9月20日は、自衛隊秋田駐屯地の一般公開があり、雨が止んだ午後から行ってみま
した。むかるみに足元を気にしながら、武器をみてきました。
祝賀会があったらしく、私が行ったときは片付けの最中でしたが、自衛隊関係者の飲
み会の体で、制服を着た酒臭い隊員にもすれ違いました。昼には見学者にカレ−ライス
が振る舞われたとのことです。兵舎のなかにある図書館でも覗こうと思いましたが、テ
−ブルをかこんで飲み会が続いていて入れませんでした。売店では、教範や米軍用語辞
典などが売られていたので、買いたかったのですが、隊員以外はだめだと断られました
。兵舎の近くでは、迷彩服やリュックなど隊員の身の回り品が売られていて、ベストや
ぼうしなどがよく売れているようでした。
外では、ジ−プや戦車の乗車サ−ビスに子どもたちが列をつくっていて、戦車は、も
うもうと廃棄ガスを撒き散らして走行していました。
砲台があって、傍でみていた60歳代の男性たちが、「今、北海道ではこれでアメリ
カが実弾を撃っているんだ。日本も空砲ばかりではなくて、本物を撃ちたいだろう」と
ぶっそうな会話をしていました。数種類の銃も陳列してあり、隊員は無造作に扱ってい
ましたが、見物客はさわるのも恐いようすでした。
古い戦車に子どもたちがのって楽しそうに遊んでいましたが、戦下で置き捨てられた
戦車に乗って笑っている子どもたちの写真とだぶってしまいました。
公開は午後の3時までとのことでしたが、2時すぎには片付け始めました。武器を移
動させる様子を見ていて、頑丈な鉄の固まりを動かす人間を守る装置は何もないのでは
ないかと感じました。特に隊員が戦車に頭をちょこんと出して運転して通り過ぎたとき
は、私と同じ時代を生きていた人たちが、ベトナムや湾岸などで、この姿で無残に命を
失ったのかと思うと、涙が出てしまい、まわりのざわめきが遠くなっていきました。攻
撃するためだけにつくられた武器であり、それを動かす人間の命は、まさしく「1銭5
厘」程の値打ちもない消耗部品なのだという肌寒い思いがいつまでも残っています。
でもその消耗品である人間がいなくてはいくら高価な武器も鉄の固まりでしかないと
いうことも同時に思いました。戦車を運転する隊員の緊張した横顔をみながら、操作の
業をいくら磨いても、普通の人間である彼が戦場に臨むことは不可能ではないかと考え
ました。危険を感じたら逃げるのが、普通の人間です。命をかけて戦える人間をつくら
なければ戦争はできないのです。命令されて仕方なく戦地に行ったとしても、逃げる手
立てがあればそれを選ぶでしょう。自衛隊員が自慢するように、日本にも戦争ができる
道具は確かに整ってきているかも知れません。あとこれから取りかかるのは戦争ができ
る法律と人間をつくることです。それが有事立法であり、「自由主義史観」勢力の一連
の動きだろうと思います。そしてそれらの取り組みがされていることを証明するかのよ
うなケンカごしの発言が最近続きました。地が出ただけかもしれませんが。
軍隊は、上官の命令を拒否できないように追い詰める仕組みになっています。軍隊で
は命令違反・職務離脱に対してに罰則規定があり、最高死刑になっているのはきっとそ
のためです。自衛隊もこれからそういう仕組みにしたがっています。追い詰められれば
人間はどんな罪をも犯すものだということは、過去の戦争でわたしたちは知らされてき
ました。今米軍海兵隊がこの状況におかれています。たぶん物凄いストレスだと思いま
す。それと、日頃からの精神的な教育がなければ、戦争ができる人間をつくれないこと
を、靖国思想から教えられました。国はこれをまた繰り返そうとしています。
それらは人間の良心を麻痺させる有効な手段ではあることは確かです。確かだけれど
も、良心のすべてを奪うことはできません。完全に麻痺させるためには軍隊を容認して
、戦争に行った人をほめて迎える民衆が必要です。私はそのような民衆の一人には決し
てなりたくありませんし、まわりに人にもなってほしくありません。でも絶対ならない
という自信もありません。恐いです。今、生涯続く苦しみを負いながら戦時の証言者が
その危険をわたしたちに伝えてくれています。いまこそその言葉に真剣に耳を傾けたい
と思います。そしていい子ぶっている「親しまれる自衛隊」のウソをわたしたちの前に
つまびらかにしていかなければならないと思いました。
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