Date: Thu, 21 Sep 2000 15:29:48 +0900
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Subject: [keystone 3081] 石原都知事「アジア大都市ネットワーク21」
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  石原都知事が「アジア大都市ネットワーク21」を足場に狙うもの

     井上 澄夫(東京都は戦争協力をするな!平和をつくる市民連絡会)

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 石原慎太郎東京都知事は、本年8月27日、マレーシアの首都クアラルンプー
ルに入り、28日、「アジア大都市ネットワーク」の共同提唱都市首長会議に出
席、29日には、同国の「新首都」プトラジャヤとIT(情報技術)産業が集中
するサイバージャヤを訪問、30日にマハティール首相と会談して、31日に帰
国した。
  石原のマレーシア訪問は、一般の都職員が想像もできないほど長期の休暇明け
になされ、三宅島の「全島避難」が切迫していたことから、「なぜこの時期に」
と、訪問それ自体が疑問視されたり、批判されたりしたが、この訪問は私的なも
のではない。あくまで、窮迫した都の予算から4千万円もの金をつぎ込んだ「公
務」なのである。
 三宅島の緊迫した事態や、島民の苦しみをよそに強行された、都による総合防
災訓練「ビッグレスキュー東京2000」(7100人もの陸海空自衛隊が参加
した)の影に隠れて、石原の「東アジア外交」の一環というべきこの動きは、あ
まり注目されなかった。しかしそれは、今後の東アジアの政治状況を撹乱する危
険な要因たりうるのであり、問題点をきちんとえぐり出しておかねばならない。
 
  まず見ておくべきは、このマレーシア訪問に先立ち、石原が、9月27日から
30日まで北京で開かれる第6回世界大都市サミット会議への欠席を決めたこと
である。8月25日付『読売』によれば「同サミットは歴代の都知事が会長職を
努め、85年に東京で第1回会議が開催されて以来、各都市持ち回りで3年ごと
に開かれている。現在、ニューヨーク、パリ、北京、ソウルなど計31都市が参
加している」そうだから、石原の不参加の決定は、東京都がこれまでつづけてき
た自治体外交における知事の任務を一方的に放棄したに等しい。『読売』の記事
はこうつづく。「石原都知事は就任後、中国批判を繰り返していることから、当
初から出席が危ぶまれていた。都では、副知事クラスの代理出席を検討してい
る」。

  自分が会長職を努めるはずの、北京での世界大都市サミット会議は欠席し、そ
れとは別に「自らが打ち出した石原都政の都市外交の目玉」(8・29付『朝
日』)である「アジア大都市ネットワーク」結成のための会議には出席するのだ
から、それだけで彼の思惑の一端が知れようというものだ。しかも今回の共同提
唱都市首長会議が石原のほか、クアラルンプール市長、インドのデリー準州首
相、韓国のソウル市長の四者によって開催され、会場がマレーシアの首都であっ
たことには、深い意味がある。
 共同提唱都市としてマレーシア、インド、韓国の首都を選択したのは、石原自
身であろう。マレーシアのマハティール首相はマレー人で、同国のマレー人を優
遇し華僑を抑圧する「プミプトラ政策」を強行している。インドは中国と長く敵
対関係にある。韓国は今でこそ、中国と国交を持っているが、中国が朝鮮民主主
義人民共和国(以下、北朝鮮)の〈庇護者〉であることを依然強く意識してい
る。つまりこれら三国は、石原好みの「反中国的」な国である。
 また会場をマレーシアにしたのは、マハティールが81年に首相就任後まもな
く打ち出した「ルック・イースト・ポリシー」(東方政策)を、石原が、アジア
諸国では例外的な親日姿勢として、大いに好感しているからにほかならない。マ
ハティールとの親密な関係は、石原自身が繰り返しひけらかすところである。
 
  ところで、8月28日に共同提唱都市首長会議(以下、首長会議と略)で採択
された共同宣言には、「アジアの繁栄と発展のために国を牽引する大都市間の
ネットワークを構築することを目的として」とか「アジア地域の発展を目指す新
たな協力の枠組みとして、『アジア大都市ネットワーク21』を構築する」とい
う文言がある。これは本年2月、都の予算案の説明で示された「地理的、経済的
に深い関わりを持つアジア各都市と実質的な交流を深め」という表現とは、かな
りトーンを異にする。後者はイデオロギーを脱色した、都の事務官僚の作文であ
ろう。

 石原は、首長会議後、「欧米対アジアをいつも意識してきた。(ネットワーク
で)アジアの新しいアイデンティティーが必ずできると思う」とのべた(8・2
9付『産経』)。また本年6月の第2回都議会定例会では、こう語っている。
「経済的なかかわりが深く、価値観にも共通性が見られるアジアは、我が国に
とって最も重要な地域である」ので、首長会議を「起点とし、21世紀をリード
する極の一つとして、アジア地域の発展を目指したい」。 
 欧米に対抗してアジアを「21世紀をリードする極の一つ」にしたいのであ
る。
 
  しかも問題はそれだけではない。先の共同宣言では、今後「参加を呼びかける
都市」として、バンコク、北京、ハノイ、香港、ジャカルタ、マニラ、シンガ
ポール、台北、ヤンゴンを挙げた。8月29日付『読売』は、「台北の参加を求
めることになったのは、自治体外交で台湾の国際社会での存在感を引き上げたい
石原都知事の思惑が反映したものと見られる」と書いた。また同日付『朝日』
は、北京と香港の両都市に呼びかけることについて、石原が「(香港は)完全な
属領というか、国内のものになっちゃったんでしょ。一国二体制の象徴的な存在
だから入れた」と説明したと報じている。

 石原はつとに著名な台湾ロビイストである。昨年9月21日に起きた台湾大地
震の際には、直後に台湾に飛び、本年5月20日の陳水扁の総統就任式にも参列
した。都知事就任後も、中国をあえて「シナ」と呼び、「中国は分裂させなきゃ
いけないんだよ。その作用に日本は手を貸してやるべきだし、分裂前後のイニシ
アチブもとらなければならない」とまで言う(本年3月号『諸君』)。先に挙げ
た「アジア大都市ネットワーク21」に参加を呼びかける9大都市のうち、北京
と香港を除く他の7大都市と東京は、彼にとって「中国包囲・北京攻囲ネット
ワーク」の継ぎ目、紡ぎ目であるにちがいない。
 
 石原は、首長会議の冒頭の挨拶で、「21世紀がアジアの時代であることを鮮
明にする」とぶち上げ、共同宣言採択後の共同記者会見では「世界に評価される
新しいアジア文化の創造へ、苗を植えることができた」と自画自賛した。さらに
マレーシアから帰国後も、「アジアの新しいアイデンティティーをつくってい
く」と繰り返した(9月1日、都庁での記者会見)。
  しかし「アジアの新しいアイデンティティー」とか「共通性が見られるアジア
の価値観」なるものの中身は、具体的に提示されない。そしてそれには理由があ
る。石原が言う「アジア」が、多民族のモザイクによって成り立っているからで
ある。多様性を本質とするアジア地域から「新しいアイデンティティー」を抽出
し、それをもって逆に「アジア」なるものを規定しようとすれば、現実のアジア
から遠ざかるほかない。

 石原自身、首長会議の冒頭「アジアは民族、文化、宗教などで多様性に富んで
おり、それぞれの民族がアイデンティティーを持ち、互いの相違を尊重しながら
共存共栄しようとしている」とのべた。それならそういう「共存共栄」自体を価
値とすることもできようが、諸民族が混住しつつ共生を織りなしている現実は、
別にアジアに限られたことではない。しかもアジアの現実が、彼が評価するほど
バラ色でないことは、インドネシアやフィリピンで現に起きている、民族的ある
いは宗教的とされる対立・抗争を見れば、誰にも明らかなことだ。
 したがって石原の言う「共存共栄」の現実から、「アジア」の「新しい共通の
アイデンティティー」や「価値観」を絞り出すことは、恣意的な観念の作業とし
てしかありえず、現実から理念・イデオロギーへの極端な飛躍である。石原は、
「かくあるべし」と自らが希求する「アジア」像から、それらの理念を抽(ひ)
き出そうとする。それは、そういうものが「ありうる、あるはずだ」と思い込む
ところから始まる観念の操作であるから、現実との大きな亀裂は避けられない。
反共・反欧米の極たりうる強大な「アジア」の実現も、彼の脳裏においてしかあ
りえない。

 しかし、その種の現実と理念・イデオロギーとの亀裂が接合不可能であること
を、この国はすでに、いやというほど経験したはずなのだ。たとえば、1943
年11月6日に発表された大東亜会議の大東亜共同宣言にはこうあった。
 「大東亜ヲ米英ノ桎梏(しっこく) ヨリ解放シテ」「道義ニ基ク共存共 栄
ノ秩序ヲ建設ス」
  「大東亜各国ハ相互ニ其ノ伝統ヲ尊 重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亜 ノ
文化ヲ昂揚ス」
 だが、大東亜会議を東条英機首相が強引に開催したその時期、前年(42年)
6月のミッドウェー海戦での敗北を経て、すでに戦況は暗転していたのであり、
「大東亜ノ文化ヲ昂揚ス」るどころではなかった。 
 しかも、「大東亜共栄圏ノ建設」なるスローガンは、後進帝国主義であった日
本が、資源の確保と植民地の拡大をめざして、米英など帝国主義列強と始めたア
ジア太平洋戦争(「大東亜戦争」)で掲げたものである。それゆえ「大東亜ノ文
化」なる表現も、むろんたちの悪い言葉のもてあそびでしかなかった。(末尾の
註参照)
 
 本題に戻ろう。マハティールの「東方政策」は、97年に始まったアジアの経
済危機によって存続が危ぶまれたが、日本政府が救済に乗り出し、今や円借款に
よって維持されている。しかしマハティールの言う「イースト=東方」には韓国
も含まれ、必ずしも日本のみを意味しない。
 石原とマハティールの共通点をあえて探せば、「反欧米」であるが、マハ
ティールの政治手法は、利用できるものは何でも使う現実主義に立脚しており、
石原が思っているほど親日一本槍ではない。したがって、両者に共通する「反欧
米」も同床異夢というべきである。

  反中国・中国分割を自らの東アジア外交の主眼とする石原都知事が主導する
「アジア大都市ネットワーク21」に、北京と香港が加わるであろうか。首長会
議では、高建ソウル市長がピョンヤンの参加を提案したが、これは今後の協議事
項として棚上げされた。南北首脳会談の成功に不快感を隠さない石原がリードす
る会議だから、当然といえば当然であるが、高建ソウル市長がそれでおさまるで
あろうか、
  採択された共同宣言には「このネットワークの参加都市は、環境、都市計画・
都市問題、芸術・文化及び観光の振興、人材育成、教育、女性の社会参画、保健
衛生、災害対策及び相互支援、技術開発(ITを含む)などの分野で、協力して
事業を展開する」とある。しかし石原にとって「アジアの大都市がより緊密な関
係を形成すること」(共同宣言)は、自分が東アジアの国際政治において主役に
躍り出るための舞台設定、環境作りである。「都知事は大統領的なことができ
る」(1999年8月号『VOICE』)と考える石原は、すでに東京という一
つの国の大統領か宰相のつもりであり、巨大都市の連合をもって既存の国家の枠
を越えつつ、欧米に対抗できる新たな極としての「アジア」を構想しているよう
に見える。共同宣言の「大都市は、アジアの頭脳部分であり心臓部分でもある」
という表現に、その思い込みが露出している。

  だが、石原の思い込みが実現する保証はない。第一、台湾は、石原の東アジア
外交のカードの一枚の役割に甘んじるであろうか。韓国もかつてのように、ひた
すら反共の砦であるわけではない。本年6月に実現した南北首脳会談と、その果
実である南北共同宣言が惹起した統一の滔々(とうとう)たる流れは、韓国民衆
の反共意識を根底から揺るがしつつある。急激に変貌を遂げつつある韓国は、も
はや石原が望むような国ではない。

 石原は、あれやこれや、盛んに国際的な策謀をめぐらす。しかし、どのように
反欧米主義的東アジア外交を夢見ようと、石原が石原たりうる根拠、彼が立脚す
る思想原理の核は、つまるところ、天皇を基軸とする日本「国民」国家でしかな
い。そこに繰り返し回帰しないと、「僕の体の内に日本がある」石原は、「国家
的アイデンティティー」を喪失する。そうなれば彼は、「ニッポンジン」でさえ
なくなってしまうのである。
 とすれば「新しい共通のアイデンティティーを持つアジア」なる構想も、所詮
「大東亜共栄圏」の焼き直しにすぎないことになるのではないか。石原の発言を
引用することで、それを実証しよう。「大東亜共円(!)圏」の提起である。
  〈アメリカにこんなに虐げられている日本は、まさにアメリカの金融奴隷だ。
何でそんなにアメリカに対してびくつくのか。/アメリカが最も恐れていること
をやればいい。(日本が買ってやっている300兆円ぐらいの)米国債を売りに
出せばいい。/日本の米国債処分で、世界経済は一度沈むだろう。沈んだとき
に、どこが最初に立ち直るか? きちっとしたモノを作れる日本や東アジアの
国々が必ず優位になる。つまり、アメリカも認めるモノ作りNO.1の国である
日本こそが、生き残るのだ。そして東アジア諸国は、モノを作る技術もあり教養
水準も高いので、まさに「大東亜共円圏」が誕生するだろう。〉

 これが、都知事になってからの発言であることは、記憶されていい(1999
年12月号『現代』)。「大東亜共円圏」なるものは、要するに、アジア地域に
排他的な円ブロックを形成しようという構想であろう。これでは、まるで「アジ
アの新しいアイデンティティー」とは「円」であるかのようだ。またそのアジア
は、「円」を媒介とする「日本の金融奴隷」にされるに違いない。
 すなわち、石原の構想は、「大東亜共栄圏」建設の発想と、なんら本質的に異
なるものではない。実際、今後参加が呼びかけられる首都がある国々は、そのま
まかつての「大東亜共栄圏」に重なっている。
 しかも「日本はアメリカによって、敗戦後の50年間、実に見事に内側からも
外側からも解体された」という見解を示すに当たって「彼ら白人にとってみる
と、日本人だけが有色人種の中で唯一見事な近代国家を作ったということそのも
のが、意に沿わない事実だったのでありましょう」とのべたことに表出している
ように(2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地で挙行された第1師団創隊
記念式典に参加した際のあいさつ)、かつての「大アジア主義」に色濃く塗り込
められていた人種差別主義も、石原はしっかり継承している。
 だが現在のアジア諸国は、すでに列強の植民地ではない。石原の構想は、一口
にいって、現代版「大アジア主義」に基づいているが、それは、躍動をつづける
アジアの現実によって弾き飛ばされ、茶番に終わる可能性の方が大きい。
 
  「アジア大都市ネットワーク21」の第1回会議は、来年、東京で開かれる。
それに参加することに利益を見いだすアジア諸国の大都市の首長は少なくないか
もしれない。なぜなら石原は「日本の首都」の知事であり、参加する首長たち
は、彼を通じて日本政府から援助を引き出すことに関心を寄せるだろうからであ
る。
  冷戦構造崩壊後のアジアの経済危機は、諸国の開発独裁体制を揺るがす民主化
の波を生んだ。しかしそこを市場原理のグローバリゼーション(全世界化)が直
撃し、貧富の差の拡大や固定化が民衆を激しく苦しめている。各国の支配層は、
その苦しみをよそに、政治的・経済的利権の囲い込みに汲々としている。そこで
必須の要件は、日本の政財界とのパイプの付け替えや握り直し、つまり金脈の再
編である。石原は、そこにつけこんで策動しているのである。
 「大アジア主義」イデオロギーに基づく石原の策謀がもたらす害が、過大
(重)評価されるのは間違いであろうが、決して過小評価されるべきではない。
彼の動きが、軍事的緊張や戦争の火種につながる事態が、まったくないとは言え
ないのだ。

 これもあえて繰り返しておきたいが、石原の策謀は「公務」としてなされてい
る。石原を含む四首長が会合するのに4千万円が浪費された。わずか一日の会議
に、一人当たり1千万円を使ったのである。来年、東京で開催される会議のため
に、それを上回る予算を石原は要求するだろう。
  石原は、先のマレーシア訪問中、三宅島で噴火が続いているのだから「災害対
策本部で陣頭指揮をとらなければならないのでは」と尋ねられたとき、「もっと
大事な仕事でマレーシアに来ている」と開き直った。三宅島住民の生命よりも、
「大東亜共円圏」建設の基礎作りである「アジア大都市ネットワーク21」の準
備の方が大事というわけだ。
 そういう「仕事」は中止させねばなるまい。

 
〔註 故竹内好は、1963年に発表した「日本のアジア主義」でこう記してい
る(「二、自称アジア主義の非思想性」)。

  〈アジア主義は、それぞれ個性をもった「思想」に傾向性として付着するもの
であるから、独立して存在するものではないが、しかし、どんなに割引きして
も、アジア諸国の連帯(侵略を手段とすると否とを問わず)の指向を内包してい
る点だけには共通性を認めないわけにはいかない。これが最小限に規定したアジ
ア主義の属性である。とすると「東亜共栄圏」はあきらかにアジア主義の一形態
ではある。
  しかし実際について見ると、「大東亜共栄圏」は、アジア主義をふくめて一切
の「思想」を圧殺した上に成り立った疑似思想だともいうことができる。思想は
生産的でなくては思想とはいえぬが、この共栄圏思想は何ものも生み出さなかっ
た。この天くだり思想の担い手もしくは宣伝がかりの官僚は、一切の思想を圧殺
するために「大東亜共栄圏」といういちばん大きな網をかぶせただけである。
「大東亜会議」を開き「大東亜宣言」を発表したりしたが、これはまったく無内
容なものだった。〉

  竹内の指摘は刺激的で、あれこれ付言したい誘惑に駆られるが、ここでは、竹
内の言う疑似思想が、戦後もさまざまな装いのもとに、繰り返し登場しているこ
とに、読者の注意を促したい。
 石原の現代版「大アジア主義」もその一種である。それは、彼の超国家主義・
国粋主義、あるいはゴリゴリの反共主義に「付着した傾向性」であろうが、この
種の疑似思想に誘引されたり、それに共鳴したりする土壌が、近年いよいよ培わ
れつつある。石原はそれを敏感に察知して動いているのであり、その意味でも彼
の言動を、単なる時代錯誤として片づけるわけにはいかない。〕

◎本稿は、石川県金沢市で発行されている『インターネット・反戦情報』に寄せ
たものです。
                             2000年9月18日、脱稿



 
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  • 2000年     1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

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