Date: Mon,  1 Jan 2001 19:35:21 +0900
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Subject: [keystone 3445] 軍隊の変わる姿と変わらぬ本質
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  《反戦エッセイ 35》

       軍隊の変わる姿と変わらぬ本質

                                         井上澄夫(東京)
                                         
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 新年が21世紀の始まりであり、20世紀が2度の世界戦争を含む無数の戦争
の世紀であったことを思うと、この新世紀が、戦争と無縁の世界を実現する人類
史の節目となることを願わざるを得ない。その願いを実現するためには、まず眼
前の世界の変容ぶりを大きくつかむことが必要だろう。

 21世紀の世界構造の土台となるのは、ベルリンの壁崩壊(1989・1
1)、ワルシャワ条約機構解散(91・7)、ソ連消滅(同・12)などを指標
とする冷戦の終結であったと私は思う。その変化の大きさや深さを検証する作業
は、なお私自身もなさねばならないが、たとえば冷戦終結後、在欧米軍は25万
人から10万人に減った。NATO(北大西洋条約機構)・欧州同盟(EU)諸
国も、軒並み兵員を削減している。米ソが世界を巻き込む大規模戦争の危機は
去った。
  しかし全世界にタガをはめていた古い枠組みが崩れたことによって、それまで
凍結されていた数々の問題が噴出することになった。いわゆる「地域紛争」がそ
れである。

 99年4月、NATOの首脳会議は、21世紀の指針となる「新戦略概念」を
採択した。そこで最重要の点は、「域外派遣」を容認したことである。民族・宗
教の対立、領土紛争、人権侵害、国家の分裂、大量破壊兵器の拡散、テロ行為な
どが、欧州・大西洋地域に深刻な影響を及ぼす場合は、〈域外であってもこれに
介入する〉というのである。
 もっともこれは、現実に進行したことの追認で、NATOが「域外派遣」への
道を開いたのは、ソ連消滅の翌年(92年)6月のオスロNATO外相理事会に
おいてであり、NATO軍がボスニアへの空爆を開始したのは、94年4月であ
る。NATOが主導し、旧ワルシャワ条約機構の諸国が補足する形になった、ボ
スニア平和履行軍(IFOR)の展開が始まったのは、95年12月である。N
ATO軍による新ユーゴへの空爆開始は99年3月であるが、その直後の4月、
ワシントンでNATO創設50周年首脳会議が「新戦略概念」を採択したのであ
る。
 むろん、人権侵害を口実とする軍事介入の是非については、欧米で激しい論争
が続いているが、冷戦時代には夢にも考えられなかった事態が、現に起きてい
る。たとえば94年9月には、NATOと旧ワルシャワ条約機構構成国の合計1
3カ国の約600人の兵員が、ポーランド西部のポズナニ市近郊で、初の東西合
同軍事演習を行なった。同時期、ロシア国内では、米国とロシアの合同軍事演習
が行なわれている。この種の演習はその後頻繁に繰り返されていくが、その目的
は、平和維持の軍事協力を密にするために、相互運用能力(interoperability)
を高めることである。では、共通の敵は誰か。「地域紛争」である。

  NATOの本来の目的は、旧ソ連を主敵とする攻守同盟だった。それは北大西
洋条約第5条に明記されている。ポスト冷戦期を迎え、NATOはその目的に、
欧州安保協力機構(OSCE)や国連の要請に基づく「域外」における平和執
行・平和維持など「非5条任務」をつけ加えたのである。
  NATOは冷戦終結直後「目的喪失症」にかかっていた。しかし湾岸戦争の直
後、91年5月から旧ユーゴで紛争が激化したため、それをテコにNATO軍を
リストラしつつ、「域外の地域紛争」なる敵を新設して、自らの存在理由を立て
直したのである。

  ところで、冷戦の終結は、アジア太平洋地域に何をもたらしたか。冷戦終結直
後は、劇的な変化は起きなかった。軍縮にしても、たとえば日本の陸上自衛隊
が、現実に確保できる自衛官数に合わせて、定員を22万人から18万人に「削
減」した程度のことで、むしろ装備面での質的軍拡が進行した。欧州では米軍が
大幅に減らされたのに、米軍の東アジア10万人体制は変わらなかった。その根
拠は「この地域には依然として不安定性及び不確実性が存在する」というもの
だった(「日米安保共同宣言」、96年4月)。
  しかし今、巨大な変化が起きている。昨年6月、朝鮮半島の南北の首脳が歴史
的な会談を行ない、共同宣言を発した。「アジアに唯一残された冷戦構造」を解
体する動きが、最も危うい地域であるはずの朝鮮半島から芽吹いたのだ。衝撃は
大きかった。従来の米韓関係から見て、南北和解の動きを米国政府は知っていた
であろうし、統一の動きに一定の理解を示すことはあっただろう。しかし南北共
同宣言の「自主的統一」という言葉が、在韓米軍の撤退を意味すると見て、オル
ブライト国務長官があわててソウルに飛んだ。呆然自失、なすところを知らな
かったのは、日本政府である。世界に醜態をさらした。

  朝鮮半島における緊張が当事者によって緩和されつつある事態が、アジア太平
洋地域と世界にもたらす好ましい影響は、言うまでもないことだ。しかし私たち
は、そのような事態が朝鮮半島の人びとの血のにじむ努力によってもたらされた
ことを、重く受け止めるべきだろう。
 一昨年、周辺事態法などガイドライン関連法が制定・施行され、昨年は船舶検
査(臨検)法が成立した。日米の政府が、朝鮮半島や中台間の緊張を「周辺事
態」の発生源と考えていることは、周知のことだが、在日米軍の担当地域がアフ
リカ東岸まで広がっていることを考えれば、南アジアの「地域紛争」や中東から
の石油輸送路(シーレーン)への「脅威」なども、「周辺事態」に含まれると見
ておいた方がいい。周辺事態法第1条は「周辺事態」を「そのまま放置すればわ
が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等わが国周辺の地域におけ
るわが国の平和および安全に重要な影響を与える事態」としていて、「周辺事
態」を「日本有事」に発展する事態に限定していない。しかも「周辺」は地理的
な概念ではないというのだから、無際限に拡大できる。読者は、NATOの「域
外派遣」と米日の「周辺事態への対応措置」とが酷似していることに、気づくだ
ろう。いずれも「世界有事」に対応する軍事行動なのである。

  ここでもう一つ注意すべきは、昨年米軍が、これまでの「二正面(湾岸地域と
朝鮮半島)対応戦略」を放棄したという事実である。米国防長官の諮問機関「2
1世紀国家安全保障委員会」が2025年までをにらんでまとめた報告書「国家
戦略の探求」に、それが明記されている。背景には、米国の国力の低下という事
情がある。旧東側陣営の崩壊状況につけこんでなされた湾岸戦争は、ポスト冷戦
の世界で米国が「唯一の超大国」であるかのような幻想を生んだ。しかし「一極
支配」時代はすぐに去り、米国政府は自分だけで世界を取り仕切ることはできな
いことを悟った。「来るべき世紀で安全保障を構築する上で、国際的協力は死活
的に重要となるが、それというのも我々が直面する挑戦が一つの国だけでは対応
できないものだからである」(ホワイトハウスが99年12月に公表した「新世
紀のための国家安全保障戦略」)。したがって国連や他の国際機関を利用し、同
盟国や友好国に地域的安全保障体制を強化させ、それを米国政府がコントロール
することを基本にすえた。そして「地域紛争」への介入は、米国の国益(多国籍
資本の利益)を直接脅かす場合に限ることにした。それゆえ、東チモールへの介
入はオーストラリアに任せたのである。「米国は、どこまではまり込むのか分か
らないような際限のない介入で、疲弊することがあってはならない」(「国家戦
略の探求」)。

  同時に「二正面対応戦略」が、アジアにおける一正面の設定、中国包囲網の形
成に転換されたことを忘れてはならない。米軍は、朝鮮民主主義人民共和国に対
する軍事力による抑止政策をそのままにし、中国を潜在的に巨大な敵、「一貫し
た米国の競争相手」とする戦略に転換した。中国は「敵対的軍事大国」として台
頭し、「東京からテヘランへ至るアジアの弧」が、世界で最も厳しい軍事的競争
の舞台になるから、米軍戦力の重点をアジアに転換すると米国防総省は言う。

  こう見てくると、日米共同戦争を前提とする新ガイドライン安保の恐ろしさが
浮き彫りになる。冷戦の終結は、北大西洋条約や日米安保条約の存在理由を失わ
せたが、軍需産業を背景に、米欧日の軍は生き残りを図り、新たな敵を「域外」
や「周辺」に設定した。軍隊の存在理由を自ら更新したのである。
  各国の軍は今、その姿・形を変えることに躍起になっている。災害派遣や国際
的平和維持活動への参加が増えているのは、米欧日に共通した現象である。しか
しその種の変態(多機能化)は、非戦闘部門での活躍をもって、戦闘という本務
を隠すためであり、それで軍隊の本質が変わるわけではない。
  軍備を廃すること、軍隊によらない平和の創造を求める活動は、いよいよ重要
さを増してきた。朝鮮半島の人びとが私たちに教えていることは、「歴史を変革
する主体は私たちである」ということだ。それを肝に銘じて、新世紀を歩もう。

(ポスト冷戦のNATOについては、谷口長世著『NATO』〔岩波新書〕に多
くを依っている。)

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  ◎松下竜一氏発行『草の根通信』2001年1月号への寄稿



 
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