At 10:33 AM +0900 00.3.31, NAKADA Hiroyasu wrote.
> 仲田です。
>
>
> On Thursday, March 30, 2000 10:39 PM higa akiko wrote:
>> 迷惑だから本土に帰ってくれよといいたいよ。
>
> このような声が出ることを残念に思うと同時に強い憤りを感じます。
> 私たちの運動は理念と論理に裏付けされてなされるものだと思います。
> 出身地で差別されてはならないものではないでしょうか。
> 基本的人権の確立のために闘っている在日「外国籍」の人々に向かって
> おまえらは自分の国へ帰れ、というのと同じものを感じます。
>
> 私は、恵さんがどこの出身かは知りませんが、他都道府県出身の方が沖
> 縄に移り住んで平和運動や自然破壊に反対する運動に取り組んでいるこ
> とを聞いています。その人々に向かって、沖縄の自民党が「本土」に帰
> れ、というのを許すことができるのでしょうか。
>
> そこに住み、生活をしている場、それが私たちの闘いの場です。
東京に住む長野出身の沖縄一坪反戦地主の丸山です。
まずは、事実の確認らしきこと(もしかしたら同姓同名かも):
琉球新報の記事(1996年7月8日)によると、「恵忠久」氏は那覇市議補欠選
挙に立候補しています。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news/960708ja.htm
(1)職業(2)現住所(3)学歴(4)出身地は、
恵忠久 71 無・新
(1)団体役員(2)首里石嶺町(3)旧陸軍航空学校(4)奄美・古仁屋町
とあり、奄美の出身ですね。沖縄から見て、奄美が本土かどうか、私は知らない。
他のサイトで、「恵忠久」氏に言及したものは、
http://www.worldtimes.co.jp:80/gv/gv97a/gv970211.html
那覇市の尖閣諸島防衛協会の恵忠久会長は、尖閣諸島が神聖な日本領土の一部である
との資料証拠を内外にアピールする「尖閣諸島 魚釣島 写真・資料集」(定価200
0円、送料310円、電話098−867−8131)を出した。全140ページ、
貴重な史料や写真が豊富に集められている。論点も整理されていて、自国に領土権が
あると思い込んでいる中国人でも、虚心に読めば考えを変える者も少なくないだろ
う。
これが同一人物だとすると、「恵忠久」氏は「尖閣諸島防衛協会」会長であり「国
旗国歌推進沖縄県民会議会長」でもあるようです。で、神聖な日本をこよなく愛する
方だと。
今回の陳情では、「(日本)国に楯突くものはけしからん、排除せよ」と書き、
「採択されると同時に、日の丸を描いたセンスを高く掲げ、何度も「万歳、万歳」。
満面に笑みを浮かべた(新聞報道) 」ような御仁。以下に引用するように、「(国
旗国歌の)尊厳に反する行為があれば、国外追放も含め、厳罰に処すべきである」と
のたまう御仁です。
そんな人に、「沖縄の人はまだ理解していない。」といわれて、カチンときたわけ
ですね。もちろん出身地を云々しているわけではなく、沖縄の視点で見ているか、本
土の視点(熱狂的な皇国史観)で見ているかを問題にしているだけでしょうから、そ
の部分だけ見ると、結構問題発言だとは思いますが、言いたいことは私には理解でき
ます。
『けーし風』第26号(2000年3月)には、本土出身でありながら、名護でヘ
リ基地建設に反対している輿石さんや浦島さんの文章が載っています。特に輿石さん
の「岸本建男批判序説」は一読の価値あり。名護市長選挙で、「名護人は大和人に負
きらん!」と彼(輿石)は個人攻撃を受けたが、「名護人は大和人に負けてはならな
いのだ。私ごときに負ける名護人はいないのであって、問題は、どういう意味で負け
てはならないか、である。私の方から言えば、現在の名護市長・岸本建男氏に負ける
わけにいかない」と書いています。ここだけ抜き出すとわかりにくいのですが、岸本
は名護の人だけど現在やっていることは本土の傀儡であり、自分(輿石)は大和人だ
けど、物乞いではなく地域に根ざした生活を追求しているという意味。つまり、出身
地とは逆の関係にあるということ。
以下は、琉球新報99年3月15日の論壇に掲載された「恵忠久」氏の文章。
こんな無茶な文章が「まともな新聞」に載っているとは思わなかった。
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http://www.ryukyushimpo.co.jp:80/dokusha/koe06/ke990315.html#02
【 論壇 】
マナーは幼少のころから
国旗国歌尊厳法の制定を 恵忠久
今日、世界いずれの国でも、国旗国歌のない独立国は存在しない。国(国民)と国
(国民)との友好親善、平和共存を図る上から国旗国歌は欠かすことのできないもの
であることは、だれも疑ってはいないのである。しかも、自分の国の国旗国歌だけで
なく、世界のすべての 国の国旗国歌に対し、丁重に大切に接しなくては、友好親善
に背くことになる。従って、国旗国歌に対するマナーは幼少のころから教え込まなく
てはならない大切な国民の基本倫理である。
先の大戦で、アノちっぽけな日本が、米英をはじめとする世界の大国を相手に戦っ
たことに脅威を感じて、戦後、占領国軍は日本の弱体化を図るべく戦前の日本はすべ
て悪いと決め付け、愛国的団結心を高揚させない方針を取ったので、日の丸、君が代
に違和感を持つ者がいる。日本の国旗は「日の丸」であり、国歌は「君が代」である
ことは 国の内外に定着し、慣習法で今更成文化も必要はないとされていたが、単に
「日の丸君が代」が日本の国旗国歌であるとの定義だけでは、意味がなく「国旗国歌
尊厳法」の制定が望ましい。
また、「君が代」については、その歴史的背景を誤解している人が多い。
古今集、新古今集に収録された「君が代」の歌詞は日本民族の民衆の歴史とともに
歩んできた。君が代の「君」はこの歌をささげる相手 (あなた)のことであり、あ
なたの長寿を祈る祝賀の歌として二千年来歌い継がれたものであり、天皇には「おお
ぎみ」と呼称申し上げていた。
江戸幕府の鎖国時代には海外との交流がほとんどなかったが、明治になって開港す
るに及び国旗国歌の必要性が生じたものである。
明治二年来日したイギリスの軍楽隊長ウィリャム・フエントンから、後の元帥大山
巌(当時砲兵隊長)が日本には国歌がないのかと詰問され、大山は、自分が愛唱して
いる薩摩の琵琶歌の「蓬(ほう)来山」の中の一節「君が代」を出して作曲を依頼し
た。今の曲とは異なるが明治三年、越中島の観兵式に演奏したのが、君が代演奏の始
まりである。薩摩琵琶歌の蓬来山には、齢(よわい)千年を超す仙人が住んでいると
いわれ、その仙人の長寿を祈念しての君が代である。古来、君が代は源平盛衰記、保
元物語など、また浄瑠璃、小唄、端唄など皇室とは無縁な一般民衆の間で定着してい
たものである。
戦時中の昭和の一時期に「君が代」の「君」は天皇のみを言うと解釈された考えは
間違いである。
もっとも、現在の憲法は「天皇を国の象徴」と規定しているので 「天皇を象徴と
して仰ぐ日本の み代は千年も万年も続く…うんぬん」と解釈しても主権在民の憲法
に抵触するものではない。いずれにしても、国旗国歌は丁重に尊厳に取り扱うもので
あり、これは幼少のころから教え込まなければならないものであり、もし、尊厳に反
する 行為があれば、国外追放も含め、厳罰に処すべきである。
(那覇市上之屋三四一ノ三三、国旗国歌推進沖縄県民
会議会長)
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MARUYAMA K. kaymaru@jca.apc.org
2GO GREEN (JCA-NET)
http://www.jca.apc.org/~kaymaru/2GG_JCANET.html