Date: Mon, 12 Feb 2001 13:05:11 +0900
From: "MAEDA,Akira" <maeda@zokei.ac.jp>
To: "hinokimi@jca.apc.org" <hinokimi@jca.apc.org>,keystone <keystone@jca.ax.apc.org>,"pmn@mail.jca.ax.apc.org" <pmn@mail.jca.ax.apc.org>,"renko-ml@egroups.co.jp" <renko-ml@egroups.co.jp>
Subject: [keystone 3575] 屯鶴峯地下壕見学参加記
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 3575
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org

前田 朗@歴史の事実を視つめる会、です。
2月12日

1) 2月11日、屯鶴峯地下壕見学に参加しました。奈良県香芝市の屯鶴峯山
中に有る地下壕です。午前9時半に近鉄関屋駅集合。大阪から奈良県に入った最
初の駅です。参加者は一〇〇名近く。駅から20分ほど歩いて、採石場の道路を
登ると現場です。見学終了は11時半でした。

2) 屯鶴峯地下壕は、陸軍直轄の地下壕で、工事も陸軍の第十九地下施設大隊
が担当したということです。その一員の証言では、300人ほどの人員だったと
いうことです。日本人が200人、朝鮮人が100人ほど。一方、陸軍の記録で
は700人という数字もあるそうです。また、200名余りを派遣せよという記
録もあり、その200名は朝鮮半島に本籍のある者ということです。日本人は、
いったん軍を除隊した者が多く、年齢は30代から40代。一方、朝鮮人は徴兵
されてきた20歳をすぎたばかりの若者だったそうです。工事では、日本人が発
破をあけたり、掘ったりし、朝鮮人は掘った土をトロッコに乗せて外部に運び出
す重労働をしていたようです。

3) 工事が行われたのは、正確な記録はないようですが、これまでの調査によ
ると、1945年6月から8月15日までということです。始まりはどれだけ遡
っても45年4月頃とのこと。

4) 地下壕は、2つの山中に2つありますが、今回見学で入ったのは片方で
す。小川を渡って山を少し登り、入り口に辿りつくまでの印象は、群馬の上川田
地下壕を思い出させます。もっとも、内部はまったく違います。上川田は地下火
薬工場ですから、他の地下壕とは全然違います。屯鶴峯は、総延長は2つで2キ
ロ程度。西日本では最大級の地下壕ではないかということです。坑道はやや小さ
めで幅3メートル、高さ2メートル50センチといった感じでした。これは工期
が僅か2ヶ月程度であることを見ると、突貫工事で急いだために小さくなったの
ではないかと感じました。各地の地下壕は幅4―5メートル、高さ3−4メート
ルのところが多いのと比べると、かなり細い印象です。もっとも、奥の方には幅
も高さも標準クラスの部分もありましたので、急いだために細い部分と、完成し
た部分とがあるのかもしれません。完成した部分は、貝山地下壕や月夜野地下壕
とよく似た印象でした。ここは戦争末期に大阪平野や奈良盆地にいくつも作られ
ていた軍の飛行場――本土決戦への備え――などの関連施設で、かなり重要な位
置付けだったようですから、短期間に集中的に急いで掘ったのでしょう。

5) 地下壕は、碁盤の目というよりも、アミダくじタイプです。掘りかけて止
まっているところ、手で掘った跡、上空への穴など、どこの地下壕にもあるもの
ですが、それぞれ違うものだな、とも思いました。壁に触ると手で崩れるくらい
柔らかい地盤です。そのため発破をかけても、吸収されて、あまり崩れなかった
可能性も有るという話でした。

6) 内部の見学の過程では、参加者が一〇〇名近くもいたために、人とぶつか
りながら歩く状態で、地下壕見学としては珍しい経験でした。前方で解説してい
る声が聞こえないことも少なくなかったのが残念。

7) 見学会の主催は「屯鶴峯地下壕を考える会」です。ゆるやかな集まりなの
で、「見学会参加者は全員会員です」とのことでしたから、私も「会員」。毎
年、夏やゴールデンウイークなどに見学会を行って市民に戦争について考えても
らう企画をしているそうです。参加者が百人近く、しかも私以外はほとんどが地
元の方というのは、戦争を足もとの「現場」で学ぶ企画として大成功です。「生
徒を広島へ連れていくが、そしてそれは大切だが、やはり足元で考える必要があ
る」。また、印象的だったのは、「本土決戦というと竹槍で連合軍を迎え撃つ訓
練をしたといった話がされるけれど、実際はそんんものではなく、こうした地下
壕を各地に作って、地下壕にこもりながら経戦する計画だった」という話です。
確かにそうです。松代大本営がその中心ですし、夏島地下壕は人間魚雷の発進基
地として掘られました。わかっていても、つい「竹槍」の話に引きずられてしま
います。

8) 「屯鶴峯地下壕を考える会」では、調査研究や、学習のための見学会を行
うとともに、保存運動を行っています。周辺が開発されてきて、地下壕にも迫っ
てきているそうです。そして、土地は、かつては市有地だったのが、20年ほど
前に香芝市が民間に売却したため、現在は業者が所有していて、保存運動のネッ
クになっているようです。各地の地下壕、宅地開発やゴルフ場で潰されたりして
います。保存は全国共通の課題です。戦跡を史跡として残していく必要を痛感し
ました。



 
  • 1998年   3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 1999年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 2000年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 2001年   1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

  • キーストーンメーリングリスト 目次