧路空港から
先発隊約320人が沖縄へ帰りましたが、「天候がいいうちに到着しておきたいという
米軍の意向」(札幌防衛施設局現地対策本部の説明)で、チャ−タ−機の到着時刻が、
第一便は当初の午後零時半が、11時に、二便めは1時半から零時半にそれぞれ変更さ
れました。警備も厳重な中、空港関係者はいろいろ振り回されたようです。運輸省東京
航空局釧路港湾事務所に変更が知らされたのは当日の朝8時半。後発隊約70人は8日
に同空港から帰沖の予定。
演習を終えた海兵隊が大挙してバスで釧路市へ出掛けましたが、ホテル泊りの幹部ら
を除く隊員は、夜8時半ころにはバスに戻り10時には宿舎に帰る予定だったのが、4
台のバスの内、1台目は10時頃出立し、最後のバスが現地を離れたのは12時15分
。宿舎についたのは夜中の2時頃ということになります。
この間、確認されただけで2件のトラブルが発生しました。30日午後10時頃、海
兵隊2人が飲食店街の路地に若い女性を連込み、一人が見張りに立ち、抱きつき、胸を
触るなどの破廉恥行為を執拗に繰り返し、パトロ−ル中の警官が駆け付けると逃げ出し
ました。目撃者の話によると、現場近くを巡回していた札幌防衛施設局員はただみてい
るだけで、やめさせようともしなかったとのことです。これに対して防衛施設局では「
隊員と女性が路地に入ったので、パトロ−ル中の警官とともに様子を見にいったが、わ
いせつ行為は確認していない」と話しています。
また、同日午後10時半ころには、栄町のパブ店マネ−ジャ−が「3日前にうちの店
員を殴ったアメリカ人たちがきている」と通報し、店内に警察官5人がかけつける事態
もおきています。
報告を受けた「米海兵隊移転反対別海町連絡会」では、2日午前、米兵の外出禁止を
求めて町長に抗議をしました。町長は「釧路市でおこった事態は聞いていない。『全く
トラブルがなかった』との報告を受けているが、事実とすればきわめて遺憾、確かめて
報告する」と述べましたが、外出禁止については「『地位協定』上、米軍に対して『外
出禁止』を求めることはできない」と答えました。なお、防衛施設局、釧路署では「事
実誤認で指摘のようなトラブルはなかった」としています。
「米海兵隊移転反対別海町連絡会」では、別海町長に対して質問書を提出し、15人
が町長と1時間余話し合いましたが、「地位協定の存在は1昨年の10〜12月頃から
承知していた。特別委員会でさんざん議論した。地位協定は外国との約束で守るべき義
務がある。」と話しました。連絡会では「地位協定を知り、特別委員会でも議論したに
もかかわらず、外出禁止のポ−ズをとって海兵隊受け入れを決めたのは、町民をだまし
たことになる」として、今後も抗議・要請を続けるとしています。
1996年夏頃は、「次は防衛庁長官だ」と名乗りをあげていたというさる首長が、
後援会員に「米軍の外出はない」「おれがからだを張って守ってやる」とおっしゃり、
佐野別海町長も、交渉団の前で「外出はない。口約束ではない。担保をとる」と明言し
ていたとのことです。ところが、町長「その頃は、『外出禁止は地位協定上できない』
ことを知らなかった。1昨年9〜11月、特別委員会でさんざん議論する中でわかって
きた。だから、『防衛施設局の同行』を引き出したんだ」そうです。それで「地位協定
は外国との約束で守るべき義務がある。」「米兵も軍服を脱げば普通の市民だ」と。
沖縄県知事は、1995年11月に「現行の日米地位協定について、日米両国政府間
で協議を行い、早急にその見直しを図っていただき」たいとして「日米地位協定の見直
しに関する要請」をしています。(「いのくら」基地部会編「基地の読み方・歩き方」
参照。)
町長の頭のなかの「地位協定」の位置付けはいまいち不可解ですが、正しく認識いた
だくためにも、これから町民の町長ならびに町政への粘り強い説得が続きます。
以下、別海町連絡会の「質問書」
別海町長
佐野力三 様
1998年10月2日
米海兵隊移転反対別海町連絡会
代表 中村 忠士
質問書
9月30日夜10時すぎ、釧路市栄町で、巡視中の米海兵隊移矢臼別転反対釧根連絡
会のメンバ−が、2人の米兵が若い日本女性にいかがわしい行為に及ぼうとしている現
場を目撃しました。
その場には、防衛施設局の職員もいたのですが、なんの行動も起こさなかったと報告
をうけています。居合わせた市民が怒りの声をあげても、言葉は通ぜず、酔っているら
しい米兵にどう対処してよいのか、とまどうばかりであったようです。
前後の様子から、米兵による一方的な暴行という事例ではないかと思われますが、沖
縄での婦女暴行の多発、海兵隊の実体などから、不安を増大させる住民が多いことは確
かです。そのほか、合わせて280人の2日にわたる「釧路見学」では、昼間から街角
で酒をあおり、いくつかの店でトラブルが発生、この事例の生じたすぐ近くでは警官が
介入するトラブルがあったといわれます。
また、29日午前、釧路市へ向かう米軍の隊列から抜けた米兵の乗用車が民家の玄関
先に乗りつけるという事態も発生(釧路町別保地区)しましたが、防衛施設局側は、そ
の事実を認めながらも、「道をまちがえただけ」と理由にならない弁解をするばかりで
す。私たちは、町が町民に示した「受け入れ条件及び回答」のなかの「1、規律維持等
」の各項に大きな疑問を抱かざるをえません。
佐野町長は、「「外出は日米地位協定で定められてあり、米軍側のル−ルは守られて
いる」として、米兵の外出の自由を容認し「ボランテアィア」をうけいれるなど、当初
に比べその姿勢を大きく変えていますが、述べてきたような事実が起こるなかで、次の
各事項についてどのような見解をもっておられるか、お示しください。別海町民の安全
を守るべき首長として誠実にお答えくださるよう要請します。
1、釧路市で起こった事態を、どのように見ていますか。
2、これらの事実は、米軍の「最高の規律の維持」を疑わせるものですが、どのように
お考えですか。
3、米軍に対して「外出禁止」を求める考えはありませんか。もしくは、米軍や防衛施
設庁(局)にたいし、どのように対処されますか。
4、米軍側は、こうした「外出」でも、これを「訓練」としています。そのことにたい
しての見解をお示しください。
5、佐野町長は、最近になって「日米地位協定」に言及するようになりました。大きな
変化ですが、どのような事情によるものですか。
◆ 9月17日から26日まで矢臼別演習場で実施された米海兵隊による実弾演習の砲
撃数については米海兵隊と札幌防衛施設局はまだ公表していませんが、米海兵隊矢臼別
移転反対釧根連絡会での独自の調査によるとして、2、327発(内夜間の弾丸数32
6発)と発表しました。風雨の強い時の聞き落としや、同時に何発も射つときはカウン
トできないなどのため、実際よりは少ない数字になっているとのことですが、全体の弾
丸数は、現地本部の数字では昨年の約3100発より少なかったが(今年6月頃ようや
く出されたされた公式発表数。照明弾も含まれていると思われます。現地でのカウント
数は2801発)、夜間砲撃数は昨年の242発を上回っているとしています。27日
は23発の不発弾処理が2回に分けて行われました(11:35〜45に17発、13:25〜30に6
発)。
釧根連絡会では、2日、札幌防衛施設局現地対策本部に対して、夜間訓練の中止や、
海兵隊の外出禁止などをを求める申し入れをしました。
以下、釧根連絡会によるカウント数
弾丸数 (うち夜間の弾丸数)
17日 21 (13)
18日 144 ( 5)
19日 404 (71)
20日 225 (21)
21日 246 ( 0)
22日 459 (93)
23日 364 (60)
24日 158 (22)
25日 275 (41)
26日 31 ( 0)
計 2、327 (326)
3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月、10月、11月、12月