脱会体験



 私は1978年にバブテスマを受け、エホバの証人になりました。3年前に間違いに気がついて組織を出ました。夫はエホバの証人です。息子も組織にとどまっています。なぜエホバの証人を辞めたかと言いますと、娘が救出に関わってくれたからです。私が聖書の話を初めて聞いたのは32年前、娘が4歳の時でした。向かいの家の主婦から聖書の勉強をしていると聞かされました。幸福な家族生活に役立つことや子どものしつけについても聖書から学んでいると言うのです。私は21歳で結婚し二人の子の親となっていましたが、子どものしつけについては何も指針らしいものは持っていませんでしたし、良い妻、良い親になりたいと思っていましたから、聖書からそんないいことが学べられるならもっと知りたくなりました。しばらくして仕事で戸別訪問をしていますと、ある家で品の良いおばあさんが出てきましたが、「今、勉強で忙しい」と断られました。興味を覚え、「何の勉強ですか」と尋ねましたところ、「聖書です」とこたえました。それによると今は終わりの日と預言されている時代であって、まもなく神が世の悪いものを一掃されてその後、戦争のないよい世をもたらすと言うのでした。1970年代当時、オイルショックがあり、私もトイレットペーパーを買いに走る一人でした。何となく将来に不安を感じてました。子どもの将来を考え不安になってきました。こうしたとき良い時代がくるという話には心惹かれました。そうなってほしいと思いました。帰ってから向かいの家の主婦にその話をするとそれは同じものみの塔の聖書の話とわかり、それから研究を勧められ、ものみの塔の聖書研究生となりました。夫にも一緒に聖書研究を勧めましたところ、夫も研究生になりました。その二年後、私はエホバの証人になり、さらにその二年後、夫もエホバの証人になりました。子どもたちが小学生になると開拓奉仕をしました。夫も会社を辞めて週4日勤務の仕事を始め、家族全員が集会、伝道中心の生活になりました。子どもたちも順調に成長し、娘は小6になってバブテスマを受けました。しかし中3から反抗をし始め、組織から離れてしまいました。息子は高校卒業とともに開拓奉仕を始めて二十代後半には長老に任命されました。9年前に子ども二人とも結婚し、現在では夫と二人で暮らしています。

 4年前、娘夫婦がやってきて、一緒に温泉旅行に行こうと誘いました。娘は組織を離れ、排斥になってましたので、娘と一緒に旅行に行ったことが会衆に知れると長老から叱責を受けますので、躊躇しました。娘婿が「どうにか旅費がたまったので是非一緒に来ましょう」と言うので断り切れなくなりました。しかしその後、後悔して「やはり行けない」と伝えました。さらに娘が再三誘うのです。それでも断りますと土下座し、涙を流して誘うのでした。それを見るとたまらなくなり、行くことに同意しました。旅行の日は佐賀の嬉野に行きました。夕方近くに旅館に着いて温泉と食事を楽しみました。翌朝、食事が終わると約束通り人に会うことになりました。クリスチャンでエホバの証人に関心を持っている人だと言うのです。エホバの証人とクリスチャンの教えのどちらが聖書の教えを正しく伝えているのか知りたいというのです。もし、エホバの証人の教えが正しいならものみの塔に戻ると言いますので、これは娘をものみの塔に取り戻す機会だと思い、私はその人に会うことに同意したのでした。約束通りの時間にその人はやってきました。その方の穏やかな態度に緊張がほぐれ、話をできました。辛抱強く私の話も聞いていただけました。ある程度話をした後、その方の話を聞きましたところ、ものみの塔の出版物をテーブルに出してものみの塔の矛盾を話し始めました。その人の言っていることは正しいと分かってましたが、とても信じられない状況でした。ものみの塔だけが神の用いられる真の、唯一の組織だと信じていたからです。内容を聞いても素直に信じられない、受け入れられないという状況でした。その日の夜まで話は続き、次の日も続きました。私も夫も間違いを認めざるを得ない状況になりました。これ以上聞いたら危険だと思い、なんとか止めさせようと、「頭が痛い」とか「腰が痛い」とか「疲れた」と言うようになりました。私のその態度に娘夫婦は猛然とかみつきました。二人は一歩も引かない態度でした。そして娘が「私のために話を聞いて」と叫びました。私ははっとして娘のために引き続き話合いに応じました。三人が部屋を出ていった後、放心状態でした。そのとき、8割方、間違いに気づきました。とてもショックでした。
 このまま福岡に帰るか、それとも引き続き話を聞くべきか、迷いました。しばらく考えて逃げてはいけないと思い、資料を手にし、読みました。間違いと認めざると得ませんでした。旅館に4泊して100%間違いに気づいていました。帰ってからも中澤先生たちの本を読んで確認しました。神の組織ではなく人間の組織だと分かり、もう組織にいる理由はないと思いました。私が組織にとどまりこれ以上犠牲者を出してはいけないと思いました。何より命がけで救出に関わった娘をこれ以上悲しませてはいけないと思い組織を出る決意をしました。組織を出るに当たっては息子夫婦と一緒に連れて出たいと思い、息子を救出すべき準備して救出に当たりましたが残念ながらうまくいきませんでした。夫もそのまま組織に残り、私は一人で脱会届を出しました。あきらめてはいません。息子夫婦の好物を夫に持ってもらい、渡します。息子夫婦はそれを喜んで食べています。そういう手段でしか私の気持ちを伝えられませんが、いつか必ず間違いに気づいてくれる日が来ると信じています。夫も最近、集会、伝道に行かなくなり、自然に組織から離れてほしいと思っています。長年信じていたものが間違いだと気づいたショックは大きいものでした。30年近くを無駄にしてきた悔しさ、子どもたちを犠牲にしてきた申し訳なさにとても落ち込みました。それでも暖かい励まし、精神的フォローを受けて元気に生活しています。ものみの塔の束縛から解放され、自由を取り戻し、本当に良かったととても感謝しています。
 先日、街の中の交差点に3人のエホバの証人が立っていました。その中の一人は暗い表情でうつむき加減でした。そのエホバの証人が気の毒になり、自分の脱会を伝えたくなりました。それでエホバの証人に近づき、目があったら会釈して話しかけようとしました。ところが3人とも明らかに私が見えているのに、顔を向けようともしません。視線を合わせようともしません。私はきっかけが見いだせないまま、その場を去りました。3人の生気のない顔を思い出しエホバの証人たちが気の毒になりました。ものみの塔に拘束されているエホバの証人をどうすれば一人でも多く救出できるか、みなさんと考えていきたいと思います。


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