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一方的な非武装を恐れる心
井上 澄夫
(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
日本国憲法第9条が規定しているのは日本国家の非武装であり、非武装が実
現したとき、私たちが外国からの攻撃・侵略に抵抗する手段は、積極的・主体
的な市民的不服従である―。こういう論を、私自身が非武装・非暴力主義の立
場に立つことを鮮明にしながら、本紙を含めて、最近、立て続けに書いた。
それらへの反響は大きく、とりわけ女性たちから、多くの支持表明が寄せら
れた。しかし沖縄の平良修牧師や信太正道さん(『厭戦庶民の会』)などを除
けば、反戦運動の中でも、男性の反応は鈍く、むしろ戸惑いの表明が多かっ
た。
それが意味することの解明は、私の宿題であるが、とりあえず問題は二つあ
るだろう。日本国家の一方的で完全な非武装化への戸惑いと、抵抗の手段を市
民的不服従とすることへの戸惑いである。今回は、例を挙げて前者に触れる。
本年5月2日、社会民主党の土井たか子党首が、「21世紀の平和構想」を
発表した。その眼目は、南北朝鮮、米国、中国、ロシア、モンゴル、カナダ、
日本の8ヶ国による「北東アジア総合安全保障機構の創設」であろう。「北東
アジアに信頼と協調による多国間の総合安全保障機構を創設し、地域内の紛争
予防に努めます。もし国際紛争が生じたら平和な話し合いによる解決を図り、
決して武力は行使しません」とある。これはおそらく、冷戦終結後結成された
欧州安保協力機構(OSCE、95年1月発足)をモデルにした構想だろう。
OSCEは、欧州全域に米国、カナダを加えた「多極的信頼醸成・調整機構」
である。だが土井構想は、形は真似ても、肝心の信頼醸成の方法に触れていな
い。谷口長世著『NATO』(岩波新書)は、こうのべている。
〈信頼醸成措置というのは一言でいえば徹底した「〔国家〕性悪説」の立場に
たち、国家は軍縮条約を結んでも必ずごまかしや裏切りを企てるとみて、予
め、ごまかしや奇襲が不可能なしくみを講じようという意味である。
軍縮・軍備管理が条約にまとまるには、(1)相手がどんな兵器を大体、どのく
らい保有しているかを双方がつかんでいる、(2)その兵器を削減する規模と方法
を定める、(3)削減が守られ、余分に隠された兵器の有無を検証・査察する方法
を予め申し合わせる……の三要素が必要になる。
この(3)の検証・査察については兵器だけでなく軍事演習に関する事前通告・
監視・現地査察の義務を伴う諸措置をまとめたCSCE〔欧州安保協力会議〕
の欧州信頼醸成措置会議(ストックホルム軍縮会議〔86年〕)が非常に大き
な成果をあげた。ストックホルム会議の成果を、さらにきめ細かくし充実させ
ようというのが、89年3月にホーフブルク宮で始まったCSCE信頼醸成措
置会議であった。同会議の成果は「ウィーン文書1992」にしてまとめら
れ、これ以上不可能なほど相互信頼の措置を盛り込んだ。そしてこれにバック
アップされる形で、同じ宮殿内においてNATO〔北大西洋条約機構〕とワル
シャワ〔条約〕機構両陣営による欧州通常戦力(CFE)交渉が同時進行で始
まったのだ。〉
だが、このような「信頼醸成措置」は、あくまで軍事力の均衡をベースにし
ているから、予期せぬ原因によってバランスが崩れれば、機構として制度化さ
れているだけに、〈信頼のシステム〉が〈不信のシステム〉に暗転し、機能麻
痺に陥るのではないか。実際、OSCEは、ボスニア問題、コソボ問題など
で、早くもその限界を露呈したと指摘されている。
土井平和構想には、「透明度を高める信頼醸成措置」なるコトバがあるが、
その具体的な内容は定かでない。しかし、同構想もまた、あくまで軍事力に依
存しているのであり、それは、「政策目標」の中の「(5)自衛隊の縮小・改編」
に、如実に露呈している。
〈憲法第9条に基づいて「平和基本法」を制定し、肥大化した自衛隊の規模や
装備を必要最小限の水準まで縮小するためのプログラムを策定します。
新しい中期防(中期防衛力整備計画、2001年〜2005年)に盛り込まれ
た抑止力優先の攻撃的な装備の調達は削除するよう要求します。将来的には、
いずれ自衛隊は国境警備、国土防衛、災害救助、国際協力などの任務別に分割
し、縮小、改編することをめざします。〉
和田春樹氏、前田哲男氏ら9名が、93年4月号の『世界』に寄せた「平和
基本法」共同提言は、旧社会党転向の有力なテコになった。分解しながら党名
を変えた社民党は、護憲と創憲との間を漂いつつ、とうとう転向の原点たる
「平和基本法」に回帰したのである。
「平和基本法」の共同提言者たちは、「最小限防御力」の中身を、ついに明
らかにしなかったが、それは、近隣諸国の軍事力との均衡を基準に決められる
と考えていたから、説明のしようがなかったのだ。外部の脅威が大きくなれ
ば、それにつれて、どこまでも肥大する「最小限」だったのである。
ところで、土井構想の公表に先立って、古関彰一・獨協大学教授が、社民党
のヒアリングに応じてのべた意見が、『社会新報』4月25日号に出ている。
〈古関さんは、日米安保条約の草案作成段階から有事の際の指揮権が米国側に
属するとした密約が存在するとした上で「そのことが日本の再軍備を批判する
アジア諸国への説得材料になった」と指摘。併せて戦後、自国のために自国の
指揮下でのみ行動する軍隊を持つ国は先進国では米国以外にないと述べ、「軍
事力は地域内でコントロールされて当然と見るべきであり、自分の国を自分で
守るために改憲が必要だとする願望は実際には不可能だ」とした。その上で古
関さんは、日米安保条約と自衛隊の関係に関連して「米軍が(アジア太平洋地
域に)存在するから安全だと考えるアジア諸国にとって安保廃棄は不安定要因
となりかねないとして、(1)自衛隊の大幅な縮小 (2)公正と信義に基づくアジ
ア諸国との安全保障関係構築―が日米安保解消の大前提だと主張した。〉
報道が正確であることを前提にすれば、こういう論調が、先の土井構想に反
映していることは間違いない。実際古関氏は、「平和基本法」提言者の一人な
のである。
密約が本当に存在するなら、ぜひ明らかにしてもらいたいが、彼の意見を採
用するなら、自衛隊も、軍事力による安全保障体制も、永遠になくならない。
「アジア諸国との安全保障関係」は、「地域内でコントロールされた自衛隊の
最小限防御力」を前提とするにちがいない。とすれば、かりに日米安保体制が
なくなっても、アジアには、自衛隊を筆頭とする各国の軍事力の均衡による安
全保障体制が、新たに構築されることになる。それが、つまるところ《アジア
太平洋版OSCE》=「北東アジア総合安全保障機構」であるというわけだ。
「平和基本法」制定を掲げる人びとが、軍事力信仰の呪縛から解放される日
は、ついに訪れないだろう。なぜなら彼らは、一方的な国家非武装の実現に対
する、心底からの恐怖心を共有しているからである。
〔非核市民宣言運動・ヨコスカ『たより』2001年5月号への寄稿〕