メーリングリスト[aml] [keystone][kenpo]へ転載
----------------------------------------------
全国のみなさんへ
私、井上澄夫は、「“東京都は戦争協力をするな!”平和をつくる市民連絡
会」という市民グループのメンバーで、古荘斗糸子(ふるしょう・としこ)さ
ん、谷島光治(やじま・こうじ)さんとともに、共同代表の一人です。
私たち「市民連絡会」は、一昨年以来、新ガイドライン関連法案に反対し、東
京都に戦争協力をさせないよう活動してきました。残念ながら、周辺事態法など
新ガイドライン関連法は、昨年5月、国会で成立し、同年8月、施行されました
が、私たちは、それに屈せず、同じ目的を達成するため努力をつづけています。
東京都との交渉は、休むことなくつづいています。
さる4月9日、私たちは、シニアワーク・東京で、「〈進行する都政の軍事
化〉石原都知事に戦争非協力を要求する市民集会」を開きました。この集会は、
シンポジウム形式で開催され、約40人が参加しました、集会では次の人たちが
報告し、その後、活発な討論を行ないました。
○山本英夫(「市民連絡会」事務局長)
これまでの取り組みの報告―都への要請、質問状・都の回答、情報公開の
請求
○石川 進(ストップ海外派兵・大田共同行動)
羽田空港の拡張と軍事利用の危険性
○福本道夫(横田基地飛行差し止め訴訟団)
横田基地の軍民共用空港化の諸問題
○松平隼人(自治体労働者)
防災―自治体に浸透する自衛隊―3軍合同演習
○大洞俊之(立川自衛隊監視テント村)
防災拠点立川からみた戦争協力体制
○福士敬子(都議会議員・自治市民93)
都議会からみた石原都政
○井上澄夫(「市民連絡会」共同代表)
石原都知事の暴論を徹底批判する
私は、この市民集会で、以下に掲載するメモ「《都政の軍事化》を強行する都
知事・石原晋太郎の暴言の数々」を配布して、説明を加え、石原都知事を批判し
ました。そして「彼には一刻も早く辞任してもらいたい。みんなで力を合わせよ
う」と訴えました。
ところが、この同じ9日、石原都知事は、私が住む東京都練馬区にある、陸上
自衛隊練馬駐屯地で開かれた陸上自衛隊第1師団の創隊記念式典で、いま問題に
なっている暴言を吐いたのです。たまたま時が一致したにすぎないかもしれませ
んが、私は、いささか奇しき因縁を感じ、驚いています。
自衛隊員を前になされた彼の暴言について、ここではあれこれ触れません。し
かし、彼はあの暴言以前にとうてい許されない数々の暴言を吐いていたのです。
それを理解していただくため、私は、自分が作成したメモを公開することにしま
す。
全国のみなさん、私のこのメモをご活用下さい。私が作成したことと、作成年
月日を正確に書いて下さるなら、自由に使っていただいてかまいません。私のメ
モが、石原氏の辞任要求運動に役立つなら、これにすぐる喜びはありません。
井上澄夫
2000年4月12日
=======================================================
《都政の軍事化》を強行する都知事・石原慎太郎の暴言の数々
=======================================================
◎昨年春の都知事選前後から本年2月末までの発言
メモ作成者=井上澄夫、2000年4月9日
◆四年間は無競争、大統領的なことができる
【『VOICE』誌上のインタビュー、聞き手は、井尻千男(いじり・かず
お)拓殖大学日本文化研究所長】
石原 知事になると四年間は自分の思うところを存分にできますから。選挙で
選ばれた地位だけに、閣僚や総理大臣よりもレジテマシー(正統性)があって、
ある意味では大統領的なことができますね。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)
◆「自分が死んじゃったら日本国家は消滅する」という自覚
(関連発言 後出の「戦争観」)
【小林よしのりとの対談から】
石原 選ばれた人間なんだという自覚があれば、誰でも何やったっていいん
だって思いこむことが大事だと思うね。/ぼくなんか、自分が死んじゃったら、
日本国家は消滅すると思ってるもの(笑)。それはつまり、僕の体の内に日本が
あるという一体感です。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
◆憲法を破棄して、天皇を元首にする新憲法をつくり、日本を世界一の防衛国家
に
【小林よしのりとの対談】
石原 日本はいつも他人頼みなんだ。でも、アメリカは自分で切り拓こうとす
る。そこが根本的に違うんだね。日本だってこれだけの国力があればやればいい
んですよ。憲法でがんじがらめになってないで、憲法なんて破棄したらいい。あ
れはもう、絶対に変えられないような手続きになってるんだから、全部基本的に
考え直すということで「破棄しましょう」という動議を出したらいい。それが、
国会の51%の賛成と49%の反対なら通るんですよ。/新しい憲法をつくった
ら自衛権だってきちんと定義できる。ぼくなんかが思うのは、日本は世界一の防
衛国家になったらいい、と。そして世界一優秀な戦闘機をつくってどんどん外国
に売ったらいいんだ。
(1999年8月25日/9月5日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
【『週刊ポスト』のインタビューに答えて】
――憲法はどうあるべきか。
石原 中曽根(康弘・元首相)さんのいうように、まず民族性、日本の伝統を
すべて踏まえた、日本人の感性に訴えた格調ある日本語で作ってもらいたい。
ただし、9条というのは話にならない。国家が主権を持って国民の生命と財産
を守るというのは国政の大眼目でしょう。それをしなくていい、アメリカがやっ
てやるから余計なことは考えなくていいと牙を抜かれたのが9条だよ。
(2000年1月14・21日号『週刊ポスト』、[爆弾発言]米国に都合のい
い憲法では国民の生命と財産は守れない 石原慎太郎「現憲法は“改正”ではな
く“破棄”せよ」)
【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
石原 天皇ははっきり元首にしたらいいんですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)
◆あの戦争は、やっぱり感動的だった
【小林よしのりとの対談】
石原 ぼくなんか海兵の予備校のようなものだった湘南中学にいたから、もう
2年早かったら実際に海軍士官として戦っていたからね。
で、最後の夏(1945年)に厚木の飛行場に学徒動員でかり出されたときの
こと。1週間もすると兵隊とも仲良くなる。そしてある日、「今日、大空中戦が
ある」っていう密かな噂がたって、27〜28機いた飛行機が南のほうへ発進し
ていった。でも、なかなか飛行機が帰ってこないわけだ。それで整備兵が「何時
までに帰ってこなかったらもうダメだ」なんて言う。なかには木更津に降りたり
とか、あちこちでダイブ・アウトした飛行機もあったらしいけれど、電話が不便
なところにあったんでそれもよくわからない。/気を揉みながら数人の予備兵が
夕焼けのなか、滑走路の端でずーっと座っているわけ。それでも1機は帰ってき
たんだ。それが不時着して、みんなで走り寄ってその傷ついている兵隊を運び出
すのを手伝った。/あれがやっぱり国家なんだよね。だから何度思い返しても、
悲しいとかなんかじゃない。やっぱり感動的だったな。あのとき兵隊さんたちと
一緒にしみじみぼくは国家と座っていたんだと思うね(と、ハンカチで涙を拭
く)。/それと思い出すのは、学徒動員される前に学校から帰る途中で空襲に
あったことね。止まっている電車が見えたんで、そこに向かって走っていたら、
麦畑のなかで敵の艦載機に襲われてさ。パァーと伏せるわけ。そこで一人撃たれ
るんだけど、さらにその先に森があったんで、そこまで走ろうとしたら、今度は
畝の低い芋畑のところで、また次の飛行機がくるわけだ。伏せる場所がないから
そのまま走っていると、今度は撃たれない。なぜだって、振り仰ぐとそれが日本
の飛行機でさ。濃い褐色に日の丸が描いてある。それがとっても鮮やかで、こう
震いつきたくなるようなものがしたな。その感覚っていうのは、オリンピックで
日章旗があがるどころのものじゃないんだよ。
(1999年8月25日/9月8日『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
【福田和也との対談】
戦争というものを考えてみると、戦争を悲惨だと言って批判するのは容易なこ
とだが、実相としては総力戦を戦うために人知を尽くした結果、さまざまな技術
が進歩した。さらに戦場では愚かしいことも、崇高なことも交錯していたはず
で、因果なことに人間はそうやって歴史を積み重ね進ませてきた。戦争がまった
く起こり得ないというシチュエーションが、人間や国家にとって全き善かどうか
は実は分からないんですよ。(2000年1月4日付『産経』、福田和也との
「新春正論対談」)
◆〈戦争協力〉 自治体は、命投げ出すぐらいの覚悟が必要
【『VOICE』のインタビューに答えて】
石原 国がなくなりかねない戦争が近くで起こったなら地方自治体のエゴも
あったものじゃない。そういうときはもちろん私は全面協力します。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)
【小林よしのりとの対談】
石原 ガイドラインだって、アメリカは完全に台湾を巡る中国相手の戦争を想
定している。そこで、ガイドラインに協力しない自治体があったら、中国は核を
持ってるしそれがもとで国が滅びるかもしれない。ぼくは東京都知事かもしらん
けれど、都の施設で一旦緩急の際には防衛に必要なものは全部使ってくれって言
うよ。自治体はやっぱり、命投げ出すぐらいの覚悟が必要ですよ。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
石原 あるメディアが各知事に「新しいガイドラインが発効したとき、どうい
うふうに国に協力するか」というアンケートをとった。僕だけは無条件で国に協
力すると答えました。国家あっての東京ですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)
◆日本が植民地争奪戦争に参加したおかげで、戦後かつての植民地が独立した
【小林よしのりとの対談】
石原 歴史教育では、やっぱり近代史から教えていかなきゃダメだよね。で
も、近代の歴史原理は帝国主義しかなかったんだ。欧州の列強に植民地にされる
か植民地を持つかというね。それで日本もやったわけだけど、おかげで世界各地
で民族意識が目覚めて戦後かつての植民地は独立したわけでしょう。
(1999年8月25日/9月8日号『SAPIO』、小林よしのりとの対談)
【福田和也との対談】
韓国の朴正煕大統領がこんな話をしてくれました。彼の周囲にいるかつて軍人
だったような威勢のいい連中は、酒に酔ってくると「日本はけしからん」と言い
だす。それに対して朴大統領は「まあ、待て」となだめながら自らの歩みを語
る。朴大統領は貧農の出身で、教育を受けたいと思いながら、とても無理だろう
とあきらめていた。ところが日本がその統治下で義務教育制を敷いたことで、朴
少年も学校に通うことができた。また満州軍官学校を首席で卒業した彼は、その
特典で日本の陸軍士官学校に留学し、卒業します。日本は朴少年のような存在に
そうした機会を与えた。
「日本人は名前を変えろとか生意気なこともやったけれど、私はおおむね彼ら
は公平にやった」と朴大統領は述懐していたわけです。
(2000年1月4日付『産経』、福田和也との「新春正論対談」)
◆露骨な反中国感情――中国は分裂させなきゃいけない
【1999年11月24日、石原知事は、4月の知事就任後初めて、警視庁を
視察に訪れ、野田健警視総監から中国人の不法滞在など外国人犯罪が増えてい
る、などと治安情勢の説明を受けた。視察後、記者団に語った言葉】
中国人の不法滞在者が起こす犯罪があまりに多い。中国の政府がどう認識して
いるか知らないが、水爆を作っている国を援助するくらいなら、その分を東京の
治安、中国人犯罪対策に回した方がよほどましだ。(1999年11月25日付
『朝日』)
【福田和也との対談】
石原 もしアメリカに従って日本が台湾を無為に放棄したら、それは日本の、中
国の属国化へと傾斜する大きな歴史的失策になるよね。
福田 それはおっしゃるとおりで、沖縄が持ちこたえられませんからね。
石原 そう。となると、私がせっかく灯台を建てた尖閣、魚釣島も簡単に海に
沈み、スプラトリーや西沙諸島も完全に併合されて、中国の拡張主義政策が半ば
以上成就してしまう。/とにかく彼らの拡張を阻止するために何ができるか。
ここでもやっぱり戦略なんだよ。日本の持っている力とは何か――。それはだ
ぶついている金融資産だよ。だからいつも言ってることだけど、日本の金を使っ
て沿海州などの中国の周辺に自治区みたいな地域をどんどん作るという戦略をす
ぐ行動にうつすべきなんだよ。/うまく波及すれば、日本はODAを北京ではな
く、もっと効果的な所に入れられるし、中国の国内分裂の動きを加速させること
ができる。/分裂させなきゃいけないんだよ。少しでもその作用に日本は手を貸
してやるべきだし、分裂前後のイニシアチブもとらなければならない。
(2000年3月号『諸君』、福田和也との対談「戦略なき国で――座して待つ
か、大暴落」
【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
――(日本での)外国人の犯罪は、中国系とイラン系が目立ちますね。
石原 昨年(1999年)十一月二十四日、警視庁へ視察に行きました。科学
捜査研究所で中国人の黒社会(ヤクザの世界)の残酷さを知りましたよ。
彼らは見せしめに裏切り者の顔の皮を剥ぐんです。研究所の技術で元の顔に修
復したのを見たけれど、そういう残酷な行為は、いままで日本ではなかった。と
にかく日本人にない発想の犯罪が出てきました。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)
【2000年2月29日、都議会本会議の代表質問への答弁のうち、山崎泰氏
(無所属クラブ)の質問に答えて】
知事となった今、二十年来続いてきた北京との友好をどうするかという質問だ
が、私は北京にあまり友好を感じませんな。あの共産政権は最近は沖縄を『元中
国の領土』とバカなことを言い出している。尖閣(諸島)はもとよりですよ。
(2000年3月1日付『東京新聞』、記事中の解説=都と北京との友好都市関
係は、1979(昭和五十四)年に結ばれた。都の友好都市としての歴史は、六
〇年に結ばれたニューヨークに次いで長い。)
◆2000年9月3日に、自衛隊を動員する震災対策総合大演習をやる
【特洲会理事長・徳田虎雄との対談での発言】
徳田 来年(2000年)九月に陸、海・空の三自衛隊と東京都との合同防災
訓練を実施されるとか。あれはいい試みですね。その際、医療スタッフも加えた
方がいい。
石原 もちろん、そうするつもりです。/今度の防災訓練では医療も含めてい
ろいろ考えています。東京にどの程度の規模の震災が来るかわからないけれど
も、歩道橋やなんかが落っこったら、戦車でなければ越えられない。医者ももち
ろん行けない。自衛隊には降下訓練している医者がいるから、そういうものをど
うやって導入するのか、また、そのための医療拠点をどうやって作るのか。準備
だけでもカネがかかりますが、最悪のことを想定して、ある程度のことはしてい
かなければと思っています。
(1999年12月号『新潮45』、特別対談「医者は死ななきゃ治らない」)
【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
石原 東京は清潔ですよ。
――清潔と安全、街にとってこれが一番大切です。
石原 日本に来る欧米人は清潔と安全に感心するけれど、このところ不法入国
の外国人が増えて安全が脅かされています。東京で起こる犯罪の質も形も以前と
大きく変わってきています。
中曽根(康弘)さんのサジェッション(示唆)で、ことし九月三日に地震対策
総合大演習を実施します。小渕(恵三)総理も賛成してくれ、自衛隊の三軍を動
員して行います。
そのとき僕がいったのは、関東大震災の際、朝鮮の人たちがデマゴーグで殺さ
れたりして気の毒だったけれど、今度逆のことが起こる恐れがあると。
ロサンゼルスであったように、不法入国の外国人による大略奪が新宿とか池袋
で起きるかもしれない。それに対処するデモンストレーションとして戦車とか装
甲車で街を封鎖する訓練もしてほしいといったんです。
――戦車なんていったら、マスコミがうるさいですよ。
(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)
◆「アメリカ信仰」を捨て「大東亜共円圏」を
【月刊『現代』のインタビューに答えて】
石原 アメリカにこんなに虐げられている日本は、まさにアメリカの金融奴隷
だ。何でそんなにアメリカに対してびくつくのか。安保を気にすることはない。
文句があるなら米軍に出て行ってもらえばいい。現在の日本は、軍事面の技術も
予算も他に劣らぬものがあるのだから、自分の金と力で、強力な自衛国家になれ
ばいい。
そして、アメリカが最も恐れていることをやればいい。(日本が買ってやって
いる三百兆円ぐらいの)米国債を売りに出せばいい。そうすると、日本が世界大
恐慌の引き鉄を引くと非難されるだろうが、原爆を落とされたのだから、今度は
日本が原爆を落としてもいいような話だ。
日本の米国債処分で、世界経済は一度沈むだろう。沈んだときに、どこが最初
に立直るか? きちっとしたモノを作れる日本や東アジアの国々が必ず優位にな
る。つまり、アメリカも認めるモノ作りNO、1の国である日本こそが、生き残
るのだ。そして東アジア諸国は、モノを作る技術もあり教養水準も高いので、ま
さに『大東亜共円圏』が誕生するだろう。
(1999年12月号『現代』、特集・痛憤オピニオン10連弾「これを言わず
に死ねるか」)
◆「新しい道徳教育」
【1999年4月5日、都知事選中の街頭演説で】
中高生がテレクラで売春する。文部省にまかせてきたからこうなった。私は東
京で新しい道徳教育をし、小学校から徳目の時間をつくる。
【『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えて】
石原 修身じゃなしに、新しい道徳教育をやったらいいんですよ。これはね、
成果が出るまでに15年くらいかかるでしょう。やらないより、とにかくやった
ほうがはるかにましなんだ。文部省は全然やらなかったから。/みんなね、ヌー
ベルバーグやったらいい。みな地方はね、東京のやるのを眺めて真似しているん
だから。
(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』、「石原慎太郎が『TOKY
O』独立宣言」)
◆障害者を差別する発言
【1999年9月18日、重い知的障害と重度の身体障害をあわせもつ子ども
や大人が入所している府中市の府中療育センターを視察した後の記者会見で】
ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出して
いない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれ
どああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやって
やっているのは日本だけでしょうな。
人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨て
ちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。
〔安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろう
ということ。安楽死させろと言っているんじゃない。
(1999年9月18日付『朝日』朝刊)
◆横田基地を軍民共同使用の空港にする
【『週刊・アサヒ芸能』のインタビューに答えて】
――東京都知事になったら、まずやることは横田基地の返還ですか。
石原 それも1つ。あれはわかっていて投げたビーンボールなんだよ。あんな
ものとても全面返還はできないだろう。しかし、ドイツのボンやフランクフルト
にある基地と同じに、共同使用にしたらいい。
――横田基地は、具体的には、どのように使用するんですか。
石原 共同使用。三沢基地みたいにね。首都第三空港として使う。国際線を飛
ばしたらいいんですよ。そうしたら、隣の山梨県からも来れる。この間、三多摩
地域の人たちに聞いたの。「成田に行くときにどうするの」「一泊で行く」。あ
れだけの飛行場があったら、第三空港として使えばいい。アメリカは、この要求
をのむと思いますよ。
(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』、「石原慎太郎が『TOKYO
独立』宣言」)
空港というのは、経済波及効果はものすごいんですよ。羽田だって昼夜展開に
なって、国際化してもう一本滑走路をつくったら、兆単位の経済効果がある。
(1999年8月号『VOICE』、PHP研究所発行)