Date: Mon, 6 Apr 1998 02:59:12 +0900
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To: keystone@jca.ax.apc.org
From: "M.Shimakawa" <mshmkw@tama.or.jp>
Subject: [keystone 44] Re: [内藤 志乃: 繰り返し]
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X-Sequence: keystone 44
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org
 

 島川です。

At 1:06 PM +0900 98.4.3, Riko Yagiu さんwrote:
> 柳生です。
> また、友達からメールが来ました。
> 問題が重いだけになかなか大変そうです。
> なにかアドバイスできる方があればお願いできないでしょうか?

 marineでのこの件の最初のメールに

> 意味が分からず、なぜチベットに民主主義をもたらすことにアメリカが関るのか?
> と尋ねたら、’That's America'と人ごとのように答えてたので、
> 彼はそういう意識じゃないんだと安心していたから、ちょっとショックだった。

 という、お友達の発言がありますが、このフィルという方は、「That's America」
 的なある種典型的な価値観を持っている人のようですね。「世界の警察官」を当然
 視する価値観には「民族自決」の意義を問う、marineで高橋さんも言われていたよ
 うにアメリカの「ダブルスタンダード」のご都合主義を問う、というようなことに
 なるでしょうが、夫婦の会話となると「なかなか大変」でありましょう。

 これは大きな問題でもあり、究極的には相手の価値観や政治的信条ということにな
 りますから、MLやゼミなどでの論争とは違って、簡単に「アドバイス」ができる種
 類のことではないと思います。以下は、柳生さんが転載されたふたつのメールを読
 んで、「That's America」的世界に触発されて私がちょっと感じた断片的なことで
 す。

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 「原爆」と「バターン死の行進」の対比論あたりに、「ダブルスタンダード」の論
 理がひとつ典型的に出てきますね。相手の行動(ex.「バターン死の行進」:捕虜の
 待遇)は戦争法規を適用して非難するが自分の行動(「原爆」:非戦闘員の虐殺)は相
 手の非道を理由にして戦争法規を無視した次元で正当化する、というものです。自
 分自身に関しても「ダブルスタンダード」なわけです。相手の非道を理由に自分の
 非道を肯定するというのなら、それは同じ土俵に降りたということであって相手を
 法的・道義的に非難する資格はありません。何種類かのスタンダードを持つ「世界
 の警察官」に、その都度適当に論理を取り替えて実力行使をされたのではたまった
 ものではありません。

 同様に、日本人が原爆投下を人道の名の下に非難するが、日中戦争での重慶無差別
 爆撃を「戦争だから」と、あるいは無関心で済ますとすれば、これも「ダブルスタ
 ンダード」です。重慶「渡洋爆撃」は、軍事非軍事目標の区別をせずに都市を丸ご
 と壊滅させようとした史上初の「戦略爆撃」であったわけですが、日本の空軍力が
 弱体であったため東京大空襲や原爆のような全滅的な結果にはならなかっただけで、
 狙いとしては同じものでありました。

 「原爆」や「バターン死の行進」などを互いに相手の悪行として非難し合っても仕
 方がないと思います。どちらかが免罪されるわけではなく、悪行は悪行です。むか
 しは「原爆」と「リメンバー・パールハーバー」の投げつけ合いという形でしたが、
 marineの契機になった暴行事件では、アメリカを訪れた女性抗議グループに「日本
 は<従軍慰安婦>問題を放置しておいて暴行事件を告発する資格はない」というよう
 な非難が多く寄せられた、という話も聞きました。これも「原爆」と「死の行進」
 に類するものです。この種の非難の投げかけは、相手の非道を強調することによっ
 て自分の非道を相対的に軽いものにする、あるいはやむをえなかったと免罪すると
 いうところに意味があるようです。自由主義史観のように、戦争とはそういうもの
 でどの国もみんなが悪いことをした我が国だけが悪いのではない、というような低
 次元なところで話を終息させるというのも、これと軌を一にする心理です。

 悪いものは悪いのであって、問題は何を悪とするかの基準です。もし「戦闘員と非
 戦闘員の区別」という基準を立てるのであれば、重慶爆撃もゲルニカ爆撃・ロンド
 ン爆撃・ドレスデン爆撃・東京大空襲・原爆、みな犯罪行為です。先にやったのは
 確かに日本とドイツですが、後に大規模破滅的に同じことをしている米英も同罪で
 す。ベトナム戦争の枯葉剤などは最も悪質かもしれません。(私は戦争そのものを
 悪事であると思いますし、戦時国際法などというケンカの約束みたいなものも変な
 ものだと、また政治・外交・歴史の視点を欠いて軍事のみを語ることは本質をそら
 すと思っていますが、ここでは論理的整合性という点のみを話題としています)。

 結局は、同じ物差しを相手にも自分にも適用する、ということでしょう。批判と自
 己批判は同じことでなければならない、ということでしょう。アメリカの右派に言
 われるまでもなく、米軍基地問題に取り組んでいる「女性抗議グループ」の方がた
 は、<従軍慰安婦>問題に関しては被害者の方がたの声に耳を傾けていることと思い
 ます。そもそも彼女らが日本国家や日本国民を代表してアメリカを訪れたわけでも
 なく、日本の市民としてひとりの人間として、アメリカの心ある市民に語りかける
 ために渡米をされたわけでしょう。

 その昔、ベトナム戦争の時代には、反戦平和という同じ価値基準を持った日米の人
 びとは、同じく日米の両政府に反対しました。英仏独でも、自分の政府とアメリカ
 に反対した人びとがありました。街頭で「フランスデモ」をしていた日本の学生に
 は、日本政府よりもフランス全学連のほうが近しい存在であったわけです。戦後は
 特に、日本人は、アメリカ人は、という大まかな物の言い方では逸れることが大き
 い時代になっていると思います。

 もうひとつ、いつも戦争の話のたびに思うのは、残虐行為を恥じない兵士の意識構
 造ということです。南京大虐殺を挙げるまでもなく、15年戦争の時代に日本軍が
 残虐非道であったことは歴史的事実です。その程度がひどかったことも事実です。
 しかしまた、日本人がアジア人を虐殺して、その日本兵が日本の家庭に帰ればよき
 夫、よき父であったということと、インディアンを虐殺したアメリカ騎兵隊の兵士
 が家に帰れば、ということは全く同じ関係にあります。問題は日本人やアメリカ人
 一般の習性にあるのではなく、何がなぜ悪逆非道を非道と意識させなかったのか、
 という「思想」・「価値意識」の次元で把握しなければ、今後につなぐことにはな
 らない問題だと思っています。

 フィルさんのような考え方を持つアメリカ人は多いのではないかと思いますが、彼
 らは、ドイツ人に対して、面と向かってナチの残虐行為は「ドイツ人の習性による
 もの」であるとは言わないでしょう。この差はどこから来るのかということは大き
 な問題ですが、ひとつにはやはり戦後の過ごし方の日独の相違がこのあたりにも現
 れてくるというわけでしょうね。

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 私がお友達に「アドバイス」のようなことができるとしたら、大学での「課題」の
 あたりのことでしょうか。別メールで、日系人強制収容のことに少し触れてみます。

 marineでの、皆さんの Re: [Riko Yagiu:] のシリーズは、問題を考える視角とい
 う意味でも、各種の資料的な案内としても、有益なものだと思いますので、marine
 にはsubscribeしていなかった方がたのためにも、柳生さんの最初のメールととも
 に、主に現keystoneメンバーの方のファイルをこちらにも複写しておきます。

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                                    島川雅史  mshmkw@tama.or.jp
                                               mshmkw@jca.ax.apc.org
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