JWの夫たちの会から
高山 一
先ほどのお話にも出ましたように私どもの会ではペンネームを使用してきました。証人である妻に私どもの活動が分かるとまずいということもあり、大きな組織を相手にしていて怖いという感じもありました。
96年に夫たちの会ができました。証人の妻を持つ十数人の夫たちの会として発足しました。互助会のようなものでした。当時は大泉さんのルポルタージュやウッドさんの著作しか情報がありませんでした。情報の獲得と流通のため、96年から数年間、ミニコミ誌を作ってきました。その過程で情報が充実してきて、現在ではホームページ中心に会を運営してます。発足してから数年経って、救出に成功した人と失敗した人たちとに二分されました。会を続けるモチュベーションを失われた形になってきました。私の妻も7年間研究生でした。バプテスマを受ける前に説得に成功しました。妻は今でも、脱会してからも会衆にはよい印象を持ってました。成功してから7年経ちます。林さんともエホバの証人の問題を話し合いました。ものみの塔はカルトとしては線引きが難しい。社会的な犯罪性で言えば、輸血拒否による死亡でもないとマスコミねたで浮かび上がってきません。教義を変えてくれば批判の対象としての性格が薄れてきます。やはり一番の問題は子どもの問題です。個人が宗教を信じれば必ず信教の自由の問題がつきまといます。それがカルトであってもカルトを選ぶと言えばついたては立てられません。子どもを道づれにすることが最後に残ったものみの塔のカルト性であると思います。妻にはものみの塔の教えが残ってません。聖書は何も分かっていなかったと申します。教会での教えしか残ってません。妻を苦しめるのは子どもの問題です。男児の育て方で暴力的にならないようにしてますが、素行不良で学校から呼び出されると何も言えないことを悩んでいました。ものみの塔の教えをストレートに子どもに教えていたことがトラウマになってます。子どもを道連れにするのは児童虐待であり、個人の尊厳を踏みにじるものです。それがものみの塔のカルト性として残ります。妻がエホバの証人になったとき夫はその問題で困ります。それが心から抜けられません。離婚しても抜けられません。子どもが将来において本来、享受されるべき人生を子どもに与えられるか、それが最後まで残ります。だからたとえ非難されても保護説得しようとするところまで追い込まれます。
あれから7年経っても死ぬまであの経験は忘れられません。できることは少ないでしょうが困っている人がいれば相談に応じるとか、微力でも尽くしていきたいと思っています。