秋田県男鹿市船川港で8月1日、海上自衛隊鶴舞地方隊所属の第44掃海艇440t
「ぬわじま」「えたじま」の、乗船体験をやっていたのでいってみました。
事前の申し込みは30人ほどしかいなかったようですが、港祭りと一緒に市が呼びか
けたらしく、中には自衛隊関係者の家族やOBらしい人もいましたが、家族連れなど1
30人程が乗船しました。
船体が木造で、金属部分も磁石につかないものを使用しているとのことで、金属探知
機などを使う仕事がらなるほどと思いました。マストにはのれんのようにたくさん線が
たれていて、全部無線用なんだそうです。
機雷にもいろんな種類があってそれに合わせて掃海の道具も色々でしたが、機雷はす
べて海上で処理するんだそうです。機雷を探すのに、アメリカから送られてくる情報を
元にしているということでした。そんなら、なんのことはない、アメリカの下請けをし
ているわけで、パンフレットのなかの「海上自衛隊は、海上からの侵略に対し、わが国
を防衛するとともに、日本経済の繁栄と国民生活をささえるための海上交通の安全の確
保を主な任務としています」ということばが、なおさら空々しく思えました。
小学生のこどもが父親に「戦争しにいくんじゃないの?」という質問に「日本は平和
だから戦争はしない。この船は海の安全を守るために危ない爆弾を探すお手伝いをして
いるんだよ」と自衛官の説明どおりに教えていたので、つい彼の顔をまじまじと見てし
まいました。自衛官は、日本でも機雷は作られているだろうけれど、使ったことはない
といっていました。
何人かの隊員とおしゃべりをしてきました。海外へ行ったことはないけれど行きたく
はない。仕事中の怪我はあるが、機雷そのもので怪我をしたことはない。やはり掃海作
業は訓練と違って恐い、それに船が走っている間、防火訓練や戦争ごっこに明け暮れて
、港につくと気晴らしに金を使ってしまうので、今でも金がたまらないのに外国まで行
ったら、金がいくらあってもたまらない、とかなり仕事にストレスを感じている風でし
た。幹部候補生あたりは、見聞を深めるために外国に行っているらしいが、とのことで
した。もし有事になったら恐くないかと聞いてみたところ、有事になってしまえば18
歳以上はみんな召集されるだろう。一度自衛隊に入ってしまえば、やめても民間から最
初にしょっぴかれるのは元自衛官だ。どうせなら身分が保障されているほうがましかも
しれないから、今のところやめる気はないといっていました。ここまで隊員は自暴自棄
になっているのだろうか、彼らが将来「平和・人道に対する罪」を侵す前に、なんらか
の形で彼らの進む道の危うさに気が付いてもらえる方法はないものだろうかと、私自身
ここまで彼らの心情を推しはかれなかったため、思いを届けることはできなかったこと
を悔やみながら帰ってきまいました。
船上で、隊員が知り合いらしい人に「最近はこういうときにややこしい質問をする人
がふえているので、あまり民間人を入れたくはないのだが」と言うのを耳にしました。
ややこしいことをしているのはどちらでしょうか。また一方で批判的世論が確かに届い
ている証拠とも受けとめ、これからも地道に不戦の思いを届け続けていきたいと思って
います。
機雷掃海については、「非核市民宣言運動・ヨコスカ」のパンフ「図とき・新ガイド
ラインの問題点」にとてもわかりやすく載っています。その中で、1950年朝鮮戦争
に参加し、掃海作業で戦後の戦死者第1号が出ていることを知りました。これらは公式
の記録から削除されているそうです。日本の機雷掃海の歩みを知ると戦闘行為として上
位の軍事行動だということがより納得できますし、「劣化ウラン」が安全でないのと同
じく、「後方支援」ということばもどんなに危険かわかります。
海上自衛隊のパンフでは掃海作業を「国際平和協力業務」の筆頭に紹介しています。
日米等ペルシャ湾掃海派遣部隊の写真と並んで、元明石国連代表と海上輸送補給部隊指
揮官がにこやかに握手をしている写真が載っています。
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というわけでため息ばかりついていてもしょうがないので、その日の夜、掃海艇がつ
ないである船川港で花火大会があるというので、もう一度出掛けました。人込みを避け
て、だれもいない近くの丘の上から、70発を音とともに満喫しました。かの掃海艇が
イルミネ−ションでお化粧されているのが目障りでしたが、久しぶりに二人でロマンチ
ックなひとときを。(帰ってから、虫刺されでカイカイカイの現実がまっていましたで
すが)
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