日本平和委員会の川田です。
昨日、記者会見で発表した、米国内の基地跡地利用問題についての
報告論文『経済的刷新―地域社会での軍事基地跡地利用』(米国防
総省)の抜粋をアップさせていただきます。
国防総省が、米本土の基地閉鎖と跡地利用で、「地域社会がこれだ
け活性化した」と宣伝しているのを見ると、振興問題をからめて基
地の押しつけがはかられている沖縄の現状にたしては、「どうなん
だ」と言いたくなります。
この報告に添付されている基地跡地利用の「サクセス・ストーリー」
なるものを見ると、基地閉鎖後の地域社会の発展のイメージがリアル
に分かって、大変興味ぶかいです。
しかも別の報告(『基地再編成および閉鎖に関する国防総省の報告』)
では、「本土の基地を減らして大丈夫か」という問にたいして、あた
かも「アジアと欧州の10万人体制があるから大丈夫」と言わんばか
りの記述さえあります。
※なお、拙劣ですが、『経済的刷新―地域社会での軍事基地跡地利用』
の全文と「サクセス・ストーリー」の抜粋の邦訳がありますので、
御希望の方はテキストでお送りします(ダイジェストは『平和新聞』
に掲載されています)
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経済的刷新:
地域社会での軍事基地跡地利用
1999年4月21日
我々は生き残った。そして、市民のほとんどが、
基地閉鎖以前よりも、暮らし向きが良くなったと思っている。
カティ・ポダグロシ(Katy Podagrosi)
イリノイ州、ラントゥール(Rantoul)市長
1993年にシャヌート(Chanute)空軍基地閉鎖
要約
1988年から1995年の間に、連邦政府は、97の主要な基地を閉鎖対象
にえらんだ。1993年以降、閉鎖した74の基地のうちの62で、地域社会へ
の重要な変化があらわれている。多くの地域社会が、軍事基地の閉鎖は、
経済的な弔いの鐘となるのではないかとおそれたが、実際には、新しい経
済的な未来への歩みの、始まりをつげる鐘となったのである。たぐいまれ
な地域のリーダーシップのもと、強力な経済と当該地域の援助を行うとい
う大統領の公約がむすびついて、軍事基地の閉鎖は、全国いたるところで、
地域経済刷新の起動力となっている。
地域社会の経済基盤を再構築することは決して容易なことではないが、
閉鎖された基地は、これまでとちがった将来への道をしめすうえで、地域
社会にとって唯一の、もっともかけがえのない資産となり得るのである。
過去の経験では、1960年代、70年代に基地を閉鎖した地域社会は、基地
閉鎖によって失われるよりも多くの雇用を、バランス良く創出するために、
その施設を活用してきた。そして1988年以降、約半分の文民雇用が補填
された。最近の「フォーブス」誌の「基地を閉鎖し、仕事をつくれ」と題
する記事は、基地の閉鎖が、地域社会がより強力で、多様性をもった地域
経済を確立するうえで力となるということが、次第に認められつつあるこ
とを示している。
軍にとって不用となった施設と労働者をすみやかに再雇用するためには、
強力な地域的リーダーシップが重要である。経済刷新計画は、影響をうけ
る地域の将来に利害をもつ地域団体、会社、労働者によって提案されなけ
ればならない。そして、これらの人々が、地域にあった経済ヴィジョンを
作成し、その実現をすすめるのである。
連邦政府の役割は、地域社会が新たに使用可能となった資産を、活用し
やすくして、地域的な再利用を促進することである。再利用のいくつかの
際だった成功例にもかかわらず、1993年以前は、連邦政府が、基地閉鎖
にとって大変良い活動をおこなってきたとはいえない。過去ときっぱり決
別して、1993年、クリントン大統領は、地域社会が、閉鎖された基地の
重要な資産を、迅速に利用するための、5つの部分からなる計画を発表し
た。同政権は、以下の措置によって、基地閉鎖地域社会の急速な発展と、
新しい雇用の創出に焦点をあててきた。すなわち、地域の計画策定プロセ
スの促進、資産の安価な売却、資産をより魅力的なものにするためのイン
フラストラクチャー改善への投資、地域社会で必要とされる技術を労働者
が身につけるための訓練への資金援助、軍による環境汚染の浄化。こうし
た連邦政府の援助は、閉鎖された基地における新たな事業活動への民間投
資を魅力的なものとし、またそれを補うものとなってきた。
結果として:
1988年以来、閉鎖された基地において50,000人の文民雇用が創出された。
これは閉鎖によって失われた文民雇用の48%にあたる。
1,300以上の民間および公的セクターの雇用者が閉鎖された基地で活動し
ている。
そして、すでに15の地域社会が、基地閉鎖によって失われた以上の文民雇
用を創出している。
1998年12月、連邦会計検査院(GAO)は、「閉鎖された基地周辺の地
域社旗の多数は、全国平均とくらべて、経済的によい暮らしをしており、
閉鎖が開始された時よりも改善が見られる」と報告している。GAOによれば:
1997年時点では、1988年以降の基地閉鎖によって影響をうけた地域の約三
分の二(62のうちの42)で、失業率が全国レベルの5.1%以下となっている。
これと比較として、1988年では、60%(62のうちの37)が合衆国平均(当
事、5.5%)以下の失業率であった。
こうした統計の背景には、基地施設の閉鎖を、雇用を創出する民間投資のた
めの起動力としていった、それぞれの地域の多くの感動的な話がある。
カルフォルニア州のアラメダ(Alameda)には、かつて航空機の分解検査を
行うアラメダ海軍飛行場があったが、今は、ハリウッドの映画スタジオが撮影
をおこない、生まれて間もない会社が、改良型電気自動車や新しいテクノロ
ジーを市場に送り出そうと活動している。現在までに63のテナントが、
1,364の雇用を生み出している。
マサチューセッツ州のアイヤー(Ayer)は、以前ディヴェンス(Devens)陸
軍駐屯地があったが、現在はジレット製造販売機構が、陸軍の作戦場を使用し
ている。ボストン&マリン鉄道の施設の車輌がジープにとってかわり、かつて
軍事従業員がいたところに、いまは1,500の文民雇用が存在している。
テキサス州のオースチン(Austin)では、ベルグストーム(Bergstorm)空軍
基地が間もなくオースチン=ベルグストーム国際空港になり、第12空軍の師団司
令部は、近くヒルトン・ホテルになる。25のゲートと、一日260便を有するこの
空港は、初年度に600万人の利用客が見込まれている。
(これらと他の基地再利用サクセス・ストーリーのより詳細な記述は別途添付)
基地再利用サクセス・ストーリー
(抜粋・順不同)
ウィリアムス空軍基地(メサ、アリゾナ州)
今日ではウィリアムス・ゲートウェイ空港として知られている、ウィリアムス空
軍基地は、国際的な飛行・航空宇宙センターへと、すばやい転換をはかった。そ
こでは現在30の会社が、航空機メンテナンス、修理、航空電子工学、飛行訓練、
航空貨物操業に従事している。跡地は、国外貿易圏としてつくられてきた。加え
て、教育、訓練、研究施設として、ウィリアムス・キャンパスが、アリゾナ州立
大学をはじめとする地域研究機関の共同出資によって、建設されている。基地閉
鎖によって728の文民職が失われたが、ウィリアムスは現在、1,605以上の新し
い職をうみだし、2,300人の学生と600人の高校生を受け入れている。最終的に、
ウィリアムス・ゲートウェイ空港とウィリアムス・キャンパスは、17,000人を雇
用し、20,000人の学生を受け入れることが期待されている。
ビュルトスミス空軍基地(オスコダ、ミシガン州)
この基地跡地は、人口わずか1,061人の田舎町にあり、その郡の人口は全体で
30,209人にすぎない。……基地閉鎖時には、750の職が失われたが、今日までの
ところ、1,141の新しい職が基地跡地にうまれている。基地にあったいくつかの住
宅ユニットは、安価な住宅を供給するための公民共同のイニシアチブによって、
地域全体へと移転させられた。残った住宅ユニットも、基地内で年金生活者や休暇
のための共同施設へと再利用されることになっている。
ベルグストーム空軍基地(オースチン、テキサス州)
「オースチンで飛ぼう―天井知らずだ」これは、ベルグストーム空軍基地跡にで
きた新しいオースチン・ベルグストーム国際空港の、盛大なオープニング
(1999年4月)のテーマである。1993年にベルグストーム基地が閉鎖されたとき、
それによる経済的損失は年間4億ドル以上にのぼるとされた。今日オースチンは、
2012年までに空港事業にかかわって、16,000の新しい雇用を生み出すことが期
待されており、725,000平方フィート以上の周辺地域が開発される予定である。
空港開設を見越して、すでに2つのオフィス・ビルが建てられている。数週間の
うちに、おそらく今世紀最後となるであろう合衆国の大規模空港の開港であり、商
業空港となる最初の軍事基地を祝う催し物がいくつも行われる。貨物輸送業務はす
でに1997年半ばから始まっている。5月2日には、最初の乗客を乗せた飛行機が着
陸する。それは、オースチンとテキサス中部における航空サービスの新時代をきり
ひらくものとなる。25の搭乗口をもち、一日に260便が行き交うこの空港は、初年
度だけで600万人の乗客を受け入れる。ベルグストーム基地を6億9千万ドルで国際
空港にしたことによって、オースチン市は、土地収用と滑走路建設に関して2億ドル
を節約できたとしている。連邦航空局は、6千5百万ドル以上を空港再開発と建設の
ために援助した。ベルグストームの古い建物のなかで最も際だっているものの一つ
である第12航空師団司令部は、そのユニークなデザインから「ドーナッツ」と呼ば
れているが、2000年4月には、ヒルトン・ホテルとして再オープンする。
シャヌート空軍基地(ラントゥール、イリノイ州)
今日、70以上の商工業テナントが跡地で活動しており、その総面積は、130万平方
フィートをこえる。これらのビジネスは、1,416の新たな雇用を生み出してきたが、
それは、閉鎖が発表された時点の文民雇用レベルを上回るものである。そして、
120万ドル以上の年間収益を生み出している。新たしい企業のなかには、自動車の
プラスチック部品を製造するテクストロン(Textron)やマイクロ・フィルム編集・
文書蓄蔵施設がある。新しく建設された民間空港は、10カ年計画をわずか2年で成
し遂げ、現在、一ヶ月に700回以上の運行を扱うまでになっている。さらに、900
家族以上がかつての基地住宅を使用してる。関連して、革新的なケア・プログラム、
メディカル・クリニック、高齢者住宅を提供されている。加えて、基地跡地には、
135エーカーの公園とレクレーション施設ができている。
アラメダ海軍飛行場/海軍航空兵たん(アラメダ、カルフォルニア州)
基地にはすでに1000以上の新しい雇用が存在しており、新たにアラメダ・ポイント
と名付けられたこの地の将来は、大変約束されたものとなっている。先進的な特殊効
果の映画作製会社である、マネックス・エンターテイメントは、大規模な映画作製セ
ンターをつくることをめざして、かつての飛行場にその国際本部を設立した。カルフォ
ルニア州立大学をスポンサーとする小規模の孵化器メーカーである、ACET、アラメ
ダ環境技術センター(Alameda Center for Environmental Technology)は、
1998年から稼動し、現在、操業を開始した10の企業に供給してる。先進輸送産業は、
この基地跡地におけるもうひとつの輝かしい特徴である。カルフォルニアで同種の産業
を促進することをめざした公民共同出資である、カルスタート(CALSTART)孵化場は
現在、かつてのヘリコプター修理格納庫の外で操業している。孵化場は、200人以上を
雇用する14の新たにできた企業の元請けとなっている。そのなかには、電気自動車製
造所やサイバートラン(CyberTran)があるが、ぞれらは、高度に自動化された
システムを試験するためのトラックを使用している。合衆国魚類・野性生物サービスは、
アラメダ・ポイントの525エーカーを、稀少なアジサシ(訳注、カモメに似た海鳥)全
国野生生物避難所として保有している。