JWTCから
中澤啓介
このような集会を続けるには難しい面があります。細々となっているんだろうと思って来てみましたらたくさんの方が集まっています。いろんな人たちが活動をしていこうという現われだと知って興味深く、深く関わりたいという気を強く持ちました。
この集会は元加害者の集いの一面もありますが、考えてみると加害者も被害者だったのですから、被害者の集いなんですね。組織がどう動くかで被害の中身が変わってきます。1970年のハルマゲドンが終わり、1980年代にフランズが組織を追い出だされた。ニューヨークの本部にあった聖書研究の集まりがすべて閉鎖された。それがものみの塔がカルトになったと言われる段階です。二代目のラザフォードの時代、カルト化、全体主義化が起きた。破壊的カルトになったのは、70年代から90年代。さらに明らかに95年まではそうでした。組織の実態を反映していくのは必ずその組織の20年間、続くということが宗教学的に言えます。実際の形で変わって行くのには20年かけています。カルト化したための被害はこれから10年続きます。組織は社会的認知を得ようとして血眼になってます。カルトと言われないようにしています。しかしどのようにしても、ハルマゲドン、楽園、輸血拒否、主権論争を教えるには、マインドコントロールに頼るしかない。聖書を読んでいればそうはならない。組織の教えの根本を主張するにはマインドコントロールにかけるしかない。それが欠けるとキリスト教か単純な聖書の読み方になっていきます。ますます強くしないと組織が維持できないと言うことになります。ものみの塔の組織は、最終的には宗教団体であると表すのが一番いいと思っています。出版会社であり、カルト団体の見方もありますが、歴史を見れば宗教団体に戻っていくしたたかさは根底にあると思います。
従ってものみの塔と闘っていくにはその場その場の現象、特に被害者家族にすれば、とにかく被害者を救ってほしいという気持ちですが、見方を変えて、組織の流れの中で何が変わって何が変えないで行くのか、その実態を見つめていく必要があります。宗教団体であり続け、マインドコントロールをかけ続けないと、ものみの塔はもたない宗教になってしまいます。それと闘うには本物であることを見せるしかありません。マスコミが去り、学者も去り、弁護士も去ります。本物の宗教を見せない限り解決はしません。本物を持っている教会にほとんどの責任があります。何をしたらいいか。JWTCでは組織の研究に使う書籍を用いて対応してます。学びは大切ですがものみの塔の教理の学びであり、本当のところ聖書をどう読み、どう信じ、どう表していくか、どういった共同体を作っていくかに関わってきます。偽物だと言っても本物の所在を尋ねられてそれに答えられない限りそういう運動は無になってしまいます。この集会は闘いの場ですが、本物に触れていくことこそ大切です。家族の方がこれをきっかけに教会に足を運び聖書を読むようになったとしても、教会が勢力拡大のためにこうした運動をしているのならものみの塔と変わりはありません。そうではなく、証人の求めたものは人間として、世界、神、人生にどんな答えがあるかと問うて聖書にたどり着いたのです。だから、家族が問いかけを深く共有して、ものみの塔や教会にあるのではなく、本物の信仰を心開いて、ものみの塔の信仰を持つ人もそこに戻ればいい、共に歩んでいく姿勢、それが被害者の集荷合いの最大の目標だと思います。集会は年に一回ですが、毎日の私たちの歩みが、人間として、神を信じる者として、本源がないんだということが言われる、証できる歩みを示してこの働きをすることが大切です。
これまでたいへんな労を取っていただきこれからも進めなければなりませんが、被害者として集まるのではなく、本物を持って私たちはすばらしい生き方ができましたという形の運動体に転換できたらと思います。