脱会体験談

 今日は横須賀から参りました。夫の私がものみの塔の研究生になっていました。二年前の9月3日に妻に研究をすると話したとき、葛藤がありました。今は間違いに気づいてリハビリを兼ねて大野教会に通ってます。家族がものみの塔に残って苦しんでおられる方の助けとなり、理解を得ていただければと思います。私は打たれる覚悟で話をします。横須賀に転居して十年後にエホバの証人のバブテスマを受けようとしました。転居して以来近くのエホバの証人が回ってきました。私は、実家が熱心な仏教という中で育っていました。坊さん任せの仏教に疑問を持っていて仏教を学ぶべきだと思ってました。分かりやすい勉強として霊友会に入ってました。元々弱い心で、怒りやすく、人の話を聞けず、酒にすがってしまいます。飲んでは家庭内暴力で、妻に泣かれました。たまたまエホバの証人に入ったきっかけもそれでした。エホバの証人自体のトラブルがなかったとしても、そんなことがありましたから、今ここに立っていなかったんだろうと思います。

 最初の頃は、私はエホバの証人が尋ねて来たら反対していました。ところがエホバの証人は優しくて、丁寧で穏やかに受け止めてました。自分がいやになって「ものみの塔」を見たとき、救われるところがありました。妻の先を越してエホバの証人に親切に接するようになりました。そのときは聖書を知りませんでした。それを言いますとすぐに聖書を持ってきてくれました。対応の良さに惹かれました。初めのうちは分からない内容でしたがさも理論的に書かれていて通勤時間帯に読みましたところ、納得がいって自宅で毎週土曜日に研究をするようになりました。それから地域大会に出ました。会場の静けさとまじめさに感服しました。それから王国会館に出ました。ラブシャワーがありました。

 入ったきっかけは人それぞれですが、何かがあって入っていきます。抜け出たときにその問題が解決できているかというと、できてません。エホバの証人を抜け出たからすべてが解決するわけではありません。元に戻っただけです。私の場合、あの経験がなかったら、今も夫婦でいられるはずはありませんでした。

 なぜ戻れたかと言いますと、頑なにしながらも、どこか伝わるものが心の中に残っていました。妻は私の生き方にひどく反対して私を引き留めるため両親を呼んで話をしました。妻は両方の親3人にとても怒ってました。その気持ちが私に伝わってきました。妻の母親は帰るときに言った「佐藤さん、頼むよ」の一言が心に残っていました。

 

妻の経験談

 ある日突然、主人から「エホバの証人が正しい。今までやってきたのは間違いだった」と告げられ、その日から周りのものが見えなくなり、どうしたらいいか、毎日泣いてばかりいました。とりあえず、年内いっぱいは王国会館へ行くことと聖書研究を止めるように、「目ざめよ!」誌は読んでもいいと、言いました。能面のような顔をした夫には何を言って全く気持ちが通じませんでした。私が主人を向いていないその態度が悪いと言う人もいました。主人ばかり責めてました。この場から消えたいと泣きました。何も食べられず、まともに顔を上げて歩くこともできず、涙しか出ませんでした。唯一の救いは子どもたちでした。ある日、中三の息子が隣に座って、黙って擦り寄ってきました。その頬の暖かさは今でも忘れません。次女が自腹でケーキを買ってきて私の前に置きました。「食べてもいいよ」と言いましたので、娘のケーキだと思って二時間かけて食べましたら、心が温かくなりました。長女は黙って私の話を聞いて一緒に泣きました。主人は本物の愛を投げかけてきましたがエホバの証人の教えは愛ではないと確信しました。子どもたちの愛が本物の愛情と思えました。絶対にエホバの証人の宗教は偽物だとしか思えませんでした。絶対付いていきませんと拒否しました。コンサートに行ったとき、「神がいる。祈りたい。あの人に穏やかな人生を……」という言葉を聞きました。その言葉に心打たれました。私は主人のことは考えていたのかなと自分を疑いました。エホバの証人は「宗教の自由があるからご主人を止められません」と言うのです。この世はサタンの国だと言っておきながら、そこで日本の法律を持ち出すのがおかしいと思いました。そんなとき相田みつおさんの詩に出会いました。「……してやったのに」、「……と思ってやったのに」と言うとすべて愚痴になるというのです。心にぐさっと刺さりました。

 とうとう12月になりました。焦りがあっても、夫の態度に傷つき、我慢できません。しかしどうにもできません。別れさせてくださいと空に向かって言いました。その青空が忘れられません。そのときふと、薬科の水谷先生の講演での言葉を思い出しました。「専門の先生と二人三脚でやっていかないといけない」と言うのです。そこで専門家の助けを求めるとインターネットで被害者集会のサイトに行き着きました。「こういう被害者の集会があるけど話を聞いた方がいい、これだけ反対しているのだから話を聞いてください」と主人に言いますと、もうすぐ1月になるし、確信を持っているから分かったと答えました。そのときはサイトの連絡先に電話するにしても、とても不安でした。高額な料金を請求されるのではとも、疑いました。電話しますとすぐに中澤先生を紹介しますと言われ、予定を空けてもらいました。12月21日に大野教会を訪ねました。主人が先生の話を聞き、多くの脱会した人たちの経験談を聞きましたところ、「あれっ」となりました。先生が優しい口調で「もう少し(集会に)行かれたほうがいい」とか、「別れるなら別れてもいいけど戻ってくれないなら離婚してもいいんじゃない」と言われますと肩の荷が下りました。

 抜けてくれればそれでOKというわけではありません。主人の両親の苦しみ・悲しみは続いています。どうして癒していけばいいのか……。二人で教会で礼拝し、学ばされ、愛を注がれています。愛情を伝えるのは難しいことで、土俵が違うだけに相手も一生懸命になっていますが、反対側はそこからどうして救えばいいのか、お互いを傷つけていて、苦しんでいるのが現状です。本当の愛が心からわき出てくるのがいいなと願っています。私たちが今までこれたのは多くのみなさまのお手伝いがあったおかげです。感謝をしております。何かのお役に立てればと願っております。


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