なすびです。
都裕史さん、いつも貴重な情報を有り難うございます。
僕も老斤里事件に関する米軍の動向は注目して見ていました。
聯号ニュース12/9 は、12/8 のAP通信を元にしているのだと思いますが、元記事は
だいぶトーンが違います。
AP 記事では、韓米の「相互理解」"mutual understanding" と括弧付きですし、合
意したと言っているのは米国側で、協議に参加した韓国側の関係者は匿名で「合意に
達したと言うのは早すぎる。まだ協議中だ」と言っていると報じています。また、事
実関係に関しても、老斤里事件が軍命令で行われたことを陸軍は把握しているはずだ
、という前下院議員の言葉を載せています。
協議内容を公開しないのは米国側の意向によるものでしょうが、韓国側も独自調査
の結果を公表してほしいものです。
これまでの報道から、朝鮮戦争において米軍は、北朝鮮側の人間が紛れ込んでいる
可能性があるという理由で、非武装の避難民も敵ターゲットと考えていたことがはっ
きりしています。APの記事を読む限り、その避難民に対し米軍の組織的な殺戮が行わ
れ、老斤里の事件はそのひとつであることは明らかだと思います。
この老斤里事件を暴いたことでAP通信は、2000年のピュリッツァー賞を取りました
し、最近もオンライン賞(何だかよく分からないけど)とかいうものを、ニューヨー
ク・タイムスとともに受賞しています。かなり力を入れて調査していると思います。
以下、その12/8 AP通信の記事を、あやしい訳とともに転載します(誤訳があれば
ご指摘下さい。特に軍事用語)。
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韓米が「理解」に到達
ロバート・バーンズ(AP 軍事ライター)
2000年12月8日(金)午後11:07
【ワシントン】クリントン政権の関係者が金曜日語ったところによると、米国と韓国
の協議参加者は、朝鮮戦争の初めの数週間に韓国の避難市民を米国の兵士が殺害した
という「相互理解」に達したが、どれだけ多くの人が死んだかという問いは未解決で
残ったという。
その会談はソウルで行われて木曜日に終わったが、結果は公式には公表されなかっ
た。その関係者の話では、会談で双方が合意したこととは、米軍兵士が1950年7月に
老斤里(ノグンリ)の村付近で避難民を銃撃したが、上層からの直接の命令で兵士が
行動したかどうかについて結論付ける確かな証拠がなかった、ということである。そ
の関係者は、匿名ということでこの件を語った。
韓国側は、その殺戮は命令されたものだったのだと言うべき充分な証拠があると論
じたが、米国側は、老斤里の状況は混乱してはっきりしない主張した、と米国関係者
は言った。
死傷者に関しては、韓国側は死傷者、行方不明者で248名という数字を言い続けた
が、米国側は、その数はもっと少なく、正確には決められないと主張した、とその米
国関係者は語った。
これらの結論は、米国と韓国のそれぞれの独自調査の結果に基づいている。米国側
の調査では、米国兵士は老斤里では避難市民を銃撃しなかった、避難民を敵対対象と
みなすべしという命令はあったが、老斤里では「撃ち殺せ」という命令はなかった、
とした。
ソウルで到達したこの合意は、今後、陸軍長官Louis Caldera ないしトップレベル
の韓国政府当局によって是認されなければならない。それは、米国が生存者や遺族に
補償をし公式な謝罪をして、被害者に対する記念碑を建立するのかどうかというやっ
かいな問題に踏み込むものでもない。
陸軍は家族に補償することに反対していると、先の関係者は語った。決定はクリン
トン大統領の判断いかんだと考えられている。
韓国生存者被害者遺族代表会議のスポークスマンであるChung Koo-Do は、その協
議での結論を決して受け入れられないと言った。
「私たちは、うわべだけの調査で済まそうという米国の企てを非難する」と彼は言
った。「私たちは、このような邪悪な企てを煽るかのごときの韓国政府に対しても、
はっきりと非難する。もし、米国人があの報告の結論を彼らの最終的な結論とするな
らば、彼らは調査結果をゆがめたと非難され、生存者と他の多くの韓国人からの厳し
い抵抗に遭うことになるだろう」
金曜日ソウルでは、韓国議会がこの問題の早急な解決を求める決議を採択した。米
国の調査の遅れに対する韓国のフラストレーションを反映して、その決議は「米国政
府は子細抹消な点ばかり調査することに埋没しており、その事件を解決する意志があ
るのかどうかという疑念を禁じ得ない」とはっきり述べている。丁重な表現ではない
。
Caldera は、同意された「相互理解声明」と、陸軍検査総長であるMichael
Ackerman 中将による一年の調査結果とを認めるよう、広く期待されていた。
その調査結果も両国共同声明も1月までに公式に公表されそうにはないと、ペンタ
ゴン関係者は言った。
前駐韓大使で、陸軍調査団を監督するためにペンタゴンから指名された文民専門家
八人会議の議長であるDonald Gregg は、コメントを求める問い合わせにすぐには返
答しなかった。
韓国政府は独自調査を実行した。その結果は公表されていない。
ソウルでペンタゴン関係者との会談に参加したある韓国側交渉者は、老斤里で市民
への銃撃命令があったかという点について、「確証はないという合意に両国が達した
と言う段階ではない、協議はまだ継続中だ」と言った。これは匿名を条件として話さ
れたものだ。
AP通信は、一連の記事で調査報道分野のピュリッツァー賞を獲得した。その記事で
殺戮が報道された後、国防長官William Cohen の指示により、Caldera は1999年9月
30日に調査を始めた。陸軍はこれまで、その殺戮に米軍が関与したという証拠はない
と主張してきた。
Cohen はまだAckermanレポートを目にしていないが、すぐに概要を手にするだろう
と、関係者は語った。
APの記事では、1950年7月26-28日のその攻撃での死者数について、100人、200人
、あるいは断然数百人はいると米国退役軍人たちが推定していることが報じられた。
補償を求める訴訟をおこした被害者の関係者は、300人が老斤里付近の鉄道の下で、
100人が米空軍機の事前の機銃掃射で、殺されたと話している。
老斤里に関するAckerman調査報告には、100人以上の軍人からの聞き取りと、100万
ページ以上の文書についての概要が含まれている。その報告をよく知る米国の関係者
によれば、「避難市民を敵対対象として扱うようにという命令は複数見つかったが、
老斤里の兵士にその日に銃撃を行うよう指示した命令文書は見つからなかった」とさ
れているという。
米軍に先立ってAPがインタビューした元兵士たちでは、老斤里にいた人のうち約20
人が銃撃命令を思い出した。他の退役軍人は覚えていないと言うか、老斤里に関する
話を断った。
前下院議員Pete McCloskey(カリフォルニア州、共和党)は、Gregg を長とする文
民諮問会議のメンバーの一人であるが、避難民銃撃命令は証拠が十分にないとするレ
ポートの結論には同意しないと語り、彼は報告の修正を主張した。
「私たちは、一人の士官と老斤里で軍にいた9人がこれらの命令に言及した供述書
を見ている。もし陸軍が情報を持っていなかったら私たちはまだ目にしていないはず
で、彼らがどうしてあのような結論に至ったのか、私には理解できない」と
McCloskey は言った。
先月APが報道したが、無線と電信トラフィックを取り扱った2人の前兵士は、老斤
里の米軍は市民に発砲しろとの上層部からの命令を受けていたと、陸軍調査団に証言
していた。Lawrence Levine と James Crume は第二歩兵部隊、第7機甲連隊の司令
部に命じられていた。北朝鮮からの侵入者が混じっているかもしれないという恐れの
ために一般市民を射殺するよう命じられたという他の退役軍人の記憶は、彼らによっ
て初めて、より高位のコマンドレベルから公けに支持されることになった。
Levine と Crume は、その射殺命令が無線で来たのか口頭であったのかなど、50年
も後に陸軍調査団に証言するなど無理であるし、正確な言葉遣いを思い出すことも無
理だ、と言った。しかし彼らはAPに対して、それは第一機甲師団の本部ないしはさら
に上層部から発せられたことは確かであり、前線兵士はその命令に従って行動したと
語った。
APはまた、少なくとも3つの陸軍本部上層と一つの空軍指令部隊が、米軍の位置に
近づく市民はいかなる者でも敵として取り扱うよう、部隊に命令していたことを示す
、戦時下の文書を発見している。その時は、米軍は退却中であり、北朝鮮陸軍が南下
するにつれて数千人の避難民が安全を求めて逃げていたときであった。
1950年7月24日、老斤里事件の二日前、第一機甲師団は次のように指示された。「
避難民に前線を越えさせてはならない。越えようとする者は全て射殺せよ。女性と子
どもの場合は、自由裁量とする」
(原文)
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/aponline/20001208/aponline230712_000.htm
US, S. Korea Reach 'Understanding'
By Robert Burns
AP Military Writer
Friday, Dec. 8, 2000; 11:07 p.m. EST
WASHINGTON ?? U.S. and South Korean negotiators have reached a "mutual
understanding" that American soldiers killed South Korean civilian
refugees
in the early weeks of the Korean War, but they left unresolved the
question
of how many died, a Clinton administration official said Friday.
The talks, which ended Thursday in Seoul with no publicly
announced
result, produced agreement from both sides that U.S. soldiers shot
at the
refugees near the hamlet of No Gun Ri in July 1950, and that there
is
insufficient evidence to conclude whether the soldiers acted on direct
orders from superiors, the official said. The official discussed the
matter
on condition of anonymity.
The South Koreans had argued there was enough evidence
to say the
killings were ordered, but the American side prevailed in describing
the
circumstances at No Gun Ri as chaotic and unclear, the U.S. official
said.
As for casualties, the Koreans stuck to their figure of
248 killed,
wounded or missing, and the Americans insisted the number is much lower
but
cannot be determined exactly, the official said.
These results are based on the findings of separate U.S.
and South Korean
investigations. The U.S. probe found American soldiers did shoot civilian
refugees at No Gun Ri but that while there were orders to regard refugees
as
hostile targets, there were no "shoot-to-kill" orders at No Gun Ri.
The agreement reached in Seoul has yet to be approved
by Army Secretary
Louis Caldera or top-level South Korean government officials. It also
does
not address the sticky question of whether the United States will compensate
the survivors and families of the dead, issue an official apology or
build a
memorial to the victims.
The Army opposes compensating the families, the official
said. The
decision is expected to rest with President Clinton.
Chung Koo-do, spokesman of the committee representing
South Korean
survivors and victims' families, said his group strongly rejected the
negotiators' conclusion.
"We condemn a U.S. attempt to whitewash the investigation,"
the spokesman
said. "We also denounce the South Korean government for abetting such
a
sinister attempt. If the Americans make the reported conclusion their
final
conclusion, they will face serious resistance from survivors and many
other
South Koreans as well as accusations that they distorted the findings
of the
investigation."
In Seoul on Friday, the South Korean parliament approved
a resolution
calling for a quick resolution of the issue. Reflecting South Korean
frustration at the length of the U.S. probe, the resolution stated,
"The
U.S. government is buried in investigating unessential and peripheral
issues, raising questions over whether it has the will to resolve the
incident." It did not elaborate.
Caldera was widely expected to endorse both the agreed
"statement of
mutual understanding" and the conclusions reached in a yearlong
investigation by Lt. Gen. Michael Ackerman, the Army's inspector general.
It is unlikely that either the investigation report or
the joint
statement will be publicly released until January, Pentagon officials
said.
Donald Gregg, former U.S. ambassador to South Korea and
chairman of an
eight-member panel of civilian experts named by the Pentagon to oversee
the
Army investigators, did not immediately return a call seeking comment.
The South Korean government conducted its own investigation.
The results
have not been made public.
A South Korean negotiator who took part in the talks with
Pentagon
officials in Seoul, said it was too early to say the two sides have
reached
agreement that there was insufficient evidence of orders to shoot at
civilians at No Gun Ri. "Consultations are still going on," said the
negotiator, who spoke only on condition of anonymity.
At Defense Secretary William Cohen's instruction, Caldera
initiated the
probe on Sept. 30, 1999, after The Associated Press reported on the
killings
in a series of stories that won the 2000 Pulitzer Prize for investigative
reporting. The Army previously had insisted there was no evidence of
U.S.
military involvement in the killings.
Cohen has not yet seen the Ackerman report, officials
said, but he will
get briefed on it soon.
The AP story quoted U.S. veterans as estimating 100, 200
or simply
hundreds died in the attacks July 26-28, 1950. Korean relatives of
the
victims, who filed suit seeking compensation, said 300 were killed
under the
railroad bridge near No Gun Ri and 100 in a prior strafing by U.S.
Air Force
planes.
The Ackerman investigation of No Gun Ri included interviews
with more
than 100 servicemen and a review of more than a million pages of documents.
It found no written orders directing GIs at No Gun Ri to open fire
that day
even though there were orders to treat civilian refugees as hostile
targets,
according to American officials familiar with the report.
Among ex-GIs interviewed earlier by AP, about 20 who were
at No Gun Ri
recalled orders to shoot. Other veterans said they didn't remember,
or
declined to talk about No Gun Ri.
Former Rep. Pete McCloskey, R-Calif., a member of the
civilian advisory
panel led by Gregg, said he disagreed with the report's conclusion
that
there was insufficient evidence of orders to fire on the refugees,
and he
urged as revision.
"We have seen statements from one officer and nine enlisted
men at No Gun
Ri who referred to those orders," McCloskey said. "Unless the Army
has
information we have not yet seen, I can't understand how they reached
their
conclusion."
The AP reported last month that two former soldiers who
handled radio and
message traffic had told Army investigators that American troops at
No Gun
Ri had orders from superiors to fire on civilians. Lawrence Levine
and James
Crume were assigned to the headquarters of 2nd battalion, 7th Cavalry
regiment. They were the first from a higher command level to support
publicly the recollections of other veterans that they were ordered
to shoot
civilians for fear North Korean infiltrators were among them.
Levine and Crume said they were unable to tell Army investigators
after
50 years whether the shoot-to-kill edict came by radio or word of mouth,
nor
could they recall the exact wording. But both told the AP they were
sure it
originated at 1st Cavalry Division headquarters or higher ? and that
front-line GIs acted on that order.
The AP also found wartime documents showing at least three
high-level
Army headquarters and an Air Force command ordered troops to treat
as
hostile any civilians approaching U.S. positions. At the time, U.S.
forces
were in retreat, and thousands of refugees fled for their safety as
the
North Korean army advanced south.
On July 24, 1950, two days before the No Gun Ri incident,
1st Cavalry
Division units were instructed: "No refugees to cross the front line.
Fire
everyone trying to cross lines. Use discretion in case of women and
children."
(c) Copyright 2000 The Associated Press
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