比嘉です。こんにちは。
「 [keystone 2342] 名護(二見)最新の声 緊急FAXより」でお知らせ
しましたように、二見以北十区の会が集めた基地受け入れ撤回を求める署
名が1000名分集まりましたが(最終的には1040)、2月7日に市
長宛に手渡した模様について、現地で会を支えている澤田春彦さんからの
レポートが届きましたので、転送します。
------2・7二見以北十区の会〜署名提出行動経過---------------
重く低くたれた灰色の雲が南の島を覆う。沖縄・名護の街は3年前からヘ
リ基地問題に揺れている。97年の住民投票で勝利をしたのもつかの間、当
時の比嘉市長は基地を受け入れ、辞任した。明くる年2月、市長選挙が行わ
れたが惜敗し今日にいたった。そして、99年11月、事態は一気に進んだ。
灰色の空気は名護の街を震動させている。そして、名護の街は疲れ切ったか
のように微睡んでいる。
2月7日、重く垂れ込めた灰色の空に一条の光りの帯が差した。この日12時、
名護十字路の一角にヘリ基地いらない二見以北10区の会の住民が集まった。
狭い十字路の一角に報道陣が溢れかえった。報道陣の垣根に囲まれるように
して10区の会の人々はたたずんでいた。スピーカーから前月25日から集め
た署名数が流れた。1040。1800人が住む二見以北の地域で1040という署
名がわずかの期間で集まった。名護の街の重々しい鉛色の空気が一瞬揺れた。
小さいが勝利だという感慨がとりかこむ人々の心の中を走った。25日以来、
10区の会の人々は、昼夜を問わず二見以北の地域を駆けずり回った。
二見以北の地域の前の海は碧緑に染まりその海の上を太陽からの白い光線
が踊っている。集落の回りの緑の杣とやさしい風は暖かいまなざしで人々の
生活を見つめていた。そんな地域には古くから伝わる沖縄の文化が暖かい自
然の視線を受けて育まれていた。その地域に振興策と引き換えに海上基地が
やってきたのだ。海上基地は、振興策という金の魔力とともにいにしえから
伝わる沖縄の文化を食い尽くそうとするだろう。それを二見以北の人々の自
然とともに育まれた心が許さなかった。
名護十字路から道ジュネーをして一路名護市役所へ向かった二見以北10区
の会の人々の表情は喜びの顔と一抹の不安が交錯しあっていた。名護市役所
では、助役が署名を受け取るという。誰もが引き下がれないという気持ちで
いたことだろう。市役所に近づくにしたがって十数名の二見以北の住民たち
は堅い表情に変わった。
午後1時15分、宮城助役が応接室で二見以北の住民を迎えた。助役は定年を
間近にした白髪のひとの善さそうな人物だった。二見以北10区の会の人々が
抗議文を読み上げた。初老の助役は表情が厳しくなっていく。助役は抗議文
が読み終わるとその凡庸な頭脳から出た官僚の言葉で基地受け入れを正当化
しようとした。助役が話始めるとすぐに二見以北の人々は怒りを露にした。
ある女性は、沖縄の神の怒りを体言しながら涙を流し助役に訴えた。助役は
その涙ながらの訴えにも心を動かすことなくポーカーフェイスでいた。この
無表情さ、これこそが権力の正体なのだ。この凡庸な顔をした権力が米国の
政策を無表情で推し進めている。権力と対した住民たちは怒りと憤りを隠さ
なかった。無表情の権力はやがて30分を告げるベルがなるころ無表情で応接
室を出ていった。
しかし、応接室を出て一階に向かい市庁舎の中庭に集まった住民の顔は笑
顔に満ち溢れていた。名護の市庁舎は南国の草花に囲まれた少ししゃれたデ
ザインの造りをしている。この市庁舎の中庭でこの3年、幾度集会が行われ
たことだろうか。その度に人々の声は市庁舎の壁に遮られるようにして鉛色
の空気のなかに消えていった。
今日の二見以北の住民たちの言葉もシャボンのように消えていくかも知れ
ない。しかし、無数の小さな声が沸き上がっては消えながらやがておおきな
民衆のスローガンになっていくだろう。最初の反撃は始まった。名護の街も
やがては鉛色の空気に変わって鮮やかな太陽の赤い光線が差し込むだろう。
鬨の声はこうであらねばならない。反撃は開始されたと。
澤田春彦
--------------------------------------------