島川@風邪は微熱になったです。
青木さんによる「祝園」、keystoneでの上原さんによる「牧港はウチナーグチ
では machinatu と言います」という説明とか、amlでの久保田さんによる愛知
県「高蔵寺」弾薬庫とか、インターネットの効験あらたかというところですね。
At 0:57 AM +0900 00.1.9, MARUYAMA K. さんwrote:
> 私は解禁された文書の山をを見て欣喜雀躍。シロウトは気楽です。
そう、日本政府もうんざりするくらいの「一次資料」を主権者納税者に公開す
べきですね。私も軍事・兵器の専門家じゃありませんから素人です。以下、補
足と疑問です。
「WEAPONS DISPOSAL CAPABILITY」ですが、「処理」能力ということでしょう。
56年当時の核兵器関係用語を確認したわけではありませんが、要するに「爆弾
処理班」と同じようなことだと思います。ただ、通常戦の「爆弾処理班」です
と不発弾処分とか敵が設置した地雷・機雷の処分とかというイメージですが、
この場合は核兵器ですから、解体能力も含めて、組み立てとか整備・修理等の
能力を言っているのでしょう。単に自分たちの核兵器の事故に備えた、解体能
力・救急的能力を持つ部隊ということもあり得ますが、それを 6.のように「
weapon disposal service」と言うかどうか。いずれにせよ、これは少し検討
が必要ですね。
FEC56.PDFは極東軍の「SOP No.1」、つまり統一(Single)作戦計画1号という
ことですが、大部分が非公表で、公開されたのは「ANNEX D」の「兵站」部分
がほとんどなので、平時の核兵器貯蔵管理・メンテナンスと戦時の緊急増強・
移送が中心になっています。対象は「極東軍」全体ですが、リスト1の担当将
校の所在は全部が沖縄・硫黄島を含む日本です。リスト2の「WEAPONS DISPOSAL
CAPABILITY」には日本の10カ所の他に、韓国が2カ所、グアムとフィリピン
が各1カ所出てきます。すべて空軍と海軍ですね。
部隊から部隊への核兵器管理の移動に必要だから担当将校のリストを付けると
言っているわけですから、米本土やハワイなどからの緊急展開・移送の際にも、
極東戦域にある核兵器は艦載を含め沖縄を含む日本在勤の将校がすべてを管理
するというわけでしょう。また、貯蔵との関係で言いますと、グアムに貯蔵さ
れていないわけはないですし(NRDCリストでは51年配備)、WEAPONS DISPOSAL
CAPABILITYが気になるところです。私はリスト1の将校配置もさることながら、
この部隊のいるところが貯蔵地・配備地あるいは緊急配備予定地に直接的に関
係しているのではないかと感じています。ただ、三沢にはいませんし(東奥日
報が指摘しているのは記録があるという58年からですが)、NRDCリストでは「
SOP No.1」発行の56年11月より早い2〜9月に配備されているはずの硫黄島も出
ていません。この部隊の内容が知りたいところです。(NRDCリストでは、フィ
リピン配備は57年、韓国配備は58年)。
NRDC(The Bulletin of the Atomic Scientist)のリストでは、日本本土は54
-55年から65年まで核爆弾「弾体」の配備貯蔵で、緊急時に「弾頭」をつけるこ
とになっていました。(爆弾の場合は弾頭より「核弾芯」とでもしたほうがい
いでしょうかね)。
Nautilus研究所がFEC56.PDFに付けている解説を添付しておきます。
FEC56.PDFには「貯蔵地」「所在地」についての直接的言及はありませんので、
少々微妙な言い回しになっています。(componentsはとりあえず弾体とします)。
[要旨] 重光外相が国会で、核兵器の貯蔵は将来にわたり日本政府の同意なし
に行なわれることはないと言明した15カ月後に、日本の13の米軍
施設が、核兵器やその弾体を貯蔵していたか、もしくは緊急時・戦時
に持ち込めるように指定されていた。
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<http://www.nautilus.org/library/security/foia/FEC56.html>
december 11, 1999
U.S. Plan For Nuclear Weapons
Operations In And Around Japan During
The Cold War
By November 1956 -- only fifteen months after Japanese Foreign Minister
Mamoru Shigemitsu promised the Diet in June 1955 that the United States
did not have nuclear weapons stored in Japan and did not plan to do
so in
the future without the approval of the Japanese government -- 13 separate
U.S. military facilities in Japan had nuclear weapons or components
stored,
or were earmarked to receive nuclear weapons in times of crisis or
war.
Foreign Minister Shigemitsu's promise was based on an "understanding"
he said he had obtained with the U.S. Ambassador to Japan. The U.S.
State Department denied the existence of such an "understanding" and
Shigemitsu later sent a letter to the U.S. Ambassador where he assured
the
United States that "nothing in the discussions in the Diet commits
the US
Government to any particular course of action." [For an account of
these
events, see the report Japan Under the Nuclear Umbrella].
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島川雅史 mshmkw@tama.or.jp
mshmkw@jca.apc.org
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