寺西懲戒処分に対する「寺西裁判官懲戒申立事件弁護団」の抗議声明(1998年7
月24日)です。
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裁判官の自由と独立を侵害する寺西懲戒処分に対する抗議声明
一、仙台高等裁判所特別部(小林啓二裁判長)は、本日、寺西和史裁判官に対する分
限裁判で「被申立人を戒告する」との決定を下した。これは違憲・違法な裁判手続き
によって、憲法で保障されている裁判官の言論・集会参加の自由を侵害し、裁判官の
独立を犯すものであり、絶対に認められない。
二、本決定の理由によると、寺西裁判官が組織的犯罪対策三法案に反対している団体
からパネリストとしての依頼を受け、当日、集会の途中で現職の裁判官である旨の紹
介を受けた上で、一般参加者の席から「集会でパネリストとして話すつもりだったが
、地裁所長から懲戒処分もありうるとの警告を受けた。仮に法案に反対の立場で発言
しても、裁判所法で定める積極的な政治運動に当たるとは考えないが、パネリストと
しの発言は辞退する」と述べたことをとらえ、「言外に同法案反対の意思を表明する
発言をして、もって、同法案の廃案を目指している前記団体等の政治運動に積極的に
加担した」ことを懲戒処分の対象としている。
三、しかしながら最高裁判所事務総局が編集した裁判所法逐条解説によれば、裁判所
法が禁止ずる「積極的に政治運動をすること」というのは、「みずから進んで政治活
動をすることである」と定義したうえで、「単に特定の政党に加入して政党員になっ
たり、一般国民としての立場において政府や政党の政策を批判することも、これに含
まれないものと解すべきである」とされている。
裁判官にも憲法二一条が保障する言論・結社・集会参加等の表現の自由が認められ
ている以上、右最高裁事務総局の見解は当然であり、この度の決定はこれにも反して
いることは明らかである。
四、ところが、本決定はさらに「事実認定の補足説明」という欄を設けて、寺西裁判
官が平成九年一○月二日付け朝日新聞の投書欄に「信頼できない盗聴令状審査」と題
して投書したことで旭川地裁所長から書面による注意処分を受けたにもかかわらず、
集会に参加し、「現職裁判官の中にも組織的犯罪対策三法案に積極的に反対する人が
いることを鮮明に印象づけ」、そのことが「法案に対する反対運動を盛り上げる一助
となったことは明白である」と断じている。
しかしながら、法律実務に関与している裁判官が、裁判の実態や法の運用について
一定の見解を持ち、問題点を国民に訴えてその改善なり限界を理解してもらうことは
大事なことであり、民事訴訟法の改正や少年法改正などについて、現職の裁判官がそ
の問題点について積極的に発言していることは周知の事実である。
ところが、こと令状実務についてだけ、これを認めないというのは、裁判所として
はその実態が国民に知られることを心配し、盗聴法案を成立させようとする政府・自
民党にとっては、現職の裁判官によって法案の問題点が浮き彫りにされることを恐れ
たとしか考えられない。その意味で本件は、極めて政治的な目的の下に、寺西裁判官
の言論抑圧をねらったものと言わざるを得ない。
五、つぎに決定は「懲戒処分」という項を設け、「裁判官たる身分を明らかにして前
記のような発言をしたことは、政治問題となっている法案につき賛否の立場を明確に
している前記団体等とその運動に積極的に肩入れしたものであるから」、在任中の裁
判官が禁止されている「積極的に政治運動をすること」に該当するとの見解を示して
いる。
しかしながら、寺西裁判官の発言内容は、決して団体や運動に積極的に肩入れした
ようなものではないことは、前記のように「言外に……加担した」という認定をせざ
るを得なかったことからも明らかである。
六、ところで決定は、裁判官は「何事によらず公平中立の立場にあることを宗とすべ
きであるが、殊に政治的な事項については、それが強く要請される」との考えを示し
ている。裁判官が裁判事務や司法行政事務において公平中立であることと、私生活に
おいて裁判官が市民と交わり、惜報を提供したり、意見を交換したりすることは両立
しうることである。
「宗とすべき」という言葉遣自体いかにも古いが、「何事によらず」というのは一
つのドグマであり、これは一九七○年代初めに最高裁が公式見解どして裁判官を統制
するために打ち出した「政治的中立論」の焼き写しというほかない。
政治的中立というのが、時の政府や権力者の考えを受入れ、これを一切を批判しな
いというイデオロギーに過ぎないことは、歴史が証明するとおりである。決定はそれ
が「司法部の伝統の一つとして受け継がれてきた」と言っているが、それは戦前の絶
対天皇制の下で、裁判所構成法により、裁判官は「公然政事に関与せず」とされてい
た時代の考えを、上からの人事統制によって裁判官に無理やり強要した結果であり、
民主主義国家の裁判官のあるべき姿とは全く異なる。
このように本件決定の特徴は、古い日本の裁判官意識を前面に打ち出す一方で、弁
護団が問題提起した裁判官の市民的自由についての国連決議や欧米での裁判官の積極
的な言論や団体活動、それにアメリカの裁判官行動網領などとの対比を全く無視した
点にある。日本だけの孤立した独善的な裁判官像がこれからの社会に受け入れられる
はずがない。
七、さらに本件はまさに憲法が保障する言論・集会参加などの基本的人権が審判の対
象になっており、しかも本人および報道機関が強く要求したにもかかわらず、裁判の
公開を認めず、密室での審問に最後まで固執した。仙台高等裁判所は強権的、一方的
な裁判の内容を国民に知られることを恐れて裁判を公開することを拒んだことは明ら
かであるが、裁判の公開は公正な裁判を実現する最も基本的な制度的保障であること
は言うまでもない。弁護団が裁判の公開を強く求めたのは当然である。
決定は弁護団が提起した憲法上の基本原則に言及することなく、「裁判官の分限事
件手続規則七条により準用される非訟事件手続法一三条本文は、審問は公開しない旨
を明記している」と言うだけで、同条但書が「但し裁判所は相当と認むるものに傍聴
を許すことを得」という規定すら無視しているのは、裁判所の硬直的な態度の端的な
現れと言って良いであろう。
決定は審理経過について長々と述べているが、憲法と法律を無視して審理を一方的
に強行しようとした自らの不手際を弁解しているに過ぎない。しかも本人が強く希望
しているにもかかわらず、裁判官分限法が保障している陳述の機会すら与えず、「実
質的に陳述を聴いたのと同視しうる」などと勝手に決め付けることは許されない。
八、本決定にはその他にもたくさんの問題点があるが、人権が保障されていない裁判
官に、市民の人権を護ることができないことは言うまでもない。最高裁判所の人事統
制によって日本の裁判官達は自由闊達さを失っているが、本件処分が許されると裁判
官達はますます萎縮する恐れがある。
私たちは、本件決定に強く抗議し、これを不服として最高裁判所に即時抗告を申立
て、寺西裁判官への懲戒処分を撤回させることはもとより、裁判に関心のある全ての
市民とともに、裁判官の独立と市民的自由を確立するまでがんばることを誓う。
一九九八年七月二四日
寺西裁判官懲戒申立事件弁護団
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MARUYAMA K. kaymaru@jca.ax.apc.org
2GO GREEN
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3月、4月、5月、6月、7月、