仲田です。
もう30年にもなるのか、という思いです。
その日は、嘉手納基地から毒ガスの持ち出しを阻止するために、主要ゲートに
は労働組合を中心に座り込みをしていました。その行動も一応終わり、普通は
それからコザで一杯やるところでしたが、私たちが配置されたところが比較的
寂しいところだったことと、連日の阻止行動で疲れていたので、そのまま帰宅。
翌日の新聞で、「暴動」の発生を知り、複雑な気持ちであったことを思い出す。
歴史的な現場に遭遇できなかったことを残念に思う反面、しかし、現場にいた
ら確実に石を投げていただろうから、それが避けられたことに安堵したこと。
チラシより
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あれから30年
コザ暴動を語る集い
1970年12月20日未明、コザ暴動が発生した。沖縄市中心街のゲイト通
り、ゴヤから諸見里にいたる約2キロにわって、米軍車両82台が民衆によって
焼き打ちされた。連続しておきた米軍人による2件の交通事故が引き金になって
起きた民衆の決起と暴動−その背景には、25年におよぶ過酷な米軍支配への鬱
積した県民の怒りがあった。
あれから30年−沖縄の現実は変わっただろうか。基地は強化の一途をたどり、
近代化され、固定化の方向はますます強まっている。日本政府の二度に渡る特措
法改悪によって、新たな土地強奪が始まっている。市民投票や県民投票による県
民意思も完全に封じられ、民主主義は否定された。
米軍人による強盗、強姦などの凶悪犯罪も後をたたない。
私たちは、今日の危機的状況の中で、30年前に起きた「コザ暴動」の意味を
問いなおし、歴史の遺産を受けつぎ・さらなる検証をすることによってこれから
の沖縄を考える契機にし、大衆運動の出発にしたいと思います。
集会の趣旨に賛同し、参加してくださるよう、おまちしています。
記
日 時 12月20日(水)午後6時〜9時30分
場 所 中頭教育会館3Fホール
参加費 500円(資料代、会場費、運営費等)
集会内容
第1部 「ひとり語り」 桑江 テル子
第2部 シンポジウム
★「コザ暴動の戦後史的位置づけ」 比屋根 照夫
★「米軍がみたコザ暴動」 保阪 廣志
★「ジャーナリストがみたコザ暴動」 吉岡 攻
★「体験者の報告」 神田 栄光
★コーディネーター 崎山 律子
*フロアーからの発言
主 催 「コザ暴動を語る集い実行委員会」
協賛団体 中部地区労働組合協議会
沖縄市市職員労働組合
沖教組中頭支部
高教組中頭支部
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仲田博康
nakada_h@jca.apc.org