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反戦エッセイ 38
非武装と市民的不服従について
井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
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最近つくづく思うのは、日本国憲法第9条が、本当に実現された場合につい
ての想像力が、9条改憲阻止を唱える私たちの側に、欠けているのではないか
ということだ。
現憲法が制定されたとき(1946・11・3)、この国は敗戦のショック
に打ちのめされており、人びとの関心は、主に日々の糧(かて)にあった。明
日の米どころか、今日の米にも困っていたのだから、当然だろう。明確な反戦
意識ではないまでも、痛切な厭戦感情が人びとをとらえていた。天皇裕仁(ひ
ろひと)の戦争責任を問う声は微弱だったが、軍部への憤りは大方共有されて
いた。その時点では、再軍備など思いもよらぬことであったのだ。
したがって、「新生日本」が軍隊を持たないことを新憲法に明記すること
は、(たとえ消極的ではあっても)アタリマエのこととして許容された。
ところが今、政界・言論界には、9条改憲論が氾濫している。その事態は、
「日本はいま、世界第二の経済大国だから、それだけ守るべきものが大きく
なっている」(99年、外務省幹部)という事情に、深く関係している。
現憲法第9条を実現することは、敗戦直後にあっては、再軍備しないことで
あったが、世界有数の軍事力(自衛隊)を持つ現在では、それを完全に解体す
ることである。つまり丸腰になる。そうなれば、自国の存続と世界平和とを達
成する手段は、専ら外交である。道義に基づく説得であり、調停である。
ところで「憲法9条を守れ」と主張する人びとの中にも、軍隊を持たないこ
とに不安を感じる人びとは多いのではないだろうか。おそらくこう考えている
のだろう。
〈敗戦直後は占領下にあったのだし、確かに再軍備どころではなかったかも
しれない。しかし今や、日本を取り巻く状況は、完全な丸腰を許すものではな
い。やはり最小限の防衛力は必要で、「憲法9条を守れ」とは、今のように巨
大な自衛隊を縮小することだ。〉
これは、あれこれの野党の政論の要約ともいえるだろう。しかし、こう言わ
ずとも、軍拡が戦争につながることへの恐怖と、完全な丸腰であることへの不
安とが共存しているというのが、多くの人びとの実態ではないだろうか。そし
て後者の不安の醸成には、マスメディアが一役も二役も買っている。
私は、9条改憲阻止を掲げる私たちの側には、大きな弱点があると思う。憲
法第9条をいちおう支持しながらも、「どこか外国から攻撃されたら、丸腰で
は困る」と思っている人びとが非常に多いという、この現実に、正面から向き
合っていないことが、それだ。
丸腰であれば、攻撃に対して武装して反撃することは、もとよりできない。
できることは、あくまで非武装の抵抗である。しかし、そういう力をいざとい
うとき発揮できるかどうかは、私たちの日々の(現在の)ありようにかかって
いる。自国の政府(日本政府のことだ)の専横に、日頃どれだけ抵抗でき、反
撃できているかという、私たち民衆の政治的力量によって、いざというときの
抵抗の強さが決まるのだから。
森連立政権の腐乱ぶりについてのべる紙幅はない。だが、これほど人をコケ
にした無道な政治がまかり通っているのに、何の抵抗も反撃もしない、あるい
はできない民衆に、「外敵」の攻撃や侵略に抵抗することができるだろうか。
それが問題の核心だ。
非武装・非暴力の抵抗の可能性を、私たちは80年代の終わりから90年代
の初めにかけて、壮大な規模で目撃した。いうまでもなく、旧ソ連・東欧諸国
家群(以下、旧を略す)の自壊が、それである。ソ連の民衆は、国家への不服
従やサボタージュによって、国家の行政機構を機能不全の状態に追い込み、解
体させた。ソ連軍に軍事的に支配されてきた東欧諸国の民衆は、ソ連の言いな
りになってきた自国政府を倒し、ソ連軍をついに追放した。
アジア・太平洋戦争末期の日本の民衆も、抵抗した。それは、憲兵、特高な
ど治安弾圧当局が言う「流言蜚(ひ)語ノ流布」であり、軍需生産の現場から
密かに「オシャカ」の製品を送り出すことだった。1945年2月の「近衛上
奏」の背景には、そうした民情もあったのではないか。
私たちも、非暴力の市民的不服従を貫くことができる。攻撃し占領する者
を、暴力をもって撃破・粉砕できないけれども、攻撃や占領の継続を不可能に
させる方法は、いくらでもある。憲法第9条を実現して、国家の武装を完全に
解除した日本の民衆は、それまでに蓄積した日本政府への抵抗力量をフルに発
揮して、攻撃に対処できる。そう思い定め、強い確信を持つことが、第9条実
現の基礎になる。
「外国から攻撃されたらどうするか」という問いに、私はそう答える。別の
回答もあるだろう。しかしこの問いに正面から答えることなく、9条改憲を阻
止し、日本国家の非武装を実現することは困難である。
私たちを抑圧する者は、誰であれ許さない、日本政府であれ、米国政府であ
れ、その他の「外敵」であれ―それがすべての基本ではないだろうか。
◎松下竜一氏発行『草の根通信』2001年4月号への寄稿