「第6回 輸血拒否死亡者追悼式」
本日ここに、「第6回 輸血拒否死亡者追悼式」を行うにあたり、エホバの証人問題に関わる方々を代表して式辞を述べさせていただきます。
ものみの塔聖書冊子協会は組織を存続させるため、聖書を自分たちの都合のよいように解釈し、その独自の聖書解釈の支配下に、エホバの証人たちを置いてきました。輸血拒否の教義もその一つです。このことの故に尊い命を落とされたエホバの証人の方々のことを思うと悲痛の念が胸に迫って参ります。と同時にさまざまな批判に直面しながらも、未だ、輸血拒否の教義を取り下げようとしない、ものみの塔の欺瞞性には、強い憤りを感じます。
エホバの証人が言っているように、主は本当にそのようなことを言っておられるのでしょうか。申命記12章では、「主が祝福してくださったあなたがたすべての手のわざを喜び楽しみなさい」と言っておられ、しかし「血を食べてはならない。血は命だからである」と言っておられます。主は私たち人類がみ前にあって喜び、楽しみ、しかし命は貴重だから血を流してはならないと、言っておられるのではないでしょうか。主が私たち人類のためにおかれた大切なみことばを偽りごとにする、まさにエデンの園で蛇がアダムとエバをだました、同じ方法で現代も行われているとしか思われません。主のみ言葉を使い、疑いを生じさせ、貴重な主のみ言葉を価値ないものにする。同じやり方で私たちを滅ぼし、主が「私の目には、あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」と言っておられる命を、取り去るそのようなことが行われています。毎年900人もの尊い命が犠牲となっており、これは正しく主への挑戦です。私は間違ったところから回復されたクリスチャンとして、輸血拒否に断固反対します。今、私たち元エホバの証人は、過去を謙遜に振り返り、深い反省の意を表すと共に、これ以上犠牲者が増えることのないように声を大にして、現役のエホバの証人や一般社会の人々、次の世代にも訴えて参りたいと思います。
終わりに輸血拒否により亡くなられた、エホバの証人、そのご家族の方々の今なお変わることのない深い悲しみと苦しみに思いを馳せるとともに、一日も早い教義の撤回と輸血拒否による死亡者「ゼロ」を目指して、またエホバの証人たちが社会から孤立しないためにも愛をもって接して参ります。それこそが追悼式典の重要な目的なのです。
それでは沈黙をもって「第6回輸血拒否死亡者追悼式」といたします。
黙祷(約1分間)
黙祷を終わります。