ものみの塔の最近の動向

草刈定雄           

 

 レジメの中にある表をご覧下さい。この表は『エホバの証人の悲劇』にある表です。99年以降、ほぼエホバの証人の人数は伸びていません。時には年間1万3000人ほどがバプテスマを受けていたのですが、現在では4000人ほどしか受けてません。人数はここ4,5年は21万7千人を保っている状況です。従ってバプブテスマを受けた人数分が不活発になっている、離れていると言えます。

 特に最近の教義の変更を考えてみます。今年の5月の「ものみの塔」にこう、あります。教義の変更です。93年の「目ざめよ!」には世代の解釈の伏線となる箇所があります。ほかの団体の預言を取り上げて、それら預言が外れたとしても、必ずしも偽預言者と決めつけるべきではないと書かれてます。聖書には預言が外れた時、それは神が語られた言葉ではないとはっきり書かれています。その箇所も取り上げながらも、間違いを犯しても本人が間違っただけで偽預言者として扱わないと言う記事です。その後に95年11月に世代の解釈を変えたのです。

 伏線になる記事はほかにあるのではないでしょうか。144千人の残りの者の教義を大きく変える伏線となるのではないでしょうか。以前の教理はどうだったかでしょうか。144千人を集めるわざは1935年に終了したというものです。1800年代後半から活動を初めたものみの塔はそれ以後油注がれた者(クリスチャン)が1935年に集め終わったと言ってます。ペンテコステの時から集めるわざが始まり1935年に終わってます。その人数は144千人です。それを出版物から見てみましょう。「ものみの塔」1985/2/15号をご覧下さい。

エホバの証人の現代の歴史は,1931年以降,王国の音信を通して「ほかの羊」に一層深い注意が払われるようになったことを示しています。次いで1935年5月31日,「大いなる群衆」という話があり,使徒ヨハネが幻で見た「大群衆」の実体が「ほかの羊」であることが明確に示されました。新しく強調されたこの点は何を意味しましたか。「小さな群れ」を集める業が終わりに近づき,イエスが「忠実で思慮深い奴隷jの行なう管理により,ご自分の注意を「ほかの羊」を集めることに向ける時が到来したということです。---マタイ24:45-47。

 

 1935年にラザフォードが講演をしたテーマが「大いなる群衆」でした。内容はイエスが話された「ほかの羊」と黙示録の「大群衆」は同一だというものでした。「ものみの塔」82/2/1号をご覧下さい。

 

現代において王国の良いたよりを宣べ伝えることにあずかっている人々は,エホバ神がご自分の献身した僕たちを,霊によって生み出された見える組織,、すなわち「忠実で思慮深い奴隷」によって導いておられることを確信しています。(マタイ24:45-47)1935年ころまでは,その指導の下に天的な希望が差し伸べられ,際立ったものにされ,強調されました。それから『光がきらめき』、啓示7章9節の「大群衆」の実体が明らかに示されて、地的希望に強調が置かれるようになりました。(詩97:11新〉したがってその時までに14万4,000という数がほぼ満たされたと結論するのは妥当なことです。

 

と書かれています。次に変更になった2007/5/1号をご覧下さい。

 

1935年に,啓示7章9-15節の「大群衆」は「ほかの羊」、つまり地上の希望を抱くクリスチャンたちで構成されている、ということが分かりました。「終わりの日」に世界の舞台に登場し,一つの集団としてハルマゲドンを生き残る人々です。(ヨハネ10:16。テモテ第二3:1。啓示21:3,4)その年以降,人々を弟子とする業の主な目的は,大群衆を集め入れることに変わりました。そのため、特に1966年以降、天への召しは1935年に終わったと考えられるようになりました。

 

 ここまでは以前の教えと変わりません。それは1935年に集めるわざは終わりましたと言ってます。天的希望を抱く証人と地上で生き残る証人と二種類のクリスチャンがいると言っています。ところが1935年以降の油注がれた人の人数を整理すると意外な事実が分かります。表では1989年には残りの者の数8685人、2006年には8758人になります。増えているんです。増えていることの説明としては選ばれた144千人の中で離れる時に補充が必要だったという説明がありました。そうすると一人離れると三人補充されるのか――そうでなければふえない。1935年まで天的希望を抱く人が集められ、そのときから徐々に老化、死んでいくのですから8685人の人たちは、かなり高齢者になっているはずです。だから自然死があって減っていくはずです。ところが離れた人に補充すると言うことです。1対1の補充なら人数が増えるはずはありません。その説明も説明になってません。禁令下にいる人数を加えたという説明もあります。禁令が解かれてなおかつ増えているという実態に対して説明が付かないのです。説明が付かないために今回の変更に及んだのではないかと思われます。144千人の教えは聖書から説明するには無理があります。使徒のペンテコステの前に弟子たちがエルサレムの教会で祈っていました。そしてペンテコステの後ペテロがメッセージをして3000人の弟子たちが加えられました。4章になると男の数だけで5千人になった。さらにユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となく現れたと記述されています。エルサレムの教会だけで数万人です。異邦人のクリスチャンがそのユダヤ人教会に比べ数倍あるのです。一世紀当時だけでもそれほどの信者がいたのです。1935年でやっと144千人になったという説明は無理があります。聖書からそれを説得するには難しい教義です。それで今回の変更に及んだと考えられます。新しい理解では、「ものみの塔」2007/5/1号をご覧下さい。

 

一方、時たつうちに、1935年以降にバブテスマを受けたクリスチャンの中にも,自分は天への希望を持っている,と霊によって証しされる人が出てきました。(ローマ8:16,17)したがって,天への希望を抱くようクリスチャンを召すことがいつ終わるかに関して,明確な時を述べることはできないように思われます。
だれかが,自分は今や油そそがれていると思い,記念式の時に表象物にあずかろうと心に決めた場合,わたしたちはその人をどう見るべきでしょうか。裁くべきではありません。これは,当人とエホバとの間の事柄です。

 

 「世代」の変更を機にかなりの期待を持っていたんですが信者内部にそれほど影響が見られません。しかし今回の変更は「世代」の変更よりも信者に大きな影響を与えると思われます。その根拠を話します。以前に取り扱った例を話します。山形の方。エホバの証人歴25年。夫は長老の証人です。昨年お会いしました。彼女の最初の質問はローマ書8:15,16のことばに関してです。

 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

 彼女はこのことばは「私に語られているのですか。みなさんの理解はどうなんですか」と尋ねました。「当然ながらキリストを受け入れた者が聖霊を受けて霊的な子として受け入れられたので神を『アバ、父』と言う関係にあるのです。私たちクリスチャン一人一人に語られた言葉です」と答えました。すると彼女は長老にそれを質問したために煙たがられエホバの証人の中でも隅に追いやられたと言ってました。この言葉が自分に語られているんではないかと言うと、「それは間違っている、油注がれた者の主張することだ」と見られているんです。誰に質問してもそういう答えが返ってくると言ってました。そこがマインドコントロールの特質、そこからずっと話し合ってきて、この家族は母と娘が辞め、父親も今年の夏の移動教室に参加なさいました。教理は間違いだと分かっていますが、人間関係でつながっている状態でした。

 次の事例です。1988年頃、須磨区白川台で背教事件がありました。「私は油注がれて者」だ」と主張する者が何人か起こされたというのです。そのために排斥になりました。間接的にその事件を聞きました。芦屋に移り、油注がれた者を自認する集会を開いています。間接的に様子を聞いています。今までは油注がれている者を自認する者には中心から外し、孤立させていた、あくまで主張するなら排斥という状態でした。ところが今回の変更ではそう言う人が現れても裁くべきではないと言っているんです。エホバの証人は上とのつながりがすごく濃い、一人が間違いに気付きそれを公表しないで疑問を持った状態で会衆にとどまっていると親しい友達に情報が伝わって一人が辞めると複数の人が辞めるケースが多いのです。従って油注がれたと自認して排斥された人を実はあちこちの会衆で見聞きしているわけです。隅にやられている人々に対し方向変換するわけですから大きな影響があるのではないかと思われます。従って144千人の変更の先にはもっと大きな変更があると予想されます。

 大いなる群衆とほかの羊は同一だといわれていますが、聖書の中でそれを示す根拠はありません。つぎはぎです。イエスの伝道を見るとユダヤ人に限られていた伝道でした。しかしイエスの宣教命令は、ユダヤ、サマリアおよび地の涯てまで私の証人になる、全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を伝えよというものでした。イエスはユダヤ人中心でしたが、弟子たちを通して異邦人にも福音を伝えるよう命じられた。だからイエスが語られた「ほかの羊」とは、異邦人を指すことは文脈ではヨハネ10章で分かります。144千人の教えはものみの塔にとって重荷となる教理でしょう。それを維持するのは難しいのではないでしょうか。

 さて、今後の救出の行方です。この教義変更によって別の課題が浮上します。一つは今まで出版物で油注がれた者と言われた人は本当に油注がれていたのか。144千人を主張していた歴代会長は本当に油注がれていたのかという疑問が当然起きます。もう一つは「先着順」を否定するのなら、1935年までは天的希望を持っていたという見解にも変更を加えなければなりません。また、すでに報道された通り、杉並の信者による放火事件がありました。今までにも放火事件はありましたが日本では起きませんでした。韓国では何件かありました。それはすべて反対者、夫が放火するケースがほとんどです。ところが今回は信者が王国会館に放火するという事件でした。ものみの塔の内部に大きな問題の根が潜んでいること表しているのではないでしょうか。

 みなさまの中には家族にエホバの証人がいて困っている親御さんとかご主人がおられるでしょう。今後の救出の行方はどうなっていくのかお考えでしょう。私は今年エホバの証人の救出に携わって、まだ結果が出ておりません。二件ほど取り組みました。兵庫県で研究歴5年位。日曜と火曜の集会に出ています。3日の約束でお会いしました。最初は信仰歴などを伺い、だんだん核心に触れていきますと形相が変わっていきます。二日間聞いていただき、これ以上聞いてもらえないという状態でストップしました。夫婦とも疑問点を司会者に聞いてみようということになり、司会者に会って欲しいと求めましたが司会者からは断られました。奥様としては司会者がご主人にも会わない、疑問点を聞く気がないという対応になり、夫の手前、今は集会に出ない状況になっています。この場合、必ず復活があります。集会には出ていなくともこの方は完全に間違いに気づいているのではなく、いくらか疑問を持っているわけで、復活するときが来ます。ご主人には安心しないよう釘を刺しているのですが、安心しているようです。

 もう一つの例は研究歴7年、集会には5回位しか出席していないケースです。大阪のホテルで6日間お会いし、その後、場所を変えて6日間お会いました。結局は崩れませんでした。夫が多忙だったためこれ以上時間が取れなかったためです。集会には出ていません。疑問はいくらか持っていますがその事に触れさせない状態です。ご主人はとても愕然とし、精神的にも参っている状況が続いています。あきらめないでと祈ってきました。最近、連絡があってご主人は仕事を辞めて来年、再挑戦すると言っていました。残念ながら今年は一人も与えられていません。昨年は14人の人が間違いに気づいて11人がクリスチャンになりました。私は主にあって期待しています。ものみの塔内部に大きな教理の変更があるゆえに大きな影響が及び、内部崩壊につながっていくんではないだろうかと。信者による放火がありましたし、過去に1914年の「世代」の解釈に疑いを持ち組織の実態を調べていこうとするご婦人とお会いしたところ、完全にものみの塔の教えは間違っている、組織は神の組織ではないと確信するに至りました。期待は持っています。

 


目次に戻る