前田 朗@歴史の事実を視つめる会、です。
6月27日
<コンパッション>(共感共苦)は可能か?
――歴史認識と教科書問題を考える対話集会
2001・7・20(金/休日)
12時30分〜4時30分 (開場12時)
会 場◆新宿文化センター・小ホール
東京都新宿区新宿6−14−1
JR・京王線・小田急線「新宿駅」東口徒歩15分
地下鉄丸の内線・都営新宿線「新宿3丁目駅」徒歩10分
都営大江戸「東新宿駅」徒歩5分
資料代◆1000円
《コンパッション compassion * 》――それは何よりも《他者の苦悩への想
像力》を意味している。
現在の日本社会にもっとも欠けているもの、しかし、それなしには戦争被害者
をはじめとする他者と和解することも、友情を築くことも、平和を確保すること
もできない大切なもの、それが、コンパッションである。
いま、コンパッションは可能か?――その問いに答えることは簡単ではない。
わかっていることは、その問いを回避することはできないということだ。
歴史を歪曲する「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書を採択さ
せようとする動きが強まっているいま、危機感を共にするみなさんと考え、行動
するための一歩となる対話集会――。
●発言者
目取真俊(めどるま・しゅん)沖縄・名護市在住の作家。
高橋哲哉(たかはし・てつや)哲学。東京大学教員。
三宅晶子(みやけ・あきこ)ドイツ文化論・比較文化論。千葉大学教員。
徐京植(ソ・キョンシク)作家。東京経済大学教員。
須永陽子(すなが・ようこ)学生。
中西新太郎(なかにし・しんたろう)現代日本社会論。横浜市立大学教員。
*参照:ジャン=F・フォルジュ著、高橋武智訳『21世紀の子どもたちに、アウ
シュヴィッツをいかに教えるか?』作品社
◆発言者ご紹介◆
目取真俊(めどるま・しゅん)1960年沖縄・今帰仁(なきじん)村生まれ。名
護市在住の作家。沖縄の豊かなことば・自然・風物を息づかせながら沖縄戦の記
憶の深い悲しみや日本への憤り・怒りを独自の作品世界に描く。アクチュアルな
諸問題にも積極的に発言している。著書に『水滴』(文藝春秋)、『魂込め(まぶ
いぐみ)』、『群蝶の木』(朝日新聞社)
高橋哲哉(たかはし・てつや)1956年福島生まれ。哲学。東京大学教員。映画
『ショアー』や日本軍「慰安婦」問題をきっかけに、世界的視野で戦後責任問題
に取り組む。著書に『デリダ――脱構築』『戦後責任論』(講談社)、『記憶の
エチカ』『歴史/修正主義』(岩波書店)、『ナショナル・ヒストリーを超え
て』(共編著・東京大学出版会)他
三宅晶子(みやけ・あきこ)1955年生まれ。ドイツ文化論・比較文化論。千葉
大学教員。アジアの膨大な死者たち、そして語れなかった者たちの、膨大な沈
黙、語らせなかった、聞かなかった者(私)たちの責任を考えている。この暗闇か
ら言葉が生まれてくるならば、21世紀の人類に、大きな地平を切り開いていく瞬
間となるでしょう。著訳書に『感覚変容のディアレクティク』(平凡社・共著
)、『ベンヤミン・コレクション2』(ちくま学芸文庫・共訳)他
徐京植(ソ・キョンシク)1951年京都生まれ。作家。東京経済大学教員。在日
朝鮮人の経験に根ざしつつ、東アジアに恒久的平和を実現する困難な可能性のた
めに発言してきた。著書に『私の西洋美術巡礼』(みすず書房)、『過ぎ去らない
人々』(影書房)、『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社)、『青春の死
神』(近刊・毎日新聞社)
須永陽子(すなが・ようこ)1979年愛知生まれ。大学生。大学で、映画「ナヌ
ムの家」上映会や「つくる会」教科書への抗議運動を創ってきた。いきいきとし
た人間関係に基づく抵抗の連帯を広げたい。歴史に学び、他者に出会うことで、
現実を語る言葉と、歴史を創る言葉を鍛えたい。私自身の想像力の質を問い直す
ためにも。本集会実行委員。
中西新太郎(なかにし・しんたろう)1948年静岡生まれ。現代日本社会論。横
浜市立大学教員。他者を意識から抹消して顧みない暴力の文化が90年代日本社会
のどんな地盤から生い立ってきたかを追究してきた。著書に『思春期の危機を生
きる子どもたち』(はるか書房)、『情報消費型社会と知の構造――学校・知
識・時事』(旬報社)、『戦争論妄想論』(共著、教育史料出版会)他
主催 歴史認識と教科書問題を考える対話集会実行委員会
連絡先:東京都北区中里2-3-3-403 TEL03-5907-6755 FAX03-5907-6756(影
書房内 松本・松浦)