ものみの塔 被害報告の現状と課題

                  中澤啓介牧師                                   


 みなさんのお手許に長野県松川町増野の自治会の文書が届いていると思います。それをご覧ください。自治会の皆さんが王国会館建設反対運動をしてこられて自分たちの所では状況で立ち上がりが遅くてとうとう建てられてしまった。ほかのところで建てさせてはいけないとの思いからね同じ長野県では「増野地区での建設阻止は果たせなかったものの、この運動による成果は長野県駒ヶ根市、伊那市、飯島町等での王国会館建設阻止に成功し、また昨年十二月には東京都下、多摩市の落川地区における「ものみの塔桜ヶ丘」会衆による王国会館建設計画に対し、地元住民が立ち上がり、これを建設阻止することに成功いたしました。また、二年前より起きている神奈川県藤野町堂地自治会を上げての建設反対運動は今も継続しており、 一旦はものみの塔側より「住民の反対がある限りは建設しない」という言質を得たものの、近時、ものみの塔側ではこれを無視する形で建築許可を得たとのことにて予断を許さない状況が続いております」。自治会を中心に運動が進められ、成果が上がっております。ものみの塔は今、借りている会館を基本的に引き上げて自前の王国会館を建てる方針を立てています。一つの王国会館を4つくらいの会衆で借りていますと、15万円前後の家賃を出して合計60万円以上の家賃で集会をしてます。各会衆が自前で会館を造るようにしまして、王国会館建設ラッシュの状況です。ものみの塔は大きな力をもってやっていますので自治会の働きは非常に大切だと思います。私はこういう問題に携わって運動している方を知りませんでした。初めて責任者の寺沢さんたちに手紙をやりとりしてお会いしました。裁判の経過を伺いました。主な方々に自治会館の前でお迎えいただき、お話を聞いていただきました。長年、自治体で取り組んでくださっていることは大変なことなんです。
 また、「…………既存キリスト教会関係者の多くはものみの塔について無知識、無関心、無行動です。祈っているだけでは何も解決にはなりません。過酷な言い方ですが、元証人の皆さんやその家族の皆さんについても同様です……」。元々「ものみの塔」とは縁のなかった地域住民が法廷闘争まで仕掛けられながら「ものみの塔」と闘っているのです」。この方々からいただいたお手紙の中ではね牧師は何をやっているんだという厳しいお手紙をいただいたこともあります。その方々から見れば無理無いことだと思い、ものみの塔の実態について教会の中で啓蒙活動が必要だと思いこの8年なり、10年くらいやって参りましたが、キリスト教会は認識が遅い、立ち上がらない、動かない、が実感です。ほかのことをすると動いてくれるのですが、牧師も研究したり、困った人の窓口をしてくれるのですが、一生懸命やると、まず証人が教会に訪れて来なくります。クリスチャンの自宅にも訪ねてこなくなります。学んで救出、対話をしようとしても、向こうからシャットアウトします。為すすべがなくなります。動かないという状況をふまえて本当にやろうとすると相手がいなくなって長続きしなくなる実情があります。

 「被害者全国集会」ということでいったい、被害者は誰かという問題もあります。主催者の磯崎さんからも「被害者とは誰でしょうか」と問われました。この集会での被害者ははっきりしてます。エホバの証人の家族が被害を受けている。エホバの証人あるいは、組織に対しての被害者です。被害者は告発してこの問題を社会に訴えて被害者の問題が起こらないように運動する。これが私どもの運動の趣旨です。昔はエホバの証人の研究会をするにも、山口県からお招きするほどでした。被害者全国集会第1回の頃は加害者がエホバの証人である、エホバの証人を操っているものみの塔の指導者が加害者である、家族が被害者であるとかなり明確に言えたわけです。活動の状況は大きく変わっています。元証人がこういう場でしゃべってもいいといってくれる人が10年前はほとんどいなかったのに今は非常にたくさんいる。ものみの塔の経験が非常に深い人がものみの塔の問題、加害者の問題をはっきり認識し、はっきり世に訴え、組織と闘おうとする。カウンセラーや牧師が問題を作っていると言う人がいる。そういった人たちが問題を作っていればこの問題は長続きはしない。そういう必要性もない。熱心なエホバの証人がこんなに騙されていたのか、こんなに家庭を崩壊させていたのか、世の中の人たちに問題をまき散らしていたのかと自覚して立ち上がって運動に加わってくるようになった。証として証言をしてくださいというと何十人も立っていただける状況になっています。元証人は加害者というだけではなく、実は加害者では過ぎなくはない。元証人が加害者なんだが主催者になることにはすっきりしない疑問があっても、それがこの会の基本的なスタンスです。彼女が主催者になるはずはない、ところが彼女は実は私は被害者なんですねとおっしゃいまして、そのあと、中澤先生も被害者ですねといわれました。私は非常にいいことをおっしゃっていただけたと思いました。私はものみの塔の加害者と言われていて被害者として同情されたことはありません。加害者と被害者の区別はよく分からない。オウム真理教もそうです。上祐は加害者は明確。……元信者は加害者か被害者か、よく分からない。被害者か、加害者か、被害を起こすのがものみの塔なのか、それが問題なのです。教会では加害者か、被害者か、の問題は発生しません。そんなことが起こるのはカルトだから起こるのです。被害者は誰で、加害者は誰かを決めることはできない。家族が被害者、元エホバの証人も被害者、カウンセラーも被害者である。家族にはさまざまな被害があります。宗教共通の問題として耐えて、乗り越える問題があります。ものみの塔は宗教団体であり、キリス教を名乗っており、聖書を使っています。聖書を文字通り解釈するキリスト教の一派と認識されていて、実際、そう新聞に書かれています。被害者の会の人たちはそれは違いますとマスコミに訴えてきています。

 輸血拒否の裁判の記者会見をやりました。被告は記者会見をしませんでした。原告は会見をしました。被害者の会の人たちは記者会見をねじこみました。この会の人たちはすごいなと思います。牧師なら到底できません。被告でも原告でもない人が記者会見をするなんて聞いたことがありません。それをさせてもらいました。「キリスト教の一派」とは書かないでもらいたいとか、マスコミに訴えてました。この会は僕らより筋が通っているとか、腰が据わっている人たちが多い。ものみの塔とは全面的に対決しなければならない、伝道者22万人を5万人にしなければならないと言っています。5万人は必要悪だそうです。ものみの塔に救われた人、家族が良くなった人もいるから、そういう人は仕方がないけど、残り17万人は被害者なんだと考えています。5万人にするために全国集会をしているのです。わたしは気が小さいから、毎月200人ずつ減ると年間2千人減る。1%減るからいいところだろうと、みみっちい計算をしますけど、この会は信仰が薄いというか、ほら吹きの点もあります。いい加減な人も多いんですけど。そうでもしないと運動はやっていけないと思います。それが被害者の活動なんですね。裁判でも何でもマスコミを動かすんだ、訴えていくんだ、といった活動が大事で(それが)成果なんです。ここでわずか50人か100人集まって全国集会やったところでそのこと自体はさして意味ありません。でもそういう集会をまずクリスチャン新聞やキリスト新聞なら取り上げてくれます。新聞に取り上げて、記事を送れば書いてくれます。本当は記者が来て写真を撮ってくれないといけないんですが、事情があります。そこから、キリスト教会から始めなければならないんです。さまざまな一般紙にも載せていかなけばならない。一般紙ではなかなか微妙な問題があり、こうした集会の記事を載せると新聞でもマスコミでも読者や視聴者内にもエホバの証人もいますし、全面的にいかないという状況にあります。この運動を大きく展開するためにマスコミを動かしていくことが大事です。

 ものみの塔の伝道を見てどう考えるか。歴史を見て話してみましょう。ものみの塔は会長が替わると組織の性格が変わるとはっきり言えます。ラッセルの時のものみの塔の組織は基本的にはよき聖書研究生だった。中身は異端で、おかしな教義や聖書解釈が山ほどあったとしても、基本的には聖書研究のグループだったととらえて良い。聖書解釈はおかしかったけれども。ラザフォードになると鉄の組織として共産党(運動)が起きる。世界の歴史が全体主義になる。それと全く軌を一にしていく。中国、ソビエト、ドイツ・ナチのグループの動きをそのまま組織の中に導入していく。1920年代から40年代がそうです。そのころ、ものみの塔のメンバーだったシュメルという人がいます。その人は30年間、ものみの塔に入っていて、1952年、脱会の時に書いている。1922年、エホバの証人であったとき、聖書研究のグループだった。ドイツからアメリカに行って30年間、ものみの塔の組織がいかに変わり、きびしく全体主義で動いていったかを経験して、組織から離脱していく。彼は聖書を研究し続けていって、違うところが分かって逃れていく。彼の言いたかったのは、組織が堅くなって鉄の組織になっていく。聖書研究のグループではなくなっていくということです。ラザフォードの時代はそうでした。ノア会長は特別な能力があったと言うよりは、優れた管理能力を持っていた官僚でした。聖書研究とか、神学には関心がなかった。この人の頃からのすべての書物を書いてきたのは、4代目会長のF・フランズでした。ノアは良き組織化で5万人から200万人の組織に作り上げていった。鉄の組織の基盤があったから、上手に管理していって広げていった。しかしこの人が1977年に死んでフランズが後を継いだ。聖書学者だった。官僚組織を引き継いで神学的にもうまく組み立てて、1976年の大量脱落があった後、盛り返していく。1980年前後に知識階級や反抗分子をすべて排斥していく。当時1980年前後、ブルックリンには50以上の聖書研究のグループがあったと言われているんですが、自分で研究してはいけないということでそのグループはすべて止めさせます。聖書を勉強したらキリスト教になるからだめだ、100年前のキリスト教に戻ってしまうからだめだ……、こう言ったんです。レイモンド・フランズといった統治体メンバー、ダンロップたちを辞めさせた。アメリカでエホバの証人の救出活動をしている多くの人たちがそのときに(80年代)抜けている。ランドール・ワターさんはインターネットで活発な人ですが、かつては本部で印刷の責任者だった。聖書研究をやって抜け出てくる。聖書研究をやって組織と違うと言い始める。それで排斥をしていく。80年代、カルト化現象が起きてくる。ほかの宗教のカルト化と軌を一にしている。聖書からキリスト教の名を借りて体質を転がしていく。だから、ラッセルの頃は聖書研究、ラザフォードの時は鉄の組織で伸びていく。ノアの時はマネジメントで伸びていく。フランズの時はカルト現象を取り入れて神学的に構築して伸びていく。95年頃から大きく組織が変わっているのはミルトンが会長になったから。1914年の世代を替えた。兵役拒否、代替業務を替えていく。兵役を拒否して投獄された人が大勢いたのに、今はその必要もない。ほかの仕事をすれば投獄されない。投票については外側では替えたと見られるが、内側では誰だって替えたとは思っていない。輸血拒否は2,3年前、統治体会議で決めた。イギリスでリークされた。それで(組織を)訴えるという人が出た。統治体は急遽一面広告を出して教義に変更はありませんと言った。一ヶ月の間に起きたこと。6月15日の読売の夕刊に出た。18日に撤回が起きた。そのまま走っているわけです。組織は明らかに柔軟路線を採っていく。特に欧州でカルトということに認定されている現状を打破していかなけばならない。フランスで印刷所を建てたんですがフランス政府は約300億円の税金を課しました。あの出版は宗教活動ではないということです。営業活動ということで(税金を)課してきたのでフランスの印刷機械は建って1年間稼働した上ですが結局そのまま英国で印刷をやることになった。2年くらい前、1年間くらいしかフランスの印刷所は稼働しなかった。フランスが一番厳しいんですが、ドイツ、ベルギーといった国々はフランスに続いて厳しい姿勢を打ち出していますので、欧州でカルトであると認定されるならば、非常にやりにくくなる。そのため、カルト色を払拭して社会的に認知されたいという動きになります。米国では基本的に信教の自由なので、輸血拒否が起ころうと、元々そういう問題で宗教団体そのものが疑われるとか、その存在が脅かされるとか、税が課されるとか、そういうことは起きません。だから、害悪がなければ、ものみの塔が動くことがないのです。

 そういう歴史をたどったけれど、日本はどうかだったかというと、戦前にも灯台社という団体はありました。明石順三が結局戦時中のものみの塔の動きを批判しました。自分は投獄されていたのに、米国のエホバの証人たちは学校を作ったり、国旗、国歌に曖昧な態度をとっていました。疑問を呈して、返事が来て除名されました。戦後、新たにエホバの証人の使命を帯びた人がアメリカから遣わされました。戦後新たにものみの塔の活動が始まりました。キリスト教宣教団も同じなのですが、ものみの塔の活動、おそらく1997,8年まで鰻登りに増え続けました。確かに100%から落ちましたが、最初の10年間は2,3万人しかふえない。70年代、終わりの預言で60年代後半から70年にかけて日本も伝道が順調に進むようになった。増えていく単位は数千人単位になる。アメリカなどでは、75年で躓きますが日本ではほとんど躓きません。75年に世の終わりがくると言っても来なかった。来なかったから、アメリカでは半数近くが辞めたのに日本ではほとんど辞めなかった。それは組織に非常に忠実な、組織に言うとおりに動く日本人、伝道のノルマが課されれば「はい」という日本人、集会出席を義務づけられれば「はい」という、勉強してきなさいと言われれば「はい」と言う、本当に素直な人たちだということです。みなさんも外国のエホバの証人の王国会館に行けば分かると思うのですが、日本とはかなり違います。自由というか、統制が乱れていると言えます。ところが日本では文字通り、本当に「右ならえ」なんです。それはとても日本の伝統に、歯車に合っていたんです。1970年代の成長率はだいたい25%位です。人数が増えているから成長率が低くなるのであって、人数そのものは増えていきます。昨年5千人なら、6千人、次は7千人と増えていくわけです。人数はふえていくんですが、成長率は鈍っていく。90年代、93年まで8%成長を保ってきた。しかし94年、地下鉄サリン事件が起きた。ものみの塔は、教義を変えていく。そういうころ、被害者全国集会(の力)は大きかったと思います。ここが動いたということで一般の人への啓蒙がぐっと進んだ。カウンセリングをしても一対一です。一人の人を一本釣りしてもそのご家族数人の方は分かりますが、ものみの塔に問題があるとは本当にだれも知らないわけです。被害者の家族の方々はなぜみな、分からないのか、なぜ動かないのか、いらいらしないでください。それを知らないのは当たり前です。こう問題に最初に気付くのは必ず被害者家族なんです。それ以外の人が知るなんてあり得ません。この世の中はけしからんとか、キリスト教会がけしからんとか言わないでください。知らないのが当たり前です。北朝鮮の問題も同じです。家族の人は25年間、言い続けたというんです。25年間苦しんで今になって、マスコミも、政府も、家族のためだと言ってます。けれども家族からは誰も振り向いてれなかったと言う気持ちが本当だと思うんです。それは仕方ない。被害を受けない限り、誰も知るなんてあり得ない。私も相談がなければ関わる必要はありませんでした。そういう意味で被害者家族がまず気付くのです。次に相談を受けた人が気付くのです。まず市の教育委員会、宗教ですからといいます。次に弁護士。離婚は正当な権利ですと言います。離婚はいい手段です、合法です、実際、弁護士からそう言われました。保護説得が必要ですと言ったら監禁して説得するのはだめですと言いました。助けを求めている弁護士がそう言います。「監禁」という言葉でなく「保護」と言ってください。いかに必要か、エホバの証人の人たちは組織に拉致されている。だから、脱会しなければいけない、救出なんだ、レスキューなんだ、非常事態で救い出すんだ、命がけで救い出すんだ、だから弁護士もそのつもりで検討して、と言われても、腕を組んでしまいます。被害者家族の気持ちや中身が分からないのです。だから教会の牧師でも、あれは異端ですから、無理だと思います。私も何度もやりました。誰も説得できなかったんです。エホバの証人になった一年生のご婦人の方とお話しして教会の二階にいると、教会が負けたと思われないよう気を遣いました。いくら言っても絶対に曲げないでしょう。一生懸命口論していたけど全然説得できなかったと言われないよう、がんばりましたけどうまくいったためしはありません。2階に教会の信者がいたら、こんど、誰もいないときに来てくれませんかと頼みました。牧師もだめでした。説得できません。どこ行ってもらちがあかない、そういう時期が続きます。

 それをマスコミに問題にさせたり、弁護士を動かしたり、学者の人たちにものみの塔はカルトと言わせたり、教会の中に「放っておいてならない」と認識させていくのは被害者家族の声です。この集会です。声が上がらない限り、日本の社会のどこも動かないのです。教会も動かない。弁護士も学者もマスコミも誰も動かないことを知ってください。

 実は95年くらいから、5%、3%、2%、0%の増加率になって、昨年、マイナス1%、今年もマイナス1%になった。一年に2千人いなくなると1%減少になるので、こういう活動の成果なんです。会の主催者が言っているように5万人が目標なんだと四分の 一にしなければならないのですから、お互いがんばってそうしていかなければなりません。減ってきたら、わたしたち家族の運動はうまくいっているなと思って気を抜いちゃだめです。エホバの証人はキリスト教の名を使いながら120年の歴史を持つことを忘れないでください。キリスト教を使う限り、しぶといですよ。侮ったら、絶対にミスをします。18億の民がキリストの民です。20世紀の始めと終わりと比べると圧倒的にキリストの人口は増えています。ファンダメンタルの、聖書に堅く立つ信仰者が圧倒的な力を持ってきています。20世紀の初頭、いい加減な教会だったのが20世紀の後半には聖書に立つ教会にほとんどが立ち返っているんです。20世紀に文化や科学が進んでキリスト教がなくなると思われたら、およそ見当違い。人間の基本的なニーズやあり方はキリスト教は実にうまくマッチしている。キリスト教は答えを持っていました。

 偽物はさらにうまくできている。本物よりうまくできている。本物より人をとらえることが上手です。東京でも売っている安物のブランド品、あれはかなり偽物です。専門家が見なきゃ分からないというのですから、その偽物でそのまま安く使った方がいいと思います。専門家が顕微鏡で見ないと分からないんですから、街を歩いてみなさん本物と見える、安くてそんなに悪くないし、壊れたらまた新しいのを買えばいいのです。偽ブランドを購入した方がよっぽどいい。効率的です。それが世の中の人のエホバの証人への思いなんです。そのほうがずっとものみの塔に近づきやすいし、てっとり早いし、問題解決が速い、キリスト教の教義のほうがよっぽど信じにくいことをやっています。理不尽なこと、不合理なことを教えています。ところが世の中の人にはキリスト教の冠をかぶせるながら、ものみの塔の言うことがずっとわかりやすい。三位一体なんてクリスチャンだって信じられない。聖霊の助けをいただいて信じているんです。世の中の人が三位一体を信じられないのは当たり前です。ものみの塔は伝道できる。うまくキリスト教の冠をつければよい。ほとんどの人たちが聖書を知りたがった、聖書を信じたかった。聖書ほどすばらしい本はないと。聖書くらいみなさん、読んでください。私も最近コーランを読みました。みなさん、おつきあいでも聖書を読んでください。これは重要なことです。

 120年の間に組織の作り方や人の使い方をもっともよく勉強しています。オウム真理教や日本の振興宗教やカルト集団はたかだか10年か20年です。戦争も通った、投獄も通ってきた、共産主義の嵐も通った、迫害も通った、法廷闘争もやってきた、財産はすごいです。ニューヨークのブルックリンで36のビルを買い占めました。つぶれそうなホテルなど一番早く目を付けるのはものみの塔です。地下道が通って、何かあれば地下道で行き来ができると言われてます。とにかく、日本でも王国会館を限りなく建てていこうとしている。その基礎はあります。組織の作りかたは優れていて、教育の仕方、集会のやり方もそう。キリスト教会で集会をやっても1万人集めるなんて東京では不可能です。外国、アメリカの有名な伝道者を呼んでくると4万人くらい、やっと集まる。日本人が話したら、誰も集まらない。横浜アリーナに行ったら、毎年1万4千人の人が少なくとも三回、集会をやります。神奈川で、三日間、 朝も昼も晩も、5万人集めてしまう。毎年集会に出る数はキリスト教の比ではありません。聖書の学びをすると礼拝で200人来てもウィークデーで来るのは30人から40人です。呼ぶとみなさん(牧師の)言うことを聞きます。私など聞いてもらったためしが無いような感じです。先生が間違ったこと言ってないか、待っている。役員会の使命は先生が暴走しないことであると思ってやってます。これだから、キリスト教は太刀打ちできません。これが実態です。ものみの塔は組織化といい、経済力といい、人の扱い方といい、財産といい、投獄されようと裁判闘争になろうと、私どもが簡単に考えている組織ではありません。考えてみれば、75年に終わりが来ると言って人が半分になっても数年のうちに盛り返しただけではなく、今、そのときから見ればもう伝道者は3倍(600万人)になっています。ものみの塔はしぶとい。どんなに欧州でカルトと言われようと、日本で何言われても。この会が手を抜いてしまえばマスコミが報道しなくなる、弁護士や教育相談やカウンセラーには相談が来なくなるから手を引きます。表面には出ないすべての違法行為などの問題が進みます。120年の間に何をやれば裁判に引っかかるか、何をやれば引っかからないかは、百も二百も承知です。弁護士の言うように、統一教会の「青春を返せ!」のような裁判をやれと言われると難しい。強制しているようでいて強制していない、自分の意志でやっているというふうになっています。実体は違いますが。裁判になったら言い逃れできるようになっているのが120年の歴史の重みというか、ずるさです。だからこの組織は何かあると手を替え、品を替える。その本質、要するにものみの塔の教理、メッセージから言ったら、情報統制、信者の管理をしない限り不可能です。ものみの塔はカルト化しなくなるということはありえません。それではものみの塔が情報統制、信者管理を辞めたとたん、どこかに向かうというと、キリスト教の一つになるからです。ものみの塔には聖書を信じている人はいっぱいいます。彼らに情報統制と信者管理を外したら、ふつうのキリスト教のところへかならず行きます。絶対に行きます。そういう意味で今のものみの塔の教えを持っている限り、組織を保とうとする限り、カルトであることは払拭できません。ただし巧みに、巧みに。マスコミにも分からないように。裁判に勝つのはもちろんのことというふうに動いていきます。

 本当の意味で声を上げられるのは、被害者家族の会です。被害者というのは、家族だと規定してお話ししましたが、この被害者家族の会は元エホバの証人が増えてきたし、私はいろんな人がかかわっていかなければと。元二世の人たち、不活発な人たち、あるいは現役で足を両方突っこんでいる人たち、こういう人たちが出てこないといけない。カウンセラーもそうです。マスコミも、研究者もそうです。私は裁判が終わって、裁判の問題は今月の16日にありますので裁判の意味と展望といったことはそこで話したいと思います。ここでは割愛します。私はあらゆる活動を大きく協力していかなけらばならない(と思います)、自治会が加わっていますし、ほかのカルト団体が協賛しております。統一協会、ヤマギシの会その他さまざまな人がエールを送ってます。カルトとしての共通項を承認している、自覚しているからなんです。そちら側への運動も大事です。そのキーは元証人になってきたのです。闘いの第一ラウンドは草刈裁判で終わったと思います。ウッド先生がいわゆる保護救出を始めて15年。そして裁判をして、決着を見た裁判の意味、家族に対してどうしたらいいかは別の機会でお話ししますが、とにかく第一ラウンドは終わった。それまでキリスト教の牧師、宣教師が中心に救出カウンセラーを行ってきました。非常に尊いことです。私はその中に入った最後の者です。ウッド先生たちが始め、草刈先生や柿鶴先生、ドーゲン先生たちが初めて。私がこの働きを始めてるときみんなの所に行きました。そして教えてください(といいました)。でも私は救出カウンセラーの人たちの時代は終わった。元証人たちがこれから中心にならなければならない。

 元証人たちが今日、追悼式をやりました。私も昔頼まれました。おもしろいこと考えるなと思いました。私にはとても出てこない。私はキリスト教の葬式はしますけど、エホバの証人の葬式はしません。あきらめないですね。ちゃんと元証人を引っぱり出してくるのが憎いですね。これからは元証人が表舞台です。あらゆる所、マスコミも、カウンセラーの救出グループも、脱カルト研究会も、元証人。大学の先生、教授に対応していくのも元証人、弁護士もそうです。牧師の出る幕はもう終わった。黒子は必要です。お祈りしてくれることと、必要なときにお金を出してくれること。牧師は貧乏に見えます。一番お金を持っているのは牧師です。本当に貧しい生活をしているのは牧師ですけど、必要な働きに献金してくれるのは牧師です。会堂建設するとサラリーマンが10万円単位で献金して献金したと思うなと私は思います。でも牧師は必要なら献金します。牧師はそれくらいしか価値ないんだけど。本当に牧師を用いていただきたい、あらゆる組織に前に出ていくのは元証人。元証人の人は自覚していただいて、責任を感じていただいて。被害者だった。二重の被害者です。間違いに気付く前には被害者。気付いた後も被害者。被害者家族の会の中心になって、ものみの塔の問題を訴えていく仕事をしていただきたい。カウンセラーも被害者と言っておきます。本来、こういう働きも関わりたくない。時間はとられます。本を書いてますけど、書ける頁数もカウンセラーしていると(中身は言いませんけど)、したくてしている牧師がいるとは思えない。課せられています。牧師は相談を受けると逃げられないんです。弁護士とか、医者は(クライアントを)断る権利はありません。ですから牧師は断れません。何とかやれることをしなければなりません。ですから、暖かくして上げてください。わたしなどは、敵対心を持ってやってくる人がいると励ましになります。私のような牧師は暖かくされるこちらが動きにくくなります。

 わたしたちも、疲れること、迷うこともあります。だから、カウンセラーも被害者です。闘いたいですね。もしものみの塔がカルトでなくなれば我々は要らなくなります。解散式をやればすみます。途中で辞めないように。この運動を始めた人、そろそろ一線を若い人に道を譲ってはだめ!。私どもの教会も若い牧師に変わりました。私はそんな考えを一度も考えたことありません。今までのことを若い牧師がやって私が休むとか、それなら、働きは広がりません。若い人がやったら、年を取った人はそれ以上に違うことをやらなきゃならない。先輩は違うことをやらなきゃ。後進に譲って楽隠居はこういう運動にはあり得ない。今までやってきたことを若い人に譲るのは当然です。ごちゃごちゃ言わないのも当然。譲ったら、その人にしかできないことを本当にやっていく。生涯現役でやっていく。被害者の会の人たち!、半分抜けようと思ってもこれからやらなかったら、人間として信用できない! そう私は思っています。最後までやってください。お願いします。


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