Date: Thu, 24 Aug 2000 22:22:01 +0900
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 全国のみなさんへ
    発信者=井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
       発信時=2000年8月24日

 石原慎太郎都知事は、8月15日の靖国神社「公式」参拝につづいて、9月3
日の「ビッグレスキュー東京2000」は、「都政上、日本史上最大の防災訓練
になる」と呼号しつつ、同演習に、実に7100人の陸海空三自衛隊を参加させ
ます。石原都政批判をさらに強め、広めましょう。最近の拙稿を二篇リリースし
ます。

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       「強いリーダー」を待望することの恐ろしさについて

 危うい時代になったと、よくよく実感する。その「危うさ」は、「神の国・国
体護持」発言をあくまで撤回しない、森首相を首班とする政府のありようがもた
らすだけではない。政治不信・政治離れが極限まで煮詰まり、それが反転して
「強いリーダー」を待望する気運を生みつつあること、「危うさ」の根源には、
むしろそれがあるのではないか。

 バブルがはじけて以来人びとは、誰しもなにがしか、先行き不安や危機の接近
を感じているが、そのような状況を打破する主体が自分自身であるとは、さらさ
ら思わない。「強いリーダー」が登場し、ナニカやってくれることを期待する。
観客や応援団として、きっと展開されるに違いない素敵なドラマを、ワクワクし
て見守りたいのである。

  本年8月号の『文藝春秋』に、誌上「首相公選」読者三千人アンケートとして
「国民は『石原慎太郎』を選んだ」という記事が載っている。有効投票数329
5のうち、石原はトップで1443票を獲得している。「編集だより」には「森
喜朗総理に投じられた票はわずか一票。トップを独走した石原都知事と比べるま
でもなく、そのリーダーシップの欠如は明白でしょう」とある。
 これは、同誌読者へのアンケートの結果にすぎず、見出しの「国民は選んだ」
という表現からしてすでにインチキなのだが、保守・右派メディアの中には、
「国民」の「強いリーダー」待望感情を利用して、石原首相の実現に世論を誘導
しようとする動きがある。
 要するに、都市住民の自民党離れが顕著な今、求められているのは都市型新党
の誕生であり、そのリーダーは石原しかいない、現在の政治の閉塞状況を打破す
るには、石原を首相にして、強力なリーダーシップを発揮してもらうほかないと
いうキャンペーンである。

  こういう世論操作はコワイ。マスメディアにムードを作らせ、それに乗ってこ
とを進めるのが、石原の手法だからである。7月17日付『毎日』によると、7
月16日、石原はテレビ朝日の番組に出演し、仮に自民党から首相候補としての
擁立を条件に、次期衆院選への出馬を求められた場合の対応について、「首相に
なるならやるよ、僕は。日本のために東京都知事になったつもりでいるから」と
応じた。しかし政界の一部に待望論がある「石原新党」結成の可能性に関しては
「自民党をうまく利用した方がいい」と答えた、という。
 自民党を罵倒し続ける石原に、自民党が依存するはずはない、などと思わない
方がいい。自民党は自らの利益のためには、なんでもやる。そういう無節操な柔
軟さによって、なおつぶれないできたのだし、石原を使い捨てするくらい何でも
ないのだから。
 

  石原は、デマを操る典型的な国家主義ポピュリスト(人気取りのために大衆迎
合を手法とする政治家)であるが、それに加え、ファシスト的な要素を色濃く体
質化していることは事実である。たとえば最近の次の発言は、それを実証してい
る。
 「異常者っていうのはどんな社会でも必ずいます。動物でもホモっているんだ
よ。オス同士しか好きになれない、メス同士とか。そういうのは必ず群れから
キックアップされて死んじゃう。精神異常者にも人格があるって言ったらキリが
ない話だ」(2000年7月24日/8月7日号『SMART』)。

  問題は、こういう発言をする石原都知事を支持する人びとが、決して少なくな
いということだ。さらにコワイのは、こういう状況であれば、〈とにかく危険や
危機を煽りさえすれば〉、権力行使における多少の行き過ぎは受容・受忍される
と、大小の権力を握る者たちが思うことだ。

 先の沖縄でのサミットの、異常としか言いようのない警備体制もそうだが、有
珠山噴火にかかわる、周辺住民への人権侵害も見逃せない。災害対策基本法は、
市町村長に避難勧告や避難指示の権限を認めているが、それらに強制力はない。
にもかかわらず有珠山周辺では、避難指示区域への住民の立ち入りが厳しく制限
され、「虻田町長の要請を受けた警察や消防、自衛隊が避難指示区域から立ち退
かない住民を説得する『救出作戦』も行われた」(本年7月19日付『毎
日』)。
 災害対策基本法における市町村長の権限にかかわる条文は「避難勧告や避難指
示ができる」である。「できる」と記されているだけだから、ほんらい全く強制
力をもたないのだが、実際に起きたことは前記のとおりである。

  その事実はただちに、周辺事態法に基づく、国から地方自治体への戦争協力
「要請」を、私に想起させた。周辺事態法第九条には、「国は地方公共団体の長
に対し、必要な協力を求め、依頼することができる」とある。しかし実際に、米
軍が出動して戦争が始まり、自衛隊がそれに参戦したとき、「銃後」はどうなる
か。同条の単なる「できる」は、ただちに「強制できる」に転じるのではあるま
いか。有珠山噴火をめぐって起きたことは、そういう事態の先取りではないだろ
うか。
 忍び寄る危険を鋭く感知する感性のアンテナを、日々磨かねばなるまい。

  ◆松下竜一氏発行『草の根通信』
   2000年8月号への寄稿(連載エッセイ)
 

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     石原都知事の靖国参拝を考える

 今夏、この国の実相をもっとも端的かつ醜悪に象徴したのは、朝鮮半島で離散
家族の再会が(ごく部分的であるとはいえ)実現している、まさにそのとき、十
人の閣僚と石原慎太郎都知事が、靖国神社に参拝したことであろう。

 参拝閣僚に大島理森文相が含まれていることは、教育基本法の改悪が企まれて
いる文部行政の今後を予測する上で、重要な判断材料になるであろう。それはさ
ておき、閣僚の靖国参拝が、公的なものか私的なものかという、マスメディアが
好んで用いる区分けは、実は意味のないことである。
 なぜなら天皇も、閣僚も知事もみな公務員であり、公人だからである。公人の
やることは、どこまでも公人の公人としての行為であり、天皇が、あれは私的に
やったことだと弁明することが許されないのと同様、閣僚も知事も「靖国に私的
に参拝する」こと自体ありえない。
 その限りで石原都知事が、公式参拝か私的参拝かという区分けを「くだらない
識別」とのべたのは、皮肉にもいくらか正論なのだ。しかし、もしそうであるな
ら、「公人として参拝する」と強調する必要はない。都知事の参拝は、公人の参
拝に決まっている。

 彼は部分的に、正しいことを言った。しかし日頃の言動からして、彼が中国政
府へのあてつけ、ないし反撃として参拝したことは明らかである。「日本全体
が、(くだらない識別にこだわる)そういう訳のわからない迷妄から覚めた方が
いいんじゃないの」と吠えたのは、実は、反中国、中国敵視感情を燃え立たせる
ための扇動なのである。オレは、都知事として、公人として、率先垂範やってみ
せる。その力みによって、「くだらない識別」に強くとらわれているのは、彼自
身であることを、みずから暴露してしまった。

 石原都知事はまた、参拝後「公人にも信教の自由もあるし、基本的人権もあ
る」と語ったが、これは彼が、現憲法を少なくとも読んだことがあることを示し
ている(余談だが、「神の国・国体」発言の森首相は、現憲法をまともに読んだ
ことがないと断定していいだろう)。石原都知事は、現憲法破棄・天皇を元首と
する新憲法制定が持論である。都議会では、「(現)憲法は理念を守ればいい」
とブチ上げている。その意味するところは、現憲法については、自分に都合のい
い条文は活用するが、具合の悪いものは無視するということである。第99条
(公務員の憲法尊重擁護義務)は無視していい、しかし彼には、現憲法に基づい
て「基本的人権」がある。
 「公人にも信教の自由がある」と、彼はのべた。彼の靖国参拝の理由の一つ
は、「英霊が喜ぶ」というものである。戦死者を「英霊」にしたり、それが「喜
ぶ」と考えたりすることは、まぎれもなく宗教行為である。そのような宗教行為
をなすことが、「信教の自由」に基づくと、彼は主張しているのだ。アリガタイ
ことに、彼の靖国信仰は、現憲法によって保障されている!

 ところが彼は、その「信教の自由」が、現憲法においては「政教分離の原則」と
絶対に不可分であることは、まるで無視する。そんなことが公人に可能なら、天
皇の靖国参拝には何の問題もないことになる。

 石原都知事は「都の情報では(参拝に)80%が賛成で20%が反対だとい
う。ひねくれたやつもいる」とのべた。彼に「ひねくれたやつ」と言われるの
は、大いに名誉なことである。私たちは、自らの信念に自信を持ってよろしい。

◆「やさしいまちづくりをめざす吹田わいわいフォーラム」の機関誌
   『with You』 2000年8月号への寄稿



 
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