島川です。
週刊新潮の櫻井記事を読んでみました。
仲田さんが「(前略)」されたところですが、
> 北海道の現状が示すように、地方新聞界で多様な言論が保障されているわけで
> はなく、むしろ言論の幅は狭い。その例を沖縄にみてみよう。
の直前が「一紙寡占の下で、地方のジャーナリズムは息絶えつつあるある例も
少なくない。」です。引用部の「その例」の指示するものは「地方新聞界で多
様な言論が保障されて」おらず「言論の幅」が狭いということなのでしょうが、
その根拠は、文脈としては「一紙寡占」に置かれています。
沖縄は二紙ですから、「一紙寡占」を理由とする北海道の場合と並列するのは
論理の運びとして無理ですね。前提条件が異なるのに、同じ結論に誘導しよう
ということです。(琉球新報を主たるターゲットとしているのは、狙いとして
は、新報をあちら側に引き寄せようということなのでしょうか)。
と、いう調子で感想を述べているときりがないので、ひとつの点のみ。
「杏林大学教授の田久保忠衛氏が述べた」という、「戦艦大和はなぜ出動した
か。沖縄を助けるためです。こういうことを沖縄は言いません」のところです。
戦艦大和は「沖縄を助けるため」に出動したのではありません。
戦艦一隻と一個水雷戦隊(軽巡洋艦一隻、駆逐艦八隻)が沖縄海域に突入して
も大勢には影響なく、また航空援護を欠いた裸の水上部隊は沖縄に到達する前
に米航空部隊の空襲によって全滅することは火を見るよりも明らかなことであ
りました。行動部隊の指揮官である第二艦隊司令長官は、この当然の判断をもっ
て作戦に反対しています。しかし、彼は結局同意して出撃し大和の沈没の時に
は部屋にこもって共に沈みました。
大和部隊出動のきっかけになったのは、戦況報告を聞いていた裕仁「天皇」が、
海軍は神風特攻隊など飛行部隊の行動のみしか聞かないが他の部隊は何をして
いるのか、と「ご下問」をしたことであるといいます。「ご下問」は質問の形
を取った命令であることもあり、この場合はそういう意味になったわけです。
海軍は飛行機以外の行動をしなければならなくなり大和部隊の「水上特攻隊」
を編成したというわけです。燃料も足りなくなっており、大和は片道燃料だけ
を積んで「特攻」に出かけたわけですが、司令長官も作戦計画の「真因」を聞
いて、「死所」を与えられたことに納得したということが伝えられています。
つまり、「沖縄を助けるため」というような、まともな軍事作戦ではなかった
わけです。軍事的評価としては、米空母機の行動が大和部隊に集中されたため
に、その日の特攻機の行動に対する妨害が例日より比較的に少なかったとか、
地上への空襲も比較的に少なかったとかいうくらいのことで、沖縄戦全体から
見れば何の影響もなかったという程度でした。
これを、桜井・田久保の両氏が「沖縄を助けるため」と言うなら、経緯を知ら
ないのであれば(特に田久保氏は)不勉強ですし、知っていて言っているのな
ら、このお二人は世論誘導のみを目的とするデマゴーグであるということにな
りますね。
そもそも沖縄戦自体が「沖縄を助けるため」のものではなかったわけですが、
このあたりの解説が必要であるなら、田久保教授以上の沖縄戦研究者であるわ
が平田宴会熱意さんに委ねます(この尊称も今のうちに言っておかないと、も
うしばらくすると新しい人が増えて通じなくなる...微笑)。
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島川雅史 mshmkw@tama.or.jp
mshmkw@jca.ax.apc.org
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