Mime-Version: 1.0
Date: Sat, 5 Feb 2000 23:50:41 +0900
To: keystone@jca.ax.apc.org, localnet@ml.coara.or.jp
From: Urata Ryuji <yufukiri@fat.coara.or.jp>
Subject: [keystone 2339] 2/6山内徳信講演会at大分県湯布院町
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 2339
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org

日出生台での2回目の米軍演習が始まっています。

「米軍演習は年間わずか10日以内」の言葉の陰で、
演習場内には米軍用の300人収用の宿舎、トイレ、シャワー、食堂が
建設されています。
さらに、周辺住民の立ち退きを進める移転補償措置も。

国の補助金なんかに頼らない、
地域の自立経済をどうやったらつくれるのか。
本気で考えていかなければ・・・

もう明日の講演会ですが、チラシより転載。

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前沖縄県出納長・元読谷村村長
山内徳信さん講演会
「まちづくりと平和運動」

■と き:2月6日(日)午後3時〜
■ところ:湯布院町コミュニティセンター
     (湯布院町役場前)
■入場カンパ:500円
■主催:山内徳信さんのお話を聞く会
     (お問い合わせ 0977-85ー4001) 
 

山内徳信さんは、沖縄県読谷村の村長を6期連続で勤め、米軍基地の
重圧の中で、逆に米軍基地敷地内での、村役場の建設を立案、実現する
など、ユニークな地域づくりを実践、実現してきました。
現在「山内・平和憲法・地方自治問題研究所」所長

【山内徳信さん語録】

「なぜ世界の中心がアメリカやイギリスでなければいけないのか。自分
が立っているところが世界の中心ですよ。自分が住んでいるところから
世界に視野を拡げていく。そういうことが大事だろうと思います」

「その地域に住むことに誇りを感じ、誇りを感じるからこそ、その地域
に住むのです。その地域に誇りも喜びもいきがいも感じなくなると、ど
こかへ出ていってしまうのです。従いまして、その意味でもやはり誇り
の持てる文化村をつくりたいと思うわけです」

「村長とか市長とか町長と名の付いている人々の仕事は、まさに殺人的
な日程ですから、職業としてはよい職業ではございません。ただ、自治
体にはいつの時代にもそういう馬鹿みたいなものがいないといけません
ので、自分にもそういうふうに言い聞かせながら、昼夜マラソンを走っ
ているように走りまくっているようなものでございます」
(読谷村長時代の講演録より)
 
 
 
 
 

【読谷村長時代の山内徳信さんのエピソード】       

■米軍司令官をトイレの前で待ち伏せ

 1976年。沖縄県読谷村の読谷補助飛行場内で米軍の軍事用アンテ
ナ基地をつくる工事が、通知もなしに着工されていたことが判明。山内
村長らは、村三役、議会、地主会、労組、民主団体等を集め、実行委員
会を結成、地主会や地域のお年寄りを中心に工事現場に座り込み闘争を
始めた。

 以下、山内徳信さんの話によると…
 

 米軍には運動の意味が理解できなかったんです。「村長、ここは日本
政府が米軍に提供した基地だから、アンテナ基地を作ろうが作るまいが
勝手だろう?我々には権限があるのだ」という。私は、「安保条約や地
位協定からすればそうだろうが、この土地は旧日本軍に強制的に接収さ
れ、戦後は米軍基地として使われている。地主や村民の立場からすれ
ば、自分たちが提供した土地ではない」と言ったんです。そして「ここ
にアンテナ基地を作らせたら、基地の拡大強化になる。読谷補助飛行場
255ヘクタール全体の返還が将来にわたって望めなくなる。だから、
村民はアンテナ基地を作ることを認めるわけにはいかん」と。村内の各
種団体も加わり、村ぐるみの運動に発展しました。
 この戦いは3年ほど続くんです。途中、秘書だけ連れて直接、司令官
のところに要請文を持っていく。「村長の要請の主旨はわかった」と
言って、次にはもう会ってくれない。それでも同じ要請文を持って、司
令官の事務所の前に半日くらい立っているわけです。
 その間、私の日程は全部キャンセルです。ほとんど一日おきぐらいに
通いました。さすがに自分自身が惨めになったこともありますが、自分
にこう言い聞かせて納得するわけです。「私には理性がある。基地に反
対するというのは、人間としての理性に基づくものだ。だが、同時に私
は狂人である」と二日に一度、司令官の部屋の前で立ち続ける。これは
もう狂人である。理性と同時にそういう二面性を持っていると思うわけ
です。
 ただ、このように通いつめていると、可能性が開けてくるわけです。
司令官もトイレに行かざるを得ない。トイレから出てくるところをつか
まえる。最初は無視される。でも、こういうことを続けていると、向こ
うにも変化があらわれてくる。はじめは私のことが憎かったろうと思い
ます。でも、あまり続くので「こりゃ普通じゃないな」と思ったので
しょう。あるとき、トイレから出てくると、私を見て、ニコッと笑った
んです。
 そこで初めて「会う」ということになった。その最初の面会の時、彼
が十分というから、私はまだ三分残っているのに話を打ち切って立ち上
がると、彼は「いや、あなたとの約束は十分だ。まだ時間がある」とい
う。これで次につなげるのです。「こいつは時間を守る男だ。忙しくて
も二十分と言えば二十分だから、会っても日程上、心配ない」というこ
とになる。そうやって不思議な関係ができる。
 やがて、何回か面会を繰り返した後に、司令官はこう言うのです。
「村長、僕の所に来てもダメだ。上官がいる。横須賀にいる提督だ。彼
に会ってこい。電話を入れておくから」と言ってくれたんです。
 当時の議長と地主会長の3人で横須賀に行ったら、副官が対応してく
れて、アンテナ基地の工事は一時中止するということになったわけで
す。すぐに外務省と防衛施設庁に行って報告したら、「まさかそんなこ
とはない」という。でも、米軍から「工事は一ヶ月中止する」と通告し
てきましたので、村民の座り込み闘争を解除したわけです。
(以下省略)
参考文献「沖縄・読谷村の挑戦」

==================チラシより転載ここまで=====================
 
 

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浦田龍次 Ryuji Urata

〔e-mail〕 yufukiri@fat.coara.or.jp

地域の暮らしの「安心」と「安全」を奪い、
自立した地域経済を壊す米軍基地や演習は、
日出生台にも名護にも、どこにもいらない!

日出生台で2月に行われる米海兵隊実弾砲撃演習に抗議する
「日出生台ピースアクション2000」
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/localnet/lonets.html

米海兵隊は日本にいらない!アクションプロジェクト
(米紙意見広告を実現する会)
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/
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