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「ビッグレスキュー」反対運動の報告・第3回
発信者=井上澄夫
(「やめて!東京都による〈防災〉に名を借りた自衛隊演習
実行委員会」)
発信時=2000年9月13日
本報告の第1回と第2回は、どちらかといえば、関連文書の紹介に重点が置か
れましたので、今回は9月2日の都庁デモと、その夜の全国交流会や9月3日の
銀座デモに触れる前に、今回の連続行動のハイライトの一つ、自衛隊の幹部を仰
天させ、大いに意気の上がった練馬での行動を紹介しましょう。それは9月3日
午前の抗議行動ですから、順序がやや前後しますが、その点はご容赦願います。
「ビッグレスキュー」の一環として、石原都知事と防衛庁は、全線がまだ開通
していない都営地下鉄・大江戸線を使って、陸上自衛隊練馬駐屯地の第1師団の
約200人(実際には約170人だった)の隊員を、江東区の木場(きば)会場
まで出動させることを計画しました。それについて本年8月3日付『東京新聞』
の記事が、練馬駐屯地を出た部隊は、練馬区にある大江戸線の光が丘駅から試運
転の専用列車に乗り、木場公園地下にある木場車庫まで移動すると報道しまし
た。
しかし「戦争に協力しない!させない!練馬アクション」は、その報道は少し
おかしいと感じ、調査を開始しました。いかに日曜朝の移動とはいえ、一般の乗
客が出入りする改札口を、迷彩服姿の自衛隊が使うだろうかと思ったからです。
むろんそうなれば、抗議行動は容易ですが、前代未聞、空前の地下鉄による部隊
移動については、自衛隊も慎重にかまえるにちがいないと考えるのは、誰しも同
じでしょう。
はたしてそこには、少々トリックがありました。自衛隊が利用するのは、光が
丘駅ではなく、そこから歩いて15分ほどのところにある東京都交通局高松庁舎
が管理する高松操車場(車庫)であったのです。つまり自衛隊の部隊は、普段は
車両やレールを地上から地下に降ろすのに使われている操車場に行き、そこから
地下に潜って、臨時の回送車(試運転の臨時列車)に乗り、木場に向かうことが
わかったのです。
さて、9月3日朝、練馬でどのように抗議行動が行なわれたか。それについて
は、抗議行動に参加した池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アク
ション)にインタビューして、生き生きと語ってもらいましょう。
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〈元気印インタビュー〉 自衛隊が仰天・動転した練馬で抗議行動
―当日の行動を順を追って話してください。
池田 9月3日の朝、「戦争に協力しない!させない!練馬アクション」の緊急
の呼びかけで、都営地下鉄・大江戸線を利用する自衛隊の部隊進出訓練に対する
抗議行動が行われました。
午前7時45分に、大江戸線の光が丘駅を出たところにある光が丘区民セン
ター前に集まったんです。それに先だって、午前7時から、ウオッチング隊の仲
間たちが、練馬区北町にある陸上自衛隊練馬駐屯地の監視行動を始めました。2
台の車に分乗してやったんですが、ものすごくたくさんの車両が出ていく中で、
どれが高松操車場に向かう車かわからなくて、追いかけて行くと、池袋方面に向
かってしまうということもありました。
あとから思うと、高松操車場に来た自衛隊の部隊は、どうやら朝霞(あさか)
駐屯地(練馬区と埼玉県朝霞市、新座〔にいざ〕市、和光市にまたがっている陸
上自衛隊の駐屯地、東部方面隊総監部がある)から来たようです。木場(きば)
会場の方で監視していた人も、朝霞の部隊だと言っていました。ですから、それ
までのマスコミ報道では、練馬駐屯地の第1師団が出動することになっていたの
ですが、あるいはそうでなかったかもしれません。その点は今後、調べなければ
なりませんが。
そういう監視の動きと光が丘駅に集まる動きとがあったわけです。むろん両者
を結ぶ中継点を作って、連絡を取り合いながらやりました。区民センター前には
80人が集まりましたが、そこから15分ほど歩いて、高松操車場に着いたとき
には、100人ものグループになっていました。
―「練馬アクション」の呼びかけに応えて集まった人たちの構成は?
池田 おおまかに言うと、まず練馬区職員労働組合(区職労)、東京都水道労働
組合(東水労)、都の交通関係の労働者もいました。それに、「練馬アクショ
ン」を中心とした区民たち、北板橋など北部で北町基地(練馬駐屯地の通称)に
向き合って反戦の活動をつづけている人たち、それから中野区、杉並区などから
も参加してくれました。前日の9月2日、東京に来て、都庁デモに参加した大阪
や名古屋の仲間も駆けつけました。
それでも参加者の7、8割は、練馬区在住の人か、練馬区で働いている人びと
でした。そういう意味では、地域の総力を挙げた運動になったと思います。
光が丘駅まえから、光が丘団地の中にあるいくつかの公園を通り抜けて移動
し、高松操車場の真ん前に出ました。道路を隔てて操車場の正門があるんです。
しばらくそこに待機していたんですが、マスコミ関係者が操車場の構内で、自衛
隊の到着を待っているんです。彼らは、都交通局の高松庁舎から操車場の駐車場
に移動して、到着する自衛隊のトラックの写真を撮るつもりだったんですね。自
衛隊が宣伝のために、そういう手配をしたんです。
実は私たちは、道路を隔てて抗議するつもりだったんですが、機動隊がいない
ので、道を渡って、自衛隊の部隊がいちばん見える位置を中心に、金網の塀に
沿って広がりました。自衛隊の部隊はトラックで操車場の駐車場に着き、そこで
下車して駐車場の一角にある施設から地下の操車場に降りるんです。自衛隊の幌
付きトラック8台と荷物運搬の2台の小型車がやってきて、正門から入ったの
は、午前8時半だったですね。
そこで横断幕を広げ、盛大にシュプレヒコールを上げたんです。そしたらマス
コミ関係者が、バアーッとこっちに押し寄せて来た。
―ワハハ、そりゃ、おかしいね。
池田 そんな抗議行動が展開されるとは思ってなくて、マスコミ関係者も驚いた
みたいです。フジテレビが、その抗議のシーンを映して、ニュースで流したんで
す。誰の顔かわからないくらい絶叫している顔が大写しになったんですが、「あ
のポジションから見て、あれは池田じゃないかと」。
―アハハハ、それもおもしろい。
池田 だから自衛隊が入って来るとき、マスコミはまずこっちを取材した。で、
私たちがシュプレヒコールを上げつづけている間に、自衛隊員はトラックから降
りて、整列して、次々に地下に降りていったんです。その間、15分くらいだっ
たと思います。こっちはトランジスターメガフォンを持っていたし、旗も横断幕
も持って行った。労働組合の旗がなびき、それぞれが思うところを書いて準備し
た段ボール紙を金網に押しつけて抗議しました。ずいぶん多様な表現で抗議でき
たと思います。
シュプレヒコールは、「防災に名を借りた軍事演習反対!」「自衛隊は部隊進
出訓練をやめろ!」「地下鉄で移動するな!」「都の職員を軍事活動に組み込む
な」などをメインにして、自衛隊中心の「ビッグレスキュー」に反対する意思表
示をしました。
―弾圧対策はどうしましたか?
池田 弁護士2人、それに区議1人にも同行してもらいました。
―それから、どうしましたか?
池田 抗議を終えて、今度は公園ではなく、歩道を伝って光が丘駅に戻ったんで
す。で、戻って行く途中で、防災服を着た、襟とかがダイダイ色の警察官の部隊
が歩いてきたんです。同じ日に、区の方で地域密着型の防災訓練をやっていたん
で、初めは、それに参加する警察官かと思ったんです。およそ20人くらいなん
ですが、それは実は、私たちを規制するために、あわてて駆けつけた人たちだっ
たんです。たぶん機動隊でしょうね。
それで駅に戻り、私たちが自衛隊の地下鉄利用になぜ抗議しているのか、何の
ための抗議行動かを説明したチラシを配り、一旦、解散しました。別の訓練会場
に急ぐ人もいたし、子どものことで家に帰る人もいたからです。それで、こちら
の数は減りましたが、それでも50人は残りました。そして自衛隊員を乗せて高
松操車場から出る臨時列車が、光が丘駅を通過する時間がわかっていましたか
ら、9時15分に、私たちはホームに降りました。
―臨時列車が入ってきたときは?
池田 入手していた情報によれば、8両編成の列車のうち、先頭の車両にマスコ
ミ関係者を乗せるということだったんで、2両目以降のところに並んでいたら、
2両目までマスコミ用の車両だったんです。
―ハハハ、それもおかしいね。
池田 だから少し損をしたとも言えるし、なにしろ乗っていたマスコミ関係者
が、車両の中から一斉にこちらにカメラを向けたので、良かったとも言える。列
車が入ってきた時間は、予定よりほんの少し遅れたんじゃないかと思います。機
動隊は私たちと車両の間に割り込む形で規制したんですが、規制といっても、そ
うきついものではなかった。だから乗っている自衛隊員たちからこっちが丸見え
で、いわば窓越しの対面になったわけです。そのときは、横断幕より東水労の人
たちが作ってきた段ボールの紙の方がよく見えたらしいです。それはあとから、
その列車に乗っていたマスコミ関係者から聞きました。
抗議活動の参加者の一人が、改札の人に聞いたら、自衛隊の部隊の移動につい
ては知らなかった。回送車が1本増えるということだけ知っていたという。つま
り自衛隊の部隊が大江戸線を使うことは、都交通局の幹部職員だけが知らされて
いたんですね。実際、練馬駅を含め、各駅に管理職がすごい数、動員されてい
た。管理職が警備をやったんです。でも役に立ちませんでしたね、全然。ブラブ
ラしているだけ。ときどきトイレを点検してみたり、とか。
光が丘駅に列車が停車していたのは、1分くらいだったかな、アッという間
だったな。数10秒という気もする。なんか徐行で入ってきて徐行で出て行った
ような気もする。停車したのかもしれないんですけど、またたく間だったな。都
庁前駅では少し止まったようですね。あそこから大江戸線の未開通部分に入るん
で、運転手さんが交代したんです。
―しかし列車の中からも、こっちからも互いに丸見えだったんでしょう。
池田 それはそうです。石原都知事や自衛隊は、高松操車場にあんなに大勢の人
が抗議に押しかけるなんて、予想もしなかったから、びっくりして機動隊を出し
たんですが、それでも光が丘駅のホームで、また盛大に抗議された。乗車してい
た自衛隊員は担架を持っていたんですが、生まれて初めて目の前で自衛隊を見た
人もいたんで、「自衛隊はものすごく長い銃を持っていた」と(爆笑)。装備と
しては、そのほかエンジンカッターとかチェーンソーなどを携行していたんです
ね。
―最後に感想を。あんなにうまく行くとは思っていなかったんじゃないですか。
池田 そうですね。思わなかったですね。練馬では、石原都政について、いろい
ろな枠組みで、都職員の賃金カットの問題、4月9日の石原暴言糾弾、それから
今回の「防災」訓練問題と、次々に取り組んできました。そのようにこれまでコ
ツコツやってきたことの蓄積が活きたと思います。そういう意味で、地域運動と
して本当に良かったなと思います。同行してくれた弁護士さんの一人は地元の人
ですし、自衛隊の地下鉄利用を区議会で問題にしてくれた区議さんも参加してく
れた。都や区の自治体労働者が、軍事評論家の藤井治夫さんを呼んで勉強会をや
るという動きもあった。そういういろいろな動きが、人間関係をうまく織りなし
ながら、今度の行動を成功させた。それはすごい成果だと思います。
しかし本当にびっくりした。予想していたとはいえ、自衛隊員たちのあの姿、
迷彩服、鉄カブトの自衛隊員たちが、列車を占領して座席に着いているあの姿を
目の当たりにすると、びっくりしますよね。
自衛隊の広報は、ずっと前からマスコミに働きかけていたんです。それはすご
い攻勢で、だからこそ、あの列車にマスコミ関係者を大勢乗せたんですね。とこ
ろが、そこに抗議行動、ですからね。大宣伝の場にしようと思っていたのに、逆
に反対運動の大宣伝の場になってしまった。抗議行動は、『朝日』でも『産経』
でも報道されました(後註参照)。自衛隊は、来年の駐屯地祭だとか、自衛隊の
準機関誌の『セキュリタリアン』や『朝雲』で大宣伝するつもりだったんです
ね。
抗議行動の参加者には、日頃あまり自衛隊問題を考えていない人もいたと思う
んですが、みんないい勉強をしたようです。それも成果ですね。
―本当にそうですね。ご報告、ありがとう。
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註 練馬のたたかいについての報道
◎9月4日付『朝日』朝刊(東京本社版)の記事
〈午前8時半、練馬区にある都交通局高松庁舎。都営地下鉄大江戸線の車庫か
ら、迷彩服を着た約170人の自衛官が続々と車両に乗り込んだ。約30キロ離
れた江東区の木場会場に地下鉄を使って集合する「部隊集結訓練」。
出発直後、車両は光が丘駅に1分足らず停車した。ドアは開かなかったが、
ホームには、労組員らが「防災に便乗した自衛隊演習をやめろ」などの横断幕を
掲げて待ちかまえていた。
部隊を指揮する森迫隆文(もりさこ・たかふみ)中隊長(37)は「災害救助
訓練を命じられて出ている。なぜ反対されるのか分からない」と困惑した。〉
*指揮官名の読みは、発信者がつけた。
◎9月4日付『産経』朝刊の記事「東京ニュース」欄
〈「大部隊の移動に地下鉄は有効」。都営地下鉄大江戸線で江東区の木場公園に
向かった陸上自衛隊の指揮官は、公共交通機関を利用した訓練の意義を強調し
た。部隊が集合した練馬区の都交通局高松庁舎周辺などでは、自衛隊の参加に抗
議する住民デモの姿も見られたが、目立ったトラブルはなく、終始、整然と訓練
が行われた。
陸自の部隊が高松庁舎に着くと、デモ隊から「訓練に名を借りた演習を止め
ろ」と声が上がった。さらに途中の光が丘駅でも、横断幕を手にしたデモ隊の姿
が見られた。
現場を指揮した森迫隆久(ママ、隆文の誤り)三佐(37)は「災害派遣の訓
練なのに、なぜ反対するのか分からない」と戸惑いの表情を見せる。その上で
「地下鉄は大部隊を導入する一つの手段として有効」と話した。
迷彩服で埋まった座席は普段の地下鉄車内からすると異質な雰囲気。地下鉄線
構内から木場公園に突然、姿を現した訓練には住民も驚いた様子だった。〉
〔備考〕
地下鉄は一定の規模の地震が起きると、自動的に停車するようになっている。
大規模地震が起き、余震がつづくような状況では運行できない。
東京都は大江戸線の耐震性を強調しているが、いざ大規模地震発生という時
は、乗客の安全だけでなく、運転士など鉄道関係者の安全も確保しなければなら
ない。線路や車両の故障などにも対応しなければならない。自衛隊の部隊移動の
ために、臨時列車を仕立てるどころではない。復旧に最低数日を要するのは、阪
神・淡路大震災の経験からも明らかである。
このように非現実的な訓練があえてなされたのは、石原都知事と防衛庁がひた
すら部隊出動の既成事実化と、都民に対する脅迫的な軍事パフォーマンスを求め
たからにほかならない。
なおこの点については、『週刊金曜日』本年9月8日号に掲載されたルポの次
の部分が参考になる。
〈部隊を指揮した森迫隆文中隊長(37歳)は地下鉄車両内での記者会見で「大
部隊を投入する一つの手段としては(地下鉄は)非常に有効」と述べたが、震災
時に地下鉄が動かない恐れを突っ込まれると「私がお答えできる範囲ではな
い」。消防レスキューが着るオレンジ色の服と比べ、迷彩服は救助を待つ人に見
えにくいとただされると、「研究を進めていく余地はあるが、今の段階ではこれ
でいいんじゃないかなと思う」と述べるにとどまった。〉(横山茂彦「密着ルポ
【都総合防災訓練】はっきりした都知事の狙いと矛盾」)
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大阪の参加者からのメッセージ
以下は、9月2日に大阪から東京に来て、都庁デモと全国交流会に参加、3日
は早朝から練馬の抗議行動に参加、同日午後は銀座デモにも参加した、元気元気
の仲間から届いたメッセージです。
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9月2日、噴火活動で4日までに「全員避難」が決まった三宅島の人々を尻目
に、石原東京都知事は3日、「ビッグレスキュー東京2000」を強行した。
自衛隊員7100名を含む総勢25000人、3億円をかけての「防災訓
練」。
イヤ、「防災」とは名ばかりのまさに、「軍事演習」「治安訓練」ともいうべ
き一大イベント。「明日の生活」もままならない、生活の見通しの立たないまま
不安な日々を送っている三宅島の人たちは、どんな思いでこの“訓練”を見てい
たのだろう、と思うだけでも、怒りで心が震える。
私は大阪の人間やから、言うんやないけど、3億円ものお金があれば、三宅島
の島民全員に10万円の見舞い金が渡せるはず。
先の「三国人」発言と相まって、差別排外・国粋主義を煽って、自衛隊による
戒厳体制を可能にする、今回の「防災訓練」は許せない。石原を都知事の座から
引きずり下ろすまで、共に闘いましょう!
大阪でも頑張りまっせ!
巽 裕子(「意義あり!思いやり予算・関西」)
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