2001年千葉県知事選挙勝手連ニュース
勝手連>寄せ書き 勝手連・流山
日付 : 2001/04/06
勝手連ネットワークからの情報です。
なお、システムの都合で、タイトルでは勝手連名を短縮していますが、ご容
赦ください。本文中にそれぞれの勝手連の正式名称があります。
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「堂本さんがひょっとしたら知事候補になってくれるみたい」な新聞記事を読んだの
が1月。千葉市から遠く離れた東葛の流山は保守の街、市民ネットワークも無いし、
情報も流れてきません。その後、民主党との間で何かもめているような記事があった
りであきらめかけていたとき、新聞記事で堂本さんが受諾いただいたことを知りまし
た。
遅ればせながら、その日に勝手連を立ち上げました。翌、24日に柏駅街頭へ吉川議員
の演説に駆けつけ、妻はその場でマイクを握らせていただきました。
選挙戦のスタートでした。
私たちは「不登校の親の会」を全面に押し出して、子ども問題と老人問題、障碍の
方々を中心に、社会的弱者を支援する立場から運動を進めていきました。
流山に勝手連が4団体もできました。市外からも参加がありました。
ポスター貼りも午後2時には殆ど終了していました。スタートが遅かったのに「一番
貼り」の場所が多かったことが驚きでした。
ポスターを貼っているときに「素敵なポスターね、アメリカの大統領選みたい」と妙
齢のご婦人からお褒めをいただきました。
政策も掲げないすっきりしたポスターを誇らしげに貼らせていただきました。
チラシ配りでも、快く受け取ってくださる方々が非常に多かった。
ポスティングを一生懸命やってくださったI氏にはとても頭が下がります。
堂本さんの遊説も良かった。常に市民の視線と同じ高さで「あなたは千葉をどうした
い」と質問される姿に、市民は感動を覚えました。
私個人としては、2月中旬から関わっていた、光ヶ丘小学校のボーダーライン問題を
堂本さんだけが真剣に受け止めていただいたことが、とても嬉しかった。(このこと
は、本日3・29付け朝日新聞千葉県版で取り上げられています)
戦い終えて、流山では2位でした。僅差(若井さん以外にかわいさん票が300以上
認証されました)。
悔しかったけれど自民党候補には圧倒的な差(倍の票)をつけました。
東葛地区で唯一の自民党国会議員は肝をつぶしているでしょう。
WE WILL WIN! WE WER WIN!
最後は、市民の力の勝利でした。
4月5日から、私たちは知事を支える勝手連として生まれ変わります。
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