「中学校教科書の分析」第2便、歴史的分野です。
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2002年度版中学校教科書の分析
歴 史 的 分 野
12の項目・観点から比較検討しました。
1 農耕と牧畜の始まり( 労働の役割、 考古学の成果、 東アジア世界との関連)
8社とも考古学の成果を程度の差こそあれ取り入れている。(岩宿、三内丸山、吉野ヶ
里など。)扶桑はそれと並行する形で神武東征等の神話を記述している。なお、日文は
「猿人」を「類人猿」と記載。「農作物の原産地」の中尾氏の地図は5社に、縄文の生
活カレンダーは6社に載る。生産の発展と支配、被支配の関係については帝国は記述な
し。扶桑は一応ふれるが、文明発生における農牧の重要性を否定する描きがた。扶桑は
証拠を上げずに縄文を「世界最古」、稲作を6000年前とする。渡来人が技術・文化を伝
えたことは各社にも記述があるが、扶桑は「帰化人[渡来人]」,「亡命百済人」という
扱いで、主として「帰化人」で通す。
2 日本の古代国家の形成( 中国朝鮮の統一国家形成への影響)
各社とも魏志倭人伝にふれるが、取り上げ方に大きな差がある。扶桑は卑弥呼のことが
かかれていることはあげるが、魏志という史料を真実に近づくために活用するという態
度ではなく、否定面のみ強調。その前後に神話についての記述が延々と続く。帝国は位
置論争のみ。邪馬台国の生活や生産などに触れているのは大書と教出。6〜7世紀の政
治の主体について、「蘇我氏と厩戸皇子」と扱うのが日書。大書と帝国は「蘇我氏と聖
徳太子」、「聖徳太子と蘇我氏」が清水と教出。東書と日文はそれぞれ文中には「蘇我
氏とともに」、「馬子と協力」があるが表題は「聖徳太子の政治改革」、「聖徳太子の
政治」、扶桑は「聖徳太子の新政」で、次の一頁は「蘇我氏の横暴」にあてる。大化の
改新の説明の半分以上は蘇我氏をいかにして滅ぼしたか(P.49〜50)である。蝦
夷を東北の住民(清水、日書)とおさえ、彼らの生活を含めて記述するのは帝国、日
文。朝廷が「関東」から「移民」させたことに「抵抗」と彼等の立場にたっての記述が
少しでもあるのは清水、日書。教出はコラム「呰麻呂とアテルイの戦い」がある。東書
は征服対象としてのみ。なお「蝦夷」が朝廷側からの呼び方(蔑称)であることは日
書・日文が触れる。扶桑は「九州南部や東北などの辺境の地域へも」「律令の仕組みを
浸透させていった。」と征服であることすら記述せず。
3 律令制から荘園制へ( 律令制と農民生活、 荘園制の発展、武士階級の形成)
三世一身の法について触れたのは日書のみ。荘園と武士の起こりの関係については、流
れがとらえにくくなった。有力農民または地方豪族が、自分の土地を守るために武装し
て武士となっていくことをきちんと押さえているのは日書、教出、日文。東書は「武士
の成長を支えたのは荘園」と書くが「地方豪族と中央武官の交流のなかから武士がおこ
り」とややあいまい。帝国は「領地を守るために戦争を職業とする武士が育ってきまし
た。」で荘園・農民とのかかわりがもう少し欲しい。
なお用語上、日文・扶桑で律令下の班田収授にかかわって「新田の不足」とあるのは気
になる。普通は江戸時代に新たに開墾された田が「新田」といわれている。帝国は貴族
政治の経済的土台が記述不足(荘園との関わりなし)。扶桑は貴族政治の経済的基盤と
しての荘園や、荘園と武士の関係については記述しない。
4 元寇( 元寇襲来を世界史的視野で捉える。日本・宋・高麗・ベトナム・元との相互
関係の描き方)
13世紀の世界(ユーラシア)地図は、各社とも一応何らかの形で載せている。しか
し、東アジア・東南アジアの中での「日本への元の襲来」扱いとなる。元への高麗の3
0年に及ぶ抵抗について記載があるのは、日書、大書、教出、清水。教出は三別抄から
の日本への手紙を史料として載せる。三度目の計画とその中止に触れるのは,日書、大
書,教出、東書、清水。元寇失敗の原因に日文は「(高麗につくらせた船が)抵抗の意
味もあって手を抜いたものも多く」と書く。
扶桑は「高麗や宋の兵も多く混じっていて、内部に不統一をかかえていた。」とは書く
が、なぜそうなったのかの記述はなく「二度にわたる暴風は日本を勝利に導き、その後
も、神の力による神風と信じられていた。」とあり、東アジアや東南アジアの動きとの
関連はかかれていない。帝国は「神国」意識や「高麗を低くする考え方を生む。」と書
く。
5 土一揆
各社とも、具体的な資料を使って、室町期の村や町の自治と土一揆を記述しているが、
土一揆の取り扱いにちがいがみられる。東書・清水・日書・日文は農村の自治のなかで
取り上げているが以前の教科書より記述量が減少している。扶桑も同様な取り扱いをし
ているが、「誇るべき農村の自治」を記述することに重点を置き、土一揆についての記
述は、4行である。
大書と教出は、土一揆と応仁の乱をひとつの項目として扱い、土一揆の記述量が比較的
多い。大書は「立ちあがる民衆と応仁の乱」という項目をもうけ、教出は「下剋上の
世」という項目をもうけている。これら7社に対し、帝国だけは、応仁の乱の後に、土
一揆を記述している。
6 農村の変化百姓一揆
百姓一揆の記述は、従来、18世紀後半を対象とし、農村の変化の結果として百姓一揆
が記述されることが多かったために、享保改革の記述の前後に置かれていた。今回、各
社の教科書をみると、それぞれ百姓一揆の扱い方が異なっている。日書と教出は、享保
改革の前に置かれ、農村生活の変化と百姓一揆の関連が書かれている。東書と帝国は、
享保改革の記述の後に置かれている。
以上4社に対して、従来の位置に記述がないのは次の4社である。大書は、寛政の改革
の後に、農村生活の変化と百姓一揆の記述があり、その後に元禄文化の記述がある。
清水は、田沼の政治の記述のなかで、わずか3行で百姓一揆を記述している。日文は、
綱吉の政治の前に、百姓一揆の記述があり、17世紀後半から18世紀にかけての記述
がまとめられている。扶桑は、享保や寛政の改革の記述のなかで、政治の対象として、
百姓一揆にふれている。
7 自由民権運動
各社とも、自由民権運動の記述は、従来の教科書に比べ短くなっている。そこで、何が
削られ、何が残されたかを中心に検討した。各社とも、自由民権運動の一方の推進者で
ある士族のことは、記述しているが、もう一方の推進者である農民や都市の住人につい
ては、記述が様々である。
日書は、「豪農とよばれる有力な農民」が一方の推進者であることと、その署名運動ま
で書いている。大書は、学習活動や署名運動を進めたのが「有力な農民」と書いてい
る。この2社以外は、自由民権運動の推進者として、「平民の参加」(清水)、「地方
の地主や商工業者」(日文)、「商工業者、地主(豪農)」(帝国)、「都市の知識人
と地方の有力な農民」(教出)、「商工業者と地主」(東書)をあげているが、その活
動や役割についての記述は少ない。扶桑は、自由民権運動にふれているものの、士族中
心の記述であり、例として、「地方の篤志家」が憲法案を書いたとある。しかも、それ
は国民の知的水準の高さを示す例として取り上げている。
8 日清・日露戦争
まず、日清・日露戦争の記述量について述べておく。他の6社が日清・日露戦争を3〜
5頁で記述しているのに対し、清水は2頁、扶桑は10頁である。
また、日清・日露戦争の描き方にも、各社の差がでている。日書・大書・教出は、与謝
野晶子と幸徳秋水を戦争に反対した人々として取り上げている。帝国は内村鑑三を、日
文は与謝野晶子を東書は幸徳秋水を例として反対した人々の存在を示しているし、与謝
野晶子の詩などを資料として乗せている教科書もある。これに対し、反対した人々につ
いてふれていないのは、清水と扶桑である。扶桑は、与謝野晶子をコラムで取り上げて
いるが、「家族愛」を大切にした人の例として取り上げている。
9 第一次世界大戦と大正デモクラシー
無併合・無賠償・民族自決というレーニンの主張をウィルソンの民族自決・国際連盟創
立の主張とともに取り上げているのは日書、教出、帝国。
ロシア革命を1ページにわたり記述するのは扶桑「その後の歴史でも個人の自由が保障
された市民社会、資本主義の成功した国には革命は起こらなかった」
三・一独立運動「柳寛順」をとりあげる教科書が増えた。東書、帝国、日文。
日書は「行進する女子学生たち」の写真と運動の地図。
大正デモクラシーの社会運動ではとくに女性解放運動をどの社もとりあげるようになっ
た。労働争議・小作争議・メーデー・日本農民組合成立・全国水平社創立とどの社も並
ぶ。
10 十五年戦争
南京事件と南京(大)虐殺
「南京虐殺」を使っているのは、東書・教書・清水・帝国・日文。「南京事件」は日
書・大書・扶桑。しかし、内容は全く違う(大書は日書とほぼ同じ)。扶桑「12月南
京を占領した(このとき日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」
「東京裁判では……多数の中国人民衆を殺害したと認定した。なおこの事件の実態につ
いては資料の上で疑問点も出されさまざまな見解があり今日でも論争が続いている」
(日書)「年末には日本軍は首都南京を占領したが、そのさい20万人とも言われる捕
虜や民間人を殺害し暴行や略奪もあとをたたなかったためきびしい国際的非難を浴びた
(南京事件)」「注:日本人の多くはこの事件のことを戦争が終わるまで全く知らされ
なかった」
太平洋戦争(戦争の呼称)
(1) 太平洋戦争 東書・教書・日文
(2) 太平洋戦争(アジア太平洋戦争)日書・大書・清水・帝国
(3) 大東亜戦争(太平洋戦争)扶桑
11 日本国憲法の成立
日本政府改正案→GHQ草案→国会審議→公布という道筋は各社共通だが、東書は最初
の日本政府改正案をとりあげていない。
草案に正当や民間研究団体の意見を参考にしたとあるのは日書・清水・帝国
12 安保体制と平和運動
目に付いた各教科書の特徴点・問題点を挙げておこう。
日書サンフランシスコ平和条約の説明が詳しい。単独講和論と全面講和論。フィリッピ
ン代表の演説要旨など東書ベトナム戦争を3行のみで記述。
大書60年安保の説明文わかりよい。在日韓国朝鮮人の問題を在留外国人のグラフと共
にとりあげている。
教出アジア・アフリカ会議の記述が詳しい。
清水沖縄、地図で基地の存在を示しベトナム戦争と沖縄基地の関わりを記述。
帝国沖縄復帰と基地、説明ていねい、地図もみやすい。
日文沖縄基地、地図だけで本文の説明がない、60年安保は大きくとりあげているが、
ベトナム戦争の記述がない。
扶桑大東亜戦争という視点から戦後の体制・運動をとらえている。1946年2・1ゼネスト
は1947年の誤り。