○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
重ねてこ答弁するのも恐縮でございますが、私どもは賃貸借契約予約締結依頼書に
書かれている内容をご説明し、地主さんの方々にご理解を得た上で、予約作業を進め
させていただいておりますので、今のご質問へのお答えは、予約締結依頼書に書かれ
ている内容をご説明をして、ご了解を得て、作業を進めさせていただいていると。こ
れは一般的なお話でございますが、その事実関係をご報告して、説明にかえさせてい
ただきます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
ちょっと今の説明納得いきませんが、皆さんの説明は分かっているんです。私が言
うのは、予約締結依頼書にわざわざそういう形で、一律20年、確定的に20年であ
るかのような書き方をされて、文書をつくられている。しかも、それについては、現
在使用しているものについて、今後使用することについても、民法上一律20年とい
う決まっているから、あえて説明をしなかったんだと言い方されているんで、それは
間違いじゃないかと。
そうであれば、今後、それを訂正すべきじゃないかというふうに思うんですが、い
かがですか。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
私のほうは、先ほど来申し上げてますが、収用委員会さんのほうからの釈明事項の
18の2に関してのお答えとして、今、申し上げているような、事実関係をご報告し
ているわけでございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
ちょっとそれ以上議論がかみ合いませんので、いずれにしろ、施設局の文書の書き
方は明らかに間違っておりますので、そういう間違いのもとに説明を省くというよう
な契約締結の仕方は、これは明らかに国民を愚弄するものだと思いますので、やめて
いただきたいということをご要望して、次に移ります。
古波蔵さんの件ですが、予約締結の際に、土地所有者からは対象土地の位置確認の
申し出はなかったということで明確にお答えをしております。それについて、古波蔵
さんは、いや、自分はちゃんと位置確認の申し出をしたと、それで確認ができなかっ
たから、契約締結については進まなかったとい話もされているわけです。
そこで、施設局にお尋ねいたします。
申し出はなかったということを、部長はだれから、担当の施設局員の具体的にだれ
からそういうお話をお聞きになったのか、明らかにしていただきたい。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
お答え申し上げますが、私どもとしましては、だれからというより、賃貸借予約の
予約締結依頼に際し、位置境界確認の申し出はなかったということを繰り返させてい
ただきます。
いずれにしましても、私どもそういう調整、多々、担当のものがいろいろやってま
すが、結果としまして、私どものほうでお答え申し上げておりますので、予約締結依
頼に対しまして、われわれとしてそういう認識をもっているということを、改めてご
説明させていただきます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
では、具体的に担当者の名前を明らかにできないということですね。
それで、今のご説明の中で、予約締結依頼に際しということを強調されていたよう
にお聞きいたしました。そうであれば、予約締結依頼以外にそういう申し出があった
かどうかについては、いかがでしょうか。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
私は今お答え申し上げていますのは、予約締結依頼に、土地の位置を確認したいと
申し出があった否かという、上記に関し、土地所有者から、こういうことがあったか
否かというご質問の流れになっていまして、上記に関してというのは予約締結依頼に
関してということなものですから、予約締結依頼にということでご説明を差し上げて
いる次第でございます。
なお、私どもは、古波蔵豊さんに賃貸借契約のご依頼については、いろんな局面で
お願い申し上げてございますので、そういった場面でのやり取り、どういった内容が
あったかということについては、私はつまびらかに検証してございませんので、とり
あえずご質問の趣旨に即してお答えしているということでございます。
○当山会長
仲山代理人、よろしいですか。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
予約締結依頼については、結構です。次の求釈明に移ります。
○当山会長
古波蔵さん。
○地権者(古波蔵豊)
19番について質問したいと思います。
二つあるんですけど、まず1点目に、施設局のほうとしては、牧港補給地区の施設
運営上、施設全体の有機的一体としてこの土地は機能しているので、必要欠くべから
ざるものであるというふうな形でお答えなさっているんですけれども、この私の土地
がどういうふうな形で、キャンプ・キンザーの基地の中で有機的一体として機能して
いるのか、そこらへんのところを具体的に明らかにしていただきたいと思います。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
関連質問です。
これは使用期間を10年とした根拠について、本件土地は牧港補給地区の施設運営
上、施設全体の有機的一体として機能して、必要欠くべからずものであるという前提
でされているわけです。
今、古波蔵さんからもお話がありましたように、施設全体と有機的一体として機能
しているという言葉が、あちらこちらで散見されます。
そこで言う有機的一体とは何か。まず、それの具体的な中身、内容、その定義をし
ていただきたいと思います。お願いします。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
私のほうから、ご説明の手順としまして、19番目の求釈明項目がございますので、
もう一度確認する意味で、お話をさせていただきますが、使用期間を10年とした根
拠が何かというご質問でございます。
牧港補給地区についての強制使用の裁決期間は10年と認められたものもあれば、
5年と認められたものもあるということが記されてございますが、それで、今ご質問
がございましたけれども、私どもの報告としまして、本件土地は牧港補給地区の施設
運営上、施設全体と有機的一体として機能し、必要欠くべからざるものであり、返還
の予定がない、引き続き駐留軍に提供していく必要である土地であることから、今後
とも円滑かつ安定的に使用の確保を図る必要があります。
二つ目として、一方、昭和62年の収用委員会の裁決において、使用期間を10年
とされたことの事情も考慮し、使用期間を10年といたしましたということで、答え
てございます。
関連の事項で、有機的一体とはどういうことかということでございますが、私とし
ましては、今お答えしましたように、本件土地につきましては、牧港補給地区の施設
運営上、施設全体として有機的一体的に機能し、必要欠くべからざるものであるとい
うことを、重ねてご説明申し上げます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
部長さん、私は施設全体と有機的一体として機能しているという、その内容は何か
と聞いているのに、同じ言葉でお答えになったら、答えになってないでしょう。
だから、そこで言う有機的一体とは何なのかということを、その内容を具体的に説
明していただきたい。
(「そうだよ」と言う者あり)
有機的一体として機能しているということは、書いてありますから、言葉として分
かりますよ。その中身が分からないから、聞いているんです。
皆さんの書いた文書ですよ。有機的一体の中身を、具体的に明らかにしてください。
これは非常に重要なことですので、ぜひ明らかにしてください。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
私としましては、先ほどから申し上げてますが、10年とした根拠は何かというご
説明を求められたものですから、先ほどのようなお答えをしているということでござ
います。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
実は、これが一番本件で最も重要なことなんですよ、本件土地の使用にあたって、
この間、ずっと有機的一体という言葉は、あらゆる場で施設局は使ってきているんで
す。国は、しかし、その中身を具体的に明らかにした例は、これまでないんです。
今回もまた、性懲りもなく有機的一体を使っているんです。それで、あえてその内
容をお聞きしているんです。皆さん、あれでしょう、必要欠かざるものであると、有
機的一体として。
そうであれば、私のほうから質問しましょうか。もし、古波蔵さんの土地が返還さ
れれば、牧港補給地区の機能が喪失してしまう、そういうことを意味するんでしょう
か、有機的一体とは。
施設の機能として、もう成り立たないと。だから、それは返せないと。それが返れ
ば、施設全体の機能が喪失してしまう、なくなってしまうんだと、そういう趣旨で理
解してよろしいでしょうか。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
重ねて申し上げますけれども、使用期間の10年とした根拠については、私は求釈
明を求められてましたので、お答えをしているということでございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
あなたたちが、10年とする前提として、有機的一体論を出しているんです。それ
との関係で、私は聞いているんです。
収用委員会において、使用期間をどうするかというのは、非常に重要な問題なんで
す。それで、あえて10年とする根拠に、それの背景的な根拠というんでしょうか、
その中で皆さんが有機的一体という言葉を使っているもんですから、あえて私はお聞
きしているんです。自ら書いた文書ですから、その中身については承知しているはず
です。
私の書いた文書ではないですよ。栗原さん自身が書かれた文書ですよ。その中身を
明らかにしてください。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
先ほど来、申し上げているとおりでございまして、本件土地につきましては、牧港
補給地区の施設運営上、施設全体と有機的一体として機能し、必要欠くべからざるも
のであるという認識を持っているということを、重ねて申し上げます。(「こんな公
開審理でいいんですか、本当に」「ちゃんと指示をやってくださいよ。とんでもない
よ」と言う者あり)
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
再三のお答えを結論づければ、答弁不能というふうにしか、言いようがないと思う
んです。
私が、わざわざ助け船を出して、この土地がなくなったとすれば、施設全体として
機能しないのかと、そういう趣旨かということについても、お答えがありませんでし
た。
私は、まさに答弁不能だと。そこに、本件強制使用の本質的な問題点が潜んでいる
だろうというふうに感じるものです。
そこで、それとの関係で1点だけ、ちょっと確認したいんですが、瀬名波通信所の
新垣昇一さんの土地、それの土地についても、皆さんは有機的一体であるということ
で、強制使用の裁決申請をして、それについて収用委員会は、短期間で返還をされた
わけですね。
皆さんの論理によれば、瀬名波通信所は新垣昇一さんの土地が返還されたことによ
って、有機的一体が損なわれたということになると思うんですが、それについて、現
在、瀬名波通信所の施設がどうなっているのか、新垣さんの土地が有機的一体との関
係でどうなのか、ご説明をお願いしたいと思います。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
私は、今のご質問に対しましては、即答できる材料を持ち合わせてございませんけ
れども、ご指摘のとおり、瀬名波通信施設につきましては、ある時期に返還をされた
ということは、事実でございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
皆さんは確かそれについて、前回、申請は5年でしたでしょうか、10年でしたか。
だけど、収用委員会は1年と3カ月でしたか。
それで返還されても、その施設の機能に何ら影響がないと思っているんです。そう
であれば、皆さんの有機的一体論がいかにごまかしであるかということが、過去の事
実に基づいて明らかになったと思うんです。
それにもかかわらず、今回、また有機的一体論を出して、その中身について説明で
きないということは、これは国民の財産を強制使用するという立場として、いかがな
ものかというふうに思います。これは、意見として申し上げます。
では、10年とした根拠について、昭和62年の収用委員会の裁決が10年だった
ということも考慮したというふうに記載されております。
そこで、あえてお聞きいたしますが、過去の裁決を考慮されて10年とされたとい
う趣旨だということで、ご理解していただいてよろしいでしょうか。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
お答え申しますが、先ほど2点目のところでお答えしておりますので、重ねてにな
りますけれども、62年の当収用委員会の裁決において、使用期間が10年とされた
ことの事情も考慮しということの説明で、今のお答えの説明をさせていただきます。
使用期間を10年とされたことの事情も考慮した上で、本件につきましては、13
年4月1日から10年としたということでございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
牧港補給地区については、過去3回、米軍用地特措法による強制使用がなされてき
ました。最初が82年です。そのときは5年間でした。次が87年、皆さんの言う昭
和62年。そのときが10年です。そして、98年の9月に5年の使用裁決が出てい
るはずであります。
そうであれば、直近の使用裁決は5年です。それにもかかわらず、直近の98年9
月の5年を参考にせずに、どうして87年(昭和62年)の10年を参考にされたの
か。
普通、参考にするんであれば、直近のものを参考にするというのが通例だと思うん
ですが、わざわざそれを飛ばして、前の前を参考にされたのか。そのご説明をお願い
いたします。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
先ほど来申し上げてございますが、釈明事項の請求の中の括弧書きに、10年と認
められたものもあれば、5年と認められたものもあるという括弧書きがございますが、
私どもとしては、収用委員会さんが裁決した期間として10年とされた例もあること
の、その事情を踏まえて、今回こういう形でお願いをしているということでございま
して、いろいろな裁決の期間はご指摘のとおりでございますが、私どもとしまして、
委員会さんが従前に10年でご裁決されたということもあるという事情を考慮してお
答えしているという、ご指示をしているということで、同じような言い方になって大
変恐縮ですが、私どもの趣旨としましては、まさに収用委員会さんが過去に10年と
いう裁決期間をお示しなされたということもあるというような事情も考慮して、申請
させていただいているということでございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
その前提としてお聞きいたしますが、過去に2度、収用委員会が5年という裁決期
間をしたということ事態は知っていらっしゃるんでしょうか、いらっしゃらないんで
しょうか。まず、それからお答えください。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
収用委員会さんが、5年の裁決をされておるというのは、私どもは起業者として当
然、承知してございます。
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
5年であったということも知っていますし、10年あったということも知っていま
すね。では、直近が5年だということもよく知っているわけです。それなのに、直近
じゃなくてその前の前をとったのは、どうしてですか。ただ単に過去にそういうこと
があったということは分かりましたが、どうして5年と10年が両方あるのに、なぜ
10年をとられたのか、そのあたりを説明してください。
○当山会長
施設局、どうぞ。
○起業者代理人(那覇防衛施設局施設部長 栗原精治)
重ねて恐縮でございますけれども、この件につきましては、裁決期間の中で10年
という例があるというような事情も考慮して、裁決したということの繰り返しをお答
えするしかございません。(「全然、答えになっていないよ」と言う者あり)
○当山会長
仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
皆さん、これが官僚答弁というものですね。
こういうようなあいまいな形で、国民の権利を侵害するのが国だということが、よ
くお分かりいただけただろうと思うんです。
私は、率直に非常に頭にきて、怒鳴りたい気持ちがありますが、今じっと我慢して
おりまして、とりあえず求釈明はこれで終わります。
○当山会長
それでは、ご意見を伺います。
手順は、知花さんから。どうぞ。
○地権者(知花昌−)
地主の知花昌一です。私の土地の、土地取得経過を少し述べて、そしてなぜ私が契
約を拒否しているかということを述べていきます。
象のオリのある場所は、私たち読谷村波平の前島(トジマ)と言います。私の住む
家は内島、前島に対して内というふうに呼んでおりますが、内島からすると南のほう、
いわゆる前のほうにあります。ここは、次男や三男が分家するときに家を建てる、い
わゆる集落地でありました。だから、戦前は住宅地、集落地であったわけです。私の
土地も宅地です。戦前、私のおじいさんが住んでいた場所であります。
1945年4月1日に、米軍は読谷村から上陸をしました。そのときに私のおじい
さんは、自分の娘を逃がすために竹槍でアメリカと戦い、米軍に打ち殺されて、その
場に埋められたと聞いております。遺骨は戦後間もなく収集したようですが、そうい
う私たちにとっては大事な宅地でありますし、じいさんが死んで埋められた場所であ
ります。
上陸した米軍は、読谷村一帯をすぐ占拠し、1946年8月頃から徐々に地元へ捕
虜収容所から帰還が許されて来るんですが、象のオリの地域はそのまま米軍基地に取
られてしまいました。フィリピンから捕虜として引き揚げてきた私の父、昌助という
んですが、土地を引き継いだんです。ところが、その引き継いだ土地は、今、米軍基
地として占領され、黙認耕作地としてのみ使用を許されていました。結婚した私の両
親は、象のオリにしか宅地がなかったものですから、仕方なく、海外移民で土地を処
分するという方から購入して、今の土地、宅地ですが、波平174番地、私の住むと
ころになったんです。
1955〜56年ぐらいから、象のオリが建設されたようです。それ以来、私たち
は自分の土地に一歩も入れない状態が続いてきました。1971年、沖縄が日本にな
る直前、私の父親は、国が賃貸借契約を求めてきたにもかかわらず、象のオリの地主
80名とともに契約を拒否して、反戦地主になりました。ところが、日本政府は沖縄
にだけ適用する憲法違反である沖縄公用地暫定使用法を沖縄が日本でないときに、卑
怯にも、1971年の11月につくり、それで復帰して1972年5月15日、その
日に適用をし、日本復帰と同時に適用してきました。そして10年間も土地の強制的
な暫定使用を続けながら、反戦地主への切り崩しをしてきました。細切れ返還、経済
的差別、契約地主とのともづれ返還をちらつかせされたり、地主間の反目をあおり、
契約を強要してきました。80人いた象のオリの反戦地主たちも切り崩され、60人
くらいになった段階で、1976年4月1日に、契約地主と私たち親父たちの反戦地
主との反目が地域共同体を崩してしまうという親父たちの配慮によって、不本意なが
ら、契約に親父たちは応じてしまいました。
それから、1994年、契約が切れる2カ月前に、防衛施設庁から再契約の要請が
あったとき、親父から私に、契約をするか拒否するか、相談がありました。親父も2
0年前に契約に応じた無念さがありましたので、契約拒否をすることで一致し、象の
オリの土地を、1994年6月1日に私が生前贈与をすることになったんです。これ
が、私が土地を取得した経過であります。
次に、契約を拒否している理由について述べます。
この土地は、さっきも言ったんですが、次男、三男の分家をする地域でありました
が、象のオリに取られたことによって、次男、三男の分家をするところが、象のオリ
を挟んで西側、私たちの波平の部落から西側のほうに大当(ウフト)地区というのが
あるんですが、そこに分家するしかありませんでした。いわゆるこの象のオリによっ
て、私たちの波平という部落が分断されているということになります。収用委員会の
皆さんも、その現地を見られたので、そこまで気をつけて見られたかは分かりません
が、私たちの波平という部落は、内島の私の住んでいるところと大当地区というとこ
ろに分断されています。そのことによって、子供会活動、老人会活動、そういうのが
阻害されているということであります。これが一つの理由です。
そしてもう一つは、これまで論議をされてきましたが、象のオリについては、アメ
リカ海軍省は1997年の4月付けで、日本のハンザ海軍通信保全群(いわゆる楚辺
通信所のことですが)活動を1998年6月1日を執行日として、廃止することを決
定し、ピーク時には500名ほどいた要員を110名に減った状態で、1997年9
月、部隊の解任式を行い、さらに段階的に部隊を削除して、予定どおり1998年9
月1日で、最後の隊員がハワイに配属され、部隊の任務は終了したということで、新
聞などにも大きく報道されています。
この新聞は1998年の6月4日付けの沖縄タイムスなんですが、「象のオリ返還
へ着々と」「海軍管理班が最終撤退」「米民間会社に業務委託」という形で、このよ
うな新聞が報道されています。そして、これにあるように、「アメリカ民間会社に業
務委託」、これはチャールズ・ウイリアム中将というのが会見で述べているわけです。
その彼らの言ったとおり、現在は、あの民間会社、私たちが調べたところによると、
マーティン・マリエッタ・エアロスベース、これはロッキードの子会社ですが、それ
が管理をしているということが分かっています。いわゆる政府、国が言う国防省通信
沖縄分遣隊という部隊ではないということであります。本当かどうか、あるいは楚辺
通信所、いわゆる象のオリがどのように使われているか、この1週間、調べてみまし
た。ちょっと報告させてもらいます。
3月22日、木曜日、午前9時に行きましたら、皆さん現地調査をされていますの
で、分かったと思うんですが、南側の入り口から入っていきますと、ガードボックス
があります。そのガードボックスの左側に、警備員のガードマンたちの駐車場があり
ます。そして、そこからもう少し行きますと、西側のほうに、アメリカ軍のYナンバ
ーが止まる場所があります。Yナンバーはご存じのように、アメリカ人の車です。そ
ういうことで、何名のアメリカ兵が大体いるかというのが、車を数えれば分かること
になります。そういうことで、ガードマン側に車5台が3月22日、午前9時には駐
車をしています。Yナンバー、西側には車4台です。同じ午後の4時半にはガードマ
ン側が5台、Yナンバーが5台です。ガードマン側は大体4〜5台でずっと維持して
います。アメリカ側の車だけを述べますと、3月23日、金曜日には4時に調査をし
ました。Yナンバーは6台です。3月24日、土曜日は、午前11時に調査をしまし
たら、Yナンバー3台、同じく夜の11時、別の用事で遅く帰ってきましたので、そ
したら2台です。3月25日、日曜日です。これは、Yナンバーは2台しかありませ
ん。26日、きのうですが、12時に食事をとりながらちょっと見たら、西側には3
台です。きょう、朝6時半、行ってみましたら、西側に6台ありました。そして、1
2時にも食事をとって、こちらに来るときに見たんですが、5台あります。そして、
このYナンバーは入り口で見てみると、大体1人が乗っています。車1台に1人が乗
るような状態で移動しています。そうすると、大体、アメリカ人たちは月曜から金曜
までは常に5〜6人程度が向こうにいるだろうと想定されます。土曜・日曜は2人か
ら3名ということになります。その中で軍服姿は、私が調査をした段階では、1人も
見当たりません。国防省直轄部隊60名が配置されていると国は言っているんですが、
そういう人数としてはいないということで、もはやこの楚辺通信所は使われてないと。
アメリカが言うように、米民間会社に業務委託をしている、管理をしているというこ
とだけであります。
そして、もう一つ、反対の理由として、沖縄県収用委員会、皆さんの収用委員会は
1998年の5月に、私の土地の収用裁決を行い、1998年9月3日からことしの
3月31日までの使用期限を設定しています。国は当初、10年の使用申請をしてあ
りましたが、1996年4月1日からの私の土地への不法占拠が続き、また、SAC
Oによって期限が限定されたということもあって、使用期限の申請を国側自らやり直
し、いわゆる2年7カ月に変更しているということで、この変更しているということ
は、これで返すことが約束したというような意味をもっていると私たちは理解をして
いたんですが、また使用するなんていうのはおかしいというのがあります。
そして、私の土地に対しては、国は1996年4月1日より使用権原を失い、以来
389日間不法占拠をしています。そして、現在、この不法占拠に対して、私は損害
賠償の裁判を継承中であります。そういった意味では、国と私の裁判の真っ只中にあ
るということです。
そして、もう一つは、1996年4月24日から1998年の9月3目までの問、
改悪された米軍用地特別措置法によって暫定使用されたということは憲法違反である
ということで、那覇地裁において、これも裁判中であります。この土地には、二つの
裁判が関わり、まだ進行中であるということです。こういったことに対して、皆さん
の収用委員会が私の土地の強制収用をするなんていうのはとんでもないというふうに
思っています。
そういうことも勘案し、ぜひ私の土地に対しては、使用却下をされるよう、意見と
して述べていきます。以上です。
○当山会長
はい、ありがとうございました。
では、古波蔵さん。
○地権者(古波蔵豊)
私は、城間の1556番地の1に土地を所有している古波蔵と言います。
この間、自分の土地というものが、まだ触れたこともなく、立ったこともないとい
うふうな状況の中で、きょうこの場を迎えております。そういった意味では、非常に
理不尽な扱いだなということを今感じているところです。この間、防衛施設局の答弁
をいろいろ聞いておりますと、本当に、目というんですか、その立場というんですか、
そういったのがどこに向いているのかなというものに、非常に憤りを感じてなりませ
ん。そういった意味では、ぜひ、自分たちがどこの立場に立っているのかということ
を改めて考えていただきたいなということを思っております。
特に、県の収用委員会のほうから、米軍調整官、あるいは米国総領事あてに送った
文書の中にもあるんですけど、本当に「駐留米軍に土地提供を拒否している地主の土
地使用については、土地収用法に基づく収用手続きが必要であります。今のままでは、
日本法に基づく適正手続きに非協力的な使用者と言われかねません」というような形
で、収用委員会のほうも米軍のほう、あるいは調整官のほうに述べているんですけれ
ども、そういったことに対して、防衛施設局がどのような対応をしたのかというふう
なことについても、明確な答えもないままに、きょうを迎えております。
そういった意味においては、本当に先ほど言いましたけれども、お互い沖縄県民、
日本国民の立場というものを、どのようにして受けとめてなさっていらっしゃるのか。
先ほど、仲山弁護士からお話がありました。官僚の答弁ですねと。そういう官僚の
答弁では、本当に血の通った答弁としては聞こえません。そういった意味では、ぜひ、
そういうふうな答弁の仕方ではなくて、もっと血の通うような、お互い人間対人問と
しての対応をしていただきたいなというふうに思っております。
私は今、キャンプ・キンザーに土地を持っているんですけれども、キャンプ・キン
ザーというところは、世間一般に言われておりますように、爆音もないです。そうい
った中で、キャンプ・キンザーは基地の使用が、今回も10年というような形で、長
期の申請がされております。
しかしながら、皆さん、このパンフレットは浦添市がつくったものなんですけれど
も、この間、何回となく基地の被害が起こっております。こういった基地の被害を、
私たちはいつまでも引き続き受けていく、そういうようなことは、絶対許してはいけ
ないと思います。そういった意味でも、私はきょう、こういう立場に立っているわけ
であります。
そういった意味で、私はこの土地の状況というものを明らかにしていく中で、ぜひ
自分たちの子々孫々にわたるまでの基地の被害というのを被るわけにはいかないと思
っております。
そういった意味で、私はこのキャンプ・キンザー、浦添の大きな面積を占めている
んですけれども、この広大な面積の土地を早目に返していただいて、浦添の土地の発
展と同時に、沖縄県の発展を含めた、この広大な土地をぜひ大きな生産地、あるいは
また雇用が確保できるような土地に変えていくための一つの礎として、そういうよう
な闘いをつくっていきたいなというふうに思っております。
どうか、きょう県の収用委員会の皆さんにお願いがあります。
皆さん方の気持ちをくみ入れない防衛施設局、同時に米軍に対して、地主の立場を
守っていただいて、この10年間という長期にわたる基地被害をいくらかでも少なく
していただけるように、裁決については却下というような立場で臨んでいただきたい
というふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
○当山会長
ご苦労様です。
それでは、代理人のご意見をいただきましょうか。
○地権者代理人(弁護士 阿波根昌秀)
代理人の弁護士の阿波根です。
この公開審理を通じて、収用委員会の皆さんもそうだと思うんですけれども、私た
ちは特に公開審理の審理のあり方というのは、こんな形でいいのだろうかというよう
な大きな疑問を持っております。
これで本当に審理が尽くされるんだろうかという気がします。中身についての本当
のすり合わせもできてないというふうな印象を持っております。
本当に公開審理をするんであったら、やっぱり対象土地に入っていって、そこで調
べながらちゃんと審理しなくてはいけない。これは、絶対不可欠な要件だと思います。
このようなものを補うものとして、現地立入りを補うものとして、公開審理の中で
の十分な説明が求められておるわけですけれども、そのことについても起業者のほう
からは十分な説明が全く、十分どころか、全くかみ合った議論をしていないというよ
うなことで、非常に残念に思うし、イライラしながら、しょうがないような感じであ
ります。
全く上の歯と下の歯がかみ合わないような状況で、口の中でもぐもぐして咀嚼でき
ないまま、無理矢理に胃の中に物を取り込んでいくような感じのイライラが残ってお
りまして、このままで審理を終わらせていいのかというのが、私の率直な印象であり
ます。
きょう出てきた中でも、新たな問題が出ております。これは大きな問題が出ており
ます。やっぱりこれは回答をしていただくことになっていると思うんですけれども、
いわゆる米国防直属部隊である国防通信沖縄分遣隊、これはそもそも何だろう、どう
いう組織なんだろうということで、具体的な求釈明事項も限られました。
これについても、さらにきちんと釈明をして回答をいただいて、その中身を明らか
にするのは絶対必要条件であります。本当にこのような部隊が、安保条約に基づいて
使用できる部隊なのかどうかを、きちっと審理をしていただきたいというのが、私の
気持ちであります。
それから、牧港補給基地についても、これは本当にこの土地が、皆さん起業者のほ
うでおっしゃっておられる有機的一体を有する土地なのかどうかは、まさに使用状況
を具体的に明らかにする中でしか、それは判断できるものではないというふうに、私
は考えております。
十分、審理は尽くされておりません。ただし、この中できょう多くの問題が指摘さ
れまして、起業者のほうからはぜひ回答するというご回答がありましたので、それを
文書でもって回答いただきたいと思います。
私たち弁護団としての総括的な意見、今出てきた大きな問題もありますので、その
ことについては、その意見を、国からきょう出されたきょうのテーマの宿題がたくさ
んありますけど、それを出された段階で、これを検討しまして、弁護団としてもまと
まった意見を出したいと思います。
結論として、このような審理の中で、強制収用をこの2筆の土地に出されることは、
決して認められるものではないことを、今のところ口頭で申し上げて、総括的な意見
といたします。
○当山会長
はい、ご苦労様です。
求釈明に対する釈明が出た時点で、皆さんにもお配りして、改めて書面等での意見
をいただく予定です。
次に、ほかに、ご意見があれば、仲山代理人。
○地権者代理人(弁護士 仲山忠克)
今、会長のほうからありましたように、総括的な意見については、追って文書で提
出することにしたいと思っております。
いずれにしろ、きょうの公開審理での私たちが求釈明したのは、正確な事実をまず
確定して、それに基づいて、どう法的な評価を下すかという問題があるわけです。
そういう意味で、意見を述べる前提として、事実関係を確認するということは非常
に重要なことであります。しかるに、きょうの国側の釈明については、まさに正確な
事実を開陳しなかった。むしろ覆い隠した。できるだけ触れたがらない。そういう態
度に終始したように思います。
現在、情報公開が行政において、非常に問題になっております。その中で、一つと
して行政側の説明責任ということが強調されております。とりわけ、一般の行政です
ら現時点において説明責任が強調されている時代において、国民の権利を制限する側
は、なおさら説明責任を尽くさなければならない義務を持っていることは、私が言う
までもないことであります。
それにもかかわらず、そういう説明責任をしなかったという、きょうの防衛施設局
のあり方は、我が国の民主主義のあり方を、はからずも示しているものではないかと
いう感じがいたします。権力のほうで民主主義を貫かないのであれば、私たち国民の
手で政府の不当性を明らかにし、民主主義をこの日本に定着させる。その意味でも、
今回の公開審理がそういう立場からでも必要だろうということを痛感しております。
本件の具体的土地に対する意見は、追って書面で述べますけれども、今、私たちは、
やはり民主主義において、どういうことが行政は求められているのか、そのこと自体
を日本の国のあり方を含めて、検討しなければならない。そういうことを意見として
述べて、とりあえず締めさせていただきます。
○当山会長
ありがとうございました。
それでは、本日の審理をこれで終了したいと思います。
本日は、大変お疲れ様でございました。
仲田博康
xc8h-nkd@asahi-net.or.jp