Date: Sat,  6 Jan 2001 18:28:18 +0900
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 国連改革の展望
  ―武装平和主義から非武装平和主義へ―

                井上 澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)

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  戦争は勝つも負くるも愚かなり
    十二月八日朝粥をたく          稲たつ子

  21世紀(私たちが、つい先日、ともに門をくぐった今世紀のことだ)の〈戦
争と平和〉を考えるとき、国連をどう見るかという問題を避けるわけにはいかな
い。
 国際連合は、世界平和のためにあると、多くの人が思っている。だから国連と
いう言葉には、なんとなくプラスイメージがある。その根底には、もう戦争はイ
ヤだ、国連が戦争を防止してくれればという思いがあるのだろうから、そういう
イメージをあながち否定できない。しかしものごとは、事実に即して考えるべき
だ。残念ながら、希望は、主観的願望から生まれるものではない。

 1945年6月に署名され、同年10月に発効した国際連合憲章の前文の主語
は、「われら連合国の人民」である(ザ・ユナイテッド・ネーションズは、国際
連合と意訳されているが、ほんらい連合国の意である)。つまり国連は、第二次
世界戦争(あれは単なる大きな戦争=大戦ではなく、世界化した戦争=世界戦争
だった)における勝者(戦勝諸国)が、まず作った国際機構だった。憲章の署名
がなされたとき、イタリアもドイツも降伏していたが、日本は戦争を継続してい
た。戦火の中で産声を上げた国連を支える原理は、どこまでも《武装平和主義》
である。平和を保障するのは武力であるという考えが基本に据えられている。

 国連憲章の前文には「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わ
せ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと」とある。これは意図的に
ぼかされた表現で、つまり国連は、「共同の利益」にかかわるときは武力を用い
ることを「原則」(これも前文中の表現)としているのである。それゆえ、第7
章〔平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動〕に含まれる第4
2条「軍事的措置」には、「安全保障理事会は、第41条に定める措置(非軍事
的措置のこと、引用者)では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明し
たと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は
陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は
陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる」とある。

  そして安保理がとる軍事行動の主体が国連軍と呼ばれるものだが、国連創設以
来、第42条に基づく国連軍が編成されて行動したことはない。(朝鮮戦争に参
加した「国連軍」は、米国政府がデッチ上げた偽「国連軍」である。この点も誤
解されているから、特に明記する。)
  国連安全保障理事会の常任理事国は、米・英・仏・中・ロ(旧ソ連から議席を
継承)の5カ国である。この5カ国は、核大国であり、大量に兵器を輸出してい
る(たとえば、冷戦時代末期、中東地域に対する兵器輸出の上位5カ国は、安保
理常任理事国だった)。安保理には非常任理事国(現在10カ国、2年任期で国
連総会が選出)も参加しているが、常任理事国の地位は不変で、拒否権をもつ。
安保理が5大国優位のシステムであることはまぎれもない。

 そのうえ安保理は、国際的な平和と安全に関しては、国連総会に優越する「主
要な責任」を負うことになっている。核を保有して他国を脅し、兵器を輸出して
戦争を不断に準備している国々が、全世界をトリシキルという絶望的な悪夢がつ
づいているのである。この点に関する限り、他の国々(国連加盟国は、昨年9月
現在、189カ国)は、あくまで添え物にすぎない。

  ところで日本国憲法は、どうなっているか。前文にはこうある。

  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深
く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの
安全と生存を保持しようと決意した。

  そして第9条は、こうである。

  1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発
動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし
ては、永久にこれを放棄する。
  2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

  ここで明らかなことは、国連憲章が依拠する《武装平和主義》と日本国憲法が
依拠する《非武装平和主義》とは、水と油のように相容れないということだ。し
たがって、このような憲法を立国の原理とする日本が、原理を根本的に異にする
国際機構に参加していること自体が、ほんらい奇妙なことである。言うまでもな
いことだが、だから国連から脱退すべしと言いたいのではない。私たちがなすべ
きことは、国連を《非武装平和主義》に立脚する機構に変えることである。国連
を〈武力によらず平和を創造する世界システム〉に革新すると言い替えてもい
い。

  日本国憲法が言う「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するとは、眼前の現実の世界
に、相互の不信と猜疑(さいぎ)心があふれ、不正や暴力がはびこっているから
こそ、そのような世界を変革することに責任を負うという意志を表明しているの
である。その際私たちは、求める変革をあくまで〈武力によらず〉成し遂げる。
  自ら非武装国家を実現し、その姿を世界にさらしつつ、武力を行使せず、どの
ような問題も交渉によって解決しようと呼びかけることが、現憲法の前文と第9
条の意味なのだ。

  21世紀初頭の世界はなお、〈専制と隷従、圧迫と偏狭〉から免れていない。
私たちの世界には「10億人を超える人々を苦しめている極貧というみじめで非
人間的な状況」(国連ミレニアム宣言)が、いまこの瞬間存在する。戦争の惨禍
は「過去10年間に500万人以上の命を奪った」(同)。そのような状況を、
あくまで平和的手段で解決することを宣言しているという意味で、日本国憲法
は、きわめて特異なものである。この特異性は、全人類が兵器を全廃することに
よって、平和のうちに共存できるという普遍的な展望を秘めている。
  しかし私は、「9条を世界に!」と叫ぶつもりはない。私たちがなすべきは、
まず現憲法の前文と第9条とを実現することだ。この国が現に世界有数の軍備を
保持していながら、そのように叫ぶことは、余りにおこがましい。
  軍備による安全保障論に立って、あれこれの理屈をつければ、非武装国家・日
本は実現しない。周辺諸国の軍縮や武装解除の程度に合わせて、日本が軍縮から
非武装への道を歩むとする論理は、周辺諸国が軍拡に走るから軍備を強化せざる
を得ないという論理と裏腹の関係にあり、実は同じことである。周りがどうであ
ろうが、一方的にどんどん軍縮を進め、非武装を実現する、これしか私たちが進
む道はない。
 ましてこの国は戦犯国家なのだ。過去の歴史についての反省を踏まえた《絶対
不戦の意志》を、身をもって示すしか、アジアと世界の人びとの信頼を回復する
ことはできない。
 今のままの日本の国連安保理常任理事国入りは、《武装平和主義》を信奉する
軍事大国群の世界支配に「貢献」するだけだ。この国が一方的に非武装を実現し
たときにこそ、国連に《武装平和主義》からの脱却を迫る積極的な根拠が生まれ
る。

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「『歴史は消せない!』みんなの会」(香川県・高松市)の機関紙『きざむ』
2001年1月号への寄稿



 
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