Date: Sun,  1 Oct 2000 12:43:20 +0900
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Subject: [keystone 3119] <反戦エッセイ>オリンピック
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 <反戦エッセイ>

     発信者=井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
     発信時=2000年10月1日

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     オリンピックは、どのように悪用されているか
 
  ある友人からもらったFAXを、まず紹介したい。
  〈いやあ、世の中なかなかオリンピックで盛り上がっているようですね。う
ちの連れ合いが先週末、社員旅行に行ったんですが、ほとんど宴会そっちのけ
で、皆さんテレビにクギヅケだとか。
 女子マラソンで優勝した高橋選手に観客が日の丸の小旗を渡すシーンを見
て、「バカヤロー! もっと大きいのを持たせてやれよ!」と怒っていた御仁
もいたそうな。
  連れ合い曰く「この分じゃ難なく戦争にも行っちゃうかも」だって。私も
「ありえるね」と答えましたが。〉
 

 私はこのところ、ムチャクチャに多忙で、テレビをつけることも少ないか
ら、オリンピックのことは、ほとんど知らない。三宅島の火山活動のことを知
りたいので、新聞に目を通すのだが、オリンピック報道が占領していて、知り
たいニュースが皆無か、ごくわずかという状況だから、オリンピックにはたい
へん迷惑している。

  先の友人のFAXに登場した高橋選手が、女子マラソンで優勝した翌日の
『産経新聞』の社説(9月25日付同紙「主張」)は、同紙がオリンピックに
何を期待しているかを、はなはだわかりやすくのべていた。

  「強敵のシモン選手を振り切って五輪最高記録での快勝に、日曜の早朝から
テレビに釘づけで声援した国民もさわやかな感動に胸を打たれたのではあるま
いか。/スポーツの感動は、他では得られない純粋なものである。それは実際
に競技をしている人間やその周囲だけでなく、見る人たちの心まで勇気づけ
る。また、それぞれの国旗を打ち振り、心を一つにして声援を送るとき、自然
な国家意識に満たされてくる。」

  同紙は最近、在日外国人に地方参政権を認めることに反対するキャンペーン
をしつこく繰り返しているが、それと裏表の関係で、オリンピックに国家意識
の高揚の効果を求めている。そしてその期待は、大いに満たされているようで
ある。
 

  ところで、9月16日付『サンケイスポーツ』に、「〈シドニー五輪〉慎太
郎知事猛ゲキ『勝って来い!』」というインタビュー記事が載っている。その
発言をいくつか引用する。

  ●オリンピックに行って惨敗しても勝たなくていいんだ、私は楽しんでき
たっていう奴がいて、これはたわけた話でね、テメエの金でオリンピックに
行ったわけじゃないんだ。みんなが税金で支えてるんだから。/そういう選手
の心構えを許したコーチとか監督が許せないね。

 ●東京オリンピックというのは僕にとって戦後復興の象徴の一つだった。あ
のとき、最後にマラソンを観戦したが、圧倒的強さで(エチオピアの)アベベ
が一番で入ってくるわけ。それで2位がどこにいるか。最後のカメラが円谷
(幸吉、つぶらや・こうきち)をとらえるんだね。円谷2位だ。/ところがそ
のあと3位のヒートリー(英国)が来た。(ヒートリーに最後に抜かれて)4
位にも詰められて、危うく3位になったんだけど、そのあと彼、自殺するわけ
でしょう。/なにしろ、彼は自衛官ですからね。最後までまわりに思い遣っ
て、自衛隊に迷惑かけないように、彼は最後まで独りで走ったと言えるね。/
4年後のオリンピックで期待されてね、それが自分にはまったく無理だという
ことを誰でもない彼自身がわかるわけだから、その責任を取って死んで行く。
非常に美しい、やっぱり武士道だと思ったね。ああいう日本人というのはだん
だんいなくなっちゃった。

  ●私は勝負しに行ったんじゃない。楽しみに行ってきましたというバカがい
るが、とくに女に多い。言語道断だよ。/そんなものは国家の代表じゃねえ
よ。だったらテメエの金で行きゃいいんだ。

 
  相変わらずヤクザまがいの口調でブチまくっているが、非論理性もいつも通
りである。このインタビューの最後で、石原は「選手たちへのエール」として
「やっぱり自分の人生だからね、自分の意のままに、気ままに、まっしぐらに
生きたらいい」とのべているが、それなら「楽しみに行ってきました」と言う
ことを責めるのは間違っている。そのようにスポーツを楽しむことは、言語道
断でも何でもないはずだ。選手たちは「国家の代表」だから、惨敗したら、円
谷選手のように責任をとって自殺するのが美しいなどと脅迫めいた暴論を、吐
くべきではない。

  もっとも石原は、「(武士道を貫く)ああいう日本人というのはだんだんい
なくなっちゃった」という言い回しが、よほど気に入っているようだ。ルー
ス・ベネディクトの『菊と刀』を引用して、「秋に香り高く咲く、あの菊が日
本人の気質をいちばん象徴している」と断じながら、「そういう日本人はもう
いないね、私ぐらいだね」などと言う(2000年4月5日、東京都写真美術
館での筑紫哲也との対談)。『サンケイスポーツ』の先のインタビューでは、
「21世紀はどういう感じなんですか、日本という国家は」という質問に「こ
のままでいったら日本は溶けてなくなるね」と答えている。小林よしのりとの
対談では「ぼくなんか、自分が死んじゃったら、日本国家は消滅すると思って
るもの」と語っているが(1999年8月25日/9月8日号『SAPI
O』)、それも同じ文脈での〈真情の吐露〉ということになるのであろう。

 つまり石原の肉体的消滅とともに、彼の考える「日本国家」も消滅するので
ある。彼は「最後の日本人(ニッポンジン)」として奮闘しているつもりのよ
うだ。『文藝ポスト』(週刊ポスト別冊)秋号のインタビュー「畏友・三島由
紀夫とこの国の現在」にも触れておこう。

 −−もし三島さんと今話ができるとしたら、どんなことを話してみたいと思い
ますか。
石原
 そうだな、三島さんに今度はもうちょっと綿密なクーデター計画を立てて、
本気でやりましょうって言うわね(笑)。あの人は亡くなる前に非常に粗雑な
発言をしたけど、今の日本は軍事政権でも擁立しない限りどうにも変わらない
よ、本当に。
  結局みんな晩年駄目になっちゃうんだな、作家は。そういう意味では、三島
さんが生きていれば間違いなく面白かったはずだ。三島さんが死んでから、日
本は本当につまらなくなったなと思うよ。

 −−石原さん個人がつまらなくなったのでは。
石原
 そんなことない。僕はまだ面白い。君、僕が死んだら日本は、この国はもっ
とつまらなくなるぞ(笑)。

  石原がいなくなると、日本は「もっとつまらなくなる」と言う。そういうこ
となら、彼の考える「つまらない」日本を、私は大いに歓迎する。彼にとって
「おもしろい」日本を実現させるわけにはいかない。石原は「日本を変えるた
めのクーデター、軍事政権の擁立」を軽々しく語っているが、彼のこの種の発
言は、質(たち)の悪い冗談ではすまされない。これは、本年4月9日に発せ
られた、自衛隊に対する治安出動の要求と同質の「自衛隊によるクーデター」
の扇動である。石原は、扇動に応じる者たちが、そこ、ここにいる気配を看て
取り、それなりに脈ありと踏んで、あえてこういう発言をしているのだ。

 さりとて石原が、扇動の責任をとることは決してない。小心で、それゆえに
こそ居丈高(いたけだか)に振る舞っているにすぎないから、発言が問題にさ
れると、ひたすら弁解にならない弁解に終始する一方、責任を他に転嫁して開
き直る。その無様さは、形容しがたいほどのものだ。しかしそれでも「石原的
なるもの」に共鳴し、それに同化することを喜びとする者たちが、あまねく存
在する。だから、石原が肉体的に消滅しても、「石原的なるもの」は、ゾンビ
のように再生産されるにちがいない。

 「三島・石原」を媒介とするクーデター願望は、悪性のウイルスとして、
「先の見えない」21世紀の日本社会に伝染していく。石原は、一刻も早く都
知事の座から去ってもらいたいと私は願うが、それが実現しても、問題は終わ
らない。「石原的なるもの」への共鳴者の存在が、私たちの前途を暗くしてい
る。私たちは、《イシハラ・シンドローム(症候群)》に立ち向かわねばなら
ない。
 

 ところで、オリンピックは、もともと国旗や国歌と無縁のスポーツ大会で
あったのだが、ここまで国家の威信(国威)高揚競争の場に堕落した以上、も
う止めるがよかろう。勲章が人の価値を決めないのと同様、金・銀・銅のメダ
ルの数が、国家の優劣を定めるはずはない。ひたすらメダルの数にこだわるの
は、金ピカのものを巣に持ち込みたがるカラスの習性と同じである。ただカラ
スのために弁護しておくと、カラスはそれらのものを悪用しない。石原が
「勝って来い!」と絶叫するのは、日本の国威高揚のためだから、ここでカラ
スを引き合いに出すのは、カラスにとって失礼かもしれない。

 オリンピックが日本にとって、国家意識の高揚に非常に役立つという見解に
おいて、『産経新聞』と石原は、はなはだ息が合っているようである。先のイ
ンタビューで『サンケイスポーツ』の記者は、石原に対しまずこうのべてい
る。「五輪は最近、日本人が国家を考えるいい機会というか、数少ない機会に
なってきました」。

 「国家」なるものは、共同の幻想によって成立させられる一つの観念である
が、その観念をフルに悪用して国家権力は支配を維持するのだから、うかうか
していると、「国家」は、その成員たる「国民」に、とんでもない災厄をもた
らす。だがそれにしても、オリンピックをダシにしなければ高揚させることが
できない国家意識とは、一体どのようなものであるか。この種の「五輪活用
論」は、ニッポンにおける国家意識の解体状況を、逆に照らし出しているが、
それゆえにこそ国家主義者、国権主義者どもは、「ニッポン、ニッポン」の大
合唱を求めているのである。

 
  特攻隊まがいの「日の丸」鉢巻や「日の丸」の扇子を頭に飾り付けた若者た
ちの映像を、テレビのニュースでちらと見かけたが、これは確かにアブナイ状
況になってきた。冒頭紹介したある友人のFAXにあるように、オリンピック
における「ニッポン万歳」の歓喜の合唱が、「ニッポン防衛万歳」の合唱に転
化しないという保証はない。「平和の祭典・オリンピック」が、戦意高揚の土
壌を培っていることに気づかぬうちは、戦争の影は、私たちにつきまとって離
れない。



 
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  • 2000年     1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

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