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全国のみなさんへ
東京都による9・3総合「防災」訓練「ビッグレスキュー」に関連する問題提
起です。
発信者=井上澄夫
(「やめて!東京都による〈防災〉に名を借りた自衛隊訓練」
実行委員会)
発信時=2000年8月18日
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石原都知事が主唱する9・3「ビッグレスキュー」に反対する取り組みの
ニュースが、各種メーリングリストやホームページに、次々に掲載されるように
なりました。
またこの「自衛隊を中心とする訓練」の内容についての情報も、たとえば、8
月12日付『読売』夕刊の記事(「陸・海・空自7800人参加)のように、い
ろいろ伝えられるようになりました。
しかし私は、「ビッグレスキュー」反対運動において、問題のとらえ方が、全
体として自衛隊の「治安出動」訓練への批判だけに片寄りすぎているのではない
かと感じます。9・3「ビッグレスキュー」が「防災」に名を借りた自衛隊演習
であることは、まちがいないところですし、私自身もその視点からあれこれ書い
ているのですが、私たちは同時に、東京都の「防災計画」や「災害対策」の質そ
のものを、きびしく問うべきだと思います。私たちは誰もがみな「未来の被災
者」です。震災はありうるのです。とすると、その事態への備えを行政にゆだね
るわけにはいきません。民衆の立場で独自に「防災」を考えるという主体的な姿
勢で、行政の「防災計画」や「災害対策」を批判する必要があります。
そこで私は、いま現実に進行している「災害対策」の問題点を、ほんの少しで
すがえぐり出すエッセイを書きました。これは月刊誌『技術と人間』8・9月合
併号に寄せたものですが、同誌の発行は少し先であるので、同編集部の了解を得
て、ここに掲載することにします。いささかの問題提起になれば幸いです。
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〈有珠山噴火〉法的根拠なき警察・自衛隊の「救出作戦」
本年7月19日付『毎日』に重要な解説記事が出ている(「ニュースがわかる
Q&A―災害時の『避難勧告』―」)。記事のテーマは〈有珠山や三宅島の火山
噴火で出された「避難勧告」はどういう法律に基づいているのか、目的はどこに
あるか〉である。法的根拠は、災害対策基本法第60条(市町村長の避難の指示
等)である。「災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、人の生
命又は身体を災害から保護し、その他災害の拡大を防止するため特に必要がある
と認めるときは、市町村長は、必要と認める地域の居住者、滞在者その他の者に
対し、避難のための立退きを勧告し、及び急を要すると認めるときは、これらの
者に対し、避難のための立退きを指示することができる」。被災によって、市町
村が事務を行なえなくなったときは、都道府県知事が代行する(同条5項)。市
町村長が避難の指示ができないときや市町村長から要求があったときは、警察官
または海上保安官が指示できる(第61条)。
つまり避難勧告と避難指示があるが、「急を要すると認めるとき」の措置であ
る避難指示の方が拘束力が強いと解される。記事によれば、有珠山では、当初の
避難勧告が、噴火直前に避難指示に切り替えられた。
また第63条(市町村長の警戒区域設定権等)1項は、「特に必要があると認
めるときは、市町村長は、警戒区域を設定し、災害応急対策に従事する者以外の
者に対して当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域からの
退去を命ずることができる」とし、同条2、3項は、市町村長や市町村の吏員が
現場にいないときは、警察官または海上保安官、災害派遣を命ぜられた部隊等の
自衛官が、市町村長の職権を行なうことができるとしている。そして同条には罰
則規定(第116条2項)があり、警察官、海上保安官、自衛官の「禁止若しく
は制限又は退去命令に従わなかった者」は「十万円以下の罰金又は拘留に処す
る」とされている。
したがって警戒区域が設定されたときは、命令に従わなかった者は処罰され
る。しかし、避難勧告や避難指示に強制力はあるか。記事にはこうある。「避難
勧告は、住民などがそれを尊重することを期待して出されると解釈されていま
す。避難指示も、従わないときの罰則がなく、強制力についてはあいまいで
す」。
さて問題はここからである。記事をそのまま引用する。
Q しかし、実際には有珠山では避難指示区域への立ち入りが厳しく制限された
と聞きましたが。
A その通りです。有珠山では虻田町長の要請を受けた警察や消防、自衛隊が、
避難指示区域から立ち退かない住民を説得する「救出作戦」も行われました。
「死んでもいいから立ち退かない」と言う人がいても、市町村長は放置できませ
ん。地方自治法では市町村の役割に「住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保
持すること」(第2条)とうたっています。災害対策基本法は自治体と住民の信
頼関係を前提に、住民が避難勧告や避難指示を拒む事態をあまり想定していない
といえます。
警戒区域が設定されたのではないから、虻田町長は避難指示を住民に強制する
ことはできなかった。したがって、警察、消防、自衛隊が行なった「救出作戦」
に、法的根拠はないはずである。記事は地方自治法第2条を挙げているが、地方
自治法は昨年「改正」された。今年4月に施行された新地方自治法には、地方自
治体の役割を具体的に示す例示はない。(余談だが、記事中、旧地方自治法の引
用は誤りであると、執筆した記者に指摘したところ、翌日の同欄に訂正記事が掲
載された。)
旧法の第2条にかかわりをもつと解される新法における規定は、第1条2項
「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として」であろうが、こ
れをもって「救出作戦」の根拠とするのは、こじつけのそしりを免れないだろ
う。つまり警察、消防、自衛隊は法的根拠があいまいなまま、立ち退きを拒む住
民を「救出」したのである。帰宅しようとする住民を警察官が追い返すシーン
は、私もテレビで見た。
火山の噴火を予知することはある程度できるが、噴火の阻止はできない。しか
し噴火時に自治体が住民の安全に責任を負うことが、ひたすら避難の強制であっ
ていいのか。記事には〈「死んでもいいから立ち退かない」と言う人がいても、
市町村長は放置できません〉とあるが、そこまでいかなくても、自分の判断を信
じ、リスクは自分で負うと決断した人びとを、警察や消防、自衛隊を使って「救
出」することが正当化されるだろうか。
地域によって事情は違うだろうが、自治体の長の判断など当てにならないと考
える住民は、決して少なくないだろう。羊をオリに追い込むように、危険地帯か
ら住民をとにかく隔離・収容すればいいとするのは、行政権力の乱用である。そ
の観点に立てば、災害対策基本法第六三条とその罰則など、人権の侵害というべ
きではないのか。
警察官、海上保安官、自衛隊員の命令に従わないと逮捕・拘留というのでは、戒
厳令の施行と変わらない。
来る9月3日、東京都が陸海空の三自衛隊の出動を交えて実施する「ビッグレ
スキュー―2000東京」については、本誌前号に書いた。関東大震災では、大
規模な火災が被害の規模をいっそう拡大した。防災とは災害を防止することだ
が、地震の発生を阻止することはできない。できることは被災時にいかに被害を
少なくするかという工夫である。それはとりもなおさず、地震に強い都市計画の
必要を意味する。「巨大な村」と評される超巨大都市・東京に必要なものは、焼
け止まり効果のある広大なスペースであろう。その種の防災都市作りを充実させ
ることなく、石原都知事はひたすら自衛隊の出動を願っているのだ。
有珠山噴火の際起きたことは、警察や自衛隊による法的根拠のない住民への実
力行使だった。法文に「勧告し指示できる」とあることが、現実には強権の行使
に転化したのである。
周辺事態法第九条には「国は地方公共団体の長に、必要な協力を求め、依頼す
ることができる」とある。米軍が出動・開戦し自衛隊が参戦したとき、この「求
め依頼できる」が「強要できる」に転化する事態は、おおいにありうるのだ。筆
者の友人によると、ある映画に「恋と戦争は手段を選ばない」というセリフが
あったという。いざというとき、災害発生時・被災時や戦時下のパニックをテコ
に、政府や自治体の長が何をするかわからないというリアルな警戒心を忘れては
なるまい。
(井上澄夫、ジャーナリスト)
〔『技術と人間』2000年8月、9月合併号への寄稿〕