平田@東京品川です。
はじめまして。
島川さんが、戦艦大和の出撃の件で反論されましたので、
私は、別な部分を若干、意見してみましょうかね。
あ、沖縄戦じゃないですよ、
そっちは、平田@宴会熱意さんだそうですので。ウヒ。
XC8H-NKD@j.asahi-net.or.jp (Nakada Hiroyasu) さんは書きました:
>週刊新潮4月2日号
>櫻井よしこ −「沖縄問題」で地元報道への大疑問−
櫻井よしこって、ジャーナリストと名乗っているんですか?
失笑もんです。
>「“象の檻”で一躍ヒーローになった知花昌一氏は、沖縄の民意を代表するか
>のように報道されました。ところが、九八年三月一日に行われた知花氏の地元、
>読谷村の村議会補欠選挙で、知花氏は、新人で主婦の塩川候補と一騎討ちし、
>完敗したのです。塩川候補が一万四百六十一票、知花氏はわずか二千六百六十
>九票。でも、地元紙は殆ど伝えませんでした」
> こう述べたのは琉球銀行の恵隆之介氏である。
この恵隆之介というのは、色眼鏡でいうと自衛隊上がりだったような気
がする。なんで象のオリの件と選挙を一色単に考えるんだろうね。
> 何が報道されているかと同時に、何が報道されていないかが特に重要だ。
それは、いわゆる中央紙にも言えることですよね。で、こっちの方が罪は
大きいいときている。
>『沖縄の自己検証』(ひるぎ社)の中で、沖縄の歴史研究をライフワークとす
>る高良倉吉・琉球大学教授が述べている。
><大田昌秀さんが強調する『沖縄の心』論によると、沖縄は古くから平和を愛
>する民であったという。その人々が薩摩軍によって蹂躙され、明治政府に編入
>される際にも無視された。日本の軍隊をおくときに沖縄の人たちは反対したが、
>結局は押し切られて熊本鎮台分遣隊を沖縄に置かざるを得なかった。あるいは、
>「おもろそうし』(沖縄の歴史的文学)には、残酷な言葉はない等々、そうい
>う話は少なくともこの二十年間の沖縄歴史研究では通用しない事実無根の話で
>す>
しかしまあ、こうも自分に都合のいいところだけをつまみ食いして、この
一文を見つけて、してやったりと引用した節があります。
『沖縄の自己検証』(ひるぎ社)は、〜鼎談・「情念」から「理論」へ〜
と副題が付いています。真栄城守定、牧野浩隆、高良倉吉の鼎談となって
おり、最近の沖縄の基地問題について沖縄側のあり方を追及した内容となっ
ています。副題でも分るように、情念、理念だけでは、基地問題は
解決できない、三者三様に戦略や科学的理論をもって解決にあたる必要が
あると説いた内容となっています。
櫻井氏が引用した部分は、「沖縄の「今」を冷徹に見つめる視点とは」の
章に有り、高倉氏の発言で始まり最初に「率直に言っておきたいのは、理念
主義を普及させていく、県民世論としてまとめていくのは地元マスコミだと
思いますが、沖縄のマスコミはその件に関してはそれなりの功績を果たした
。しかし理念主義を高調すると同時に、それを打開するためにの実務的解決
装置を考える場を常にバランスよく提供したかということになれば、この数
年間の沖縄のマスコミはそのことをさぼってきた」とマスコミに問題を呈し
たあと、政治の場では政治の具として沖縄の歴史を持ち出されるが、持ち出
すのであれば正しい歴史を引用して欲しいと、確かに大田知事を持ち出して
たしなめています。
櫻井氏が引用したその直後の文は、「歴史の全体を正しく捉えた理論では勿
論ない。」と続き、そして「歴史がキャッチフレーズ的に使われそのレベル
で止まってしまっている。沖縄という複雑な歴史的経過をたどってきた社会
であるからこそ、むしろ過去を大事にして欲しい。」とつながっていきます。
この本が全体としていいたいのは、沖縄の基地問題は、情念や理念だけで解
決するには限界があり、問題も単純な方程式ではなく多次元であり、その方
程式を解くためには、沖縄自身がその方程式をよくみ、そしてその内容をよ
く理解し、解を求めていく中で理論的な考えをもち、21世紀の沖縄をどう
位置づけたいのか、知的に汗をかく、そのことによってしか問題は解決しな
いという、告発の仕方の転換の必要性を訴えかけているわけです。
高倉氏の言葉で引用すると歴史などをもちだした、
「言い訳をしない社会を作る」必要があり、「言い訳は自分たちの内向きの
精神を支える支柱としてキープするのは良いが、対外的な仕事をする場合に
は絶対言ってはいけないことです」と、沖縄が主体をもち、科学的根拠に基
づいた、あくまで現代のそして将来を見据えた考え方が大事であり、その為
に過去を検証するのはいいが、過去を御都合主義的にしかもそれをメインと
して持ち出すのはいけないというような文脈となっています。
そういう文脈の中での高倉氏の大田知事批判であり、そういう背景や文脈を
一切無視、配慮なしに櫻井氏がある一点のみを捕まえて、しかも元々の文脈
と180度違うことを述べている自分の文脈の部分に引用するとは、ほとんど
犯罪ですね。
> 恵氏も解説した。
>「沖縄は、琉球王国を神話的にとらえすぎています。例えば、廃藩置県はむし
>ろ、解放を意味したのです。琉球王朝四百年の歴史の中では、住民は土地の私
>有を禁止されていたのを、明治政府が、三十年かけて土地を測量し私有制を確
>定させたのです」
最近の沖縄で言えば、沖縄地籍明確化法と同じ理論にたっていますね。
もうちょっと昔の例で言うと、東南アジアを植民地支配していたときに、
ダムを造っただの鉄道を敷いただのと同じ根拠ですね。
ま、私有地を確定したかったのは、税金をめしとるためでしょうけど。
> 自由闊達な議論がないために、ニュースの全体像を欠いた報道に陥り易い。
> 読者は、新聞が必ずしも事実の全体像を伝えていないことを自覚しなければ
>ならない。新聞情報を額面どおりに受けとるのではなく、判断材料のひとつと
だから、それは日本の全体のジャーナリズムもいっしょでしょつーに。
>してとらえるべきだ。新聞が全てではないという当り前のことを忘れず、敢え
>ていえば、疑いつつ読むことが求められている。
ほほー、それを実践するためのいい見本を御自身で用意してくれた
わけですね。感心、感心。ニャハハハハ
しかしなんですね、全体を通して、なんか幼稚なプロパカンダ記事ですね。
ジャーナリストという肩書きが泣いちゃいそー。:-)
この号の週刊新潮、後部のグラビア、チャリンコ・ジャパンに
シーサーと題して
「沖縄は基地などで多くの問題を抱えている。第三者の意見だが、沖縄人の
心や沖縄の特別な状況を一生懸命理解しようとしない者には、その問題に対し
て発言する資格がないと思う。一国二制度という言葉が沖縄の新聞に頻繁に
出ているが、沖縄を見て、カナダのケベックのことを思い出した。皆一緒じゃ
ない。少数派を大事にする国に生まれたせいか、相手の違いを認めることか
らしか建設的な対話は始まらないと信じる。けれど日本は、どうも未だにその
状況には至っていないという気がした。」
と、このコラムのコラム子J・F・ゲーリー氏が述べています。
これは、新潮に残されたバランス感覚でしょうか、それとも新潮流のブラック
ユーモア、それともたんなる皮肉かな。ダハ。
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平田 安則 hirata@grape.ifnet.or.jp / VYA01307@niftyserve.or.jp
沖縄特別立法反対署名運動 http://www.jca.ax.apc.org/okinawa/